第289話
第289話です。
「先輩、マンションに着きましたよ」
揺られる背中の上でそう言う声が聞こえてくる。私はしょぼしょぼとした目を開けながら、むくっと首だけ起こした。当たりを見回せば確かに私の住んでいるマンションが視界に映る。
「部屋まで連れてって……」
私はそうとだけ残すとまたこてんと頭を彼の背中に預けた。
「連れてってと言われましても鍵が……」
「あるぞ」
「あるんかい」
アスナちゃんと後輩くんの話し声。私の部屋に入るための手段があったからか後輩くんは少し驚きつつもすぐに切りかえて、じゃあ行きますかとまた歩みを進めた。
マンションの入口は完全なオートロックで鍵、もしくはパスワードを知らなければ中に入ることは基本できない。しかし、私以外にもこのマンションに住む人物がここには2人存在するので、その関門を突破するのは容易い事だ。
エレベーターで私達の部屋のある階まで移動したらしく、耳には反響した足音が聞こえてくる。
「鍵開けるから少しだけ待ってて」
そう言うアスナちゃんの声。直後に鍵穴にガチャりと差し込む音が聞こえてきた。
「開いたぞ」
「ありがとうございます」
後輩くんはそう言ってから歩き始めた。部屋の中に入ったのか、部屋に置いてあるアロマスティックの香りがしてくる。
「おじゃましまーす」
靴を脱いで上がる後輩くん。アスナちゃんが私の靴も脱がしてくれたらしく、少しくすぐったかった。けど、色々してもらっている側だから文句は言わない。
あれ、そう言えば部屋の掃除してたっけ。
ふとそう思ってしまった。
普段は夕方に色々したりするのだが、今日の収録はその夕方から現場入りと、割と予定をつめつめで入れていたのだ。ゆえに全く何もしていない。
掃除機はかけていなくても散らかっていなければいいのだが、服が散乱していた場合は目も当てられないぞ。どうしよう。
ただ後輩くんの背中で揺られるだけの私には何も出来ず、尚且つ今は寝てはないもののずっと目を閉じている状態なので周りの状況も把握しきれてはいない。目を開ければいいだけなのだが、やはりそれ以上に眠たいが勝ってしまうのだ。
どうしようかな、なんて内心思っていると後輩くんの足が止まった。ついに見られたか、と思ったが、どうやらそうではないらしい。
「京弥、少しだけそこで待ってろ。一旦部屋の中確認する」
「確認?」
「カオリさんの下着とかがあったらいけないからな。それの確認」
「あー、了解です」
「ん、ということで少し待ってろ」
あれ、もしかして助かった?アスナちゃんが気を利かしてくれたのか、私はギリギリのところで神回避をすることに成功する。お陰様で少なくとも悲惨なことになっている可能性はこれで完全に消えた。
「いいぞ。部屋は特に散らかってなかった。まぁ作詞中の紙はいっぱいあったからそれはまとめといたけど」
「作詞ですか。何作ってるんですかね」
「知らん。基本は全部おまかせだからな」
「へ〜。さて、ベッドに寝かせないと」
「手伝う。メグさんもお願いします」
「はい」
おぉ、久しぶりに聞こえたメグさんズボイス。てっきり帰ってたのかと思った。
ゆっくり降ろされる感覚に身を委ねながら私はそのままかけられる布団にぬくぬくと丸まり始める。
「よし、じゃあ帰るか」
「ですね。長居してもあれですし」
後輩くん達はそう話すと部屋の電気だけ消してすぐに玄関の方に向かって歩き出した。鍵をかける音がしたので、多分誰かが持っていてくれている。
暗くなった部屋の中で私はパッと目を開けた。
さっきまで3人も人がいたのに、嘘みたいに静か。
カーテンの隙間から入り込む街灯の青白い光をボーッと眺める。
寝よう。
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