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9新施設長

 週一回の販売部・調達部との打ち合わせが定着した。ひとりで黙々淡々と作業しているだけの頃を思い返すと、仕事環境はガラリと変わった。


「ブランドンさん、すんません。材料の取り寄せに時間がかかってる」

「フラニー。五カ所から別の素材の注文が来てるけど受注していいかな」

「カリムさん! この材料、この辺りで調達できますか?」


 常に何かが起こる。ぐるぐると、行ったり来たり。目まぐるしい日々に追われている間に、フラニーが初めて卸す素材の種類は十になろうとしていた。幸いにして、エグゼルの助けを求めなくても何とかなる基本の素材ばかりだった。


 基本素材ばかりなのは、販売部が受注を制御しているからなのかもしれない。フラニーは口には出さないでいたが、心の中でそう思っていた。


「よし、これなら上出来かな」


 ぺらりと摘まみ上げたのは、グミシート。透けて向こうがはっきり見えるまで伸ばした。ここまで薄くしても破れない耐久性を出せれば問題ないだろう。赤、緑、青と色指定にもしっかり応えた。


 フラニーはグミシートを皺にならないよう慎重に棒に掛けた。ホッと一息吐き、報告書を書き始めようとペンを片手に用紙が入っている引出しを開けた。


 ぐううう。


(お腹空いた)


 腹の虫の音を聞かれる心配のない職場。昼まではあと少し時間がある。何かなかったかとフラニーはカップやお茶の葉が仕舞ってある戸棚に向かった。


「む、これはいつかのクッキー」


 くしゃっとなった袋にクッキーが残っているのを見つけた。中を見てみれば、カビは生えてなさそうである。ただ、カビが生えていないだけでこれがいつからここにあったのかはサッパリ覚えがない。


 袋の口に顔を当て、匂いを嗅いだ。特別変な匂いもしない。


「いける……!」

「やめとけ」


 突然聞こえた人の声に、フラニーは驚いて手にしていた袋を取り落とした。変なところを見られた、と青くなって部屋のドアの方を見れば、そこには。


「やめときなさい」

「…………」


 保護者の顔をしたエグゼルが立っていた。


「ど、どどどうされたんですか」


 色んな意味で動揺したフラニーの声が震える。エグゼルは部屋の中を見回しながら答えた。


「ん。やれてるなって、見に来た」


 「やれてるか」ではなく「やれてるな」。些細な違いだが、フラニーの心が粟立つ。やれていることを前提で見に来てくれたと思っていいのだろうか。


 フラニーが黙ってもじもじとしていると、エグゼルはグミシートの周りをうろつきながら「うん」と頷く。


「黒色ガラスばかりじゃなくなったな」

「はい」

「俺が出る幕はなかったろう?」

「…………」


 フラニーはつい、口を噤んで視線を逸らした。エグゼルがフラニーだけでやれると判断したことが嬉しかった。


 今まで一緒に居る時は言われるがまま作業していただけで、大した技術を披露する機会は無かったのに。


 そう小さく零せば、「それでも見てれば分かるって」とエグゼルは簡単に言う。フラニーは益々何も言えなくなった。


 エグゼルはデスクの上や、器材の仕舞われている棚、窯へと視線を移す。フラニーは可能な限り綺麗に整頓しているつもりだが、何か不備があったらどうしようかと密かにドキドキした。


「——よし。よくやってるな。じゃ、昼に行くか」


 バサリと例の宝石と金の刺繍だらけの派手な上着を翻し、エグゼルはニッと笑いかける。フラニーはさっき落とした古いクッキーの袋を拾いながら目を点にした。


(行くか???)




 カラン。『スズラン亭』と書かれた看板を掲げる店のドアベルが鳴る。「こんにちは~」とフラニーが店内に顔を見せると、中から「いらっしゃーい!」と元気な声が返ってきた。


「あら! フラニー!!」


 カウンターに居たエプロンを着けた女性がフラニーを見て嬉しそうに顔を綻ばせ、フラニーに近付いた。そしてフラニーの肩をバシバシ叩きながら「久し振りじゃない!」と喜んだ。


「ご無沙汰してます、マルシアさん」


 フラニーが控えめに笑って応えた。かつてはよく来た店だったけれど、忙しくなってからはすっかり足が遠のいてしまった。


 外に連れ出され、あてがあるのかと思いきやエグゼルは「いい店知ってるか?」とのたまった。急に言われても、と狼狽えたフラニーが一番に思い付いたのがこの店だった。


(うわあ凄くご無沙汰だなあ)



 あまりにしばらく振りなので、フラニーはキョロキョロと店内を見回した。記憶しているのとあまり違いは無い。懐かしいな、と自然に心がホッとする。


「後ろの方は?」

「新しい施設長です」


 エグゼルはマルシアに向かって軽く会釈をした。白い肌、睫毛の長いぱっちりとした目、鼻筋の通った小さな鼻。まるで人形のように美人なエグゼルに、マルシアは目を丸くした。


 暗い店内の高い所にはステンドグラスの小さな窓が並ぶ。採光は必要最小限で、店の中は薄暗い。しかし、この暗さが何故か落ち着く。夜になればランプが灯り、昼とは違った雰囲気を醸す。


 エグゼルは席に着き、「へー。ここが行きつけか。いい店だな」と店内を見回して言った。


「ご飯が美味しいですよ」


 フラニーはテーブルにあった「今日のランチ」の紙をエグゼルに差し出す。


「肉とキノコだな」

「山の中ですから」


 ここは山間の街である。山で採れたキノコや木の実、猪や鹿等の肉が中心となる。フラニーはガンガンに黒コショウをかけて焼いた肉が好きだ。大好きだ。


(あー。ブラウンシチューも捨てがたいけど。今日はこっちのキノコとナッツとお肉の炒め物かなあ)


「炒め物にする」

「あ」


 被った、と思いフラニーが声を漏らす。エグゼルは「何」と首を傾げた。


「いえ、同じのにしようと思っていたので」

「何だ。気が合うな」


 エグゼルは一瞬目を細め、注文が決まるのを待っているマルシアに合図した。「はあい」と返事するマルシアの声を聴きながら、フラニーはちょっとだけ抱いた気恥ずかしさを紛らわせるように視線を彷徨わせた。


「あの、どうして私とお昼に?」


 目を合わせないままフラニーが問うと、エグゼルは「ん?」とキョトンとした。耳を飾る大ぶりの赤い宝石が窓から入ってきた細い光を受けてチラリと煌めく。


「仕事にキリがつかないと近い所で適当に買うんだけど、何日も続くと飽きる」

「ああ、限られてますものね」

「そういうこと」


「美味いんだけどな」とエグゼルは苦笑した。


(成程、息抜き兼新しいお店開拓にご協力しているという訳ね)


 やはり施設長は忙しいらしい。あれだけ工房内を改革していたら、やることが更に増えているのだろう。


(でも、机仕事してるばかりでもないんだよね)


「あの、調達にも出られてるって聞きました」

「そうそう。誰がどういう仕事してるか知らないと。ってのは建前でフィールドワークは俺の生きがいだから」


 フラニーは心の中で「建前」と言ったのは冗談だと思った。でなければフラニーの仕事を見に来てくれたり、販売部や調達部に顔を出したりするものか。


 総務部の人も言っていた。現場だけでなく事務の方にも来てくれる、と。


(本当に、どうしてこんな人が左遷されたのだろう。前の工房は余程人を見る目の無い人達だったに違いない)


 深刻な顔をして凝視してくるフラニーに、エグゼルは「どうした」と尋ねる。決してそんな顔をするような話題ではなかったと不思議そうだった。


(ご本人にとってはデリケートな話だよね。触れられたくないかも。やんわりやんわり躱そう)


「……私たちは、エグゼル施設長を歓迎しておりますので」


 余計に不自然で追及を誘う感じになってしまったとフラニーが気付いたのは、エグゼルが「は?」と綺麗な顔を思い切り歪めてからだった。




 ジュウジュウと熱い鉄板が音を立てる。注文した料理が運ばれてきた。フラニーの大好きなコショウまみれの鶏肉が香ばしい香りを放ち、食欲を刺激する。


 口に含めば、良質なたんぱく質と、油と、辛さが堪らない。「美味しい!」と叫びたいところだが、フラニーは大人しく隣の玉ねぎをフォークで刺した。何故なら。


「俺が異動したのは左遷じゃないぞ……!」


 先の件に気を害しているエグゼルが睨んでくるからである。美味しいご飯に一人でご機嫌になっている場合ではないのだ。


 美人が凄むと迫力がある。フラニーは小さくなって「スミマセン」と謝った。


お読みいただき、ありがとうございます!

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