10 後輩ちゃん
待ち合わせの場所は、駅前にある大型ビルの入り口付近になった。駅前の一際大きいビルの中に、百円均一があるからである。また、百円均一で必要な物を買ってから、いつものスーパーに特売の品を買いに行けば、ちょうどいい時間帯にスーパーに行けるからである。
駅中の通路を通って反対の出口から出た。駅から見てこちら側は、学校と俺の家がある反対側に比べ、地方都市化が進められていることもあって、高層ビルとまでは行かないが、十数階建てのビルが立ち並んでおり、大勢の人で賑やかだ。飲食店や服屋の呼び込みの声が行き交っている。
そろそろ……か。
少し遅いな。
待ち合わせ場所に到着してから三十分くらい経過していた。
やっと来た。
視界の前方から異才を放ち、周りの注目を集めている人物がやって来た。あの黒いパーカーを深く被っているのは、間違いなく月待さんだろう。この暑い中でフードを被っているのは不審者にしか見えない。
皆に見られているのが恥ずかしいのか、スタスタと早足で歩いて来た。フードの下から、上目遣いで顔を覗かせた。
「……お待たせしました」
「うん」
「すみません。遅れてしまいました」
ペコリとお辞儀をしてくれた。
「全然気にしないで。……来る途中に何かあった?」
「……はい。いつもうちの学校の生徒がいない公園でパーカーを被るようにしているのですが、たまたま顔見知りの子が通りかかりまして……そのまま公園でしばらくおしゃべりをしていて遅れてしまいました」
本当にすみません、と深く頭を下げる。
全然大丈夫だよ、と宥めてから百円均一の入っているビルに入った。
手前にあるエレベーターに乗り五階のボタンを押す。人が沢山乗ってきたので、月待さんを庇うように、後ろに隠す。
「……ありがとうございます」
満員電車状態なので、俺の背中の服を掴むようにしてピッタリと月待さんがくっついている。
「……ご、ごめんなさい。バランスが取りにくくて」
「……う、うん。それなら仕方ないね」
早く着いて欲しい。
甲高い音が鳴った。やっと、という思いで到着すると、一気に人がエレベーター内から降りた。窮屈だった気持ちと身体が一気に解放され、店内に据え付けられているエアコンから出る気持ちの良い風が頬を撫でた。
「……生き返ります」
フードの隙間から間に風を送るように、フードをパタパタさせてる。月待さんとしては帽子を脱ぎたいのだろうけど、視界の先には余裕で見慣れた制服を着た生徒がいた。油断はできないということだ。
エレベーター前から売り場に移動した。
「初めて来ました」
月待さんが感心したように声音を弾ませた。
「来たことないの?」
「はい」
「そっか。ここ生活用品から何から何まであるから便利だよ」
「百円で買えるのが凄いです」
目をキラキラと輝かせている。
「……安いっていいですね」
月待さんはしみじみと呟いた。
さて、まずは何から見ればいいだろか。そういえば月待さんの食器がなかった。考えてみればお客さん用の食器もうちにはなかった。そうなると、今日の朝は月待さんは俺の食器を使ったのだろうか? しかし、俺のお皿に朝食を乗せて月待さんが用意してくれていたし……
「ねえ、月待さん」
「はい?」
「今日の朝ご飯って食べた?」
「食べましたが……?」
「食器がうちには一個しかないと思うんだけど、どの食器を使ったの?」
「岡崎くんと同じのを使わせていただきました」
「同じの? でも、俺の食器は俺が使って……」
「……はい。二人分の器はなかったので。申し訳ないのですが、食器を先に使わせていただきまして、ご飯を食べさせていただきました。使った後は念入りに食器を洗い、綺麗にキッチンペーパーで水を拭き取ってから、それを岡崎くんのご飯のお皿として使わせていただきました」
ダメでしたか……? と、不安そうに顔を曇らせた。
「いや、いいよ。いいんだけど……」
そうなると、やっぱりそうだったんだ。俺は月待さんと同じ食器を使っていたらしい。いくら洗剤を付けてスポンジで洗っているとはいえ、月待さんと同じ食器を使っていたと思うと……彼女が俺の箸を口に咥える様子を想像してしまったりする。それを俺は使っていた訳で……
……ともかく、食器を買うとしよう。変なことを考えてはいけない。雑念を頭をブンブンと振って振り払った。
「……そんなに嫌でしたか……?」
申し訳ないというよりは、悲しいというように月待さんは言った。
「違う、違うよ。嫌とかじゃなくて、月待さんに悪いことをさせちゃったなーって思っただけだから」
「そうですか、良かったです。 ……悪いなんて全然そんなことないですよ、お気になさらずに」
月待さんは安心したようにそう言った。
「うん、そうするね。まずは、食器売り場から見て行こうか」
「はい」
ちなみに食器を買うなら、月待さんが自分の一階の部屋から持ってくればいいのにと思うだろう。しかし大家さん曰く、月待さんが俺の部屋に来る前日に、俺の部屋に大家さんが持ってきてくれた物以外は、一階に入った業者の人に撤去されてしまったらしい。そういう訳で、月待さんは自分の分の食器がないのだ。
食器売り場に移動すると、ガラス製の食器とプラスチック製の食器が四段建ての棚に列挙していた。色鮮やかな絵柄があって、パンダの絵柄やイルカの絵柄から、売れそうもない顔が可愛いゆるキャラで胴体がマッチョの物まである。
「百円均一って、今こんなに凄いんですね」
「それに安いから気軽に買えるよね。でも気づいたらいらないものまで買っちゃって、後で後悔する」
「……ありそうです」
くすりと笑んでくれた。
「じゃあ適当に好きなのを選んでて。俺が今日はお金を出すから」
「そんな……!申し訳ないです。私が払いますから……」
「大丈夫だよ。実は、月待さんが来る前日に大家さんが来たんだけど、その時にこれを預かっていたんだ」
そう言って鞄からそれを取り出した。手には茶封筒がある。封筒には、月待ちゃんの食器費など……、と記載されていた。
「大家さん……」
月待さんは小さく呟いてから、目の前に大家さんがいるかのように「……ありがとうございます」と頭を下げた。
「今度直接お礼を言わないといけませんね」
律儀な子である。
「一応、二人で何か必要な物ができた時に使うようにって言われてるから、俺が先に渡されていたんだ。今朝、食器を見るまではこれの存在自体をすっかり忘れてたんだけどね……」
今朝、月待さんが作ってくれたご飯を食べ終えた辺りで、食器を見た時にそのことを思い出したのだ。生憎、学校に遅れそうな時間帯だったから諸々話す時間はなかった。
「じゃあ俺は他に必要な物があるか見てくるから、適当に見ておいて」
「分かりました」
月待さんをその場に残して移動する。
茶封筒の中には一万円が入っていた。
これだけあれば、どれだけ買っても百円だからお釣りが返ってくるだろう。
「岡崎先輩……?」
誰かが俺の名前を呼んだ。
背筋がヒヤッとした。
普段の俺ならここまでビビることはないが、今は状況が違う。近くには月待さんがいるのだ。幸いフードを被っているが、何かのきっかけで正体がバレたら最悪の事態を招くことになるだろう。
特に、この声の少女はそういった色恋話には目がなさそうだから。
他人ですよー……というように歩き去ろうとする。
「……待ってください。岡崎先輩……ですよね?」
「違います。他人です」
「そうですよ、その声絶対そうですよ。岡崎先輩です。後ろ姿だけでも私には岡崎先輩だって分かります」
「そんなに人の名前を外で連呼しないで」
凛とした声音の少女に振り向いた。
「私を無視するのがいけないんです」
不貞腐れたように言う。
無念にも腕を掴まれて逃げられなかったのだ。
「朝川ちゃん」
「はい。岡崎先輩っ」
少女は嬉しそうに語尾を弾ませた。
着崩した制服、短めのスカート丈、腰元まで伸びた長い金髪、俺より少し小さいくらいの身長、スタイルの良い、快活な雰囲気の可愛らしい少女。
彼女の名前は朝川恋花ちゃんという。
朝川ちゃんは、俺のバイト先の後輩の女の子である。
彼女は見た目の通りの元気で可愛らしい女の子なので、クラスでも、皆の中心に居るタイプだから、学校の朝川ちゃんは、俺とは別の世界に住んでいるような女の子なんだけど、仕事中は熱心に取り組む俺なので、接客スマイルで丁寧に仕事内容を教えていたら、何かと懐かれてしまったのである。
懐かれて以降、外や学校で顔を合わせる度に声を掛けられるようになったのだ。
「先輩はこんなところで何をしているんですか?」
「ちょっと用事で立ち寄っただけだよ」
月待さんと買い物に来ているなんて言える訳がない。
偶然かもしれないが、バイト中に朝川ちゃんが月待さんを話題に出したことがあるので、朝川ちゃんは月待さんを知っているから、月待さんがここに居るのがバレる訳にはいかない。バレてしまったら俺と月待さんが一緒に来ていることまでバレてしまうだろう。
さらに、朝川ちゃんは口が軽い方なので、月待さんと買い物に来ているのがバレてしまったら、次の日には学校中の人に知れ渡っていることになる。
「そうですか……」
考えるように下を向いてから俺を見つめた。
「……先輩、私に何か隠してますか?」
笑顔で怖いことを言ってくる。
「……ついてないよ、ついてない。俺は一人で買い物に来ているだけだから」
ジッと、俺を見据えてから。
「そうですよね。岡崎先輩が私に嘘をつくなんてある訳ないですよね」
朝川ちゃんは、今度は笑顔じゃなくて真顔で言った。
偉く信頼されたものである。
「まあそのことはいいでしょう……それで、シフトを明日まで入れてない理由は何ですか?」
ムッとした顔で、これまた痛いところをついてくる。
「ごめん、込み入った事情があってさ……」
まさか、月待さんと同居しているなんて思いもしないだろうな。
「込み入った事情?」
だから、笑顔が怖いから止めて欲しい。この子の笑顔を見てるとなぜだか不安になってくるんだ。それに、身長が俺と大して変わらないのと常にニコニコしてるから圧が凄いのである。
「大変なんですよ? ……先輩がいないと」
朝川ちゃんは、ぷくーと頬を膨らませて、八つ当たりするように地面を蹴った。
「ほんとごめんって。埋め合わせなら何でもするから……」
「本当ですか……!」
間髪入れずに、グッと顔を近づけてきた。
危うくキスをしそうになったので、反射的に避けた。
「何でもって、何でもですか?」
偉く上機嫌になっている。
「まあ俺にできることなら、だけどね……あ、お金頂戴とかは無理だよ」
「人を何だと思っているんですか、もう……。そんな現金じゃないですよ?」
バイト中に色々やらかしているからである。
我ながら苦手な子に懐かれてしまった。俺はただでさえ女の子に耐性がないから、こんな可愛い顔をした子に顔を近づけられたら平静ではいられないのだ。それでついこの子を甘やかしてしまう。この子はこの子で、俺がそういうのに弱いのを分かっていて、からかってくる節がある。
「……せっかくだし遊びに誘ったり……でもそれはまだ早いか……」
人差し指を口許に当てて、ブツブツと何やら長く熟考している。
人に何をやらせる気なんだろう。
――一分ほど経過して。
「決まりました」
「何にしたの?」
「あした、学校で私と一緒にお昼を食べてください」
一緒にお昼……?
何を言っているんだ、この子は。
「いや、それは……できな……」
「……岡崎くん?」
その時、月待さんが俺を呼ぶ声がした。
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