21ようこそ素材部へ
「すんませーん。施設長は? 部屋行っても返事が無いんですけど」
「あ、カリムさん。そうそう施設長ちょっと出張です」
総務部のカウンターに腕を載せ、カリムは「出張?」とキョトンとした。そんな話は聞いていないぞ、と心の中で訝しむ。
「どこへ? いつ頃戻るんですか」
カリムが畳みかけるように繰り出す質問に、総務部の受付は「ちょっと待って」と手で合図しながらノートを開く。
「えーっと、シュレーゼンに行かれてます。お帰りは明後日です」
「聞いてないっすよ」
「ギヨームさんにはお伝えしてあるはずですが」
カリムは「も~。あの人は」と天井を仰いだ。
「分かりました~。ちなみに何しに行ってるんですか」
「まだ秘密です」
「何だそりゃ」
カリムは肩を竦め、「はいはい」と言ってカウンターに背を向けた。聞いてはみたが、さして興味がある訳ではなかった。
「直ぐに分かると思いますよ」
背中に声をかける受付の声に、カリムは振り返ることなく、手を挙げて応えた。その声が嬉しそうだったので、きっといいことなんだな、と思った。
「初めまして」
「ああ、こちらこそ」
エグゼルは凛々しく笑いながら手を伸ばした。銀の髪をしたまだあどけなさの残る青年はその手を寸時眺め、おもむろに自身の手を差し出す。
「よろしく。施設長のエグゼルだ」
「……よろしくお願いします」
手を軽く握り、エグゼルは青年をよく見た。青紫の瞳がエグゼルを見返す。エグゼルは夜空よりもはるか遠く、宇宙を彷彿とさせる目だと思った。
◇◇◇
グツグツ。ブクブク。
「あ、よしよし蒸留完了」
フラニーは今日も一人で慌ただしく、素材部の部屋の中を行ったり来たりしていた。
「お腹空いた。確か、一昨日買ったビスケットがまだあったはず」
今や部屋はフラニーの城である。棚やデスクには私物が並び、好きなおやつも蓄え。フラニーにとって居心地の良い環境に整えられている。
ランランと上機嫌でビスケットを齧っていると、カラカラという音を鳴らしながら、注文票を吊るす紐が動いた。
流れてくる注文票はつい数か月前では考えられない程様変わりし、今では週毎、日毎に違うものを作っている。
注文票と共に引き渡される材料。今回コンベアを流れてくるのは木箱だった。
「はいはい。今日は何ですか」
話相手は相変わらずおらず、フラニーはここのところ独り言が多くなったと自覚している。
「あ! このあいだの角!」
箱の中身は、先日同行した調達で得たホーンラビットの角だった。そのままフラニーに回るのではなく、調達部がきれいにしたり、磨いたりして材料として加工する。
ピカリと光る乳白色の角。フラニーはひとつ手に取り、惚れ惚れとして眺めた。
「すごいすごい。うんと綺麗になってる。いつも分からなかったなあ」
フラニーは仲間の仕事に感動しながら、角をこれから如何にするかを確認した。注文票には『多色角セット』とある。
多色角は文字通り、乳白色の角を一本一本各色に染め上げたものだ。次の業者がそれを材料としてまた手を入れることになる。例えば印や、装飾品等。
(個人的にはこの白い色が素敵だと思うんだけどねえ)
発注者からの要望が時には自分の好みに合致しないこともあるけれど、そんなことを言っていても仕方がない。フラニーは角を箱に戻すと、レシピの仕舞ってある棚へと足を向けた。
「ええと、中まで浸透させるには」
レシピを開くと、もう自分の世界。フラニーは新たな作業に没頭した。
——その二日後。
「朗報だ」
「突然」
フラニーは急なエグゼルの来訪に驚いて床に落とした紅茶の缶を拾いながら目を丸くした。蓋が開かなくて幸いだったと胸を撫で下ろす。
エグゼルが来ること自体は、頻度こそ減ったがそこまで驚愕することではない。しかし今日はエグゼル一人ではなかった。
「ええと、総務部の……」
施設長に続いて入ってきたのは見知ってこそいるが、名前も仕事も分からない総務部の女性。フラニーよりもずっと先輩だと思われる。彼女が一体どういったご用でお越しになったのか、フラニーには皆目見当がつかなかった。
「あまりお話しないものね。総務部のシイラよ。突然ごめんなさいね」
シイラはたっぷりとした黒髪を耳に掛けながら優しく笑った。フラニーは慌てて「いいえ」と首と共に両手をブンブンと降って否定する。
「喜んで頂戴」
ぱし、とシイラはフラニーの手を掴んだ。フラニーはなんだかいい匂いのするシイラに近付かれ、そして綺麗な手に触れられてドキリとした。
「は、はい……!」
ドギマギしながら返事をすると、今度はガシリと肩をエグゼルに掴まれる。見れば施設長は大変にいい顔をしていた。
(何、この二人の晴れやかな顔は何……!)
困惑するフラニーに、シイラは「実は」と語りだす。フラニーは息を呑む。
「素材部に、新人が入ります!」
「……」
数拍、フラニーは呼吸を忘れた。代わりに目をたくさん瞬かせた。
「……フラニー?」
動かないフラニーを不審に思い、エグゼルとシイラがその顔を見つめた時。
「ええええええ————!?」
フラニーの絶叫が響き渡り、驚いたシイラは「きゃ!」と声を上げ、エグゼルは「遅い!」と渋い顔をした。
「い——いつですかいつですか! 誰ですかどういう方ですか! お名前はご趣味は! 好きな鉱物は!?」
目を爛々とさせてフラニーは自身の手を包むシイラに詰寄った。今度はシイラがたじろぐ番だった。
「落ち着け落ち着け」
エグゼルが間に入り、フラニーとシイラを引き離す。
「施設長! 以前おっしゃっていた三人ですか?」
待ち望んでいた素材部の人員補充に、落ち着けるはずもないフラニーはまた高い声を上げる。前に三人手上げがあったと聞いた。施設長のことだからきっと採用はしてくれると信じていたが、その後どうなったのかと勿論気になっていた。
「そう」
「三人とも!?」
期待を込めたフラニーに、エグゼルは苦笑いを返す。
「いや。一人だけ採用になった」
「……」
「何だそのガッカリした顔は! 厳選した一人なんだよ!」
怒られて、フラニーは自分の表情がどうなっているかを知り、ハッとして顔の筋肉を引き締める。
「すみません強欲で……」
「あっははは」
ぺち、と頬を叩くフラニーをシエラが笑った。
(しまったしまった。最初に三人と聞いたから、ついつい)
「来てくれることになったのは、ネージュ君という子で、去年シュレーゼンにある学校を卒業した子よ。なんと首席。しかも飛び級。まだ十六歳だって」
「なんと……」
フラニーはポカンと目と口を開けた。色々と凄過ぎる、と思った。
「施設長と会いに行ってきたわ。今居る工房は今月いっぱいで、来月半ばからうちに来てくれる予定」
「ど、どんな子ですか? 私、仲良くできそうです?」
「大人しい感じだったな。二人しかいないんだ。よくしてやってくれ」
エグゼルはそう言ってフラニーの肩を優しく叩く。何だか凄そうな子が来ると思うと、緊張してしまうが、やはり嬉しさが勝る。フラニーはキラキラとした気持ちで「はい!」と、とても良い返事をした。
(わあああ~~! 来月半ばか~~!)
二人が帰った後、フラニーは感動してしばらく動けないでいた。押し寄せる喜びを噛みしめ、両手で頬を包む。
「ネージュ君用のデスクを綺麗にして、こっちの棚も整理してスペースを作ろう」
我が城と化した素材部の部屋に、新しく人がくる。フラニーが現在独占している、かつて先輩たちの使っていたデスクを明け渡すことに何ら惜しい気持ちは無い。収納用の棚も同様。
「あとは、あとは……。歓迎の用意をしなくちゃ!」
「来てくれてありがとう!」という気持ちを全力で伝えたい。そしてここを気に入ってほしい。今別の工房に居るなら尚更。こちらに来て良かったと思ってもらいたい。
後輩が来るまであとひと月程。フラニーは通常業務の傍ら、せっせと部屋の片づけと過ごしやすい職場の追求に勤しんだ。
「やあ。お邪魔するよ」
「よーすフラニー」
「ブランドンさん、カリムさん」
恒例の打ち合わせに来た他部署の二人は、毎週変化を認める部屋の様子から、いかにフラニーが楽しみにしているかを察した。
「またお菓子増えてるね」
「日持ちするので大丈夫です!」
ブランドンはお茶セットの仕舞ってある棚の溢れんばかりの菓子を見て微笑んだ。一方カリムは「やりすぎじゃ?」と眉を上げる。
「え……! そうですか?」
カリムの視線の先——フラニーの手には『ようこそ素材部へ』と大きく書かれた垂れ幕があった。
「ひ、引いちゃいますかね」
「場合によっては」
「……」
フラニーは静かに幕をクルクルと巻き始める。
「せっかく用意したんだろう? いいのかい」
ブランドンが気を遣ってフラニーに声をかけた。フラニーは難しい顔で頷き、巻物にした幕をキュッと紐で結ぶと、視線を下にポツリと零す。
「自分でも、加減が分からなくなってきていて……」
「……」
微妙な顔になるブランドン。カリムは「ああ、そう」と低く呟く。
バサバサ。
その時、溢れんばかりだった菓子が遂に溢れ、袋が落下した。フラニーは「あ」と小さく声を上げ、更にもう二つ包みが落ちるのを見届けた。
「「「……」」」
三人は何とも言えぬ顔で、床に落ちた菓子の袋を無言のまま眺めた。
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