懇親会の事件
心停止した社長が運び出された食堂。
しばらくは静まりかえっていたが、やがて社員達が口を開き会場は騒然となった。
「社員の皆さん。
申し訳ありませんが、懇親会は中止とさせて頂きます。
事務室に戻り連絡あるまで待機するように。
外部との連絡は慎んで下さい。
社長の近くに居た方と、内定者、懇親会に携わった方々は残って下さい」
救急隊を見送り、食堂に戻ってきた人事部長の松ヶ崎がマイクを手に指示を出す。
社員達は未だほとんど手をつけられていない料理を見て残念そうにしたが、事態が事態なので指示に従い食堂から出て行く。
そんな中、内定者の1人、天野がその場に座り込んだ。
「どうしました?」
人事の佐藤が声をかける。
天野はそれに「いえ、大丈夫です」と答えようとしたが、声は途中で途切れ、ぺたんと床にお尻をついた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いです。
笠島さん――」
佐藤は産業医を呼ぼうとするも、彼女が救急隊について病院へ行ったことを思い出す。
天野は顔を真っ青にして、何度も大きく呼吸していた。
「――自分も、体調が」
小さく手を上げたのは、内定者の豊福だった。
彼の顔色も悪いが天野ほどではない。椅子が用意されると彼はそこに座り込んだ。
天野にも椅子が運ばれて来て、彼女は鈴木と佐藤に抱えられて腰掛ける。
天野は一時意識を朦朧とさせていたが、佐藤が何度か呼びかけを続けると応答を返す。
彼女は水を飲むと、体調は幾分か良くなった様子だった。
「他に体調の悪い方は居ませんか?」
人事部の松ヶ崎が声をかけると、内定者の何人かから手が上がった。
挙手した人は顔が青白く、意識を保つのがやっとのようでうつらうつらとしていた。
内定者だけかと思いきや、技術部長の米山も意識の不調を訴えた。
「どうにも頭がはっきりしません」
彼は思い当たる節があったようで、机に置いていた飲みかけの紙コップを拾い上げて臭いを嗅ぐ。
「まさか、ビールに毒が?」松ヶ崎が問う。
米山は分からないと言った様子で首を横に振り、用意された椅子に座り込んだ。
「山辺社長は脳卒中で倒れたことがあります。
常飲している心臓病の薬に加えて、過剰な薬が投与されたとしたら――」
松ヶ崎が、社長が倒れる寸前まで手にしていた紙コップを調べる。
中身はない。社長はコップ1杯分のビールを飲み干していた。
コップに手を触れないように顔を近づけ臭いを嗅ぐが、松ヶ崎にはその香りが毒なのかビールの残り香なのか判別出来なかった。
「念のため、警察を呼びましょう」
松ヶ崎の宣言に誰も異を唱えなかった。
秘書の平佐が「では自分から」と連絡係を買って出て、社用スマホで110番した。
「とにかく現場を保存しましょう。
毒が盛られていたとは決まっていませんが、もしそうだった場合、証拠品に手をつけてしまっては捜査も進まなくなってしまいます。
皆さん、少し離れた場所で警察が来るまで待機していて下さい。
食堂に残ったのは、役員と人事部の社員が数名。内定者と彼らと話していた一般社員達。
そして懇親会の準備に携わった食堂職員と外部業者達。
体調不良者の数名が身体の冷えを訴えたので、人事部の数人が産業医室からブラケットを持ってきた。
それ以外では数名がお手洗いに行ったりしたが、基本的には静かに、警察の到着を待っていた。
およそ15分後には地元の警察がやって来た。
彼らは現場保存の指示と、続いてやって来る捜査員達の受け入れ体勢を整える。
やがて捜査員と鑑識が大挙して押し寄せて、初動捜査を開始した。
捜査官は通報者である平佐から状況を聞くと、社長の使っていた紙コップ、一升瓶のビール。内定者達が使っていた紙コップを回収して鑑識に調べさせる。
それから捜査官のリーダーらしき人物が若手の部下を1人引き連れて、秘書の平佐、営業部長の幹、技術部長の米山を呼び寄せた。
彼は小林と名乗り、社長が倒れた時の状況について、詳細を話すよう告げた。
応答したのは平佐だった。
「乾杯して、ビールを飲んでいました。直ぐにコップ1杯空になった様子でした。
それから新人と研究や特許について話し込んでいました。
それが突然、その場に座り込みました」
「座り込んだ、で間違いないですね?
倒れたのではなく」
「はい。ゆっくり、その場に沈むように」
「その後の様子は?」
「顔は青白く、身体は震えていました。
産業医を呼ぶように伝えると佐藤さんが向かってくれました。
やって来た笠島さん――産業医の方が、脳卒中と判断しました。
社長は以前にも脳卒中で倒れて手術をしたことがあります。
笠島さんが救急からの指示を受けて、私や佐藤さん、役員の方で処置を施しました。
ただ、呼吸が停止して、心臓も……。
心肺蘇生を試みましたが、上手くいきませんでした。
救急隊が運び出しましたが今どうなっているかは……」
「病院からの連絡で、死亡が確認されたとのことです」
小林が告げると、平佐は「そうですか」と視線を落として俯いた。
その場に鑑識がやってくる。彼は手短に告げた。
「一升瓶の中に薬物が。
アリスキレンフマル酸塩。薬品名はラジレス。
血圧を下げる薬です」
「致死量か?」
鑑識はかぶりを振った。
「コップ1杯程度では。
通常処方量の4倍になりますが、死には至らないかと。
精々、低血圧症で一時的な意識障害を引き起こすだけです」
鑑識からの報告を聞いて、平佐は顔を白くした。
カバンから取り出した社長の薬手帳を開いて、捜査員に提示する。
「山辺社長はアイミクス錠を処方されています」
薬手帳に記載あるアイミクス錠。こちらも血圧降下剤だ。
そして併用禁忌の欄には、アリスキレンフマル酸塩。――ラジレスの記載があった。
「――併用した場合、脳卒中発症の可能性」
小林は注釈を読み上げ、得心いったように頷く。
「つまり、ラジレスは健康な人にとっては低血圧症を発症させるに過ぎない薬だが、アイミクス錠を処方されていた害者にとっては、致命的な毒物だったわけだ。
となるとこれは、計画的な殺人と考えるべきでしょう」
殺人。
その言葉に、秘書の平佐も、役員達も息を呑んだ。
「症状が顕著な方は念のため病院へ行った方が良いでしょう」
救急車のサイレンが聞こえて、小林が告げる。
人事部長が低血圧症を発症した面々に通院の意思を確認すると、ほとんどがもう大丈夫と回答した。
症状が顕著な天野だけは、人事の佐藤に連れられて救急車へと向かった。
「ラジレスが検出されたのは、現状あの一升瓶と、その中身が注がれたコップだけです」
「分かった。
引き続き、他から薬品が検出されないかの調査と、一升瓶の指紋採取を頼む」
小林の指示を受けて鑑識は調査に戻っていった。
それから彼は、役員や人事部、内定者に食堂関係者たちの顔を見回して、問いかける。
「この中でラジレス――血圧を下げる薬を処方されている方は居ますか?」
名乗り出たのは営業部長の幹だけだった。
彼は社服の胸ポケットから、錠剤の入ったケースを取り出す。
「降圧剤ですが、薬品名までは。
事務室に戻れば手帳がありますが」
「詳しく見せて頂けますか?」
小林が問うと、幹は頷く。
錠剤は鑑識の手に渡された。錠剤表面に刻まれた記載から、薬品名は簡単に特定できる。
「ラジレスです」
小林の疑惑の目が幹に向いた。
「ち、違います。
僕はやっていませんよ」
幹は太り気味でどっしりとした体型なのに、おどおどと怯えるように懸命に首を横に振る。
「害者にビールを注いだのは誰ですか?」
小林が問うと、技術部長の米山が手を上げた。
椅子に座ったまま米山は応じる。
「自分です」
「その時、彼はどちらにいましたか?」
「近くには居ませんでした」
米山が答えると、小林の視線は再び幹に向く。
彼は自分の無実を主張しようと、必死になって告げた。
「ステージの上に居ました。
僕は乾杯の音頭を取る係でしたから」
「あなたの飲み物はどこから調達しましたか?」
「事前に用意して、ステージ横の台に置いておきました。
一升瓶には近づいていませんよ!」
幹の自己弁護に応じるように松ヶ崎が告げる。
「確かに、幹さんはビールを事前に用意して台に置いていましたよ」
「なるほど、結構。
ラジレスは1錠だけこちらで預かってもよろしいですね?」
幹は自分の潔白を証明出来るのならと、「どうぞ持って行って下さい」と返す。
「これは明確な殺人事件です。
害者が処方された薬を把握し、過去に脳卒中で倒れた事実も知っている人物が、意図してビールに薬を盛ったとしか考えられない。
健康な人なら低血圧症。
だが害者だけは、脳卒中で倒れることになる。
問題は、誰がビールに薬を仕込んだのか。
ビールの栓を開けたのは誰ですか?」
問いかけに社員達は互いの顔を見合う。
誰も名乗り出ない中、厨房から声が上がった。
「すいません! 僕です!
や、でも、薬は入れてないですよ!」
応じたのは食堂職員の海老塚治だった。
彼は若干太り気味の身体で、跳ね上げ式のカウンターを上げると、体を横にして通って食堂に出てきた。
「あなたがビールの栓を?
何時、何処で開けたのか、詳しく教えて下さい」
海老塚は緊張しながらも、体格に見合う堂々とした動きで頷くと、カウンターの前に立った。
「開けたのはここです。
栓抜きの数が少ないので、厨房から持ち出さないようにってことだったんで。
内定者とか、大体人が揃った頃に開けました」
「それはあなたの判断で?」
「いいえ、リーダーから頼まれて。
丁度そのタイミングで近くを通りかかったから声をかけられました」
海老塚の回答に応じるように、食堂リーダーの栗原典義がカウンターにやって来て付け加えた。
「人の集まり具合を見て、そろそろだなって時に、偶然カウンター前を通りかかった海老塚君に頼みました」
小林は話を進める。
「栓を開けた後は?」
「手で持って、ステージ前の机に運びました。
こぼさないように、両手でしっかり抱えました」
「向かう途中、誰かと接触しなかった?」
「誰か?
――ああ、誰とも。誰も近寄ってきたりしなかったです」
質問の意味を理解した海老塚は落ち着いて答える。
「机の上に置いて、それからは?」
「次の仕事に向かいました。
デザートが並べ終わっていなかったんで、そっちの手伝いに」
「その間、ビールに近づいた人は?」
「さあ。
置いたきり、気にもしませんでした」
海老塚の仕事は栓を開けたビールを運んだ時点で終わっている。
それ以降、ビールがどうなったのかなど、彼に気にする義務はない。
「でも、ステージ前のテーブルですから、誰か近づいたなら分かるんじゃないですか?」
海老塚が付け加えると、小林はステージ前のテーブルへ視線を向けた。
「ビールが置かれた時、机の周りに人は居ましたか?」
問いかけられたのは平佐だった。
彼女は冷静に答える。
「居ません。
こちらから見て右手に内定者さん達が。
左手に社長や役員方が整列していました。
他の社員の皆さんは、ステージからは距離を空けていました。
大体の社員さん達は、食事テーブルより後ろに居ました」
「そして誰も机には近寄らなかった?」
「鈴木さんがお茶を運んだ位です。
ですが彼女も、ビールには近寄りませんでした。ビールとは反対側にお茶を置きましたから」
名前を呼ばれた鈴木は自ら前に進んできて、テーブルを指さす。
「役員さんの近くにビールが置かれていました。
私がお茶を置いたのはこっち。内定者側です。
お茶を置いて、そのまま内定者の元に向かいました」
鈴木は「聞きたいことがあるならなんでも聞いて下さい」といった様子だったが、小林は短く礼を言って彼女を下がらせた。
栓が開けられて机に置かれてから、ビールには誰も近づかなかった。
営業部長の幹はビールに混入されていた薬と同じ薬を服用していた。
実際にビールを注いだのは技術部長の米山だ。
怪しいのはこの2人と、ビールを運んだ食堂職員の海老塚。
ただしそれは、栓が開けられてから薬が混入された場合の話だ。
「海老塚さん。
ビールの栓を開けた時に違和感は?」
再び海老塚が前に出た。
「違和感というと?」
「既に開けられていたら気づくでしょう?」
「いや、そういうのは気がつかなかったです」
小林が鑑識に指示を出すと、彼らは厨房内のゴミ箱を探し始めた。
大量の栓が捨てられていたが、一升瓶ビールの栓は特徴的で直ぐに発見された。
それは鑑識の手で詳細に調べられる。
「ビールは運ばれてくる前は何処で保管を?」
問いかけた先は食堂リーダーの栗原だ。
「午前中に納入されて、それから食堂裏の倉庫にある冷蔵庫で。
17時になってから、自分が倉庫から厨房のカウンターへ持ち出してきました」
「倉庫に鍵は?」
「かかってないです」
「では誰でも入れたと」
「社員さんが倉庫に入ったのを見かけたら覚えていると思いますよ」
栗原は真面目に応答してから、言わなければ良かったと後悔する。
そうなれば自由に出入りできたのは食堂職員のみということになってしまう。
食堂職員に疑いの目を向けてはいけないと、慌てて付け加える。
「忙しい時間帯は誰かが倉庫に入っても気がつかないですよ。
廊下を挟んでいますし、食堂の廊下側の扉は基本的に閉まっていますから」
「なるほど。
まずは一升瓶が厨房に運ばれて来てからの流れをおさらいしましょう。
一升瓶はカウンターに置かれていた。
それは食堂に人が集まってから、海老塚さんによって開けられた。
そしてステージ前のテーブルに運ばれる。
運ぶ最中も、テーブルに置かれてからも、一升瓶に近づいた者は居ない。
乾杯の準備のため、一升瓶ビールは――誰が最初に手にしました? 米山さんですか?」
問いかけられて、米山は肯定を返した。
「はい。自分が。
最初に社長に注ぐのが恒例と言いますか、そういう流れになっていました」
「その時であれば全員の目を盗んで何かを混入することは出来たのでは?」
「そんなことはあり得ません。社長の目の前です。
それに内定者も役員も、何人か一升瓶の方を見ていたはずです」
米山はやんわりと声を荒げずに否定した。
その発言は間違いないと、何人かが証言すると小林もすんなりと受け入れた。
「では米山さん。
社長にビールを注いだ後は?」
「内定者へ勧めました。
彼らのための懇親会ですから。
何名かに注ぎました」
米山が言葉を句切ると、豊福が手を上げて詳細を述べる。
「最初に天野さん。――先ほど病院へ運ばれた人です。
その次が自分でした。その後は――」
豊福はビールの注がれた順番を次の2人まで覚えていて報告した。
小林の傍らに居た彼の部下がその内容を律儀にメモに残す。
小林は情報を頭の中で整理する。
薬物は一升瓶ビールに仕込まれていた。
事件発生後、鑑識が調査するまでに薬物を混入させた可能性も考えられたが、彼はこの線はひとまず追わなくて良いと判断した。
内定者に役員、数名の社員。彼らが手にしていた一升瓶ビールを注がれた紙コップからは、今のところ全てラジレスが検出されているようだ。
逆に、一升瓶ビールが注がれなかったコップからは決して反応が出ない。
犯人がまず社長のコップだけに薬を仕込み、事件発生後のどさくさに紛れて各コップに薬を混ぜ込むのは至難の業だ。
一升瓶ビールが注がれたコップを全て覚え、立食形式の懇親会で動き回るそれらの位置を把握していなければならない。
まずもって不可能と考えて良いだろう。
だから間違いなく、米山が害者のコップへビールを注いだときには、一升瓶に薬が混入していた。
技術部長の米山は衆人監視――それどころか毒殺される本人までもが注目する中で一升瓶に触れた。
この状況で薬を混入させるのは困難だろう。
人事部の鈴木はお茶を運びテーブルに近づいたが、一升瓶ビールには近づいていない。
そしてその様子を証言する人物がいる以上、彼女も薬を混入させたとは考えがたい。
唯一可能性がありそうなのは、食堂職員の海老塚だ。
彼はカウンターでビールの栓を開けた。懇親会直前で厨房は忙しかったはずだ。
社員達も厨房の様子など気にもしなかっただろう。
だが問題は動機だ。
海老塚は食堂職員。派遣されてきている、外部会社の人間だ。
「松ヶ崎さん、平佐さん。
食堂職員と害者の間でトラブルはありましたか?」
食堂との契約関係に詳しいであろう人事部長と、社長周辺に最も詳しいであろう秘書に対して小林は問いかけた。
されど2人は明確にかぶりを振る。
「いいえ全く。
社長も食堂を利用しましたが、食堂の方と揉めるようなことはありませんでした」
「基本的に外部の方に対しては温厚な方です」
松ヶ崎と平佐の回答に、小林も「そうだろうな」と内心で頷く。
だが平佐の回答には気がかりな部分があった。
「外部の方に対してとおっしゃいましたが、内部に対しては違ったと?」
平佐は一瞬だけ表情を陰らせたが、直ぐに元に戻して、いつも通り冷静に答えた。
「はい。CILはいわゆるワンマン企業で、社長の影響するところが大きいですから。
役員方の多くは社長の我が儘に振り回されていました」
「具体的には?」
問いかけに平佐は回答を逡巡した。
されど、どうせ少し調べたら分かることだ。
「これは社長の近くで見聞きした内容から推察した個人的な感想ですが」と前置きして、平佐は告げる。
「営業部長の幹さんは、社長の言いなり状態でした。営業部長とは名ばかりで、社長宅のリフォームまでやらされています。普段から愚痴も多かったようです。
技術部長の米山さんは、社長の推進する研究プロジェクトの進捗が悪く、毎日のように叱責を受けていました。本日も技術定例の場で、進捗の遅れを強く非難されていました。
他の役員方は……どうでしょう。
頻繁な配置変更で、人事部長の松ヶ崎さんは振り回されていたようですが」
平佐が言葉を句切ると、名前を挙げられた幹、米山、松ヶ崎の3人は、顔を見合わせてため息交じりに頷いた。
「まあ、いろいろとやらされてはいます」
「叱責はいつものことです」
「配置変更もです」
3人がそれぞれ平佐の証言を認めると、小林は平佐に向かって問う。
「あなたはどうですか?
役員を我が儘で振り回す社長の一番近くにいた。
何か嫌なことをされたりなどはありませんでしたか?」
「ありません」
平佐は強く一言返し、それから付け加えた。
「社長は役員には強く当たりますが、一般社員にまで当たり散らすような人ではありません。
私はむしろ、社長に気を使われていたように思います。
――とはいえ、社長が他人を叱責するのを近くで見ているのはストレスでしたけれど」
「なるほど。ありがとうございます」
小林は動機についての確認を一旦打ち切った。
詳細は個別の事情聴取で聞き出すことになるだろう。
もう一度小林は頭の中で考えをまとめる。
犯行実現性という点では、一升瓶の栓を開けて運んだ海老塚が最も怪しい。
次点でステージ上に置かれた一升瓶を最初に手にした米山だろうが、こちらは不可能に近い。
しかし動機という面では、幹、米山、松ヶ崎は、何か害者に対して思うところがありそうだ。それは秘書の平佐もだろう。
逆に海老塚は害者とのトラブルはないとのこと。
さらに動機の観点からは、内定者たちが犯人とも考えがたい。
半年すれば彼らはCILの社員になる。このタイミングで就職先の社長を殺す理由はないはずだ。
もし面接時に社長に対して恨みを持ったのだとすれば、そんな会社の内定など蹴ってしまえばいい。彼らがCILにこだわる必要性はないのだ。まだ入社前なのだから。
そもそも今回の犯行は計画的なもの。
害者が降圧剤を服用し、懇親会で一升瓶のビールを飲むと知っていなければ、犯行はなしえない。
「学生さんたちは帰らせて良いですよ。
後から証言を聞くかも知れないので、連絡先だけ教えて下さい」
殺人事件の捜査で最も大切なのは動機だ。
人を殺すとなれば大きな決断がいる。それを計画立ててやろうとなれば、確固たる動機があってしかるべきだ。
そして動機というのは、深く探りを入れていけばいつか露見するものだ。
だからひとまず、動機がない内定者達はこの場には必要ない。
そういった判断であった。
小林の言葉に人事部長の松ヶ崎は頷く。
松ヶ崎が指示を出すと、人事部の鈴木と佐藤は内定者たちの連絡先の確認を進めた。
「――すいません、小林さん。
警視庁の方が――」
内定者を帰らせる準備を進める中、突然食堂に若い警察官が駆け込んできた。
その後から、ぞろぞろと警察官らしき一団がやってくる。
先頭に立って進んできた強面の刑事は、小林相手に警察手帳を示して告げた。
「警視庁、組織犯罪対策部の大森だ。
CIL社長山辺舜介殺害事件の捜査はこちらで引き継ぐ」
小林は最初、何を言われたのか理解できなかった。
だが頭がその内容を理解すると、思わず叫んだ。
そんな馬鹿な話があるか、と。