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30実力テスト

「ついに来た……この日が」

「用意はいいな。いつも通りやれ。いいか、お前は毎日がピークだ」


 エグゼルはフラニーの両肩に手を置き、真剣に言い聞かせた。フラニーはエグゼルからの激励を正面から受け取り、頷いて応える。


「お前もだ。ネージュ」


 エグゼルは片手をフラニーの肩から離し、その横に立つネージュの肩をガシリと掴んだ。ネージュはフラニーとエグゼルの気迫に些かたじろぎながら「は、はい」と返事をした。


 緊張感の高まる部屋を、開きっぱなしのドアの向こうからチーリやカリムら職員が覗く。


「あたし、ドキドキしてきちゃった」

「俺も」


 既に書類監査を微々たる指摘で切り抜けた人々は、心置きなく素材部の応援に徹することが出来る。


「今日は働きたくない……ていうか仕事が手に着かない」


 チーリの嘆きに、周りは無言で同意する。何か力になりたいが、直接何かできる訳でないのが歯がゆい。ただただ念と声援を送るのみ。やってくる調査官にプレッシャーをかけることくらいはできるかもしれないが。


「ゴドーさんには出てきてもらわなくちゃ」

「うちも、ギヨームさん……いやあの人は呼ばなくても出てくるな」


 始業時間まであと五分。バンドーラ支部の全員にとって特別な日が始まる。




「ソードさん、ここですか。遠かったですね……」

「そうだな。俺も初めて来た」


 工房の前には黒服の人間が三名。ソードは工房を見上げ、眼鏡のつるをキュッと押さえる。


「時間です。入りましょう」

「よし」


 訪問時間になったのを確認すると、三人は工房のドアを叩いた。



「——来ました!」


 中では総務部のシイラがドアに張り付いており、背後に居る人々に来訪者の到着を知らせた。


「よし。開けていいぞ」


 エグゼルの合図でシイラはドアを押す。ぎい、と音を立ててドアが開かれ、外の光が屋内に入り込む。ドアの先は逆光で影になっていた。先頭に立つ一番大きな影の眼鏡がキラリと光る。


「おはようございます、我々……」


 ソードは開いたドアへ一歩進み、挨拶しようとドアの先を見遣ったが、思わず言葉を切った。


 何故なら。


 そこにはエグゼルを先頭としてその背後に熊のような男と、二足歩行の大きな鹿のような男が立ち、更にその向こうにはぞろぞろと職員が立ち並んでいた。廊下の奥まで、物々しい雰囲気で満ちている。彼らの発する圧はソードを一瞬圧倒した。


「やっぱりお前が来たか。久し振りだな、遠い所ようこそ」

「エグゼル……」


 エグゼルが出鼻を挫かれて固まっているソードに声をかけ、片手を伸ばす。ソードはハッとして軽く頭を振り、気を取り直すと難しい顔でエグゼルの手を取った。


「元気そうだな。厳しくやる。そのつもりで」


 ソードの眼鏡がキラリと光った。エグゼルは臆することなく強気に笑う。自信に溢れた表情は、ソードを除く二人の調査官をドキリとさせた。


「案内する。こっちだ」


 エグゼルに続いて三人が歩く廊下の両側にはずらりと職員が並び、通過する調査員たちをジッと見つめてくる。調査員たちは非常に居心地が悪かった。何事だとギョッとした。


 時折異様なものを見る目で背後を振り返りながら、調査員たちは異様な雰囲気の廊下を過ぎ、控え室へと案内されていった。


「ここの職員、目力が強過ぎないか」


 部屋に入るなりソードはエグゼルに問う。エグゼルは「そうか?」と簡単に返す。調査員たちは顔を見合わせて「気のせい?」と視線を交わし合った。


「……それならいい。君、アレを」

「はい。本日の調査の行程はこちらです」


 ソードに指示され、小柄な女性の調査員がエグゼルに書類を渡す。エグゼルは直ぐに目を走らせた。


「コランダムの製作には一人配置させていただきます。残りの二人で他のことをご質問します」

「分かった。時間だし、じゃあ早速」


 調査員の荷物を控室に置き、少し離れたところにある素材部の部屋を目指す。エグゼルが素材部のドアを開くと、フラニーとネージュが固い表情で並んで立っていた。


「本日はよろしくお願いいたします」


 フラニーが黒服の三人に頭を下げると、ネージュも続いて腰を折った。エグゼルは落ち着いている二人を見て僅かに目元を緩ませる。ソードは淡々とした様子で業務的に話し始めた。


「こちらこそ。リーダーのソードです。では早速、コランダムの紫の作成を始めてください。調査員はこちらのコイルが務めます」


 その言葉と同時に、精悍な顔つきの調査員が一歩前に出る。


「で、作られるのは——」


 ソードの視線がエグゼルに向く。エグゼルはその目を強く見返し、フイ、と顔を別の方へ向けた。ソードは驚いたように目を見開く。


「フラニー」

「はい」


 フラニーはエグゼルと視線を交わし、ソードとコイルと呼ばれる調査官に向かって「私です」と答えた。


 ソードは珍しいものを見るような顔つきで、フラニーを眺めた。そんなソードを咎めるようにエグゼルが「何か?」と尋ねる。


「い、いや。何でもない。……では始めてください。後のことはこちらで」

(よおし!)


 フラニーは頼もしい表情のエグゼルと、少々心配そうなネージュに強く頷くと、作業場の方へとコイルと共に移動した。



 離れていく二人を見ながらソードが言葉を呑む。


「こっちも始めよう。厳しく見ていくんだろ?」

「……ああ、そうだ」


 ソードはひとつ咳ばらいをすると、残りの二人でまた作業を分けることを申し伝えた。エグゼルは「ああ分かった」と言ってネージュに施設の確認を命じ、自身はレシピの調査を担当すると宣言する。


 「それでいいか」とソードに訊くと、ソードは「構わない」と言って頷いた。そのやり取りを見ていたネージュは、エグゼルの普段と変わらぬ態度に些か緊張を覚える。


 調査される側の自分達がそんなに強く出て大丈夫だろうか、と心の内で不安になった。もっと畏まっていなくては相手に悪い印象を与えてしまうのでは、と十六歳は心配に襲われる。


 しかし一方でエグゼルとソードが明らかに初対面ではないことにも驚いた。とはいえ、ソードは知り合いだからと手を緩めてくれそうな見た目ではない。どう見ても堅物だ。


 却って知り合いだからこそ、変な疑いをかけられないように厳しくされるかもしれない。賢明で慎重なネージュは己に喝を入れた。


 その時、バチバチ、と火の爆ぜる音がした。フラニーがもう炉の温度を上げ始めている。その背中を見て思う。自分はここを任されたのだ、何事も無く乗り切ってみせなくては、と。



「先にご提出していだいた書類はお返しいたします。目立った不備はありませんでしたが、時々誤字脱字が見受けられます。特に数字で誤りが無いかはよくご確認ください」


 小柄な女性の調査員は凛として先日バンドーラ支部が整えた書類をどさりとデスクに置く。調査員の目が鋭く光った。真面目で気の強そうな人柄が滲んでいる。ネージュはすうっと息を吸うとゆらりと調査員を見返す。


「では。設備の確認を」

「……はい」


 ネージュと彼女の間で、静かに戦いの火蓋が切って落とされた。




「では。レシピを検めさせてもらう」


 ソードはエグゼルにレシピの収納場所に連れていくよう求めた。エグゼルは書架を指し、共に赴く。ずらりと並ぶレシピの束。まだ陽の目を見ないものもたくさんある。エグゼルが赴任して以来、殆どが差し替えられてどれもピカピカである。


「やけに綺麗だな。慌てて掃除でもしたか?」


 ソードは調査票を手に、『整頓』の欄に○を付けた。エグゼルは淡々と「いつもこんなもんだ」と応じる。そのあまりにしれっとした物言いにソードは眉を上げる。


「彼女がちゃんとやってる」


 エグゼルが視線で指した先にはコランダムを作ると言った若い錬金術師。ソードは不思議だった。


「そんなに優秀なのか」

「……」


 先程から窺えるソードの声色・表情で、エグゼルはソードに「予定外の事が起こっている」ことが分かった。『コランダム(紫)』の文字を見た時から薄々予想はしていたのだが、ソードがコランダムを指定してきたのは自分が居たからだという考えが確かなものになった。


 バンドーラ工房の規模に対して、少人数の錬金術師。報告書には「エグゼル・シュタイン」の名前を載せなくともきっとエグゼルが調合に関わっていると踏んできたのだろう。


 難度の高いコランダム(紫)は、エグゼルが作るという想定だったに違いない。エグゼルは鼻先で笑い、得意気に言った。


「予想を外して悪いが、普段から俺の出る幕は殆ど無いよ」


 フラニーへ瞳を向けたままのエグゼルを、ソードがどんな顔で見ていたのか、エグゼルは知らない。


お読みいただき、ありがとうございます!

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