約束
ヨハンナは実は、なかなかな料理上手だ。
けれどその料理の腕が発揮される機会というのは、実はあまりない。
そもそも貴族というのは、貴族の責務である領地の運営などを除くと、自身で何かをすること自体がほとんどない。
服の着替えも、身体を洗うことも、何かを用立てる時も、あくまでも使用人達にやらせることが多い。
いくつも手間を足したり、自分でやればできることもわざわざ人を雇ってやらせることで、貴族は権威を示しながら経済を回すからだ。
なのでヨハンナの手料理が食べられる機会は、かなり限られている。
二人とも、母の手作り弁当を食べるのはずいぶんと久しぶりのことだった。
「久しぶりでも、腕は落ちてないみたいだな」
「ですね」
オムレツに揚げ料理などといったメインどころは、少年二人に合わせて濃いめの味付け。
野菜は彩りも鮮やかに、葉野菜だけでなくトマトも使われている。少しすっぱめのドレッシングがかかり、魚のマリネと一緒に和えられている一品は、食べるだけで疲れが吹っ飛びそうだった。
気付けばあっという間になくなってしまう弁当。
入っていた小さな焼き菓子を平らげると、二人ともふぅと満足げに吐息をこぼす。
木陰から差し込む太陽の光に、ヘルベルトが思わず目をすがめる。
ローゼアは何を考えているのか、遠くを見つめてぼうっとしていた。
遠くから聞こえてくる夏の虫達の鳴き声が、なかなかにやかましい。
けれど不思議と、それが不快ではなかった。
外の気温はずいぶんと高い。
二人とも汗をダラダラと掻いている。
額に掻いた汗が下っていく。
顎下から喉へ、そして服まで届くと、服に小さな染みを作る。
雲一つない快晴。
空はどこまでも青く、青々と茂る草木は生命の力に満ちあふれている。
「……」
「……」
特に何か会話を交わすわけではない。
気まずさを感じない、心地の良い沈黙が続く。
「兄さんは……」
「ああ」
「ここ数年のことを後悔していますか?」
ヘルベルトは全てが馬鹿らしくなりやけっぱちになってしまうまでは、弟達に対して常に良き兄であろうとしていた。
だが今は不思議と、飾らない自分を出せるような気がした。
ヘルベルトは何時だって格好つけではあるが……他でもない弟のローゼアになら、自分の弱いところを見せても良いのではないかと、思えるようになっていたのだ。
果たしてこれは良い変化なのだろうか、と自問自答しながら答える。
「目が覚めてからというもの、後悔しなかった日は、一度としてなかったな」
「……そう、ですか」
正直に言われると思っていなかったローゼアは、目を見開きながら頷く。
二人で遠くの青空を見上げる時間が続いた。
「……すまなかったな。ローゼア、お前には特に……色々と、要らぬものを背負わせてしまった」
ヘルベルトは立ち上がり、頭を下げる。
ローゼアの身体がピクリと動くが、頭を下げているヘルベルトからは、どんな顔をしているのかはわからなかった。
「過ぎたことは……仕方がありません」
くるりと、背を向けるローゼア。
顔を上げたヘルベルトは、弟の背が自分が思っていたよりもずっと伸びていることに気付いた。
自分はここ最近、変わるために頑張ってきた。
だが千変万化、変わらないものなどこの世には存在しない。
ローゼアだって、変わっている。
人は少し目を離した隙に、想像もできないほど変わるものなのだ。
「たとえ次男であれ、領主教育を受けたことは無駄にはならないはずです。というか、無駄にならないようにしてみせます。兄さん、僕は将来――分家を興すつもりです。これ以上、後継者問題で家を割りたくもないですし」
「……重ね重ね、すまん」
マキシムがヘルベルトを見限り、ローゼアが公爵家の跡取りと内々に決められていた名残で、現在のウンルー公爵家の中には、未だローゼアが跡取りには相応しいと考える者が一定数いる。
これは下手をすれば、御家騒動に発展しかねない。
だがたしかにローゼアが分家を興してしまえば、問題は全てなかったことになる。
「謝まらないでください。謝るだけでは、何も変わらないですから」
「それなら、何をすればいい?」
「それなら――約束を」
「約束?」
「はい、もう二度と――皆のことを、悲しませないようにしてください」
ローゼアがくるりと向き直ると、小指を出してくる。
ヘルベルトはしっかりと頷き――自分も小指を出した。
指をつなぎ合わせ、約束する。
もう二度と、誰かを悲しませたりすることがない人生を送ると。
「――それじゃあ、行きましょうか」
「ああ」
二人の間に広がる空気は、以前と比べるとずっと明るくなっていた。
こうしてローゼアとのわだかまりも完全に解け……二人はまた気安く話せる間柄に戻るのだった――。
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