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六十九 情念

 ひんやりとした何かが額に触れる。そのままその何かが額の上に乗っているような感触を、門大は覚える。なんだろう。冷たくって、気持ちがいい。門大は(かす)かに覚醒した意識の中で、そんな事を思う。


 つつつーっと、冷たい何かが、門大の、額の上の何かから流れ出し、こめかみを抜けて、耳の裏の辺りまで行くと、後ろ髪の毛を伝い、雫となって、布団の上に落ちた。


 なんだ? 水か? そういえば、なんか、酷く、喉が渇いた。門大は、そう思うと、額の上に乗っている何かに向かって手を伸ばす。指の先に、濡れていて柔らかく、乱暴に扱うと、すぐにでも、壊れてしまいそうな何かが触れた。その濡れた何かをそっと掴むと、どこかで聞いた事のある、鳴き声のような物が聞こえた気がしたが、門大は、喉の渇きを癒す事に夢中で、その鳴き声のような物を無視して、濡れた何かを口の所に持って行き、その何かを口に含む。


「ミャアッ!?」


 もう一度、聞いた事のある、鳴き声のような物がする。


「むう~ん」


 門大は、その鳴き声のような物に答えるように、唸りながら、口に含んだ何かをじゅじゅっと吸った。冷たい水を含んでいる何かには、毛のような物がたくさん生えていて、吸う度にその毛のような物の間から、冷たい水が流れ出て、門大の乾いた喉を潤してくれる。


 何度か吸っていると、水が出なくなった。


「む~ん。みぐぅ(みず)~。まだか(た)りない~」


 未だに微かに意識が覚醒している状態を維持している門大は、誰にともなく言いながら、まだ口の中にある何かを、舌を動かして、その物の隅々まで舐め始める。毛のような物の間に、ぷにぷにとした何かがあり、更にその先には、硬くてつるつるとしていて、先の尖っている何かがいくつかくっ付いている。門大は、そのぷにぷにとした物の感触を気に入ると、そのぷにぷにとした物を重点的に舐めた。


「ミャ、ミュ、ミャミャ。ミュミュ、フ、ッスン」


 今までの物とは、どこか、違っているような、鳴き声のような物が、門大の舌の動きに合わせるようにして、途切れ途切れに聞こえて来る。


「みぐぅ(みず)~」


「ミャミュウゥ。 ミャームゥー。ミュミュミャミャムミャウゥ」


 先ほどの物とは、また、違っていて、今度は、何度も聞いた事のあるような様子の、鳴き声のような物がして、少しの間があってから、門大の唇に、今、口に含んでいる物とは別の、濡れた何かが触れる。


 門大は、その何かを、手でそっと掴むと、今まで口に含んでいた何かを口から出して、新たに現れた濡れた何かを口に含んだ。


「ミャミャウゥ。ミュミュミャムムウゥ」


 どこか、諦観(ていかん)しているような、優しい感じのするような、鳴き声のような物がする。


 門大の頭の中に、唐突に、あれ? 今のって、クラちゃんの鳴き声か? いや、まさか、そんな。いやいやいや。どう考えても、クラちゃんの鳴き声だろ! という閃きが走り、門大の意識は急速に覚醒して行った。


「むむ? クラひゃん(ちゃん)?」


 門大は目を開けた。


「ミャ、ミャヤン」


 子猫が鳴いて、門大の口の中から前足を引き抜き、額の上からくるりと、体を横向きに回転させるようにして、枕元に降りる。


「クラちゃん? ええと、ええっと、い、い、今のって? ま、ま、まさか、い、いや、まさかじゃなくって、あれだよね? ク、クラちゃんの前足、だよね? ご、ごめん。で、で、でも、悪気はないんだ。喉が渇いてて。寝ぼけてて。気が付いたら、吸ってて」


 門大は、子猫の方に顔を向けながら言った。


 子猫が、潤んでいて、憂いを含んでいる目で門大を見る。門大は、子猫の目を見た瞬間に、どきりとして、心臓が一つ、大きく脈打ったのを感じた。


「ミャミュミュス。ミャミャミャウ」


 子猫が、恥じらうように、目を伏せ、鳴いてから、頷く。


「クラちゃん」


 門大は言って、喉を鳴らして、唾を飲み込む。


「ミュン」


 子猫が、鳴いて、伏せていた目を、微かに上げる。子猫の目には、なぜか、優しい光が宿っていた。


「クラちゃん。あの、その、ありがとう」


 門大は、子猫の目から、視線を外せなくなり、じっと、子猫の目を見つめる。


「ミャフミャス」


 子猫が鳴いて、また、目を伏せた。


 門大は、何も言わずに、伏せている子猫の目を見つめ続ける。


「ミュ。ミャミャン」


 子猫が、微かに目を上げたが、門大と目が合うと、慌てた様子で、鳴いて、目を伏せた。


「あ、ああ。ちょっと起きようかな」


 門大は、言って、名残惜しさを感じながらも、子猫の目から視線を外すと、体を起こそうとする。


 おっふ。駄目だ。体が、まだ、だるい。まだ、熱があるみたいだ。これは、このまま、また寝ても、よくならなそうだぞ。とりあず、一度起きて、水を飲んで、そうだ。どこかに薬があるかも知れない。探して薬を飲もう。門大は、そう思うと、体に、今まで以上の力を入れて、無理矢理に、体を起こした。


「ミャミャミュ。ミャミャミュミャス」


 子猫が鳴いて、片方の前足を上げ、足の先を、もう一つのベッドの方に向ける。


「ん? 何か、あるの?」


 門大は、子猫が、前足で指し示す方向に、顔を向ける。


「門大。門大。大丈夫ですの?」


 もう一つのベッドの上にあった、ホワイトボードと、書かれている文字と、何度も文字を消した跡と、ホワイトボードの上に置かれている、ペンとキャップとが、門大の視界の中に入って来た。


「クラちゃん」


 門大は、言ってから、ペンのキャップと、キャップとペンとの境の部分が、酷くぼろぼろになっているのに気が付くと、もう一度、クラちゃん。と言って、子猫の方に顔を向ける。


「クラ、ちゃん?」


 門大は、今度は、子猫の全身が濡れている事に気が付き、そう言った。


「ミャフ?」


 子猫が、不思議そうな顔をして、鳴いてから、首を傾げる。


 クラちゃん。君は。君は、どうして。どうして、俺なんかの為に、そこまで、してくれるんだ。ペンのキャップを、必死に外してくれたんだね。何を書こうかって凄く悩んだんだね。その体は、熱を出してる俺の為に、濡らして来てくれたんだよね? 俺は、なんで、すぐに、クラちゃんの体が濡れてるって気が付かなかったんだ。考えればすぐに分かったはずなのに。まったく、俺は、なんて情けないんだ。それに比べて、君は。駄目だ。今、何か、言葉を出したら、俺、泣いちゃう。と門大は思うと、体調の事などすっかり忘れて、立ち上がり、急いで脱衣所に行き、バスタオルを持って戻る。


「クラちゃん」


 門大は震える声で言う。君は、なんて無茶をするんだ。そんなに体を濡らして。君まで熱が出たらどうするんだ。門大は、そう思いながら、子猫の体をバスタオルで(くる)むと、声を殺して泣きつつ、子猫の体をバスタオルで拭き始めた。

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