06 料理上手
「……おはようございます」
目を開けると、優美な薄い紫色の長髪をした女の子がいた。
観察でもするかのように、蒼い真珠のような瞳でジッと俺を覗き込んでいる。
「……っ!」
慌ててビックリして、仰け反る。
「な、何ですか……」
俺が驚いたことに、女の子は驚いたようだった。
「……すみません。驚かせるつもりはなかったんですけど、このまま寝てると学校に遅れそうだったので、起こそうと思ったんですけど……」
申し訳なさそうな顔をしている。
徐々に意識がだんだんと覚醒してきた。
彼女は……えーと、そうだ、確かクラスメイトの月待美桜さんだ。
元気で明るく、素行も良く、容姿端麗な美少女である。クラスの中心的な存在で、いつも男女構わずに取り囲まれている中で愛想を振りまいている女の子。
俺とは住む世界が違う美少女。
そんな彼女が、なんで俺の家にいるんだろうか。
「……もしかして、昨日のこと覚えてませんか?」
諭すように見てくる。
昨日のこと?
昨日何かあったというのか……。
ふと、脳裏に昨日の出来事が過った。
『……私もです。隣に岡崎くんがいるのが不思議だなー、と思うと寝れなくて……』
寝る前に見た月待さんの横顔を思い出した。
……そうだ、そういえば、そうだった。
俺は叔母さんのお願いで、一階の一〇二号室の人をうちに住まわせてあげることになったんだ。そしたらその一〇二号室の人が実は月待さんで、それで……
「……思い出してくれましたか?」
「うん、ごめん。起きたばっかりで寝ぼけてたみたい……」
「そうですか。それは別にいいですけど、学校に遅れるとまずいので急いで着替えた方がいいかと……」
月待さんは落ち着いた声音で言った。
時計を見ると、いつもより十五分ばかり寝坊している。
昨日色々あったから、いつもより疲れて寝てしまったのかもしれない。
まずい、遅れないように急がないと。
……って、待て。
今月待さんは着替えてと、サラッと言ったけど。
月待さんはもう制服に着替えてるってことは、寝ている俺の横で寝間着から制服に着替えのだろうか。
なぜか月待さんを直視できなくなり顔を逸らした。
「何を考えてるか分かりませんが、遅れますよ。学校……」
俺の反応を見るなり、月待さんも顔を背けて呟いた。
「そうだ急がなきゃ」
慌てて立ち上がり、洗面台に行って顔を洗う。
暑いから、冷たい水で顔を洗うのは生き返るようで気持ちいい。
「朝ご飯はすみませんが、冷蔵庫にあったものを勝手に使い、作らせていただきました。テーブルの上に置いておきました……」
ひょいと部屋の方に顔を出す。
テーブルの上にラップのかかった食器が三つ置いてあった。お茶椀の模様から察するに、ご飯とお味噌汁と卵焼きのようなものが用意されていた。
「出かける前に食べてくれると作った甲斐があります」
「ありがとう、マジで助かる」
「……いえ、料理は好きなので」
洗面台を後にした。
朝ご飯を食べる為に、テーブルの前に腰を下ろして胡坐をかく。
月待さんはというと、正座をして英単語帳のページを捲っていた。
水色のつぶらな瞳は胡乱に揺らいでおり、凛とした横顔は整然としていた。
ただそこに座っているだけなのに、目が吸い寄せられてしまう。
白い肌に、雅やかな桜色の唇。
どこかの国のお姫様のようだ。
……さて、せっかくご飯を作ってくれてるんだし、さっさと食べるとしよう。
お皿にかけられているラップを剥がすと、ホカホカの湯気を出すご飯とお味噌汁と、美味しそうな卵焼きが現れた。
この中で料理という料理がされているのは、卵焼きだと思うが、一見してすぐに月待さんが料理上手だと分かった。
卵焼きは半熟に焼けていて、箸で突くとプルンと弾力があった。焼き過ぎず、崩れないようにしなければできない半熟は、難しいのだ。
ジー――
視線を感じたので隣を見ると、月待さんが単語帳を膝において、横目でチラチラとこちらを窺ってきている。
たぶん、味の感想が気になっているんだろう。
「……いただきます」
手を合わせ、箸で卵焼きを掴む。
「…………」
月待さんの視線を感じながら、それを一口で口に放り込んだ。
咀嚼すると、とても柔らかい。
とても甘くて、舌の上でとろんとした口どけで、美味しい。
正直、塩の味付けは苦手なので、そうだったら不味いような顔をしないように、気を張っていたが、無駄な苦労に終わったようだ。
俺の大好きな卵焼きだ。
「美味しい」
「……良かったです」
月待さんは安堵するようにため息をついた。
「月待さん料理上手だね」
本当に美味しかったから目を見て褒めると、照れているのか俯いてしまった。
表情がサラサラした髪で隠れた。
「……だと嬉しいです。私も岡崎くんと同じで裕福ではないので、最低限の食材で、美味しい料理を作れるようにと、頑張っていたら、自分でも言うのもあれですけど、美味しく作れるようになっていました」
そう言われて見ればそうだ。
月待さんも一人暮らしだから、料理が上手くなるのも頷けた。
「だけど俺なんかが作る卵焼きより、全然美味しいからビックリした」
「それは……初めて人の為に作ったからかもしれません……」
月待さんは口を紡いで、手に持っていた単語帳に顔を埋める。
昨日も似たようなことがあったけど、視力でも悪いのだろうか。
声が掠れていたから、よく聞こえなかった。
「なんて言ったの?」
「……早く食べないと冷めてしまいますし……学校に遅れます……」
相変わらず顔が見えない月待さんの声は、本が邪魔になっているからなのか震えている。
「そうだった、急がないと」
それからは、無我夢中に食べていたらすっかり完食していた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまです……」
食べ終わると、月待さんが単語帳を置いて、俺の食器を片付け始める。
「いいよ、俺が片付けるから。料理までしてもらってるのに……」
「気にしないでください。それに……私がお皿を洗っている間に着替えておいてくれると……その……助かります……」
月待さんは仄かに赤くなって、目を泳がせながら言った。
カチャカチャと音を立てて、手際よくお皿を廊下のキッチンの方に運んでいく。
俺も見られながら着替えるのは恥ずかしいし、月待さんに着替えを見せつけるような行動はしたくないので、さっさと着替えよう。
グッと勢いよく上着に手をかけて捲り上げる。
「……岡崎くん、洗剤ってどこに……」
兎のように顔を出した月待さんは、口をぽっかりと開けて固まった。
なぞるようにして、俺の胸から腹筋へと視線を落としていく。
そして、みるみるうちに顔を真っ赤にさせて。
「ごめんなさい……!」
物凄い速度で顔を引っ込めた。
「俺の方こそなんかごめん……」
「……私の方こそ、すみません。軽率でした」
「いや、俺の方も悪かったから。お互いに悪かったってことで、このことは忘れよう……」
「そうですね……」
なんか気まずい。
「洗剤だけど、上の戸棚の所に入ってる」
「……わかりました」
月待さんは、消え入るような声で返事をした。
別に上半身なんて見られてもいいが、俺の上半身を見た月待さんの動揺っぷりを見ていると、こっちまで恥ずかしくなってしまうから、さっさと着替えることにした。
「……もう、行っても大丈夫ですか?」
「うん、着替え終わったから」
月待さんはおそるおそるという風に、また兎みたいに顔を少しだけひょこっと出して確認すると、まだ少し顔が赤い表情で、安堵したように息を吐いた。
それでもまだ気恥ずかしさはあるからか、先ほどより俺から距離の遠い場所に腰を下ろした。
さすがに思春期の男女が同じ部屋で暮らすとなると、今後もこういった事態は起こる可能性があるから、どうにかしないといけない。
とは言っても、一部屋を二つに区分けする工事はそう簡単にできないしどうすればいいだろうか……
……そうだ、いいことを思いついた。
かなり簡易的ではあるが、部屋の真ん中に区切り分けを示すカーテンでも引いて、分かりやすく部屋を分ければいいんだ。
そうすれば着替えに困る事もないし、プライベート空間を作る事もできる。何より、彼女が安心できるだろう。
今日の帰りにでも、百均に寄って物資を調達してくるとしよう。
読んでいただきありがとうございました。
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次回はやっと学校編です。