29実力テスト
書類提出まであと五日となった。販売部と調達部では、ミスがあると思しき書類は予想通りさしてなかったが、思ったよりはあったという事態に些かショックを受けていた。
「ねえ、これ。施設長が見たっていう直近半年分の方もさ、見た方がいいんじゃない?」
「俺もそんな気がしてきた」
バタバタと廊下を走る足音、人の声が絶えずする。週に一度の打ち合わせは、今週は急遽延期になった。ブランドンとカリムの手が空かないらしい。フラニーたちも同様だった。
「胃が痛い」
「……」
日が過ぎるにつれ、段々と緊張がフラニーたちを襲い始めた。最悪の事態を想像しては気持ちが悪くなる。
(ど、どうしよう。基本素材がちゃんと作れるかどうか調べられるのかな。それとも、玄人素材で腕を見られる…?)
ネージュも同じことを考えているのだろうか。元々白い顔が更に青白くなっている。
(し、しっかりしなきゃ!)
自分よりも六つも下の彼に頼るなんてどうしてできようか。せめて精神だけでも逞しくあらねば。フラニーは落ち着いて冷やしておいたレモネードの瓶を開け、ネージュのデスクに置いた。
「どうぞ」
「……手、震えてますけど」
「……」
◇◇◇
「ソード君、君来月バンドーラだろう? 実技の内容は決まったかい」
レンガ造りの建物の一角。ギルド登録所の「監査室」では、少数精鋭の職員たちが山のような書類に目を通している。ソードと呼ばれた男は、眼鏡をくいと押し上げ、部屋を覗きに来た所長に微笑む。
「あそこには『彼』がいますからね。それなりの物にするつもりです」
所長はしばし「彼?」とふよふよとした顎に手を当てて考える素振りをしたが、不意に「ああ!」と顔を明るくした。
「今バンドーラに居るの? あんなに本部を出たがってたものねえ。良かったねえ」
はっはっはと笑いながら朗らかに去っていく所長を見送り、ソードはひとりため息を零す。
「……良かったかどうかは分かりませんよ」
◇◇◇
それから四日後。深夜。ぽつりと街の中、灯りをともし続けていたバンドーラ支部の会議室にて、「うおおおお」と歓声とも呻き声ともつかない複数人の声が上がる。
「よっしゃああ」
ついに書類が整ったのである。デスクには参加者たちが倒れ伏した。気を抜けばいつでもそこで寝られるコンディションだった。
「うわああん」
その内の一人、フラニーも安堵して突っ伏した。最後の最後で「やっぱり何かおかしい」と呼び出され、おかしい「何か」について死に物狂いで調べた。結局単純な計算ミスだったと発覚し、これでもかと己を責めた。いや、書類作成者の既に退職した先輩を恨んだ。
「封しました。明日朝イチで出します」
総務部のシイラが大きな包みを紐でしっかりと括る。彼女もこの数日で見るからにボロボロになってしまった。他の職員も同様だ。皆疲れ果て、身だしなみは二の次となっている。
「は~~~~。疲れた……」
「でも終わったじゃん!」
「シッ! コラ!」
ハッと口元を押さえる人々。一同は気を遣うようにソローっとフラニーを見た。そう、フラニーの戦いはまだ終わっていないのである。
「お気になさらず……」
デスクに頬をつけたままニコリと笑うフラニー。周りは何となくスッキリと「終わった!」と喜べないまま、こそこそと部屋を出て行った。
(……ここからだ!)
殆ど人が居なくなった部屋の中。フラニーは勢いよく起き上がり、強く思った。書類が終わった。いよいよ、次は本当に自分達だけが「えらいこと」になる番だと覚悟しなくてはならない。
「なんですかコレは」
次の日、寝坊していつもより遅く出勤したフラニーは素材部の部屋にデンと置かれている菓子の山を見て唖然とした。
先に来ていたネージュが淡々とした様子で「さっき、総務の人が『施設長から』って」と教えてくれる。
「え……何で?」
「さあ……」
籠に盛られたパイやタルト。そしてクッキーにキャンディー。いかにも甘そうで糖分の多そうな菓子たち。フラニーは中身を検めては「わーい」と頬を緩ませた。理由は分からないがお菓子ならいつでも歓迎している。
「ネージュ君好きなの取ってね」
「……」
頬をほんのり赤くして頷く後輩に、フラニーは満足気に微笑んだ。
「よう。やってるか」
夕刻、業務後の時間。素材部の部屋にエグゼルが顔を見せた。フラニーとネージュは勉強会の最中だった。
「施設長。お菓子ありがとうございます」
「うん。頭使うからな」
フラニーとネージュは顔を見合わせ、互いに「そういうことか」と視線で会話した。
「毎日残って勉強会してるらしいな」
エグゼルはそのまま部屋の中へと歩みを進め、二人のデスクを覗く。書き込みの多い資料や、レシピの付箋を見て眉を下げた。
「俺も何か役に立てるか」
「「え!」」
フラニーだけでなく、ネージュまでも声を上げる。二人は「どうぞどうぞ」と椅子を用意し、施設長を確保した。エグゼルは二人のあからさまな歓迎っぷりに苦笑した。
「傾向と対策はありますか」
フラニーはペンを片手に真剣に問う。エグゼルを挟んだ向こうでネージュもメモの用意をしていた。
「ううん、そうだなあ。うちが作ったことのあるものの中から出題される、と思う」
エグゼルは腕を組み、難しい顔をして答えた。歯切れが悪いのは、エグゼルも絶対という自信がないからだ。しかし、作ったことのあるものに範囲を絞ればよさそうだということが分かれば、何となく対策すべきことが見えてくる。
「今更黒色ガラスを作りなさい、は……」
「それだけはないだろうな」
「ですよね」とフラニーはため息をついた。同時に、ネージュが何か言いたそうな顔をしているのに気が付く。「どうしたの」と問えば、ネージュは小さな声で尋ねた。
「一日で作れるもの、と思っていていいでしょうか」
(あ、そうか。調査は一日だけだもんね)
フラニーがハッとする隣で、エグゼルが「うん」と答えた。
「流石に事前に作っておいたものを見せればいい、とはいかないだろうな」
「じゃあ、調合時間でも結構絞れますね」
フラニーはレシピの棚から該当しそうなものを引っ張り出し、デスクに並べた。エグゼルも含め、ネージュと三人でアレコレと話合う。頭が働かなくなれば、途中でエグゼルの差し入れた菓子を頬張った。
帰り際、書類が片付いたからか、エグゼルは「明日もくる」と宣言した。フラニーは本気で驚いた。
「当たり前だろ。……俺だって錬金術師だ」
上着を羽織りながらエグゼルが言う。フラニーはどうしてか誇らしい気持ちになった。
(現場を離れても、あなたは凄い人)
「……あのさ、クセなのかもしれないけど」
すっと視線を外すエグゼル。フラニーはたまに見せるエグゼルのその様子を認めながら「はい」と返事をした。
「その、ジーっと見てくるのさ……」
「え? すみません、何て?」
声量が存外小さく、フラニーはエグゼルに一歩近付いた。
「いや、やっぱ何でもない。いい」
「え?」
「いいって」
パタパタと手でフラニーを追い払い、エグゼルは珍しく曖昧な感じでぬるっと素材部の部屋を後にした。どういうことだったのか意味の分からないフラニーは盛大に首を傾げ、ネージュを見る。
「何だったんだろうね」
「……」
ネージュは何も言わなかった。何か言おうとしたみたいだったが、やはり何も言わなかった。
毎日の勉強会のおかげで、フラニーは段々と調子があがってきた。決して余裕ということではないのだが、何かしているという事実が不安を和らげている。ちょっとだけ胃痛も減った。
そして来た運命の日。
「フラニー! 来たぞ!」
「はい! よっしゃあ!」
いよいよ届いた通知を持ってエグゼルが部屋に飛び込んでくる。フラニーは太い声を出して気合を入れた。
バン、とエグゼルが机に勢いよく広げた一枚の紙。そこには。
『コランダム(紫)』
「「「……」」」
エグゼル、ネージュ、そしてフラニーは揃ってたっぷり数十秒固まった。フラニーは寒気に襲われ、全身から変な汗が噴き出した。
(コ、コランダム!? しかも色指定!?)
言わずと知れた玄人素材。皆がチャレンジを避けたがる高等技術。結晶化できるかどうかも不安なのに、色まで決めてくるとは無体が過ぎる。そろりと見たネージュの顔が真っ白と言っていい程血の気が無い。
ネージュがここに来てからコランダムの依頼は無い。しかもネージュは前の工房では決まった作業しか割り当てられていなかったので、きっと学校時代にしか経験はないだろうとフラニーは予想した。
(そりゃそうだ。でも……う、うちでコランダムを出荷したことがあると言ったって……言ったって……!)
実績は確かにある。しかしあの時実際に作って納品したのはエグゼルだ。フラニーは頭を抱えたくなった。
「フラニー」
エグゼルの大真面目な声がフラニーの顔を上げさせる。
「やれるようになるぞ」
その顔は。フラニーの脳裏に浮かぶ光景があった。
『やるぞ』
初めて会ったあの日。確固たる意志を湛えたあの顔。フラニーは思い切り息を吸い込む。
(あの顔を見ると、やれるような気がしてくるのは何故だろう)
フラニーはギュッとシャツの胸元を握る。
「はい」
微笑むエグゼルの後ろで、ネージュが目を瞬いていた。
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