追いかけっこ終わり
男は盗人だった。無論、生まれてからずっと盗人の訳ではない。身体強化魔法という警吏や兵士などの職業魔法に恵まれた農家の出だった。
身体強化魔法は農家の力仕事で十分に役立つ魔法でもある。だが、村の農家よりも街の警吏の方が稼ぎが良く、幼い弟妹のために男は警吏になることにした。
しかし残念なことに、ここロロンでの警吏の採用試験に落ちてしまったのだ。男はその村では優秀で有名だったため、誰もが受かると信じきっていたし、男もプライドが高く、試験に落ちたなどとは口が裂けても言えなかったのだった。
それでも働かなくては生きていけない。男は次の警吏の採用試験に挑戦するまでの間、配達局員として働くことにした。もちろん、男は飛行魔法など使えやしないのだが、配達局に集められた荷物の仕分けをすることになったのだ。力仕事だけでなく、地域ごとに荷物を振り分け一纏めにする仕事などなど、やりがいのある仕事ではあった。
配達局員の稼ぎというのは農家よりは高いが、警吏よりは安い。だから仕送りするとかなりカツカツになる。
さらに、物価が最近高くなってきた。噂によれば、鍛冶屋、薬剤師、仕立屋などの腕が落ちてきたとかで、魔道具の値段も鰻登りだそうだ。と言っても、もともと魔道具を買う余裕なんてなかったので、関係ないが。
そんなわけで、男には金がなかった。物価は上がっても給料は変わらない。仕送りもしなければならない。そんな矢先、男はある物を拾った。壊れかけの魔道具である。壊れかけだとしても、効力を発揮する魔力回路さえ壊れていなければ高値で売れる代物だ。男の予想通り、一つの壊れかけの魔道具で給料の半分ほどの収入が得られた。男はこれに味を占め、繰り返し壊れた魔道具を血眼になって探し売った。しかし、探すよりももっと楽な方法があった。
盗みである。男は黒い噂の絶えない商家から盗むことにした。盗んだことがバレても、警吏や魔術師団に通報が行かないようにするためである。身体強化魔法なら二階から忍び込むなんて朝飯前。逃げ切る脚力も十分にある。身体強化魔法の汎用性が見事に悪用された例だった。
魔道具を盗んでいるうちに多少目利きが出来るようになってきた。じっくり見れば、相場を大きく外さないくらいには価値はわかる。だから、男はルリィの巾着袋を盗んだ。何故だか、一目でわかった。これはすごい代物だと。そう思わせるオーラみたいものがあったのだろうか?いや、それはわからない。だがこれを逃すのはひどく惜しいと感じた。
そうして盗んでみたらどうだ。無限を思わせるこの巾着袋は男にとって宝箱のようだった。魔道具が次々と出てくる出てくる。これを全部売り払ったら、一生遊んで暮らせるんじゃないかと思うほどに。
しかし、運の悪いことに元の持ち主と思しき人物が追いかけてきた。この宝箱ならぬ、宝袋を渡してなるものか。よおーく見れば魔術師で魔道具作りをしているルリィじゃなかろうか。さっさと返すが吉だが、男には妙なプライドが生まれていた。これまでに盗みが失敗したことはない。そして魔術師から魔道具を盗み遂せたら、俺を捕まえられるものは誰もいないのではないか。そんな欲望に目が眩み、男は無心に走り続けた。
「わたしから逃げようなどと百年早いのですよ」
不敵に男の眼前で笑む、大人の女性というにはやや幼い容貌の女。屋根上ではやはり目立つと思い、タイミングを見計らって下に降りてからだいぶ経った頃だった。いつのまにか回り込まれてしまったらしい。
「さあ、神妙にお縄につくのです!」
「つくわけねーだろうが!!」
そう吐き捨て高速で回れ右をする。拘束も何もされてないのだ。まだまだ逃げられる余地はある。思いっきり地面を踏み込む。脚の回転数をトップギアに持っていく。
「ふふふ」
やけに涼やかな笑い声が耳にこびりついていた。
「なんでだよっ!」
どこへ行ってもどこへ行っても、あの魔術師は男を先回りする。そしてだんだん逃げられる範囲が減っていく。捕まるのも時間の問題だ。
「ふふふ」
「なんなんだよおっ!気味が悪い!」
「そう思うのなら早く捕まるのです。その袋を返して欲しいだけなのですよ、わたしは」
男は気味の悪さに涙を滲ませながら、ぎゅっと踏み込んで身体を捻り逆方向に走り出す。しかし、もう男は限界だった。
魔力切れである。馬鹿みたいに魔力が有り余っている魔術師たちとは訳が違う。そして体力ももはや尽きるところだった。ずっと街中を走っていたのだから当然のことだ。
「ふふ、うふふふ」
「うわあああああっ!!」
不気味に笑いながら行手を阻むルリィは、男にとって恐怖でしかなかった。
「大体にして、わたしの可愛い可愛い魔道具たちを盗んだ時点で、かーなーりオコなのですよ〜」
すっと笑みを消して能面のような顔になった。
「覚悟、出来てるのです?」
「ふざけんなああああっ!!」
力任せにルリィをぶん殴ろうとした。実際に拳がルリィの顔面にめり込む。しかし沈み込むような感触で、人を殴ったような手応えは感じなかった。よろよろっとルリィが後ずさると、ボロボロと崩れていった。
「は、はあっ?」
肉体は土塊となり、小山を築く。その後ろからルリィが現れた。未だ能面の様な顔で。
「なんだよっ、気持ち悪いっ!」
恐怖で顔を引き攣らせながら、拳を繰り出す。が、またしても土へと還るだけ。そしてまたルリィが現れる。
「俺が何したってんだよおっ!ただ俺はただっ!」
「はあ?何言ってるのです、落とし物を盗んだら立派な窃盗罪、なのですよ?なのに何もしていないだなんてよく言えたものです。さ、こちらにそれを渡すのです」
「うるせええっ!」
男は怒鳴りながら腕をぶんぶん、ぶん回す。次々に土塊が積もってゆく。一体全体なんの魔法か知らないが、先ほどからの奇妙な現象は魔法によるものだろう。しかも相手は魔術師。特別な魔法を使われているのかも知れない。
「うらああああああああっ!」
所詮、魔法の才に恵まれている魔術師に敵うはずがなかったのか。畜生畜生!なぜだ。村ではなんでも一番で、誰もがこぞって俺のことを褒めてくれていたのに。父さんは優しい眼差しと手つきで自慢の息子だと褒めてくれていたのに。警吏になって出世して上手くいくはずだった俺の人生はどこから変わったんだ。ああもう、全部全部こいつらのせいだ。こいつら魔術師の……
恐怖から怒りへと感情が移り変わって行く。
「魔術師なんかがなあっ、ちょっと魔法が使えるからって調子乗んじゃねえええっ!」
「逆ギレなんてモテないのですよ」
「うるせえうるせえ!そうやって俺らのこと見下してんだろ?!大体にしてあの大罪人さえいなければっ!俺は普通に暮らせてたんだよ!いいよなあ?お前ら魔術師は!なんでも好きにできてよ!実際は罪人一人すら捕まえられない無能な集団のくせに」
「っ……」
一瞬男の言葉にルリィは痛いところを突かれたように顔を歪めた。その隙をついて再びダッシュを仕掛ける。三角飛びの要領でルリィの脇を通り抜けてそのまま大通りへと躍り出た。
お天気魔法でずぶ濡れになった服や体はまだ生乾きだが、濡れた直後の時のように足跡がついたりはしない。人波を縫うようにして進んでいく。後ろの様子なんて気にしないでこの場を離れることに集中する。確かこの先は無駄にでかい平和の像とやらが置いてある広場のはずだ。お昼時のこの時間は、近くに飲食店が何軒かあるのでそれなりに混雑している。
「待っ、待ちなさいと言っているのです!!すみません!窃盗犯を追っています、通してください!!」
ルリィがそう叫ぶと、人々はどよめきながらもモーセのように人波が分かれていく。まずい、逃げなくては。
足に力を込め、怒鳴りながら駆け抜ける。怯えた人々は道を開けるが、一人の男が道を塞いでいた。
「退けろ!」
「あーっ!ヘルザさん?!その男、捕まえてください!!」
男性にしてはちょっと長めの銀髪を後ろで一纏めにした美丈夫。ここロロンの領主、ヘルザ・ハーンだった。
「ルリィ!てめえは何してやがんだあ?」
「お叱りなら後でなのですよっ!その男、窃盗犯なのですよ!捕まえてください!」
「ああん?」
ヘルザは凄みながら三白眼で男を睨めつけた。
「ここで盗みたあ、いい度胸してんなあ?アア?」
そのあまりの瞳の鋭さに男は蛇に睨まれた蛙のように体が硬直してしまった。
「最後通告だ。大人しく捕まれば窃盗罪だけで許してやる。抵抗又は逃亡すれば妨害罪追加だ。いいな?」
ヘルザが言い終わると同時に金縛りが解けた男はまた逃げた。ただ今度の逃走は盗みのためではなく、ヘルザが恐ろしくて逃げたのだ。
「あーあ、せっかく忠告してやったのによ」
ニヤァと邪悪な笑みを浮かべたヘルザは、デコピンをした。とは言ってももちろん、実際に男の額にやったわけではなく、五メートル以上の距離がある。ぐぐぐっと中指に力を込めて男に向かって思いっきり弾いた。すると男はまるで見えない弾丸に撃たれたかのように背中をしならせ倒れた。
でもこの男の根性は並でない。呻きながらも立ち上がりどうにかして逃げよう逃げようと足を前に運ぶ。
「……いい根性してんなぁ」
ヘルザはまたデコピンの構えをして今度は足を狙う。しかし、男は先ほどのダメージが抜けていないのかバランスを崩し、ヘルザの攻撃は外れた。
結果、広場の石畳に直径一メートルのクレーターが出来た。直撃していたらと考えると恐ろしい威力である。この魔術師、骨でも折にきている。
「あ、あのうヘルザさん、やり過ぎでは……?」
「言葉で通じねえ奴はこういう風に訴えるしかねえんだよ。あ?まぁだやる気か」
窃盗犯の男は身の危険というか命の危険を切実に感じているため、捕まりたくないという欲求よりも、ヘルザに殺されそうだから逃げたいという欲求の方が強い。なので、広場の中央にある像に張り付く。これで像を巻き込まないために攻撃してくることはないはずだ。
「私が穏便に済ませようと思うのです。ヘルザさん、落ち着いて……」
「あ、なんかあいつルリィのなんか使おうとしてんぞ」
そう言われて男の手元に注目してみれば、無限巾着を漁り、何かを取り出しているのが伺える。
「あっ、あれはぴょんぴょんウィンガーボム!あ違う違う。そうじゃない!そうやったら壊れる!ちょっ、一回やめて!危険危険!ちょっと周りの人出来るだけ離れて!お願いだから一回起動させんのやめ……」
ぼか〜ん!!
そんな間抜けな擬音の爆発で、像には大きくヒビが入った。グラグラと像の足元から倒れそうになっている。爆発させた張本人は気絶している。
「ああよかったあ。どうにか使用者ガードシステムが発動したようなのですよー」
「よくねえだろうが!像ぶっ壊れてんじゃねーか!!」
すでにヘルザは像の元へと駆け寄っていて、浮遊魔法を像に適用させながら、支えている。
「つーかなんで爆弾なんぞが入ってるんだよ!」
「あれはまだ試作品で、ゆくゆくは爆発する靴になるのです!爆弾じゃないのです!」
「んなあぶねーもんが売れるわけねえだろうが!アホか!」
「危なくないのですよ!一足で十里かける魔物のウィンガーのように、この靴を履けば爆発によって百キロ進むという驚きの魔道具なのですよ?!」
「爆発によってってところがダメなんだよ!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいる魔術師たちを遠目に見ながら、人々はゆっくりゆっくりと日常に戻っていったのだった。
壊れた像の後片付け(供養してからヘルザが殴って粉砕)した後に、像の再建を手配して、窃盗犯を警吏の駐在所に突き出して、ついでにヘルザがルリィに拳骨を落として、そうしてからヘルザとルリィはメルタの元へと向かったのだった。




