11今までとこれから
エグゼルとスズラン亭に行ってから、フラニーの中で昼食の選択肢にスズラン亭が浮上する頻度がぐんと上がった。久し振りに行ったらあの料理の味と居心地の良さと、そしてマルシアとマスターの顔がやけに恋しくなったのである。
「うーん、一昨日も行ったけど。ランチが日替わりだからまた行きたくなってしまう……」
あの味と量を提供していて、あの値段というのも魅力的だった。何食べようと色々悩むよりも、行けば限られたメニューの中から選べば決まる、というスタイルも便利だと思えた。
フラニーは時計を見た。作業が押して、いつもより遅い時間になってしまったが、今から行っても大丈夫だろうか。
(今日は打ち合わせも無いし、急ぎの注文もこの調子なら間に合う。行っちゃえ!)
空腹がフラニーの決断を急かし、飛び出すように工房を出発した。
「こんにちは! まだランチやってますか!」
「いらっしゃいフラニー。大丈夫よ」
息を弾ませて入店したフラニーを、マルシアが朗らかに迎えた。「走って来なくても、あなただったらランチ出してあげるわよ」と笑いながら。
フラニーは駆けて乱れた髪を撫でつけ、こそばゆい気持ちでお礼を言った。マルシアは面倒見が良く、フラニーが学生だった時には一時期持ち帰りの弁当まで受けてくれたことがある。
「今日はどれにする? おススメは腸詰」
「それにします」
マルシアが大声でカウンターの向こうに居るマスターに注文を告げる。店内に他に客が居ないせいか、マルシアはそのままフラニーの向かいに腰を下ろした。
「ね、こないだ一緒に来た施設長さんさ」
「はい」
「昨日一人で来てくれたわよ。夜に」
フラニーは「へー!」と素直に驚いた。一緒に来た時は確かに「いい店だな」と言っていたが、そんなに気に入ってくれたのだろうか。連れてきたフラニーも嬉しくなる。
「あんな美人で華やかな人この辺じゃそうそう居ないから、皆に絡まれて絡まれて」
「……あら」
ここの常連客達と言えば、空が暗くなればなる程顔が赤くなっていくあのおじさん達だ。フラニーも何度か名前も知らない気のいい人に何かを奢って貰った覚えがある。気はいいけれど、豪快で遠慮が無いのが玉に瑕だ。
「大丈夫でした?」
フラニーの質問に応えるより先にマルシアは何かを思い出して「あっははは」と笑い声を上げた。フラニーは不審に思って「何ですか」と尋ねれば、「ごめんごめん」と笑い混じりに返された。
「あの人さ、黙っていれば本当に作りものみたいに綺麗なんだけど、喋ると周りの連中と同じくらい遠慮が無くてびっくりしちゃった」
「ああ……ね」
「それが面白くって、皆余計に気に入っちゃって。また来てくれたら喜ぶよ」
エグゼルの中身が、見た目からは想像し難い兄貴肌であることはフラニーも良く知っている。うっかり「ボス」と呼びかけてしまったことが何回かある。
「伝えておきます」
そう言って笑うと、「よろしくね」とマルシアに肩を叩かれた。
(ううん。ボスってば、凄いなあ)
昼食を終えたフラニーは店を出て工房に戻る道すがら、尊敬するボスのことを考えた。
(優秀な錬金術師なんだなと思ってたけど、それだけじゃなくなってきている)
あの勢いと性格に最初皆戸惑ったけれど、エグゼルが来てもう三カ月。バンドーラ工房にとって、無くてはならない人になった。あの若さで施設長を任されるのは納得である。
自分と六歳しか違わないと聞き、フラニーは耳を疑った。すなわち、まだ齢27。容姿からしても信じられない。
(そんな人が、どうしてうちに……)
そもそもそんなに地方を希望していた理由は何だったのか。先日は圧倒されて聞きそびれてしまった。いずれ折を見て尋ねてみよう、と足取り軽く階段を上がり切った時。
「……フラニー?」
懐かしい声が、自分を呼んだ。途端にフラニーの表情が消える。バッと声の方を振り返ると、黒髪をきっちり固め、顎髭を整えた身なりの綺麗な男が立っていた。
「ア——アラン?」
彼の名はアラン・ダッジオ。それはフラニーがいつから会っていないか分からない『恋人』だった。
◇◇◇
コツ……コツ……コツ……。フラニーは重い足取りで工房の廊下を歩いた。後悔という荷物を背負って帰ることになろうとは出かけた時には夢にも思わなかった。
バタン、と素材部の部屋のドアを閉め、盛大なため息を吐く。そのまま頭を抱えて蹲った。耳の奥ではアランとした会話が繰り返される。
『フラニー。久し振りだな』
『ほ、本当ね……!』
『こんな時間に外で見かけるなんて。忙しいの、終わったのか?』
『あ! その、そうなの。ついこの間……!』
『……今夜、空いてる? 話したいことがある』
その申し出を断れる立場ではないと思った。忙しいことを理由に会えなかったのは自分なのだから。
愛想を尽かされて自然消滅されていてもおかしくはなかったし、十中八九、そうされていると思っていた。
というのも、連絡をしなかった自分も自分だが、フラニーが激務に目を回していた数か月、あちらからも一度も連絡はなかったからであった。しかし。アランは訊いてきた。
忙しいのは、終わったのかと。すなわち、彼は待っていたのである。フラニーが「会える」状態になることを。
(それを私は、自分が楽な様に解釈して……。ごめんなさい、アラン)
アランと知り合ったのはフラニーは就職して直ぐ。街のバーで隣同士になったのが始まりで、フラニーが錬金術師だと明かせば興味を持ってくれ、よく話すようになった。
交易商の交渉役をしているアランは年上のしっかり者で、些か強引なところもあるが、リードしてくれる頼もしい男性だった。
そのアランが、多忙なフラニーに遠慮してこれまで接触を控えていたのだとしたら。「自然消滅したな」と思っていた自分はもしかして結構薄情でサイテーな奴なのでは、と良心が痛む。
畏まって話をと言われても、思い付くのはひとつ。このサイテー野郎にする話としたら。
「別れ話を……きちっとしようとか、そういうことかしら……」
それならそれで、その方がいい。どうなったのか分からないようなあやふやでぼんやりとした関係は、ちゃんと清算すべきだ。話の内容を考えると気が重いが、自分の撒いた種である。
「よし。仕事、仕事しよう」
フラニーは自分に言い聞かせて立ち上がると、注文票に変わりはないかと吊るし紐を確認しに向かった。
納品を終え、報告書まで書き上げる。余計なことを考えないようにとバリバリ仕事をした結果、いつもよりも作業能率が上がった。
時計を見ると、もう終業時間。待ち合わせの時間が刻々と近付いている。
(ええと、どこの店だって言ってたっけ)
鞄から、アランに渡されたメモを取り出す。店の名前に覚えがない。新たにできた店だろうか。バンドーラは都会に比べたら確実に田舎だが、錬金術の学校が構えられているだけあって、周辺の集落からすれば比較的大きな街である。
住んでいても知らない内に新しい店が増え、そしてどこかが無くなる。アランは流行に敏感で、いつもどこで知るのか、フラニーはよくお洒落で大人っぽい店に連れて行ってもらっていた。
(今日もそういう店だったらどうしよう)
ふと、そんな不安が過ぎる。
(いやでも——別れ話に、そんな良い店を使う?)
直ぐに自分で反論してみるが、相手はあのアランだ。話の内容は関係ない。誰と行くかも関係ない。「彼」が選ぶ店だ。
「……」
自分の姿を検めると、かなりザッとした格好だった。作業ができる服装で来ているのだから、当然である。
再度、時計を確認する。まだ、家に戻って着替える時間はある。終業の時間を時計の針が指すのと同時に、フラニーは素材部の部屋を後にした。
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