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14今までとこれから

 店に入り、料理を注文する。アランは知った顔でいくつかメニューを見ずに頼んだ。そして、あの質問をフラニーに投げた。


「フラニー。ワイン、赤で」

「今日は、私は飲まないから。アランお好きに」


 フラニーから返ってきた答えに、アランは鼻白む。「じゃあ、俺も今日はやめておく」とアランも珍しくフラニーに合わせてきた。


(別に、私に合わせてくれなくていいのに)


 そう思ったが、大事な話をするのだ。酔っていない方がいいだろうと、フラニーは言葉にするのは控えた。


「美味しい?」

「ええ」


 フラニーの雰囲気に何かを感じ取ったのか、アランの様子がおかしい。いつものアランだったら、「美味しいよね」と言い聞かせるように訊いてくるのだが、先程は完全にフラニーの感想を求めるような声色だった。下手に出て機嫌を取るアランをフラニーは初めて見た。


 しばらく、二人は淡々と食事を続ける。アランからは結婚のことを仄めかすような言葉はない。意図的にその話題を避けているのか、フラニーが何かを話し出そうとすると、被せるように話を始める。


 刻々と時間は過ぎていった。そして、最後のデザートが終わり、食後のコーヒーが出てきたとき。フラニーはスッと視線をアランに向け、「アラン」と口を開いた。


「ねえ……」

「っ、やっぱり、食事の時にはワインがあった方がもっと楽しいね。次は君も飲めると」

「アラン」


 フラニーはしっかりとした声で再度名前を呼んだ。アランは話しかけの口のまま、動きを止めた。


「この間の話、していい?」

「あれから一週間じゃないか、そんなに急ぐことは」

「もう決めたの」


 アランの喉が上下する。フラニーの目が、アランの瞳を捕らえた。


「私、あなたと結婚はできません。ごめんなさい」

「ど——どうして」


 恋人の青褪めた顔を、フラニーは落ち着いた気持ちで眺める。意外と、自分は平静で、思ったより狼狽えているのはアランだった。まさか断られるとは思っていなかったのだろうか。


(余裕に構えてしまう人なのよね)


「私は今仕事がしたいの。仕事と、あなたを支えること。両方とも片手間にやれることではないと思ってる。私、そんなに要領が良くないの」

「し、仕事って、君、こないだまで忙殺されていたじゃないか。そんな職場にまだ居たいって言うの?」

「今はもう——」

「言おうと思っていたんだ、職場を変えればいいって。『セル』は大きなギルドだけど、いいじゃないか、そこでなくても。僕は君に苦労させたくないんだ」


(えええええええ?)


 フラニーは耳を疑った。フラニーに苦難が降りかかっても、アランは何のサポートもしないと既に実証されていることに彼は気が付いていないのだ。そこに「苦労はさせたくない」と言われても。どうして苦労をフラニーから遠ざける努力ができよう。


(それに、今、『セル』じゃなくてもいいって言った?)


 フラニーは以前、彼が「俺の恋人、『セル』に居るんだぜ」と人に言っているのを聞いたことがあった。


 その時は、地元に慣れ親しんだ名称の「バンドーラ支部」ではなく、「セル」と本体の名前を言うんだ、と思った。アランは自分が「セル」に居るのが誇らしいのだな、と。


(『セル』を捨ててもいいんだ。私が錬金術師であれば、あなたの矜持はギリギリ保たれるのね)


 何だか悲しくなってきたが、フラニーはここで押し負かされるわけにはいかない。また、次の試合に持ち越しになるのも無しだ。


「辞めないわ。他に移る気も無い」

「何なら、仕事だってしなくていい。その方が、家のことに専念できるもんな」

「アラン、話聞いてた?」

「君を守りたいんだ!」


(いい! いい! いい!)


 フラニーは思わず顔を歪めた。心の中では高速で首を横に振っている。


(それは守ってくれることにはならないのよ!)


 どうして話が通じない。アランから普段の余裕がなくなり、大人だと思っていた恋人が幼く見えた。


「あなたに守ってもらうつもりはない。守ってほしいとも思っていない」

「……フラニー……」


 アランの表情に絶望が見えた。


(そんなにショックとも思っていなかった)


「俺には君しかいないんだ……!」

「そ——」


(そんなことないって!)


 フラニーは驚いた。まさかそこまで言われるとは。どう聞いても、アランはアランの望むことしか口にしてはおらず、フラニー自身を尊重してはいない。その執着は到底フラニーに受け入れられるものではない。


 もしも、別の人から、別のシチュエーションで言われていたら、嬉しかったかもしれないが。尤も、今のフラニーにはそれすら想像することも難しい。


「アラン、はっきりお伝えする。ちゃんと聞いて。私、あなたとは結婚できません。理由はさっきの通り。あなたと私の望むものは違うの」

「……ねえ、考え直してくれよ」


 話が終わらない。アランがどうにかして引き延ばそうとしてくる。混ぜ返されても、何を言われても、フラニーの気持ちは変わらない。むしろ時間が経つにつれてどんどん冷めていくだけ。


「だから——」

「さっきから聞いていれば。いい加減になさいまし」


 どうやって話にキリを付けようかとフラニーが考えながら言葉を発した時、二人のテーブルに影が現れた。フラニーはその人物の顔を見て、言葉を失った。


「……」

「久し振り……フラニー」


 何も言わずに、辞めて行ってしまった先輩の内の一人、エレンだった。エレンは一瞬苦しそうに笑いかけ、直ぐに表情を戻し、アランに顔を向けた。


「あなたがあなたのために彼女が必要なことは聞いていて分かりました。でも、それじゃ彼女は頷かないわ。もう分かっているのでしょう」

「……」

「フラニーが良い子で手放したくないのよね。そんな子を困らせるのは、よしましょう」


 アランは何も言わずに席を立った。フラニーを悔しそうに一瞥し、会計を済ませてそのまま出ていった。


 フラニーはその場で、アランの背中をただ見ていた。


(アラン……さようなら)


 諦めてくれただろうか、分かってくれただろうか。自尊心の高い彼のことだ、しばらく恨まれるかもしれない。


「困らせるなって、どの口がって、思ったわよね」


 さっきまでアランの座っていたところにエレンが腰を下ろした。フラニーは何と言っていいのか分からなかった。


「ごめんね、口出して」

「……いえ。助かりました」

「本当に、あなたって良い子」


 その「良い子」が、必ずしもいつも良い意味で使われる訳ではないと、フラニーは知っている。複雑な気持ちになった。


「……エレンさんも、違うお仕事されてるんですね」


 フラニーはエレンの格好を見て言った。エレンは他の店員と同じ格好をしていた。ここで働いているのは明らかだ。


「『も』ってことは、アーニーのことも知ってんだね」

「前に、街で見かけて……」

「そっか」


 次に続く言葉が見つからず、再びフラニーは口を噤む。しばし気まずい空気が流れ、沈黙を耐えた。


「……ごめんね」


 小さく聞こえた声に、フラニーはテーブルに落としていた視線を上げる。暗い顔をしたエレンが唇を噛んでいた。


「辞められた理由を、責める気はありません。あの状態はどうかしてたと、私も思っています。私は、守るものが私しかいなかったから」

「そんなこと言わないで。守るものの数は、関係ない。あなたも限界だったの、知ってたわ……」

「……事態の改善も、引き留めることもできなかったと思いますけど、せめて、一言だけでも……」

「そうよね、最低なことした。ごめんなさい」


 取り繕った影の無い、真っ直ぐな謝罪だった。フラニーはその姿を見て、眉間に力を込めた。


(謝ってほしかったのではないのに……)


 今となっては、彼女も謝ることしかできないのだ。フラニーは自身の中に根深く残る未練に苛まれる。


「もう、錬金術師には」

「……」


 エレンは無言で否定した。


「アーニーさんも」

「同じ意見。あんな辞め方して、戻れるなんて思ってないわ」


 ギュッと更に眉を寄せるフラニーに、エレンは決まりが悪そうに言った。


「白状するとね、この経験年数で、次の職場に行くには私達自信がないの。特にここしばらくは同じものしか作っていなかったから。知識も、技術も自信がない」

「そんなこと」

「本当よ。噂で聞いたけど、バンドーラ支部だってもう色々と作ってるでしょう? あなたのことは本当に尊敬する」


(そっか。本当に二人はもう戻ってこないのね。錬金術師であることも諦めて……)


 フラニーの中で、何かがなくなった。はっきりと言葉を耳にしたからだろうか。「また三人で」、としぶとく心をモヤモヤとさせていたものが薄れていく。


 フラニーは真っ直ぐにエレンを見た。かつて頼りにした先輩は、違う道を歩き始めた。でも自分は、もっともっとこの道を進みたい。自分はそれができるのだから。やれるのだから、やるのだ。


「私、今調合が楽しくて仕方がありません。これからも、もっと頑張ります」

「……うん」


 エレンが眩しそうに目を細めた。フラニーは立ち上がり、「では」と頭を下げる。エレンに見送られて店を出た。チカチカと、広い夜空に星が瞬く。


「……やるぞ!」


 夜の街、フラニーは自然と走り出していた。頬を掠める風が、心地よかった。


お読みいただき、ありがとうございます!

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