7新施設長
エグゼルが先日販売部で「こいつ(フラニー)がやる」と宣言してから。フラニーは毎日ドキドキしながら注文票が流れてくるのを待ち構えた。
朝、素材部の部屋に到着すると一番に注文票を吊るす紐を確認するのは前からの習慣だったが、これまでとは気持ちの持ち様が違う。
部屋にまだフラニー以外の錬金術師が居た頃は、日々の仕事をこなすことで精一杯だったあの頃は。「注文が増えていないか」「黒色ガラス以外のものがきていないか」と怯えていた。しかし、今は——。
「ううう今日もまだガラスか」
見慣れた注文の並びにフラニーは肩を落とす。決して黒色ガラス作りを軽んじている訳ではない。
しかし、「さあ来い」と構えている割には、注文票に書かれている内容はあまり変わらない。ガラスを主としないとの施設長の命令が下ったからにはガラス以外の注文がやがて回ってくるはずなのに。
現在の受注状況は黒色ガラスがやはり一番多く、次に純鉄、その次にマール製のインゴット。インゴット作りにも慣れてきたため、立て続きで注文が入ったとしても、フラニーはもう自力で何とかできる。
それ故エグゼルが素材部に顔を出す頻度はめっきり減った。というか、殆ど来ない。部屋の書架ではエグゼルの書いたレシピの束が出番を待っている。フラニーはそれを試す機会はまだか、とうずうずしていた。
「長い間決まり切っていた注文だったもんなあ。お客さんの方も急な方向転換で戸惑っているかも。突然欲しいものありますかって、困る時あるもんね」
炉で焚き続けている火を確認し、フラニーは独り言つと今日の仕事に取り掛かった。
そんな日々を送っていたある日。午後の作業の合間にフラニーが業務報告書をウンウン言いながら書いている最中、素材部の部屋の戸が叩かれた。
ここを訪ねる人は決まっている。販売部のチーリが差し入れを持ってきてくれるか、調達部のカリムが仕入れてきた材料についての注意に来るか、エグゼルが様子を見に現れるか。
「はーい。どうぞ」
今日は誰だろうと思いながら、フラニーは報告書に向き合ったまま返事をした。
「フラニー。今いいかな」
「えっ」
予想しない声に、フラニーはブンと勢いよくドアの方を振り返った。そこに立っていたのは販売部のベテラン部員。
顎髭のダンディーなおじちゃんと覚えている人物だった。名前を何と言ったか、今まで関りが薄かったため直ぐには出てこない。とにかく慌てて席を立つ。
ダンディーは遠慮がちに微笑み、手を挙げて「立たなくていい」という意思を表した。
「いいよいいよ。悪いね、書き物の途中だったね」
「大丈夫です。普段は終業時に書いていますから」
「でもそれ昨日の分だろう?」
フラニーは「何故分かる」とぎくりとした。その顔から心の内を読み取ったダンディーは朗らかに笑った。
「今日の分を今書いていては早過ぎるじゃないか。まだこれから作業するだろうに」
「ご、ご明察です」
内心で「そりゃそうだ」と恐縮しながら、フラニーは椅子を勧め、用件を尋ねた。
「結局邪魔してるなあ。ごめんよ。おじさんちょっと教えてもらいたくて」
「おじさん……」
気になる部分を小声で復唱する。こういうお茶目な人だったのかと目を瞬いた。
「この間、新施設長が流行りの素材を引き受けて良いって言ったろう?」
「はい」
フラニーが素直に頷くと、ダンディーは苦笑しながら「本当に、恥ずかしい話なんだけどね」と前置き、スッと姿勢を正した。フラニーもつられて背筋を伸ばす。ここから真面目な話が始まると予感した。
「……最近、うちも黒色ガラスを中心に動いていたから、はっきり言って、新しい素材や流行りの素材に知識のあるやつが居ない。それに、フラニーがどれだけの技量があるのかしっかり把握できていないんだ」
「え。腕が良くないと思われていたのでは」
自分で言っておきながら少し傷付く。しかしそういう評価だったのならば真摯に受け止めようと先日己の至らなさに反省したところだ。
ギ、と眉を寄せたフラニーに、ダンディーは申し訳なさそうに首を横に振った。
「ゴドーさんのアレは、フラニー個人に向けて言ったんじゃないよ。多分。君が入る前からそういう評価をしていたから。あの人」
「……少なくともガラスしか作れない奴だと思われていたと思います」
「その点についてはねー、うちの支部全体の負い目だよね。素材部から『黒色ガラスしか受けたくない』って言われたとき、呆れて諦めちゃったから。当時の上も何も言わなかったからそのままになってしまったんだよね」
フラニーはムグ、と口を噤んだ。よく今までここバンドーラ工房が存続したものだと思った。幸いにして黒色ガラスの需要があったから何とかなったものの。いや、何とかなってしまったからこそ、先日までの体制に甘んじてしまったのである。
(当時の素材部も、よくそんなことが言えたよね……。プライドは無かったの)
苦い顔を浮かべるフラニーの肩を軽く叩き、ダンディーは「それで」と話を引き戻す。
「こうして恥を忍んでフラニーに教えて貰わないと、新しいことに手が出せないんだ」
「わ、私に何がお教えできましょう」
今まで誰かに教わる一方だったフラニーは「畏れ多い」と椅子に座ったまま身を引いた。れっきとした錬金術師とはいえ、まだまだ勉強中の身であると自覚している。
「きっと、これから教えるばかりだよ。ここは君らが居てこその場所なんだから」
パチパチとフラニーが目を瞬く。
何かが少しずつ変わっていく。さっきまで吸っていた空気が既に違うものになっている。静かに息をするフラニーに、販売部のベテランは優しく微笑んだ。
「ええと、まず」
「うん」
「エグゼル施設長が先日レシピを一新されたので」
フラニーはまず部屋にあるレシピの共有から始めることにした。フラニーだって、他の部署が何をどれだけ把握しているか、把握していないのだ。
書架からごそっとレシピを抜き出し、デスクにドサッと並べた。
「こちらが基本素材で、あっちの棚にあるのが玄人素材です」
「成程成程」
二人がレシピを覗き込んだ時。トントンと部屋の戸が叩かれる。フラニーとダンディーは顔を見合わせた。
新たな来訪者だ。今日は賑やかだな、と思いながらフラニーは「はあい」と返事をする。
「よーすフラニー」
入ってきたのは調達部のカリムだった。カリムは部屋にフラニーだけではないことに驚き、立ち止まる。
「あら、ブランドンさんじゃないスか」
「や、カリム」
(ブランドンさん!!)
フラニーは顎髭のダンディーがブランドンと言う名前だったことを思い出し、心の中で「それだ!」と叫んだ。どうしても思い出せないので後でこっそりチーリに訊きに行こうと思っていたのだった。密かに安堵し、カリムに感謝した。
「何か俺と同じ用事な気がするなー」
カリムは軽い調子で言いながらフラニーたちに近付いた。そして机に広がるレシピを見ると、ニッと笑みを浮かべる。
「俺も混ぜてもらっていいです?」
「——ああ、この素材は前扱ってましたよね」
「うん。ザーラ平原の方で材料間に合うだろう」
「はい。あと、多分これもいける。やったことないけど」
カリムとブランドンは早々に話し合いを始めた。レシピを見ながら、「これは」「あれは」と話を進めていく。
「…………」
フラニーはその傍らに佇み、思った。
(全然、詳しくなくない!!)
ブランドンの「恥を忍んで」が謙遜だったことを知る。さっきから口を挟む暇もない。飛び交う会話に、「はい!」「そう!」「うんうん!」と何かしらの反応をしているだけ。
(カリムもさ……あんなに詳しかったんだ……)
年の近いカリム。フラニーより三つ年上だが、バンドーラ支部に入ったのはフラニーが入るよりもずっと前と聞く。今まで気楽に接してきたけれど、ここにきて先輩感が強くなった。
(それならもっとそういう話を前からすればよかった)
そんなことを考えていると、不意に「フラニー」と声がかかる。フラニーはハッとして顔を上げた。
「俺たちこの『ケセルフォート』って知らないんだけど。最近の素材?」
「ああ、それは」
口にしかけて、また思う。これからじゃないか。そういう話ができるように、ようやくなったのではないか。
(これから、これから)
フラニーは自分に言い聞かせ、レシピを指しながら二人のベテランの先輩に向き合った。
「これは、二年前に実用化された新素材で——」
カリムの目も、ブランドンの目も、真っ直ぐフラニーに向いている。自分達はこれから一丸となるのだ。
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