12今までとこれから
大慌てで図書館の宿舎の自分の部屋に戻り、クローゼットを漁った。最後に袖を通したのはいつだったか思い出せないワンピースに着替え、猛ダッシュで件の店に着いたのは、約束の時間丁度のことであった。
「お……お待たせっ……!」
「走ってこなくても」
ゼエハアと息を切らすフラニーの背中をアランが支える。
「そういう、訳には……!」
フラニーの精一杯の返事を聞き、アランは嬉しそうに笑みを浮かべる。フラニーが落ち着くのを待って、二人は店の中に入った。
店内は白を基調とした壁紙に、金の装飾が施されているという、いかにも素敵な感じだった。フラニーは心の内で「着替えてきて良かった」と咽ぶ。仕事終わりの格好でそのまま来たら、完全に浮いていただろう。
(わざわざ、こんなお洒落なお店を取らなくても。しかも今日の今日で)
慣れない雰囲気にそわそわしながらフラニーはアランがスマートに料理を注文しているのを見守る。ビシッと張りのあるスーツに、カチッと決まった髪型。相変わらず彼自身も洒落ている。
「フラニー。ワインは赤で良かったろ」
「あ、うん」
正直なところ、赤でも白でも良かったが、アランは赤が好きだったはず。特に拘りのないフラニーは今回もアランに合わせた。
(アランってあれが好き、これが好きってはっきり言うから。覚えやすかったなあ)
ワインは赤。革靴は一級のもの。香水は『ムスク』の五番。思い出せば、すらすらと出てくる。アランも、フラニーが覚えれば喜んだ。
(これからフラれようというのに)
フラニーは悪い気がした。こんなに覚えているのに。こんなにいい店を取ってくれたのに。
(フラれても全然悲しまない自信がある……)
そういえば。会えなかった間、連絡もし合わなかった期間に自分は一度でも「寂しい」と思ったことがあっただろうか。
「…………」
自問して、フラニーは気が付いた。もうずっと、自分はアランのことを好きではなかったのだ。「自然消滅されているかも」と思っても、未練はなかった。「悪かったな」と反省するくらいで。
(こんなに自分が無責任で嫌な奴だったなんて……)
フラニーは目の前の恋人の顔が直視できなかった。良心の呵責に耐えられない。
「こうするのも久し振りだな。フラニー。乾杯」
「乾杯…………」
どことなく低い声で、フラニーはワインのグラスを掲げた。一口飲んでも味がしない。
「さて、フラニー」
グラスを置いたアランが意味深に微笑む。フラニーはドキリとした。神妙に臨むべきだ。フラニーは居ずまいを整え、姿勢よく「はい」と真剣な顔つきで言葉を待つ。
「——結婚しよう」
「…………???」
フラニーは目をかっぴらいたまま固まった。そしてたっぷり数十秒間を置いてから、極めて間の抜けた「へ?」という声が一言発せられた。それでも尚、何と言われたのか理解ができない。
フラニーのぽかーんとした顔を見て、アランはおかしそうに笑った。
「驚かせた? でも随分待ったよ。フラニー忙しかったし」
「…………」
開いた口が塞がらない。フラれるかと思いきや、どうしてあの状況を経て、自分は今プロポーズされているのか、フラニーは何もかもが分からなかった。
「どど、どうして……?」
「確かに急だったけど、そんなに動揺する?」
意外、という様子のアランに、フラニーは激しく首を縦に振った。する。断然する。
「ずっと思ってたんだよ。俺たち、お似合いだなって」
「………………」
それから。アランがフラニーに結婚を申し込んだ理由をあれこれと話してくれたが、ひたすら困惑しているフラニーは、うんもすんも言えずに、ただただ聞いていることしかできなかった。
綺麗に盛りつけられた美味しそうな料理が出てきたにも拘わらず、ワイン同様、味はひとつも分からなかった。ただ、アランが楽しそうに喋る姿だけを見ていた。
「……」
バタン。ご近所への配慮もなく、フラニーは図書館の宿舎の部屋のドアを閉めた。フラフラと部屋の中を横切り、着替えもせずベッドに倒れた。どうやって帰ってきたのか、はっきり覚えていない。
どうしてこんなことになったのか。手を頭に置き、ぐしゃりと髪を掴む。
(お似合いだと思っていたの……?)
フラニーの頭の中は疑問で埋め尽くされている。
『俺は仕事で優秀賞を貰うだけの能力がある。フラニーは難関資格の錬金術師を持ってる。どう? お似合いだろう』
アランの言ったことが蘇る。そうか。成程。アランはフラニーのことを認めてくれていたのだ。いやだがしかし。
「そこ???」
フラニーはベッドに沈めていた顔を上げた。
(結婚するとなったら、お似合いであるべきなのはまず性格とか、考え方とか、そういうのではなくて?)
店では完全にポンコツ状態になっていたフラニーだったが、こうしてひとりで落ち着いていたら、ツッコみたい点が次々と出てきた。
例えば。
『もう今は定時で帰れてるんだ? じゃあ俺が遅くなっても大丈夫だよな』
『繁忙期の時、前に飯を作ってくれただろ? あれが本当に助かったんだよ。その時フラニーだったら、こうしてフォローしてくれるんだなって思って嬉しかった』
『基本、フラニーって俺に合わせてくれるし。優しいところも気に入ってる』
フラニーはむくりと起き上がった。初めて灯りも点けずにいたことに気が付く。暗い。
暗闇の中、ベッドに腰かけ、静かに口元を手で覆う。
「……何か、凄く都合がいいように思われているような」
疑問は直ぐに確信に変わった。「思われているような」ではない。「思われている」。明らかに。フラニーは面を上げ、眉を寄せる。
「これは……違うな」
アランの主張は、つまり、アランに見合うだけの肩書を持った人で、定時で帰れる人で、忙しい時に支えてくれる人で、言う事を聞いてくれる人が良いというものだ。
だから、定時で帰れないフラニーには用は無かったし、助けてもらうのは望んでもアラン自身は助けようとは思わないから、仕事で忙殺されていたフラニーに連絡もしなかった。
「待っていた」のは、フラニーがアランの望む状態になるのを待っていたのである。
「私ってそんな風に思われてたんだ……」
段々と、アランに対して申し訳なく思っていたことさえ無駄だったような気がしてきた。過去の自分にも「節穴め」と腹が立つ。
「ああ~~! どうしてさっきその場で断らなかったんだろう!」
フラニーは頭を抱えた。「返事は今でなくていい」というアランの言葉に従ってしまった。そもそも「結婚しよう」を聞いてから、思考力と判断力が著しく低下して、腑抜け同然だった。
「お人好しめ……!」
アランに対してガッカリしたのと同時に、自分も戒める。先日エグゼルに「お人好し過ぎる」と言われたのは、全くその通りだ。ぐうの音も出ない。
(今度会った時、直ぐお断りしよう)
次にアランと会うのは一週間後。フラニーは決意を固めた。アランには、それこそそんなアランを好きと言う人と結婚してもらいたい。このまま仮に自分と結婚しても、彼の欲求は満たされない。
「私は、彼の要望に沿うことはできないけれど、他の人はそうでないかもしれないものね」
ごろり、と再びベッドに仰向けになる。
問題は放置しておいて良いことはないな、と最近身近で起こった色々を思い返し、フラニーは目を閉じた。
次の日は、久々に寝覚めの悪い朝だった。
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