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新説こころあつめる~心烏への旅路~  作者: 心乃助(未熟者)
第壱章「こころよろこぶ」
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第二話『影の者』

「つ か ま え た」


「きゅー! きゅー!」


 彼は兎の耳を掴んで持ち上げて、狂喜に満ちた笑顔を浮かべていた。


「へへへ、三日振りの飯だぁぁ、どうやって喰ってやろうかぁぁ?」


 正気ではなかった。誰がどう見ても彼は正気ではなかった。三日間も飲まず食わずだった為、今は食える物なら何でも御馳走に見えてしょうがないくらいに食欲に支配されていた。


「……………………がぶ」


「ぎゅー!?」


 噛みついた。彼は兎の背中に噛みついたが。


「うげ!? ぺっ、ぺっ、け、毛が、口の中に、おぇ」


 そのまま食べようとしたようだが、毛が邪魔で食えたものではなかった。


「……」


 ここでようやく彼は冷静になって、手に持っている兎を吟味した。


「……さ、さすがにこのまま食べられる訳じゃないか、兎って、どうやって食べるんだ? 邪魔な毛皮を剥げばいいのか? でも、それが出来る刃物を今持ってないな」


 包丁か短刀のような短い刃物があれば皮を剥いで、その肉を捌いて食べやすくできただろうが、そんな刃物は手元になかった。


 あるとすれば、持っていた刀ぐらいしかないだろうが……。


「刀だと大きすぎて捌けるものも捌けないよな……さて、こいつをどう調理すればいいものか……っ!?」


 その時であった。


 ――な、なんだ? この冷たくて重たい感じは?


 突如として、場の空気が重たくなった。


 この寒気が何なのかを今の彼では理解できないが、本能が危険だと知らせてくれた。


 ――な、なにか居るのか? 熊? 狼? いや、猛獣とは違う何かが近くに居る!?


 気が付いたら、彼は兎から手を離して、その場を離れる事とした。


 あのままあそこに居たら危険だ。早く逃げないと。


 だが、いくら走っても走っても、謎の寒気は消える事はなく、むしろ追ってきているような感じがした。


「な、なんなんだよ、何が居るって言うんだよ!!」


 無我夢中で走っていると、白髪の少女と刀が置いてある場所に辿り着いた。


「くっ!」


 彼は咄嗟に地面に置いてある刀を拾い上げて、鞘から刀を抜いて戦闘態勢となった。


「おい! 誰だ! 出てこい!」


 呼び掛けてはみたが、何も出てこない、ただひたすら寒気と空気の重みが増していくだけであった。


 ――くっ、な、なんなんだよ。体が、押し潰されそうだ、なんだよいったい。


 何故こんな状況になってしまったのか、頭がついてこれず、彼はただひたらすその場で刀を構え続けるだけであった。



 三刻後(約六時間後)。


「ぜぇ……ひゅぅ……ぜぇ……」


 苦しかった。


 既に日が沈み、月が出て夜になっていた。


 まだ続いていた。あの謎の寒気と圧力が。


 いったいいつまで続くのだろうか? 


 彼はその寒気を感じ続けるだけで体力が奪われていた。


 いつ、どこから何が襲ってくるのは分からない。


 なのでこちらもずっと気を張り続けていたので、それだけでも体力が消耗し、その上、疲労、空腹まで重なって立っているのもやっとな状態である程に彼は肉体と精神が摩耗して衰弱しきっていた。


「…………頃合いでござるか」


 と、いつ終わるのか分からない拷問のような寒気と共に、遂にその者が姿を現した。


 忍者であった。薄黄色い忍び装束に顔を覆面で隠し、首には膝裏まで伸びる首巻き布を巻いた一人の忍者が出てきた。


「ぜぇ、は、ぜぇ」


 こいつだ。こいつが謎の寒気の正体。


「だ、誰だお前……?」


「お初にお目にかかるでござる。拙者『影隠(かげがくれ) 鎌鼬(かまいたち)』と申す者、訳あって貴殿のお命を頂戴しに参った所存」


 強い。この忍者からは破格の強さを感じ取れる。忍者だからと言って甘く見ていたら即刻命を刈り取られると思わせられる程の強さを感じる。


 殺気。思い出した、あの寒気は殺気だ。この忍者、明らかに自分を殺そうとしている。


「ふむ、少しでもお主を弱らせようと思って長時間も殺気を当て続けたでござるが、なんか予想以上に弱ってる感じでござるな」


 悠長に話してはいるが、まだ殺気をこの忍者は発し続けていた。


「そりゃ、この三日間何も食ってないし歩き疲れたからな。その上お前のような危険な奴が現れたんだ。嫌でも弱ってしまうだろ」


「んん? それはおかしいでござるなぁ」 


「……何がだよ」


「だって、お主程の人斬りがその程度で衰弱しきってしまうなんておかしいでござるよ。なんか見てると殺気だけで気圧されてるって感じがするでござる」


 人斬り? この忍者は何か知っているのか? 今現在記憶を失っている自分の事を。


「……一つ聞くが、俺の名前って、知ってるか?」


「ん?」


 変な質問だと思われただろう。今から自分を殺そうとする者から自分の情報を聞き出そうとするなんて。


「何を言ってるでござるか? お主は『黒爪 烏乃助』でござろう? 今や日本一悪名高い『人斬り烏乃助』本人でござるよな?」


 黒爪 烏乃助? それが自分の名前、人斬り烏乃助。


 駄目だ。名前を聞いても、それが本当に自分の名前なのかピンと来ない。


「ま、無駄話もこの辺にして、さっさと始めるでござるよぉ」


 鎌鼬と名乗った忍者が足を開いて、腰を低くして戦闘の構えを取った。


「チィ!」


 やるしかないのか、今の弱りきった状態で、この強敵と戦わねばならないのか。


 しかもなんで狙われてるのか分からない状態で。


「行くぜござる! とぉ!!」


 鎌鼬は一瞬で間合いを詰めて拳による渾身の突きを繰り出してきた。


「ぐっ!?」


 その突きを刀で防いだが、鎌鼬の腕には傷が付かなかった。


 ――この感触、袖の中に何か硬い物を仕込んでる!?


 そのまま鎌鼬の猛攻が始まった。


「そぉら、そらそらそらそらそら!!」


 拳による素早い連撃が襲い掛かるが、彼は全てを防ぎきる事はできていたが、全く反撃に出る事はできなかった。何故なら。


 ――か、刀って、どうやって振るんだっけ? 防御は出来てるけど、どうやって攻撃すればいいんだ?


 忘れていた。彼は記憶を失った事により、戦い方までも忘れていたのである。


 反撃できない彼に違和感を感じたのか、鎌鼬は攻撃を止めて、一旦後方に跳躍して距離を取った。


「……何の真似でござるか? あれだけ攻撃されているのに防御するだけで全く反撃をしない。いや、そもそも戦おうとすらしていない。いったい何を考えているでござるか?」


 その問い掛けに対して彼は答えた。


「信じては貰えないかもしれないが、今の俺は記憶を失っている。自分が誰で、今まで何をしてきたのか本当に思い出せない。その黒爪 烏乃助って名前も、本当に俺の名前なのかも分からないんだ」


 今の自分の状況を伝えた。信じては貰えないかもしれないが、これで少しは相手も戦う気が無くなるだろうか。


 そう思っていたがそんな事はなかった。


「……ふーん、記憶喪失でござるか? ……この幸せ者め」


「は?」


「自分がこれまで犯してきた罪を全て忘れられることは幸せなことでござる。忘却こそ唯一の救いではあるが、それと同時にそれ自体が罪でござる」


「訳が分からん。もっと分かりやすく言ってくれ」


「要するに、お主が記憶を失っていようがいまいが、影隠 鎌鼬の名と姿を目撃したお主を生かしておく理由が何一つ無いって事でござる」


 すると、鎌鼬はどこから出したのか分からないが、両手に二丁の鎌を持ち、胸には謎の漢字一文字が浮かび上がっていた。


 喜。


 その謎の文字の出現と共に、周囲の風の流れが変わってきたのである。


「な、なんだ? 急に風が……強く……」


「ふっふっふっ、この風とこの鎌は、お主の命を奪い取る狂喜の風、さぁとくとご堪能あれ! 狂風に切り刻まれながら踊り狂って死ぬでござる!!」

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