03 二千円を手に入れた
挨拶をお互いに終えた。
部屋の壁時計に目をやると、時刻が七時を過ぎていることに気がついた。
何てことだ……しまった。
完全に時間のことを忘れていた。
もうこの時間だと、スーパーのタイムセールの商品……割引されたお総菜は、売り切れている。
というのも、俺は自分のアルバイト代と、国への借金という名の奨学金で、生活費と学費を、なんとか賄っているのだ。
だから、日々の食費は最低限の値段に切り詰めて、抑えなければならない。
そのためにも、いつもスーパーの割引シールが貼られているお総菜を、わざわざ七時前にスーパーに出向き、スタンバイして、買うようにしているのだ。
大きなジャガイモコロッケが二つ入って百円のもの、ミートスパゲティがたんまりと入って二百円のもの、そのどれも、俺の為にだけ作られたような割引された後のお総菜は、売り切れてしまっている事だろう。
あれを買う為には、少なくとも、七時前には揚げ物売り場の前で待機しておかなければならない。
「……タイムセール」
俺が今夜の夕食をどうしようかと懸念していると、月待さんが、床を見つめながら凛とした声音で囁いた。
「タイムセールって……」
「い、いえ、なんでもないです。気にしないでください……」
慌てて顔を赤く染めると、残念そうに明媚な顔を暗くした。
もしかして。
「月待さんって、駅前のスーパーで、割引とかいつも買ってたりする……?」
「……え、なんでそれを……?」
大きな蒼い瞳を、パチリと見開いた。
「ほら、俺も一人暮らしだからさ。貧乏なんだ。奨学金も借りてたりする……」
俺も月待さんも、近い境遇だ。
日々の生活がカツカツの中で、同じ場所に住んでいるというのなら、必然的に、あのスーパーの特売にたどり着くことになる。
月待さんの、反応を待っているが、唖然として俺を見つめていた。
似た者同士だと思って、奨学金の話までしてしまったが、さすがに引かれてしまっただろうか。
そう心配していると、月待さんは桜色の唇を緩めて、口を開いた。
「……一緒です。私も、岡崎くんと一緒で、貧乏です……」
「うん?あ、そっか、うん。そうだよな。俺もそうだから気にしないで」
また一つ、同じ共通点が見つかった。
「ごめんなさい、上手く言えなくて。でも私……いつもは学校で、恥ずかしながら、貧乏な顔を見せないようにして、振る舞っていまして……」
「なんとなく見ていれば分かるよ」
思い出してみれば「美桜ちゃんって、どのブランドが好きなの!」と、同じグループの派手な女生徒に聞かれた時に、「ごめんなさい。私ブランドとか詳しくなくて……」と上手い逃げ道を使っていたのを思い出した。
まあそれさえも、「謙虚で可愛い!きっと、私なんかじゃ買えないようなブランド、沢山持ってるんだよね!」と言われていたけど。
普段の気品溢れる言動と、彼女の見目麗しさから、男子の間では、お城に住んでいるとか、高層ビルの最上階に住んでいるとか、専属の執事がいるとか、言われていたりするほどだ。
「お夕食はどうしましょうか……?」
「……どうしようか」
今から、スーパーに向かってもいいが、タイムセールの品は売り切れていると思うし、家に買い置きもない。
月待さんの持ち物は大きな手提げ鞄一つで、その中に、食材は入っていないだろう。
そうなるとスーパーで、もやしとハムと焼きそばの麺を買って、焼きそばを作るのが、一番食費を抑えられるか。
「月待さん、提案なんだけど……」
「はい……?」
その時。
コン、コン、コン。
俺の部屋をノックする音が鳴った。
月待さんは「誰でしょうか?」と、蒼い瞳を揺らがせる。
「とりあえず、玄関から見えない端の方に、行っててくれる?」
「……分かりました」
「ごめん」
大丈夫です、と頷いてくれた。
こんな時間に誰だろう?
俺の部屋に、人が訪れるなんて、滅多にないんだけど。
ドアの穴を覗くと、叔母さんがいた。
「なんだ、大家さんか……」
ホッと胸を撫で下ろす。
「大家さん、ですか……?」
俺の声が聞こえたのか、月待さんが、トコトコ後ろからやってきた。
まるで、親の帰りを待っていた子供のような表情をしている。
叔母さんに気がいってるのか、肩が触れそうなくらいに近い、すぐ横にきた。
俺は、そっと距離を取った。
ガチャリとドアノブを回し。
ドアを開けた。
「こんばんは、お二人さん。夜分遅くにごめんね?」
「こんばんは、大家さん」
俺は、小さくお辞儀をして挨拶する。
「……こんばんは」
月待さんも、ちょこんと、頭を下げた。
叔母さんは、俺と月待さんを、交互に見てから安心したように、笑った。
「良かったわ。無事に挨拶も済んだようね」
そう言って、俺を見てくる。
「はい、なんとか。まだ、挨拶をしただけですけど……」
「そう……」
一言置いてから。
「……ごめんなさいね、事前に月待ちゃんの話ができてなくて。叔母さんも、岡崎くんに、事情をちゃんと話しておきたかったけど、事情が事情だからねえ」
許して、とバツが悪そうな顔をする。
「いいですよ。話せるようなことじゃなかったと思いますし……俺もビックリしましたけど、まあなんとかなりそうです」
「そーう?良かったわ」
月待さんは黙って、俺と叔母さんの会話を聞いていた。
「ところで、二人はご飯を食べた?」
月待さんを見る。
彼女はフルフルと首を振って言った。
「……まだなんです」
「そう、ならちょうど良かったわ」
何がちょうど良かったんだ?
叔母さんは、ポケットから長方形の財布を取り出すと、それから二枚の野口さんを取り出して、手渡してきた。
「え、これなんですか……」
二千円という大金に、手が引っ込んでしまう。
「二千円……ですね」
月待さんも、身体を乗り出して覗き込んでいる。
すると「いいから」と、叔母さんが俺の手を取って、二千円を握らせた。
「挨拶とかのせいで、七時を過ぎちゃってるでしょ?この時間だと、岡崎くんがいつも狙ってる、タイムセールのお惣菜、売りきれちゃってるでしょう?」
なぜそれを知っている。
疑問の眼差しを向けた。
「あ、知ってるのは、叔母さんの友だちの典子さんが、あのスーパーのレジをしていてね。いつも岡崎くんがスーパーにいるのを、覚えていたからよ」
「はあ……」
今度から、典子さんという名札のついた人のレジは、行かないようにしよう。
俺の食生活が、ご町内に知れ渡ってしまう。
「それで、この時間だともうタイムセールのお総菜は、売れちゃって残ってないでしょ。だから、これは、叔母さんからのせめてもの気持ちよ。今日ぐらいは、二人で外食でも行きなさい」
「外食なんて、そんな贅沢なこと、できません」
月待さんも言った。
「そうです。申し訳ないです……」
「いいのよ、叔母さんの気持ちなんだから。それに、二人には凄い迷惑をかけちゃってるから……ね?……貰ってくれないかしら、ダメ……?」
そんな顔をされたら、断れない。
月待さんを見る。
彼女は大家さんを見てから、俺に「うん」と頷いた。
「ありがとうございます、大家さん」
「……ありがとうございます」
二人で感謝を言う。
「いいって、いいのよ!もう……これくらいで、叔母さんを照れさせないでよ!」
ふふふ、と笑うと、二千円を渡すのが目的だったのか、大家さんは満足そうにドアを閉めようとする。
「ま、そういう訳だから、何かあったら言ってちょうだいね……」
それから、思い出したように大家さんは言った。
「そうそう、二人ともお年頃だけど、おいたはしないようにね?」
「…………っ!」
俺が大家さんに、抗議の眼差しを向けていると。
「大丈夫ですよ。私も岡崎くんも、そんなことはしないですから」
月待さんが間髪入れずに、笑顔で否定した。
「そうかしら……ねえ?」
大家さんは、意味深に月待さんに視線を向けた。
「それじゃあ二人とも、おやすみね」
地雷を残して、帰っていった。
叔母さんめ、月待さんが俺に「私に気があるんですか?」とか聞いてきたら、俺は彼女をこのまま家に置いておけるほど、心は広くないのだけど。
バタンと、ドアが閉まり静寂が訪れる。
「……?」
月待さんは、最後の大家さんの言動は何だったんだろう。
……というように、首を傾げて俺を見てきた。
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