表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/39

二月、晴れ その④






「……すばるさんはそれでいいの?」

「それがいいんです」

「うちのお嫁さんは肝が据わってるな」

「お嫁さんじゃありません」

「まだね?」

「……まだです」

「僕たちに子ども(きみ)を喪えって?」

「そんな気はありませんけど」

「……それでも……僕にはできないよ」

「私がやるからな!」


ドアの外から英里紗の声が聞こえる。


「もしかの時は、私がすばるさんを殺してあげる!……ひとり減るのも、ふたり減るのも同じだもん! 清水が助かれば良いだけの話だもん! そしたらすばるさんがもれなく付いてくるもん! お得じゃん!!」

「英里紗さん……」

「莉乃が教えないなら、私が教える! へなちょこ莉乃! 私はすばるさんの味方だかんな!」

「…………どう、すばるさん。豪胆なくせに罵声がへなちょこって、ウチの奥さんかわいいと思わない?」

「……ふふ。……はい」


ぐしゃりと歪ませた顔を、莉乃は無理やりにこにこに作り替えた。




魂分けは三度とも同じ手順を踏まなければならない。


どれかひとつでも順番を違えたり、省略しては成り立たない。


三度あるのは、偶然を避けるためでもある。

途中でも引き返せるよう、間違いや軽い気持ちで魂を分け合ってしまわないよう。


それと同時に、お互いの気持ちを確認し合うためでもある。

一生を相手に捧げるということを契る。



古くからあるワーウルフの口伝を、かつて清水に教えたように。

莉乃はすばるに同じことを教える。



まずは内側の体液を混ぜる。

血液が見た目で分かりやすいので、清水がそうしたように、すばるは自分の掌を刃物で切った。

清水の腹を押さえて、傷口と傷口をぴたりと合わせる。


清水の喉が低くぐるぐると鳴っている。

目が覚めたのか、傷に響いたのか、すばるが顔を覗こうとするのと同時に、清水は身を引いてすばるの手首に噛み付いた。


「……清水さん」


ぎりと牙が食い込むが、肌を突き破るほどの強さではないから、慌てて手を引っ込めたりはしなかった。


すばるの手首を噛んだまま、喉からはっきりと低い唸り声が漏れている。


「まさかの清水君が拒否とはねぇ」

「……なんですかこれ 。え?……私フラれたんですか? もしかして」

「あ……話聞いてたね」

「私が死ぬとか死なないとかの話ですか?」


返事のように唸りが少し高くなる。


「ねぇちょっと清水君、なんの遠慮? それとも怖気付いたの?」

「今までのことは遊びで、飽きたらすばるさんを捨てる気だったんか! ママはお前を見損なったぞ!!」


すばるの手首を離すと、反論するように短く吠えた。


「……私がまた普通の人と同じように、普通に生活できるように、いつか戻してあげよう(・・・・)なんて上から目線で思ってたとかですか?」


清水からさっきまでの覇気が消え、くるりと耳が後ろへ回り、尻尾はへにょりと垂れ下がる。


「私も甘く見られたもんですねぇ……こっちはとうに覚悟ぐらいできてるってんですよ! キャッチアンドリリースですか! 雑魚だから海に返すんですか! 馬鹿にしてます?!」


ぺたりと寝た耳は叩かれるのを待っているようで、頭はゆっくりとシーツに伏せていく。


「莉乃さん!」

「はいっ?!」

「次は口の中舐めたら良いんですよね?」

「あ、う、うん。そうだね、それが手っ取り早いかな」


ベッドに乗り上がって、清水の背を跨ぐと、それはいつかの逆になったようだと、すばるは口の端を片方持ち上げる。


ぽとぽとと落ちてくる水の球が、背中の毛の上をころころと転がって、それはいつかの時と一緒だと清水の尾が少し振れる。



「毎日のようにプロポーズされて、因果な商売に足突っ込んで、あげく私は拒否られるんですね?……はぁ……ま、嫌われたんならしょうがないですけど…………すみません、英里紗さん、やっぱりご期待には添えないみたいです」

「やだやだ!! すばるさんはウチのかわい子ちゃんなんだかんな!! どこにもやらないんだかんな! くっそ! ふざけんなよバカ息子!! お前の方こそ勘当だ勘当!!」


英里紗が叫びながら、どんどんと破れる勢いでドアを叩いている。


「どうしましょうか清水さん……ホントにやめます? 嫌なら私は良いですけど、別に(・・)

「わぁ……清水君、すばるさんにここまで言わせて。途中までは男らしいとか思ってたけど、かっこ悪ぅぅ」

「さいあく!! だっさーー!!」


唸りながらぞろぞろとすばるの足の間から抜けて出ると、どうにかよろよろと起き上がって座った。


すばるも向き合って正座し、真っ直ぐに清水を見据える。

それを受けて清水も直向きな目を向ける。


「どうしますか? 私は死んでも構わない程度には清水さんが好きですよ?」


ゆっくりと前に来たので、すばるは腕を広げて清水を受け入れた。

ふっかりした首をぎゅうと抱きしめる。


顎の先まで伝ってぽとぽと落ち続けていた涙を、下から掬うように頬を舐める。


くすぐったそうにすばるが身を竦めて笑う。

そうなってやっと涙が止まった。


清水はそれを見届けて、頬を擦り合わせ、鼻先をくっ付け、口の中に舌を入れた。


「一緒にいるって誓って、すばるさん」


莉乃の言葉にすばるはにこりと笑う。


「一緒にいます。ずっとです。誓います」


しっぽがぱたりと一度振れて、ゆっくり、清水は丸くなった。

すぐにそのまま目を閉じる。




寒くないように毛布を掛けて、ひと息ついた頃、すばるはぐるぐると目眩のようなものに襲われた。


天井も床も壁も定まらず、世界が揺れている。


耳のすぐ側に心臓があるようで、身体の芯は寒いのに、肌はちりちりと熱い気がする。


自分が変わっていくのを感じる。

今までの場所を押し除けて、別の細胞が入れ替わっているイメージが頭に浮かぶ。


そうなって初めて窓の外が気になった。


「……あれ……あのナイフ。どこかにやった方がいいですよね」

「ちょ……ちょっと、ダメだよ。無理しないで。顔が真っ青だよ」

「大丈夫です……ていうか、アレがあったら大丈夫じゃないです……捨ててきます、今のうちに」

「ほんと、待ってって! どこかに放り投げられるもんでもないんだから」

「どうしたら良いんですか?」

「達川に回収させないと」

「たっつんさん?」

「今から呼ぶからね? ちょっとの辛抱だよ」

「私が持ってった方が早いです……事務所に連絡しといて下さい」


すばるはコートを着ると、窓の外にあったマフラーごとナイフを掴んで、そのまま玄関に向かう。


莉乃は止めようとしきりに声をかけていたが、その莉乃の心配がすばるにやっと分かった。


莉乃が近付けないのも、英里紗を遠避けようとしたのも、充分に。


たしかにこれは、ワーウルフだけに向けられた呪詛だ。


ここに置いて回収されるのを待つ方が辛い。嫌な感じが増す一方だった。

今ならまだ近付けるので、早いうちにどこかにやってしまいたい。存在を忘れてしまえるほど遠くへ。



すばるは下ではなく屋上に出て、事務所を目指す。


流石に血塗れの姿で公道は歩けない。

しかも上からの方が早い。



前よりも簡単に跳べる感覚に、変わってしまった力加減によろりとしながらも、真っ黒の四角い渓谷の間を跳んだ。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ