13 勉強は……好きかもしれません
カーテンの制作を終えた俺たちは、明日の小テストに向けて勉強に励んでいた。部屋に勉強机は二つないので、折り畳み式の一つのテーブルに二人で向き合う形になっている。
時たま顔を上げれば、勉強するだけでも画になる月待さんがいる。
耳にかかった髪をかき上げ、教科書を眺めているつぶらな瞳は愛しくさえ感じる。一つ一つの何気ない所作が美しい。
「……どうしました?」
見惚れていたせいで、月待さんと目が合ってしまった。幸いにも怪しまれているような感じではなかったので、誤魔化しておく。
「いや、別に……」
ダメだ。いくら意識しないようにと考えても、同じクラスの女の子が、俺の部屋に俺と二人でいて、露出の多い制服でいたら、嫌でも意識してしまう。
……慣れるまでは大変そうだが、信頼してくれている月待さんの為にも雑念は考えないようにしないといけない。
「……勉強、はかどってますか?」
覗き込むように聞いてきた。
「ぼちぼちかな」
若干自嘲気味に言って笑う。先ほどから淡々と勉強をしていたけど、とりわけ全く分からないところがある訳でもないし、完璧にできるというほどに分かっている訳でもないのだ。ぼちぼちという言い方以外に、上手い表現が見つからなかったのだ。
対して月待さんはさすが学年上位というだけあり、ペンを持った右手は勉強開始から止まることなく動き続けいて、ノートを捲る音がパラパラと聞こえていた。
ちらりと彼女の手元を覗くと、小テストの復習範囲としては、既に佳境に入っていた。さすがである。
「え、もうそんな所までやったんだ。早いね。勉強好きなの?」
長らく勉強していたので、集中力もお互いに少し切れていたから聞いてみた。
すると、月待さんは照れたように目の下を赤くした。
「好き……ではないですけど、嫌いではないかもしれません」
月待さんの反応からして、勉強をすることは苦痛ではないらしい。月待さんの言った通りに好きという訳ではなさそうだけど、勉強をすることに嫌なイメージを持っているようにも見えなかった。むしろ、月待さんは好きではないと言ったけど、好きなことをしているように見えた。
「もしかしたら……好きかもしれません」
唐突に月待さんは優しい声音を出すと、遠い昔を見るような瞳を、窓の外に向けた。
「好きって、勉強が?」
「はい。昔の話なんですけど……」
「……昔、私がまだ小さい頃。私が中学生の頃にお母さんがいたんですけど……」
いたんですけど……ということは、今はいないということだ。
そういえば前に、月待さんは俺と同じで両親がいないと言っていた。しかし、そんな悲しい話を語る月待さんが、幸せな話を語るような顔をしていたので、月待さんにとって両親がいないことは本当は悲しいことなんだろうけど、それを引きずって生きてはいないと月待さんの表情で分かった。
「……今の私はいっぱい勉強したのでそれほど苦労はしていないんですけど、当時の私は他の子よりも勉強の出来が悪かったので、他の子に追いつくために、一生懸命勉強をしていたんです……」
そう語る月待さんは少し悔しそうな顔をしていた。昔は今のように勉強ができていなかったというのは本当のようだ。
「意外だな。月待さんが勉強が苦手だったなんて……」
「……はい。よく言われます」
そう言われる事も今になっては、月待さんは勉強ができるようになったから誇れることのようで、くすりと笑って頬を緩めた。
「……それでですね、いつも学校から帰ったら勉強をしていたんですけど。いつもお母さんが勉強を見てくれていたんです……」
幸せな記憶は、けれどそれでもやっぱり寂しい想いを想起させるようで、長い睫毛を僅かにひそめた。
俺はこういう時に何を言ってあげるのが正解なのか分からずに、黙り込んでしまう。
「……お母さんがずっと隣について教えてくれていたから、お母さんのおかげでここまで勉強ができるようになったんです。だから私にとって勉強は、常に皆に追いつかないといけない嫌なものだったんですけど……それと同時に勉強は、唯一お母さんと二人で頑張ったことで……私にとってはかけがえのない記憶なんです。 ……なので勉強をしていると、いつもお母さんが隣にいるようで……一緒に勉強をしているようで……勉強をしていると安心さえしてしまうんです……」
蒼いパッチリとした瞳を揺らがせ、泣きそうな顔になりながらも、けれど月待さんは本当に幸せそうに見えた。
「あ……」
一頻り語った月待さんは、想いのままに語ってしまったことが恥ずかしくなったのか、今になってハッとした顔になりあわあわし始めた。
微笑ましくて、可愛くて、つい笑ってしまった。
「ご、ごめんなさい……一方的に面白くない話を聞かせてしまって……」
落ち込んで、自分の話をしてしまったことを反省するように顔を暗くした。
「いや、そんなことはないよ」
「…………岡崎、くん?」
顔を上げた月待さんは、潤った唇を少し開けたまま、上目遣いで見てくる。
「今の話。面白くない話なんてことはないよ……。俺には難しいことは分からないけど、その月待さんとお母さんとの時間はかけがえのないものだったんなら、それは月待さんにとっては大切なものであるのは間違いなくて。勉強をして安心するのも、とても大切なことで、輝かしいものなんじゃないかな……少なくとも月待さんにとっては。 ……それに、個人的には今の話、凄く素敵だと思ったよ」
俺は本音をはいて爽やかに笑った。少なくとも俺には両親との華やかな記憶がなかったから、羨ましくさえ感じてしまったくらいだ。
「…………」
俺の話を聞いた月待さんは、茫然と俺を見つめている。
「ご、ごめん。俺こそ情に任せて変なこと言って……。偶に思ったことをそのまま言っちゃう時があるんだ。なんかごめんね……」
「いいえ」
ふと前を見ると、俺の言葉に『嬉しいです……』というような表情をした月待さんがいた。
「……やっぱりあなたで良かった。岡崎くんで良かったです」
月待さんが告白するような時は、きっとこんな顔なんだろうな、というくらいに、月待さんは優しくて愛しい顔をしていた。
「よ、良かった?」
「……い、いえ。気にしないでください。 ……ですが、これだけは言えます。 ……今の岡崎くんの言葉……ちょっとくさいですけど、私の心には優しく降り注ぎました。 ……だから、謝らないでください。岡崎くんの正直な気持ちを、優しさを、岡崎くんの口から聞けて嬉しかったですから……」
恥ずかしいことを堂々と言う月待さんは、本当に嬉しそうにそう言って笑った。
俺は月待さんの眩しい笑顔に、つい目が離せなくなってしまう。
月待さんは月待さんで、見つめられていることに気がついても、今さらあんなことを言った後で目を背けることもできずに、二人して、息を止めて見つめ合っていた。
「…………」
「…………」
お互いがお互いを意識して見つめ合っていた。
「……ご、ご飯にしましょうか」
「……そ、そうだね。夜も遅いしお金も余ってるからどこかに食べにでも行こうか」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第13部を改稿させていただきました。タイトルを戻させていただきました。