11 ローズの理由
飼う。養う。飼育する。
言葉自体には同意語がそれなりに存在するが、人喰い遺跡に飼われるとはどういう状態になるのだろうか。
それを考えてイルゼの頭に浮かんで来たのは、フェルトまがいに壁ドンされた時の嫌な想像だ。
「……家畜」
つまり増やして食べる、的な。人喰い遺跡と、と言うよりは恐らく人間同士のあれこれだろう。
生々しい感じになってきた状況にイルゼとフェルとは揃って「わぁ……」と顔をしかめた。
好みの顔を増やして、育てて、食べる。ローズの行動の理由はそこだろうとアロイスは言ったのである。
「確かに……その相手に好意を抱かようとする幻覚は見せてきましたね」
「もしかしてイルゼ様、幻覚って知り合いでした?」
「えっ!? ああ、いえ! ちょっとした言葉の綾でして!」
頭の中に浮かんだものだから、うっかり口から出てしまった。
先ほどよりも状況が悪化した状態で、あれを話すのはまずい。何か、すごく、まずい気がする。
なのでイルゼは笑って誤魔化した。
「ポミエの人間としては“食料を得るために飼育して増やす”というのは、まぁ理解が出来る行動ではあります。心情的には対象になったと考えたくはないですけどね」
ポミエ領だって食料にするために家畜を飼育している。食料を得るための手段としてだけをクローズアップするならば、イルゼにはローズの行動を批判する立場にはないし、餌がいつ手に入るか分からないローズが取る行動としては間違ってはいないのだ。もちろんあくまで魔物側の視点としてだが。
ただそういう行動を取るようになったきっかけが分からない。人喰いダンジョンは、自然発生する魔物であって、繁殖して増えるものではないからだ。強い魔力を持った鉱石や宝石が、長い年月をかけて成るものである。
「……これは本格的に対処した方が良さそうだ」
つまり人喰い遺跡を本格的に討伐するという事だ。
「今までにそういう提案が出た事はあるんですか?」
「ああ。ただオオグライの核がどこにあるかが分からなかったし、五層全部を埋め立てる費用と資材がかなりの量になるからと、話が進まなかったらしい」
人喰いダンジョンことオオグライ。その核というのは先述の通り、強い魔力を持った鉱石や宝石の事だ。オオグライを完全に倒すためには、その核を破壊する必要がある。
先ほどのゼリー壁も攻撃をすればダメージを与えられたので、攻撃し続ければ弱らせていけば、いずれ倒せるかもしれないが。
「あらあら、嫌だわ! 本当にひどい!」
そんな話をしていると、不意に第三者の声が響き渡った。
ローズだ。そう認識した時、イルゼ達から少し離れた位置に、半透明な姿のローズがふわりと現れた。
「お前、どうやって」
「うふふ、うふふ。だって、ここは私の中だもの。どこへだって出て来れるのは当然でしょう?」
クスクスと無邪気に笑いながらローズは言う。
アロイスを守れる位置に移動しながらルグランとフェルトが鋭い目を彼女に向けた。
(魔物除けの宝石が効かなかった……? いや、それにしては……)
王族の避難部屋はこれまでも使用されていたはずだ。
けれども魔物に荒らされた様子はないし、もし何か問題があれば使用が禁じられたはず。
そうであれば、何かしらのイレギュラーな事態が発生したと考えて良いだろう。
(イレギュラーな事態……)
ローズを観察しながらイルゼは考える。
その時ふと、ローズの姿が先ほどよりも薄い事に気が付いた。
(彼女はあのゼリーを使って姿を現していた……とすると)
この部屋のどこかにそのゼリーがあるというわけだ。しかも小さめの。
小さめ。ゼリー。
……何となく頭に引っ掛かった。どこかで覚えがある。
何だったっけと考えたイルゼの手が腰につけたポーチに当たった。
(……あ!)
そう言えばゼリー壁の欠片を採取していた事を思い出した。
たぶん、あれを使って彼女はここへ姿を現したのだろう。切り離しても魔力か何かの繋がりは、そこに残っているのかもしれない。
これを完全に消滅させれば、とりあえずこの場からローズは消える。ならばその前に少し情報収集をした方が良いだろう。
そう思ったイルゼは、ローズに気付かれないようにそっと、ルグランやフェルトの陰に移動した。
「アロイス殿下、アロイス殿下」
「どうした?」
こそこそと、ローズに聞こえないようにアロイスに耳打ちする。
彼は一瞬びくっとなったが、何とか悲鳴を上げるのを堪えてくれたようだ。
そんなアロイスに、イルゼはポーチの中からハンカチに包んだゼリー片を取り出し見せる。
「あれの一部。燃やせば消えますたぶん」
「なるほど。……少し話を聞いてみるか」
短いやり取りだったがアロイスには伝わったようだ。察しが良い王子で何よりである。
イルゼはにこっと笑うと、フェルトの背中から顔を出して、
「あなたは私達を家畜にしようとしているのですか?」
と聞いた。この辺りは確認のためだ。
「あら、あら。そこまで分かっちゃたの? でも家畜って言い方があまり好きではないわ。ツガイにしようと思ったの!」
「大体一緒の意味ですが……」
「ツガイにして、子供が生まれて、育つまでの過程をじっくり眺めたいのだもの。家畜とはちょっと違うでしょう?」
愛玩とでも言いたのだろうか。
どちらにせよ、オオグライが持つような感覚ではなさそうだなとイルゼは思う。
「でも最後には食べるんでしょう?」
「ええ! 大事に大事に育てて食べてあげるの! それが人間って事でしょう? ノーランもそうしていたわ!」
「ノーラン?」
彼女の口から再びノーランの名前が出て、イルゼは軽く首を傾げた。
確かノーランはこの遺跡で茸や植物の栽培して研究していたと聞いた。
では彼女はその模倣をしているという事なのだろうか。
「……あり得ない」
ぽつりとアロイスが呟く。するとローズはこてんと首を傾げる。
「あら、あら。おかしな事を言うわね、ノーランの子孫なのに」
「お前の言うそれは、人間の営みとは違う」
「どうして? 食べるために育てる。生きる糧を得るために大事に飼育する。そして民達を生かすために研究を続ける。それがノーランの口癖だったわ。だからね、私、とっても人間らしいと思わない?」
ローズは楽しげにそう話す。頬が赤らんで、まるで愛おしい人の事を想っているような表情でだ。
(ローズは薬学王ノーランと懇意にしていた……?)
絶対にないとは言い切れないが、人喰い遺跡の中で研究を続けていたのだ。もしかしたらローズの方が一方的に知っていたと言う方が正しいかもしれない。
「ノーランは私に言ったわ。手伝ってくれるなら、今度は私を助けてくれるって。お返事はできなかったけど、私、とっても嬉しかったの」
「…………」
「だから私、人の姿になれるよう頑張ったのよ? 人の姿になったら、ノーランのお手伝いがいっぱいいっぱい出来るでしょう? なのにノーランったらいじわるなのよ。昔は魔力もたくさんくれたのに、今は全然少ないの」
カクテルドレスの裾を摘まんで、そう言って「だから」ともう一度言う。
ローズの目がギラリと嫌な色に光った。
「あなた達を、ツガイの最初にしてあげる!」
「アロイス殿下!」
ローズの言葉と同時に、イルゼはアロイスに呼び掛ける。それに合わせてアロイスが火の魔法を使って、ハンカチごとゼリー片を燃やした。
するとローズの身体がぐにゃりと歪み、ゼリー片がなくなると同時に「あっ」という言葉を残して消えた。