第297話
第297話です。
カタカタという物音で目が覚める。まだ頭が痛いので体は起こさないが、目だけは開けることにした。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
そう言う先輩の手には、俺の全く見覚えのない厚底の皿と、そこから湯気を立たせているお粥の姿が見える。
「作ってくれたんですか?」
「うん。食べないと体は元気にならないし、何よりもう後輩くんが寝てから起きるまで結構時間が経ってるからね」
そう言われて初めて気がつく。
壁にかかる時計を見ると、先輩がくる着前に見た時間から約3時間ほどが過ぎていた。俺は先輩が訪れてから10分としないうちに寝てしまったので、実質3時間寝ていると言っても過言ではない。
「多分、体が元気でもこの時間は普通にお腹がすいちゃうだろうからさ。あ、お皿は良さげなのがなかったから私の家の物を使ってるから。このお皿は今後のためにも置いて帰るよ」
そんな話をしつつ、先輩は俺の横たわるベッドの近くまで寄ると、お盆に乗ったお粥をスプーンで掬い始める。
「ちなみにだけど、食欲はある?」
「無くはないですけど」
「じゃあ、これくらいなら食べれそうだね」
ふーっふーっ、とスプーンに載ったお粥を先輩は唇を尖らせて冷まそうとする。今をときめくガールズバンドのボーカルがたった今、目の前で俺のためだけにこうしてお粥を冷ましてくれるというこの現状もなかなか面白いものだが、それよりも憧れの先輩にこうやって良くしてもらえているという事実に、俺は何とも言えない幸福感に包まれる。
風邪を引いたのに幸福とはなんとも皮肉な話だが、それでも嬉しいものは嬉しいのだ。
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
少し気恥しいなと思いながら、けれどせっかくのチャンスを台無しにするわけにはいかない。俺は羞恥心を捨て、先輩に甘えることにする。
「どう?美味しい?塩と砂糖間違ってない?」
「大丈夫です。ちゃんと美味しいです」
「ほっ、なら良かった。いやぁ、お粥を作るのなんて初めてだから心配だったんだよね。実験的に作ったこともないし、何より工程すらもあやふやだったんだけどさ。けど、美味しかったんなら良かった」
安心した表情で笑う先輩の笑顔はただひたすらに綺麗だった。その笑顔がお粥よりも何よりも体を元気にしてくれる。
「……俺、先輩と出会えて本当に良かったです」
「急になぁに?」
ふふっ、と笑いながらそう尋ねてくる。
傍から見れば、体調を崩して少しセンチメンタルになったようにしか見えないだろう。実際そうだろうし、けれど言いたいことは全部本音なので。
「多分……あの日授業をサボらなかったら、俺が先輩と会うことなんてなかったんです。ずっとすれ違ってばかりの言葉すらも交わさない、赤の他人でしかなかったんです。けど、あの時の決して褒められはしないけど、あの選択をしたから、今日の俺があって、今日の出来事があるんです。それに、こうやって先輩と関わることがなかったら、アスナさんやメグさんとも出会わなかったし、Chatnoirのことを側で見ることも無かった。全部あの時、あの瞬間に運命が決まったような気がするんです」
「……確かに、そうかもね」
「だから、俺やっぱり先輩と出会えて良かったです。先輩と出会えたから、初めて好きな人も出来ましたし」
「……好きな人?アスナちゃん?」
そう聞かれたが、俺は首を横に振る。
俺が好きな人は、いつも明るく優しくて、ちょっとサボっちゃう決して優等生ではない先輩なのだから。
「俺は……先輩の事が好きですよ」
「私?」
「はい。それはそれは、この世の何よりも大好きです」
「……面と向かって言われると、さすがに恥ずかしい」
「ふはっ。すみません。けど、今までそんな事を話した事も無かったですから、ちょっと加減が分からないんで。なので出来るだけ頑張って耐えてください」
「え……?」
「今から先輩の好きなところ、ひたすら羅列します」
そんな会話を風邪で倒れた男子大学生と、ガールズバンドのボーカルがお互いの羞恥心と戦いながらひたすら続けるのだった。
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