憑依夢
――1名様、ご案ナ~イ。
なんて調子のいい声が聞こえた気がした。
唐突に色づき、鮮明になっていく視界。戻ってくる感覚。
気がついたら私は知らない場所にいた。でも道中の記憶がない。
ここはどこだろう。そんな疑問さえ忘れて目の前の人々に目を向ける。
「今日もいい塩梅だなぁ」
「そうね。お天気が良くて助かるわ~」
至極平穏な、とりとめのない会話だった。
こちらを気にせず話す彼らを傍観者の如く見つめる。
ふと周囲に視線を向けた。少しだけ視界がグワングワンする。僅かにフォーカスが合ってないというか、ゲームで昏倒し意識を取り戻した時の主人公の視界描写みたいな感じだ。
まるでこの目が借り物だというみたいに、少しだけ動作不良を起こしている。
周囲はこれまた田舎にありそうな緑豊かな景色だ。田畑に森、川と少し古さを感じさせる家屋。けれど不思議なくらい違和感がない。当たり前のように感じる。
一部混ざりきらない己の意識が唱えた疑問はすぐさま溶けて消えた。疑問に思うことすら忘れて。
「なんだか胸騒ぎがする」
ふと空を見上げて独り言を呟く。鼓動が煩い。
視界に移る景色はとても平穏だ。笑顔すら見える穏やかな日常の姿そのもの。
なのに無性に不安だった。何かを忘れている。ここにやってきた目的であった筈だ。なんだっけ。頭の片隅で考えながらのどかな集落の中を突き進む。
周囲の人々も至って普通だ。特別こちらを気にする様子はない。
時々目を向ける人はいたが、私が焦っているように見えているからだろう。
歩き出し気がつけば早足になっていた。どこへ向かっているのか。当たり前の情報が思い浮かばないのに、なぜか身体はまっすぐどこかを目指している。
「おんや? アンタどこから気なすった」
唐突に話しかけられた。足を止め振り向く。
視界に少し歳を召した男が映る。老人と呼ぶにはまだ若い。応えようとして一瞬喉がつかえた。
「わ、私はっ」
「やだねぇ。外れんトコに住んどる巫覡さんだよ」
忘れたのかい、と男に女が話す。口調は軽い。
そうだ。そうだった。私は頭が真っ白なまま思い出し風に声を出す。
「皆さんに、村長様に伝えに来たんです。もうじき神威がくると!」
悲鳴を上げるように叫んだ私に、発せられた言葉に二人はもとより周囲の者が目を見開く。
当然の反応だろう。そうは思うがこちらも構っている余裕はなかった。かくいう自分自身もまた己の発した言葉に内心半分が驚いている。
突然の言葉に数秒放心した様子だった女が苦笑いを浮かべて口を開く。
「神威だなんて縁起でもない。こんな平和な日に物騒な話をしないどくれよ」
「そうさね。おてんとさんもあんなに元気で、近くで戦なんて話も聞かない。平穏そのものだ」
「でも私は嘘なんて。見たんです!」
人々はまるで信じてない様子であった。
この辺りは物騒な話なんて聞かない。干ばつも雨も続いてなく、近頃はとてもよい日々だと皆が口々に言った。空を見上げる者も嵐が来る兆候はないと言う。
神威なんて来たら、こんな小さな集落なんて瞬く間に吹っ飛んでしまうのだ。信じたくないと思うのが普通だ。恐ろしい想像なんて誰もしたくない。
「まあまあ、巫覡の人がこういうんだ。ひとまず長に聞いて貰ったらいいんじゃないかな」
疑心を向ける人々の中からひとつ声が上がる。若い男の声だ。
「まあ、ねぇ。村長に判断して貰うしか」
「ああ。それがいい」
「――――ッ」
私は声を引っ込め唇を噛む。今は従うしかない。
とにかく信じて貰わなければという思いで長の家まで急ぐ。
長の家と言っても他の家と大して変わらない外観だった。気を強くもって中に入り、長と面通しを行う。代々続く巫覡の一族というのもあるからか。特に不審に思われることなく対面が叶った。
私は神威が来ること、鎮化神送りを行う必要があると必死に伝える。自分でもなぜこんな言葉を口走っているのかわからない所があった。
だが、こちらの複雑な心境など相手に伝わる筈もない。
話を静かに聞いていた村長は渋い面持ちを浮かべている。まだ年若い長の顔は険しかったが、同時に疑問を浮かべているような顔もしていた。
「本当に祭祀を行う必要があるのですか?」
「はい。神威は来ます、近く必ず!」
「ですがこの近辺に神はいません。いったい何処の神だと言うのです」
確かめるような口調と言葉だ。しかし同時にこちらの進言を否定している。
この辺りに該当するような神仏はいない。神威と言うからにはどこか遠くの荒魂が来るということか。だとしても、それは現地の者が対処すべきことだ。自分達は関係ない。
村長の心中は概ねそんなところだろう。声音と表情から容易に推測できた。
「私が見た通りなら彼の神は遠方の守り主。しかし重要なのはそこではありません」
「やはり遠方……巫覡様、ならば我々には」
「いいえ。何処の、いずれの神でも関係ありません」
「しかし――ッ」
「関係ないのです。私達人は長らく神々を祀り力の恩寵を賜ってきました」
私は丁寧に諭した。どのような神であろうと人は信仰のために呼び出す。
であれば、神の力が必要となくなったなら送って然るべきだ。それが誠意というものであり、呼び出した人間の責任であると。そして荒魂とは悲しき者のことで――。
「神威は、彼の神にとっても災厄です。鎮めねば誰一人救われない」
「それでも私どもには関係がないことです」
「ですからっ」
私は思わず立ち上がりかけるほど憤った。村長が手を上げて制す。
「申し訳ございません。やはり得体の知れぬ存在に祈る者などおりませんよ」
たとえ神であっても、と語尾についているのが伺える。
薄情だと思ったが、人とは案外そういうものだと感じる自分がいた。
得体の知れないもの、己と違うモノに理解が浅く厳しいのだ。正直私もなぜ自分がこんなに必死なのかわからない。ここまで食い下がる必要があるのかも疑問で……。
だがこの身体は私の意に反して尚も口を開く。
「しかし私一人では鎮めきれるかどうか……皆の助けが必要なのです」
強い思いで懇願する。けれど村長は嘆息混じりに首を振った。
「申し訳ありません。お帰り下さい」
「どうか力を!」
「お引き取り下さい」
もう一度強く言われ、半ば追い出されるように家から出されてしまう。
私は消沈して力なく歩く。集落の外れにある杜を目指して。道中行き交う人々が実に様々な顔を向けてきたが応える気力はない。
中途半端に言うことを聞く身体と心で小さく言う。
「どうしよう」
このままじゃいけない。神威は必ずくる。私には確信があった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。頭の中はずっとそればかりが占領している。
やがて杜が見えてきて迷わず踏み入って行く。ちょうどその頃、雲行きが怪しくなってきて、ぽつぽつと雨が降り始めていた。じきに嵐が来る。
翌朝、目が覚めると外は酷い空模様だった。
雨は止んでいたがまた崩れるのは目に見えている。それでも私は身体の赴くままに身を清めに行く。おそらく日課だろう。ぼんやりと納得しながら禊を終えた。
ちょうど時を図ったかの如く雨がまた降り始める。最初は柔らかく、次第に強さを増して今度は止む気配がない。風も徐々に強まり木々が激しく木の葉を揺らす。ざわざわとした音が不穏さを駆り立てていた。
「間に合わなかった。……ううん」
まだ終わってない。人々の協力は得られなかったけど私は――。
「行かなくては」
私は立ち上がり勇んで戸を開け外に出る。
社の外、板張りの上も濡れ、雨が降り湿った土の香りが微かに鼻をくすぐった。
空気は水気を含み重さを増す。空を流れる雲は激しく揺れ渦巻き通り過ぎていく。舞い散る木の葉が風の軌跡を視覚的に伝えてきた。荒れ狂っている。
吹き荒れる風のせいでめくれ翻る衣。袂や裾を手で補強しながら外へ歩き出した。走りたいけど転びそうで難しい。暴風の中、できるかぎり足を速めるしかなかった。
『ウオオオォォォ――ッ』
どこからか叫び声に似た響きが木霊する。
反射的に空を振り仰いだ。特別何かが見えるでもなく雲ばかりだ。黒く澱んだ大気の流れが、竜の如く帯を成して天を覆い隠し一層激しく蠢いていた。
見ているだけで不安になってくる。恐ろしくもあった。
「ダメッ。急がないと」
焦り、迷い、恐怖、悲しみ。私の心、精神を幾重にも波紋を描き揺さぶる感情の波。
姿の見えない何者かに会わねばならない。驚くほど強い使命感に突き動かされる。転びそうになるのを必死に堪えながら杜の中を行く。
やがて昨日訪れた集落が見えてきた。まだ遠いが存在はしているようだ。
「よかった。まだ……」
木の幹に掴まりながらそう言葉を零した時である。
けたたましい轟音ととともに視界が一回転したのは――。
「きゃああぁぁぁっ!」
気がつけば悲鳴を上げ宙を舞っていた。
回る視界の中、眼下の集落が跡形もなく吹き飛んでいくのが見える。
私の周囲を、風の中を集落だったモノが上も下もなく飛び交う。人も家畜も同じように舞った。叫ぶ人もいれば声さえ上げられぬ人もいる。
地上に残された人々は必死に嵐に抗っていた。
轟々と鼓膜を震わすのは叩く蹴るような風の音と、辛うじて聞こえる破砕音だけ。人の声は殆どがかき消されてしまう。
そして、視界の端に異質なものが過った。ようやくこの目に捉えたと思う。
「い、た」
ぐわんぐわんに回され気持ち悪い。声が上手く出せなかった。
意識が飛ばないのが不思議なくらいで、よく見えたものだと我が目に関心さえ覚える。
――お願い。誰か。
ふと脳裏に声が響く。情景がフラッシュバックする。
強烈な想いを、身体に込められた願いが訴えかけてきた。
――私では巫覡になれないの。血を引きながら力がないから。
祭壇の前で手を合わせている。声の主は誰だ。
顔どころか姿も見えない。鏡のない部屋で、蝋燭の灯りだけの薄暗い視界。
――巫覡になれる血筋は私しかいないのに……。
自分の声が頭に響いていた。おかしな現象だ。
いや、なぜ疑問に思う。これは私だ、私の記憶だ。どうして疑う必要がある?
――精霊よ、非力な我が魂を捧げます。どうか使命を果たる者をお遣わし下さい。
「そうだ。そうだった」
ようやく思い出した。私はこのために召喚したんだ。
ん、アレ? 何かがおかしい。自分で自分を召喚した?
私は思い浮かんだ疑問に一時困惑する。だがそれもすぐに振り払った。
「ううん。それよりも」
私は確かに見た。夢に見たのだ。
遠くの地で社を失い、家を、己を傷つけた人々に怒り憤りに呑まれた神。
守りの神であった存在が神威を引き起こす瞬間を――。
「――――っ」
私は覚悟を決めた。この場でやるしかないと。
不安定な状態の身体を懸命に整えて身構える。そして凛と身体を張った。
狂い堕ちた神を鎮めるために私は舞う。
嵐のような風の波に乗って、軽やかに踊りながら祈りを捧げる。
荒ぶる尊き者を誰かが止めなければいけない。例え一人でも。それに乗りかかった船だ。既に身体は荒々しい風の奔流に呑まれたのだから――。
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地上に残された人々はこれほど酷い嵐になるとは思っていなかった。
集落だった残骸にしがみつき、絶望に染まった顔を浮かべながら天を仰いだ。言葉を失ったかの如く人々はしばし静まり返っている。
「おい、誰か舞ってるぞ。あの暴風の中で」
「あれは……巫覡さんじゃないか?」
「昨日きた人?」
老若男女の様々な声が天空で舞う人物を向けて言った。
地面などないのに、上も下も定まらない風の中で踊る人。とても美しく神々しさを感じる姿。それが先日やってきた人物であるとすぐに気づいた。この辺りで巫覡と呼ばれる者は一人だけだ。
「見よ。今一人の神子が救いとなる」
唐突に人々の傍らで言葉が紡がれる。
この状況において動じることのない声音。何かを知っているような言葉。一人だけ平穏の中にいるみたいな穏やかな声は、それでいて人間への険しさを滲ませていた。
「堕つ神の所業は人の罪。鎮めし者の命は贄となる」
よく見ておくんだという声を聞く。
今、病を患い神威となった神を癒す様をと。
あの人はなぜ、あそこまで……誰もが疑問に思う。
「最もあれに宿るは異邦の魂、だから魂まではその限りじゃないけどね」
無意識に感じてるんだ。苦しいのは人だけじゃない。また帰る術を――。最後のほうは独り言のように小さな声で言った。
人々は天を仰いだまま、舞う人に釘づけのまま怪訝に眉を寄せる。
「あんた何を言っとるんだ?」
「まあ聞きなよ。そこは理解しなくていい」
「んん?」
「大事なのは異邦の魂が、神子の身体に宿る力を解放して君達が犯した罪を流すこと」
要は尻ぬぐいをしてくれるということさ。声の主は大声で言った。
人々に弁舌する者は饒舌に語る。事の次第をまるで見てきたかの如く。
関係ないと巫覡の者を追い返した人々に。信仰された者にとって区別などないのだと。
「信仰は彼の地より尊き御魂を呼び始まるもの。廃れるならば朽ちる前に送るが道理。さもなくば神威が起こる。至極当然のことだ」
「しかし、あれは遠方の神だろう。儀式はそいつらがっ」
「じゃあ君達は己と異なる種の区別がつくのかい?
獣の、魚の、彼らにまた会ったねなんて確信を持って言える?
正直自信がないだろう。兄弟とかだったら似てても不思議じゃないし。数が多ければ尚のことだね」
「確かにそうだが……でも、相手は神様だろう」
応えた男は声の主の言い分に気圧されていた。
それでも相手は人知を超えた存在だと訴える。しかし声の主は乾いた笑い声をあげた。
「変わらないさ。彼らとて無数にいる人の顔すべてを正確に記憶なんてしていない」
特別な者の一人、二人ならまだしもと後につけ足す。
随分な知ったかぶりの発言の数々に人々は不気味さを覚え始めていた。
こいつはいったい何者なんだ。ずっと村の一員だと思っていたが違うのか。そういえば誰だったか、巫覡の人を長に会わせるよう進言した奴がいたような……。まさかコイツが?
碌に意識して記憶してなかった声の発生源まで遡る。
「言っておくけど、この神威を八つ当たりと考えないことだよ」
神聖なる存在に善悪の概念がありはしない。
半ば責めるように人々へ言い放つ。そんな声の主に不審を抱く人々の前で儀式は終局を迎えていた。
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私は全身全霊で祈るように舞い続ける。
何か、魂の奥から溢れ出る力があった。身体は自然と踊りを捧げる。
この地で目覚めてから初めて心と身体が同じ方向を向いている気がした。ここまでは、どこかで引っかかりがあったけど今は感じない。現状の展開に満足感があった。
『オ、オオオォォォ――ッ』
苦し気な叫びが鼓膜をつんざく。胸が締めつけられそうだ。
けれど次第に声音が戸惑いを帯び、弱々しく、柔らかく変化していった。
最後の最後まで私はすべての力を込めて踊りきる。綺麗に制止する身体とともに溢れ出ていたものが風を伝っていく。広がって包み込む。
そうして気づいた。身体が、動かない。抜ける……と直感的に思った。
「あ、れ……なんで……」
どうして私はあんなに必死になっていたんだろう。
幽体離脱でもしているのか。水に浮かぶように宙で力なく垂れる身体が眼下に見えた。
『この恩は必ず。約束しよう。暗雲の下では汝とともに』
「誰?」
私はあらぬ方向から声をかけられて重い頭を上げる。
全身が疲労感でいっぱいだ。ぼんやりとした意識と、驚くくらい鮮明な視界の中に一人の人物が立っている。人の姿をしているが言い表せない独特の気配を放っていた。柔らかく微笑んでいる。
とても美しいヒトだった。絵の中にしかいないような、淡くそれでいて鮮やかな色の髪をなびかせて。宝石みたいな美しい瞳で。ゆっくり上昇していく私の頬をその手が軽く撫でていく。
ああ、このヒトはきっと優しいんだろうな。理由もなくそう感じた。
『さあ、行きなさい。また会おう』
徐々に遠ざかって行く。頬を撫でた手をすり抜け上へと。
「いいんですか、あんな約束をして。それはつまり我々と契約するってことですよ?」
『ああ――……』
うっすらと聞こえていた声が遠ざかり完全に聞こえなくなる。
途中で途切れた言葉の先は知らない。いったい誰と話しているのかわからない神様。夢の中だけの。
音とともにほどけていく色が、形を失い白んで、やがて私自身の意識も夢の中の身体とともに白く消えていった。
「リアルな夢だったな」
目覚めた私は寝具の中で呟く。たまにこんな夢を見る。
妙にリアルで目覚めた後もちょっとだけ記憶に残っている夢。感覚が残っている夢だ。
まるで登場人物の一人に入り込んでいるみたい。その人の目を借りて異世界を体験している心地を味わう。私はそれを憑依夢と呼んでいた。
厄介なのはその中に感覚を伴うものがあることくらいか。
寒さや痛みなんかが特にそうだ。大概が悪夢に起きうる現象なので本当に辛い。前に夢で幽霊に首を掴まれる夢を見て、恐怖で目が覚めるとしばし金縛りになってたことがあった。
身体がぐっしょり濡れる感覚を感じた時もある。
起きて「まさか」と思い、寝具を調べても濡れてなくて疑問に思ったりした。それだけ感覚が真に迫っていたのだ。
「今回はあっち系じゃなくてよかった」
寝具の中でもぞもぞと動きながら呟く。
断片的に残っている記憶が悪夢でないのを物語っている。
どちらかと言えば変な夢だ。悪夢というには恐怖心が弱く、楽しい夢とも言えないもの。
「今何時だろ」
寝具の中から腕だけを出して時計を探す。
そして掴んで引き寄せたソレを、寝ぼけ眼で確認し私は飛び起きた。
それから数日後――。
いつものように布団に入って眠りについた筈だった。
「早く、早く逃げなきゃ」
「ガアァァァ……ッ」
「ひぃぃ」
後ろを振り向き、見えたものに悲鳴が零れてしまう。
人の形をした化け物ども。早く早く、早く逃げなきゃ。全力で走らないと追いつかれる。
バイオでハザードな世界の中を、ホラー作品の主人公みたく逃げ惑う。目が覚めれば暗い世界観に肝を冷やし、震え上がる暇もなく追われ今に至った。
「誰でもいいから助けて――」
息切れしながら言葉を零す。
武器になる物も、特殊な能力もなく、ただ逃げるしかない。
視界を染める暗さと同様に心の中は絶望が降り積もっていた。光のない中を当てもなく進む。
全力疾走を続けた身体は悲鳴を上げ、体力が限界を迎えているのを感じる。でも止まれない。止まったらやられる。疲れて動けなくもなるだろう。
「もう、ダメ……」
「こっち!」
「え、うわっ」
突然現れた人影が横から私の手首を掴み引っ張っていく。
疲れも吹っ飛ぶくらいの力強さで導かれるように逃げた。暗い背景の中で見覚えのある後ろ姿が視界に移っている。まさか、こんな偶然が起きるなんて――。
変わり果てた住宅街を抜け小さな林の中に足を踏み入れる。
木々が青々と生い茂り、草ものびのびと長くそびえ風に揺れていた。
ガサガサと音を立てて草の中を突き進む。勢いよく当たる草葉が肌を引っ搔いてちょっぴり痛かった。でも足が止まることはない。
やがて木々に囲まれた所に小さな祠が見えた。その前まで行ってようやく足を止める。
「ひとまず、ここまで来たら大丈夫だろ」
ちょっと休憩しようと立ち止まった人影が振り返り――。
明確に顔が見えた相手はやっぱり友人だった。今の状況故か、些かカッコよく見える。
「ありがとう。助かったよ」
「ううん、間に合ってよかった」
明るく微笑む友人の顔を思わずじっと見つめてしまう。
どうしたと怪訝な様子で聞かれ、数秒考えてから私は口を開く。
「なんかカッコよすぎて別人みたいで」
「ホント? ひょっとして覚醒しちゃったかな。伝説の英雄爆誕って感じ」
「あ、アレ。なんか急にいつも通りに……」
一瞬誰かの変装だと感じたのは間違いだったか?
この調子がいい感じは間違いなくいつもの、よく知るアイツだ。
たった一言でカッコよさが半減し途端に親しみが増す。なんか落ち着くな。それになんだか心強い。1人で逃げていた時は、怖くて不安で絶望しかなかったのに……。
「ウウゴォォ……ッ」
暗がりの奥から呻き声に似た叫びが響いた。
条件反射で肩が震え全身が強張る。よく見えないが、暗闇の中で何かが蠢いていた。
「げっ、もう見つかったのか」
「う、うん」
「じゃあ逃げるぞ」
また手首を握られて一緒に走る。伝わってくるぬくもりが嬉しい。
それから長らく逃げ続けた。武器になる物を探し、協力しながら安全そうな場所を探す。
ともにある存在は頼もしく私の心を支えてくれた。空が白む最後の瞬間まで友人は傍にいてくれて。最後まで味方として立ち向かってくれた。
目が覚めた時、不思議なくらい恐怖が過ぎ去るのが早かった。
今までだったら瞼を閉じるのが怖くて。まだ真っ暗な時間でも寝直す勇気がなかなか起きなかったのに。今回は怖かったのに、なぜか心の奥が暖かく感じた。こんな悪夢からの目覚めは初めてだ。
「わ、かんないけど……ありがとう」
それからというもの、悪夢をみると思わぬ助っ人がよく現れるようになった。
姿は人であったり動物だったりと様々。決まってその時最も安心できる姿だったと思う。
創作物のヒーローみたく現れる誰か。この存在が悪夢の恐怖を緩和してくれているのは疑いようのない事実だ。時々遅くなったり会えない時もあった。
で、決まって次にあった時「助けられなくてごめん」と謝ってくる。
「あの人みたいに夢の中くらい特殊能力あってもいいのに……」
ここの所ずっとそうだ。夢の中でも私は凡人のまま。
毎回じゃなくてもl普通は夢で非凡な能力を得らりたりするものだろう。
でもいつからだったか。それがパッタリとなくなった。夢の中で奇跡が起きなくなったのだ。あの人が現れる以外で――。
おかげで夢でだけ会う助っ人がずっと奇跡を起こしている。
いや、もはや暗雲立ち込める悪夢の中で決まって出会えるのが奇跡か。たぶんコレもあの人が起こしているのだろう。なんとなく、そう思たった。
(なんで悪夢の時にばかり現れるんだろう。でも――)
たまに悪夢じゃない時にも現れることがあった。
この前も珍しく悪夢じゃない時に出会って。何がよかったか覚えてないけど確かにあったんだ。いつぞやの神様に似た姿だった気がする。神様の姿もうろ覚えで確信じゃないけど。
「忘れちゃうの、嫌だなぁ」
夢の記憶は長く留まらない。今でさえうろ覚えで、いずれ完全に消えてしまうかも。
たとえ夢でも幾度となく助けてくれた恩人を忘れたくない。夢の内容は忘れても。強くそう思うのだけど、ずっと覚えていられる自信なんて当然なかった。
なんとなく自分の手首に目を落とす。何もないのについ視界に収めたかった。
――大丈夫、夢の中でなら忘れない。
耳の奥で何かが囁いた気がした。けれどすぐ気の所為だと片づける。
脳内が言葉を言葉として処理していない。だからこれは思い込みで妄想に過ぎないだろう。
「思えば、いつも助けられてばかりだよね」
何か返せればいいのに、と小声で呟く。
我ながらおかしいことを言っている。所詮は夢の出来事なのに――。
『十分貰ってる。ともに過ごす瞬間が愛おしいのだから』
私はふと振り返る。確かに聞こえた気がして。
続けて聞こえた「君の魂が払った代償の代わりに私が奇跡を起こそう」という言葉。
そして振り返った向こう側。視界に一瞬だけ、長く透き通った美しい髪と、優しく微笑んだ口元が見えた気がした。




