10 王族の避難部屋
水晶部屋を出発してから魔物の数が増えた。獲物を絶対に逃がすまいという強い意志が感じられる。
全体的にスケルトンが多かったが、たまに菌類系の魔物も混ざっている。薬学王ノーランの研究の成果――というか、まぁ、勝手に育ったのだろう。
ただ、その間は一度もローズが姿を現す事はなかった。それは少々不気味だが、また先ほどのような幻覚を喰らわされても厄介なので、とりあえずは良かったとも思う。
さて、そうしてイルゼ達が戦いながら前へ進んでいると、ある時から魔物の襲撃が一切無くなった。
今までわんさか出て来たのが夢だったのかと思うくらいピタリと止まっている。
嵐の前の静けさだろうか。風前の灯火になるのは嫌だなと思いながらイルゼが辺りの様子を観察していると、ふと、通路にキラキラした美しい宝石がちりばめられている事に気が付いた。
不思議なもので、その宝石の中には星のようなチカチカした揺らめきが見える。
(なるほど、魔物除けの宝石の効果でしたか)
魔物が襲って来ない理由に納得してイルゼは軽く頷いた。
魔物除けの宝石とは、先ほどのカンテラから漂った魔物除けの香りより、強い効果を持つ宝石の事だ。
周囲を見回せば通路の壁のあちこちに、その宝石がシンメトリーに並んでいる。
恐らくヴァーゲ王国の人間がやったものだろう。人喰いダンジョンが用意した財宝にしては性質が合わないし、カットの美しさに人の手を感じる。
(いや、それにしても多いなぁ……全部でいくらくらいするんだろう)
魔物除けの宝石は、例えば少々ごつい指輪の宝石くらいの大きさのものが一個で、牛が三頭くらい買える。
それがここだけで十以上ちりばめられているのだ。総額を計算して思わずイルゼは眩暈がしそうになった。さすが王族の避難部屋が近くにあるだけの事はある。
王族だけ生き残ってもどうしようもないが、王族が生き残れば何とかなる事もある。だからこそ王族を守るための手段を講じた結果なのだろう。
(欲を言えば、ヴァーゲのそれぞれの街にもこういうの、欲しいんですけどねぇ)
まぁ前述の通りだいぶお高い代物で、かつ、採掘場所も限られて市場にもそう多くは出回らない。なので現実的に考えれば難しい事は分かる。
分かるけれど――こうして実物を目にすると欲しいと思ってしまうのだ。
これがあれば領民達は、もっと安全に生活が出来ると思うから。
(やめやめ、無いものねだりはやめましょう)
欲望やらマイナスな感情やらが浮かんでしまうのは疲れている証拠だ。
良くない、良くない。そう考えながらイルゼは通路を進む。
するとしばらくして、終点――行き止まりに辿り着いた。
そこにはなかなか豪奢で頑丈そうな扉がででんと存在している。
「ここが王族の避難部屋です。開けた後は……ああ、ありますね」
扉を触って確かめながらルグランはそう言った。少しホッとした顔をしている。
どうやらアロイスは無事にここまで辿り着いたようだ。
「開きます?」
「ええ。鍵を預かっています。これがないと、後は中から開けてもらうしかないんですよ」
「ああー無理そう」
「あはは。僕もそう思います」
イルゼとフェルトが揃ってそう言うと、ルグランは苦笑しつつ首のあたりに手を伸ばした。鎧を着ていたので見えなかったが、ネックレスをつけていたようだ。するするとチェーンを引っ張るとペンダントトップの部分に金色の鍵がついている。
失くさないように肌身離さずつけていたらしい。確かに服のポケットに入れるよりはだいぶ安全だ。
ルグランは首からネックレスを外すと扉の方を見る。
――しかし。
「あれ? ルグラン団長、鍵穴がないですよ?」
とフェルトが首を傾げた。
そうなのだ。イルゼも下から上までじっくりと見たが、鍵穴らしきものはどこにもない。
「ああ、大丈夫。これは少々特殊な鍵でね」
そう言うとルグランは鍵を扉に直接差した。穴とか隙間とか、そういう部分が全くないカチカチの平らな部分にだ。
どう考えても入らないだろうと見ていると不思議な事に、鍵は、すう、とその平らな部分に吸い込まれる。
「えっ」
「わっ」
イルゼとフェルとが目を丸くする。
「魔法扉ですか!」
「その通り!」
実物を初めて見たのものだから、イルゼはわあっと目を輝かせる。そんなイルゼにルグランはニッと笑って頷いた。
魔法扉とは普通の扉ではなく魔導具に分類される扉の事だ。特定の方法を取らなければ、相当な力で破壊する以外には絶対に開ける事が出来ないものである。
ルグランの持つ鍵はその特定の方法の一つだ。魔法扉と対になる魔法鍵。それがあれば一番簡単に扉を開ける事が出来る。
へぇー、と思いながらイルゼが見ていると、ルグランは鍵を開けるように手を捻る。カチャリ、と音がした。
すると扉が真ん中で割れて、左右の壁にすうと吸い込まれて行く。
すごい。これいいな。手がふさがっている時とか、扉がこんな感じで動いてくれると大変助かる。
「導入したい……」
「イルゼ様、入りますよ」
「はーい」
魔法扉を見て感動していたイルゼに向かってフェルトが声を掛けてくれる。
思考がちょっと飛びかけていたようだ。ハッと我に返ったイルゼは、フェルトとルグランを追いかけて小走りで部屋に入ったのだった。
☆
王族の避難部屋は、まさしく王族が生活するのに相応しい造りとなっていた。
床に敷かれたラグマットはふかふかだし、高そうな調度品も並んでいる。
食品の保存に使う魔導具の保冷箱まで置いてあるし、飲料水が湧き出る魔導具まで完備されている。
小部屋も幾つか存在しており、ベッドルーム、キッチン、バスルーム、トイレと、部屋の間に仕切りこそないものの日常生活を送るのに困らないものが揃っていた。
これは普通に引きこもって生活が出来るなとイルゼは納得する。
さて、その引きこもり希望者ことアロイスだが、その部屋の中央――ソファの上に何故かシャツを開けさせてぐったりと横になっていた。ついでにアロイスは顔が赤くて息も荒い。見方によっては少々年齢制限に引っかかりそうな状態である。
「とりあえず水でも飲ませますかね」
「イルゼ様、結構冷静ですよね」
ひょいひょいと飲料水が湧き出る魔導具のところへイルゼは歩く。
そして棚からグラスを取り出すと、蛇口をきゅ、と捻った。すると綺麗な水が出て来る。
(これも本当に良い魔導具……!)
そんな事を思いながらグラスに水を注ぐと、ルグランのところへ持って行った。
女性に怯えて逃げたのだ。自分が近付いてはまずいだろうと考えたのである。
ルグランもそれを察して、イルゼからグラスを受け取るとアロイスの身体を支えながら、水を飲ませる。
意識自体は残っていたようで、うっすらと目を開けたアロイスは、ごくごくと水を飲み干した。
「……っぷはぁ……。ああ、生き返った。死ぬかと思った。ありがとう、ルグラン……」
まだ顔は赤いし、目も若干とろんとしていたが、とりあえず少しは落ち着いたらしい。
アロイスはお礼を言うと、目だけで周囲をぐるりと見回した。
ルグラン、フェルトと順番に見た後、最後はイルゼに目が止まり、
「ああ、あなたはポミエのイルゼ……だったね。先ほど声を掛けてくれたのは、あなたかい?」
と聞いて来た。悲鳴を上げられるかなと少し身構えたのだが、どうやら大丈夫そうである。
ならば良かったと思いながらイルゼは頷く。
「申し訳ありません。急に声を掛けたせいで驚かせてしまって」
「いや、あれは私が悪いんだ。だいぶ混乱していてね。……迷惑をかけた。すまなかった」
するとアロイスから謝られてしまった。
アロイスはイルゼが思っていたよりも誠実な人なのかもしれない。もちろん“落ち着いた状態で”という前置きはつくのだが。
「ご無事で何よりです。……ですが、何があったのですか? ずいぶん煽情的なご様子ですよ」
「せんじょ」
「イルゼ様、イルゼ様。表現がストレート過ぎてルグラン団長が目を剥いていますよ」
「あら、失礼。では違う表現で……。うーん、えっと、ずいぶん蠱惑的……」
「あー! あー! あー! そうですね! ご様子がいつもと違いましたね!」
別の表現を捻り出そうとしたイルゼの言葉を、ルグランは慌てて遮った。
そこまで検閲が入りそうな言葉を使ったつもりがないのだが、ルグラン的にアウトだったらしい。
……この騎士団長、意外とピュアでは?
イルゼはそんな事を思った。
アロイスは三人のやり取りをポカンとした顔で聞きながら、どうやら面白かったらしくてクスクスと笑う。
「実は、ローズと名乗る人喰い遺跡の精神体に何度か襲われてね」
「おや。もしかしてアロイス殿下も幻覚に?」
「あなた達はそうだったのかい? 私の場合は幻覚系の魔法に耐性があって効かないんだ。だから見えなかったけれど、代わりにゼリー状の物体に絡みつかれて、何とか魔法を使って逃げ出したんだが……その際に妙な液体を飲まされてね」
「もしや毒ですか?」
「私もそう思って、この部屋に常備してある解毒薬を幾つか飲んでみたんだが……。どうも毒は毒だけど、ちょっと違うものというか、その……」
アロイスはそこまで言うと、少し視線を彷徨わせ、言い辛そうに、
「媚薬のようなもの……なんだよ」
なんて言った。三人は思わず咽た。
先ほどのアロイスの様子を見れば、何となく納得の代物である。まぁ、死ぬような毒でなかったのは何よりだ。
しかし、どうにもこの遺跡、先ほどのイルゼ達の時といい、そういう方向性で攻めすぎではないだろうか。
人喰いダンジョンが人間の惚れた腫れたや、生殖活動に興味があるというのは不可解過ぎる。
「毒でないのはホッとしましたが、でも、それも辛いでしょう。大丈夫ですか?」
「ああ。媚薬に関してはほとんどは吐き出して、飲んでしまったのは少量だったから。水を飲んで薄めたり、体外に排出すれば効果が消えるから問題ないよ。ただ……」
「ただ?」
「何でこんな事をされるのか理由が分からなくて……」
「実は僕達も似たような目に合っているんですよ」
「似たような目?」
「実は……」
腕を組むアロイスに、フェルトがこれまでの事を説明する。
すると彼は目を見開いた後、少し考えてから、
「……もしかしてこの遺跡、僕達を飼おうとしているんじゃないかい?」
と言った。




