5スキルアップ!
ポタリ、と汗が落ちた。慌てて額を拭く。相変わらず作っているのはガラス棒。注文票は今三枚来ているが、恐るるに足らず。
「ガラスだけなら一人で十分だな」
昨日、帰り際に新施設長は言った。フラニーは「はい」と答えた。エグゼルは「ん」と軽く笑って去っていった。言葉通り、今日エグゼルは素材部に現れていない。
(ん。よし。上手になった)
フラニーは冷えて固まったガラス棒を眺める。些細な違いだが、前より綺麗な仕上がりだ。黒色が綺麗に出た。ムラもない。灰をもっと綺麗にした方が良いというご指摘の下、不純物の処理を丁寧にするようになった。
時間があるから他に手が出せるようになる、他に手が出せるからより質の高いものができる。効率の大切さをひしと感じた。
「……」
一人で居る素材部の部屋。妙な感じがするのは、昨日まではエグゼルが一緒だったからだ。大して会話もしなかったが、挨拶する相手も居ないとは味気ない。
ひとりで作った、納期に余裕のあるガラス棒を抱えてフラニーは廊下をとぼとぼと歩いた。無意識に零したため息は、本人さえも気づくことはなかった。
販売部から戻れば昼の時間になった。「何を食べよう」と考えながら、外へ出る。ピカ、と光が目に刺さる。太陽が青い空で燦々と輝いていた。
(どうしよう。サンドイッチとサラダを買って戻って食べるか、どこかで食べて帰るか)
店の並びの前でフラフラとしながら迷っていると、同じく昼食を求めて歩く人の一団が脇の道から歩いてきた。避けようとして歩く速度を落としたとき、ふと既視感を覚えた。
「……」
歩む足は自然と緩まった。見たことのある背中のはずである。先を歩いているのは先日まで同じ部屋で働いていた同僚の一人、アーニーだった。彼女はフラニーに気が付かず、他の仲間と前を向いて話している。
声をかけようか。フラニーは迷った。
「こんな時間にお昼に出られるなんて。天国ですね」
「えー? 前の職場そんなに忙しかったの?」
「もう地獄でしたよ」
——地獄。フラニーの胸がチクリと痛んだ。確かにそうだ。異議はない。
「さ、お昼食べて午後も営業頑張りましょ!」
思わず足が止まる。曖昧に笑う元同僚の声。地獄と言われたよりも大きな衝撃が走る。
(仕事をまるっきり変えた、ということ?)
どうして。錬金術師はいつもどこでも人手不足で。探せば他の工房もあったはずではないのだろうか。
(もう地獄じゃないですよって、定時に帰れますよって、言えば)
戻ってくるだろうか。
依然として素材部に一人という状況は変わらない。綱渡りのようなギリギリの人員配置は良くない。いつまた午前様になるかどうかは、依頼と状況次第。戻ってきてほしい、当たり前にそう思う。
しかし、フラニーが彼女を求める理由と、彼女が戻るかどうかを悩む理由は同じだろう。
(どうしよう、とりあえず私の元気な顔でも見せとく……?)
フラニーが迷っている間に、彼女たちは遠ざかる。見慣れた背中が離れていき、寂しい気持ちが昼の空の下に残った。
「おかえり」
「ボ……施設長」
ボス、と言いかけたフラニーにエグゼルは一瞬「ん?」と眉を顰めた。フラニーは「どうされましたか」と慌てて誤魔化した。習慣で注文票が流れてくる紐に視線を移す。
「あ、新規の発注」
「追加したって報告を受けた」
エグゼルが来たということは、きっと依頼はガラスではない。フラニーは注文票を見るべく近付いた。
「インゴット、やっぱりまた依頼がきたのですね」
チーリの言った通り。出来のよい製品が次の依頼を呼んだ。フラニーは腕まくりをしているエグゼルにおずおずと声をかけた。
「あの、教えてください」
黒色ガラスしか作れない奴だと思われるのも、思うのも嫌だ。素材部の錬金術師は自分なのだ。ガラス以外の依頼が来る度にエグゼルが出動するのも情けない。
キュッと唇を結んで答えを待つフラニーの顔を見たエグゼルは「はは」と破顔した。
「そう思ってたところだよ」
「わー……。この大きさでも結構重たいですよね」
「そうか?」
フラニーは緊張した面持ちで材料を並べた。マール鉱石は、すべすべしていて粉っぽいという特長がある。手袋に細かい粒子が付いた。
インゴット作成の行程は大まかには同じ工程を踏むが、個々の素材が持つ特性によって処理の方法や条件が異なる。
エグゼルの説明を聞き、フラニーは時折「ああ、そうだった。勉強した」とひっそりと己の不甲斐なさに眉を寄せた。
「はい。ではどうぞ」
口頭での解説が終わると、いよいよ実際に作ることになった。いきなり「やってみろ」とのお達しに、フラニーは一瞬固まった。その動揺を見逃さなかったエグゼルに「返事は」と畳みかけられ、「はい!」と返事と共に自身に気合を入れる。
(だ、大丈夫。施設長が隣に居るんだから……!)
材料のマールをまずは綺麗にした。埃や汚れを落として不純物が混ざらないようにする。素材は純度の高さが重要という部分においてはガラス作りと通ずる。
次に窯を火にかけ、ガンガン温度を上げる。マールを投入し、更に温度を上げる。
「だんだん赤くなって、融点を超えたら液状になる。近くで覗くと顔が焼けるから気を付けろ」
フラニーがあまり使ったことのない、かなり高温に保てる炉。緊張してマールを入れる際に手が震えた。「怖がってやるのが、舐めてかかるのと同じくらい危ない」とエグゼルに叱られる。
「冷めたマールが綺麗な白になるのは、冷やす行程にかかってる。白ければ白い程、丈夫なインゴットになる」
作業中、無駄話は一切なく、よそ見も厳禁。と言っても、よそ見などしていられない位、フラニーは真剣だったし、集中していた。
そうして数時間が経ち。
「できた……」
固まるのが早いのがマールの特徴である。冷やす時には細心の注意を払った。フラニーは緊張してインゴットの状態を見た。
「ん。初めてにしてはよくやった」
出来上がったのは、巷で流通しているのと比べても引けを取らない白いインゴットだった。エグゼルが満足そうに頷く。それが無性に照れ臭く、フラニーはもじもじしながら答えた。
「施設長が付いていてくださいましたから」
「そうだな」
「分かってて偉い」とエグゼルは言いながらインゴットを手に取った。フラニーは生まれて初めて作ったマール製のインゴットを何とも言えぬ誇らしい気持ちで見つめた。
(初めての……)
感慨深く、一本手元に取っておきたいと思った。取っておいてどうするのか、という気もするが、愛着故である。用途など無い。
「一本、持ち帰ることは許されますか」
ダメ元で上司に聞いてみる。怒られるか馬鹿にされるかと覚悟した。
「いいよ」
大変簡単に許可が下りた。あまりの軽さに拍子抜けしたフラニーが「え」と呆けると、エグゼルは再度「だからいいって」と繰り返す。
「気持ちはよく分かる」
ニッと口元に弧を描いたエグゼルの耳で、大ぶりのピアスに埋め込まれた赤い宝石がキラリと光った。
——それから。
マール製のインゴットのみならず、追加注文が掛かった純鉄についてもフラニーはエグゼルから指導を受けた。経験不足、勉強不足を自負している身である。一応作り方に覚えはあったが、教示を仰いだ。
(それに、どうやらボスの知識は最先端だし)
部屋にある既存のレシピを検閲しては悉く「古い」、「間違っている」と言って破り捨てる上司をフラニーは離れて見守る。もはや「どんどんやってくれ」とさえ思っている。
(錬金術師の試験を受けた時にはたくさん勉強したし、実験もやっていたけれど)
フラニーはエグゼルの書き直すレシピに心を奪われた。カラカラに乾いていた脳と心に雨が降る様だった。
もう一度、ちゃんと勉強しよう。萎れかけていた気持ちが、上を向いていく。この人の前では簡単に「知っています」とは言えない。いや、言ってはいけない。
部屋で白く光るマール製のインゴット。触れば表面はサラリとしていた。これを見れば、自然とやる気が湧いた。お守りのようだ、と思った。
◇◇◇
「あれ、フラニー。何だか久し振りだね」
終業後に図書館へ顔を出すと、見知った図書館の職員が声をかけてきた。職員はフラニーが抱えている錬金術の専門書のタイトルを見て「おや」という顔をした。
「基礎の本ばかりだけど」
フラニーは「見つかった」と気まずく笑った。もう錬金術師として三年以上働いているというのに、学び始めに読む本を手にしているとはどういうことだろうかと思われているに違いない。
入職してから、発注の都合もあったとはいえ、殆どガラスしか作ってこなかったとは言いづらかった。ガラス作りを馬鹿にする気は毛頭ないが、世間的に錬金術師は「万物を生成するスペシャリスト」として認知されていることから、「1/万物」のキャリアと知られてガッカリされる顔を見たくないのである。
(いえ、これから! これからだから!)
「学び直そうと思って。そうしたらやっぱり基礎からかなって」
図書館員は「成程」といたく納得したようで、「がんばってね」と朗らかに笑った。
『錬金術の基礎Ⅰ』、『分解と生成』、『窯とフラスコ』、『世界百科事典』等の本を携え、フラニーは部屋に戻った。
茶を淹れ、カップを持って机に向かった。
(ああ、習った。そうそう。基本は分解と融合)
フラニーはかつて学校で習ったことを思い出した。何と何を混ぜればどうなるか、何にどれが含まれているか、物質を知りなさい、自分を取り巻く世界に触れなさいと言った教師の言葉が蘇る。
(例え黒色ガラスの注文しかこなくても、それ以外も作れるんだから……!)
夢中になって借りてきた本を読み漁る。これだ、自分が憧れた世界はこれだった、と暗くなった夜の中、フラニーは目の前が明るくなっていったような気がした。
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