第八話『揺らぎ』
殺す。
目の前の男を殺す。
先程戦った暁 黎命よりも殺しやすい相手だ。
いつもの事だ、金と食料の為、明日を生きるだけの為、いつも通り殺す。
どんな武芸者も、剣の達人も、女も、子供も、ただ自分が生きる為だけに殺してきた。
それが最早日常における作業と化していた。それについては何も感じなかった。
だから殺す、目の前のこの男を。
『お前の剣からは信念も誇りも、戦いに対する喜びも、怒りも哀しも何もない!』
――!?
先程の暁の言葉が脳裏を過る。
『感情も心もない空っぽで空虚な剣』
――うるさい。
『それがお前の弱さの正体だ!!』
――黙れ!!
何故邪魔をする。あんな言葉、無視すれば良いものなのに、何故こうも邪魔をしてくる。
『なるほど、お前の正体は畜生だったか』
それの何が悪い。
『何の目標もない』
生きていくだけでいちいち目標なんて要るのかよ。
『お前のような人の姿をした獣』
信念も誇りもない感情も心もない空っぽで空虚な剣それがお前の弱さの正体なるほどお前の正体は畜生だったか何の目標もない人の姿をした獣。
うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
叫びたかった。なのに声が出ない、体が重い、刀が重たい、血を流しすぎたせいか? 怪我をしすぎたせいか? 戦いの疲労が蓄積したせいか?
全て違った。暁 黎命の言葉が、体を重く、縛り付けて動きにくくしている。
なんであんな言葉を真に受けているんだ? それじゃまるで俺の今までの人生を、生き方を否定されたようなものだ。
あの言葉を思い返す度に胸の奥底から熱い何かが込み上げてくる。これはいったいなんだ……!?
ここでようやく烏乃助は気が付いた。
あぁ、そうか、これが『怒り』か。
「……? どうしたのです黒爪殿?」
烏乃助が剣を振り上げたまま動かなくなったのを見て、黒頭巾は烏乃助に声を掛けた。
「何をしているのです? まさか躊躇っている、なんてことは無いですよね? アナタが人一人殺すのにそんなこと考えたりしなかった筈ですよね?」
黒頭巾は暁との戦いで何があったのか知らないし、今の烏乃助の心の揺らぎに気付いてはいなかった。
烏乃助は、ここで剣を振り下ろせば、全て暁が言った事の証明になってしまうと本能的に感じ取った。
――別に良いじゃないか。いつも通りで、今までそうしてきたのだから、今さら生き方を変える必要はない。
心の中で、もう一人の自分が囁く。
確かにそうだ。だが、剣を下ろせば、全て暁の思う壺となってしまう。
自分が心を持たない獣だと証明してしまう。
本当の意味でアイツに負けたことになってしまう。
初めて経験する敗北感を前に烏乃助は、何もできなかった。
「……はぁ」
と、溜め息をつきながら、黒頭巾は烏乃助の右足に手裏剣を投げた。
「ぐっ!? なに……しやがる……」
「それはこちらの台詞です。さっきから何をしているのですか? 勿体振るのはいいですが、いくらなんでも時間をかけすぎです。いつもの黒爪殿ならバサァと一刀両断してたではないですか。今のアナタは変ですぞ?」
今の烏乃助はもう使い物にならないと判断したのか、黒頭巾は懐から一本の苦無を取り出し、烏乃助の代わりに目の前の神官の息の根を止める事にした。
「さぁさぁうずめさん。よぉく見ててくださいねぇ。今からアナタのお父様を殺します。ワタシ達の言うこと全てに完全に従ってくれるようになるまで、これ以上の苦痛をアナタに与え続けますからねー。ヒハハハハハハハハハハ!!」
烏乃助は、そんな黒頭巾を見てようやく自分の間違いに気付き始めた。
――俺は、今までこんな奴等に、人生の全てを捧げるような生き方をしてきたのか?
自分が生きる為だけ、それだけの為に多くの人間の命を奪い、食い物にして生きてきたのか?
殺すしか生きる術を知らない。それは単にそれ以外の生きる術から目を背け、逃げ続けてきた証拠なのではないだろうか?
だから利用されるんだ。自分では何もできない連中に。下らない金と犬の餌のような食料をちらつかせられて、それにハイハイと従っていたのか。
人としての尊厳まで捨てて。
そんな今までの自分に吐き気がし、今まで自分を利用してきた奴等に腹が立つ。
烏乃助は生まれて初めて、身を焦がす程の凄まじい怒りに身を委ねる事になった。
「ヒハハハハハ、は?」
斬っていた。いつの間にか黒頭巾を斬っていた。
今までのくそったれな自分と決別するために。
「そ、そんな、ぎ、ぎゃあああああああああ!!」
「はぁ……はぁ……」
体が勝手に動いていた。まだ、怒りが収まらない!!
「く、来るな! く、ひぎぁあああああああ!!」
黒頭巾と一緒に居た別の神官も斬り伏せた。
「あぁ、あ、あ、ああああああああああああああああ!!」
まだだ! まだ、怒りが収まらないぃぃぃぃぃ!!
ムカつく! ムカつくムカつくムカつく! 誰だ! 俺に下らない生き方をさせた奴等は!!
「全員ぶっ殺してやらぁぁぁぁぁぁぁ!!」
怒りを爆発させる烏乃助を見て、白髪の少女は怯えていた。
今の烏乃助は誰がどう見ても正常には見えなかった。
鬼、鬼が目の前に居る。
鬼神と化した烏乃助がただひたすら暴れ回っていた。
「ぐおおおおおおああああああ!!」
近くにある灯籠を破壊し、参道の石畳を踏み砕き、何もない所で剣を振り回している。
烏乃助は今の自分が全く理解できなかった。こんなにも感情的になったのは初めてであり、正常な思考を持つことができなかった。
そんな烏乃助を見て、白髪の少女うずめは腰が抜けて身動きが取れなくなってしまった。
「こ、恐い、恐い、誰か、誰か助けて……」
泣きながら助けを求めるうずめに向かって、烏乃助の狂刃が襲い掛かってきた。
「あ……」
死んだ。そう感じた。
うずめは目を閉じた。
自分は死んでしまった。
故郷と大切な人々と共に、この地で生涯を終えるのだと。
「……?」
そう思っていた筈なのに、痛みがない。
恐る恐る、目を開けると。
「そ、んな……」
父が、自分を庇ってくれたのだ。
「が、は……!」
父の血がうずめの顔にかかった瞬間、うずめの中で何かが壊れた。
「う、わあああああああああああああああ!!」
壊れた烏乃助、壊れたうずめ。
二人の心からの叫びが、燃え盛る出雲の空に響き渡った。