模擬戦
アリスはちょうど空いていたということで、ヘルベルトの隣に座ることになった。
ふわりと香るのは、甘くどこか奥に芯のあるような香り。
帝国で人気と聞いたことがあるキンモクセイの香水だろうか。
「少しお父様に無理を言ってもらいまして、留学させてもらうことになりましたの。期間は一ヶ月しかないのですけれど……その間に、お互いのことを知ることができたらと思います」
「あ、ああ……」
押しが強いアリスを前につい言葉が引っ込んでしまったヘルベルトだったが、彼は眼前に見えるネルの背中を見て我に帰る。
たとえ相手が自分より格上の貴族の娘で、今後の両国の間の問題になりうる可能性があろうとも、言うべきことはきちんと言わなければならない。
「アリス嬢」
「どうかアリスと呼んでください」
「アリス、俺には既に婚約者がいる。だから今回の見合いというのは――」
「知っています。でもネルさんとの婚約は一度、破棄される寸前までいったとか? であれば私にも目はあると思っているのです」
帝国の情報を舐めないでくださいな、とアリス。
たしかに傍から見ると、ヘルベルトとネルの関係性はそこまで上手くいっているようには見えないかもしれない。
別に二人はそこら中でベタベタとくっついているわけではないし、ネルのヘルベルトへの態度も人によっては冷たく見えることもあるだろう。
「だが、俺は――」
ヘルベルトはなおも言いつのろうとするが、アリスがグッと近付いてきたかと思うとヘルベルトの口を人差し指で塞ぐ。
一瞬の間の出来事で、対応が遅れる。
それにしても――速い。
ただの速歩ではなく、ぬるりと自然な動作だった。
間違いなく武術をたしなんだ歩法を体得している者の動きだ。
どうやらこの少女、ただのじゃじゃ馬なわけではないらしい。
「皆まで言わずともわかっております。ですがそれ以上言うのは殿方として野暮というもの……できればあなたに、私のことを見ていてほしいのです」
「ああ、わかった」
そこまで言われてしまえば、ヘルベルトとしてもそれ以上言えることはない。
アリスが着席すると先ほどまで置物のようになっていたメリンダ女史が動き出し、ホームルームが終わる。
休み時間に入ると、アリスはあっという間にクラスメイトに囲まれていた。
笑いながら話をするアリスを見ながらヘルベルトは思っていた。
果たして彼女はなぜ、そこまで自分に対して執心しているのだろう……と。
アリスは一瞬で男女とものクラスメイト達の話題をかっさらっていった。
「はい、そこはx=3です」
「王国歴七百二十三年です」
「先生、そちらのスペルが間違っています」
彼女は見目麗しいだけではなく、頭を切れる。
才色兼備を地で行くアリスに女子は羨望の視線を向け、男子はわずかに頬を染める。
そのうちの幾人かがヘルベルトの方にきつい視線を向けていたのは、彼の勘違いだと信じたいところだ。
昼休みが始まると、アリスはあっという間にクラスメイト達の人の波に飲み込まれて見えなくなった。
少しだけホッとしながら教室の外へ出ると、既に出ていたマーロンの姿がある。
「おつかれさま」
「本当にな……」
二人でいつものように闘技場に出かける。
かつては秘密にしていた昼休みの模擬戦だったが、彼らが生徒会になった時点で、大々的に公表されるようになった。
系統外魔法の使い手二人が休み時間を削ってまで練習をするというひたむきな事実の前に、文句をつける生徒はいなかった。
けれどそれだけではヘルベルト達も居心地が悪いだろうということで、今までイベントごとにしか使われていなかった闘技場が、新たに放課後や休日に申請をすれば使うことができるようになった(当然ながらその実務を取り仕切っているのも、生徒会である)。
ヘルベルト達が鍛錬しようと闘技場の中に入る。
彼らの邪魔をしないようにと、別段入場規制をしていたわけではないにもかかわらず、今までネルやイザベラを除いて人がやってきたことはない。
けれどそこには、先客の姿があった。
「ごきげんよう、ヘルベルト様」
ツインテールをゆらゆらとゆらしながら、アリスがやってきていたのだ。
ヘルベルト達が出てくる時はまだ教室の中にいたはずなのだが……一体どうやって。
落ち着き払っているように見えて、よく見ると胸が大きく上下していた。
どうやら先回りするために、走ってやってきたようだ。
「見学しても構いませんか?」
「それは……マーロン次第だな。どうだ?」
「俺は別に問題ないよ」
ということで昼休みの模擬戦は、アリスに見られながら行うことになった。
彼女は帝国の人間なので、あまり二人の情報を持ち帰られてもつまらない。
なので二人とも魔法は使わずに、全力を出すことにした。
未来の勇者と賢者である二人は、ロデオによる肉体作りを乗り越え、更にグラハムという実践的な師を得たことで、その実力は既に同年代では太刀打ちのできないところまで向上している。
二人とも練習相手が誰も彼も強力な人間のためにいまいちピンとは来ていないが、今年二人のどちらが『一騎打ち』に出たとしたら、間違いなく敵う者はいないだろう。
ヘルベルトが取り寄せたエルダートレントの木剣は、なかなかに質が良かった。
どれだけ叩き合っても傷がつかず、試しに思い切り振ってみてもほんの一瞬刀身がたわむ程度。
一息つくことができるまで戦い続けても、まだ大分余裕がありそうだった。
「ふぅ……」
「素晴らしいです、ヘルベルト様!」
気付けばアリスが、ヘルベルトのすぐ後ろにやってきていた。
彼女の手には何かが握られている。
よく見てみるとそれは、シロップに浸かっているレモンの。
「帝国で古来より愛されている伝統デザートです。運動の合間に食べると身体の調子がすこぶるよくなると評判なんですよ!」
「おお、そうか……」
食べてみると、たしかに素朴で優しい甘さがあった。
拭くものがなかったので手を練習着で拭こうとすると、アリスにギュッと手を握られる。
彼女が両手に持っているおしぼりで、しっかりと綺麗にさせられた。
それを見て彼女より少し離れたところで様子を観察していたケビンが悔しそうな顔をしている。
どうやら帝国の貴族令嬢ということで、手出しを控えているようだ。
「いくら殿方とは言え、限度がありますよ」
「そ、そうか、すまん……」
「大きな手、ですね……(ぼーっ)」
「どうかしたか?」
「い、いえ、なんでも! なんでもございません!」
「そ、そうか……」
なぜか顔を赤くしていたアリスを見て首をかしげるヘルベルトだったが、どうやら体調が悪いわけではないらしい。
それならばと気を取り直して、再びマーロンと戦い始める。
時折チラチラと移るアリスのことは気になったが、何度も視界に入るうちにすぐに気にならなくなった。
木剣はかなり丈夫そうなので、これなら時空魔法を使っても保つかもしれない。
こうしてヘルベルト達は久しぶりに魔法を使うことなく、純粋な剣術だけで昼休みの模擬戦を終える。
たまにはこういう剣技を磨く時間があってもいいなと思うヘルベルトであった。
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