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鳥になりたかった少女4  作者: 葉里ノイ
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第七章『死』

  【第七章 『死』】


 目を覚ますといつも真白な天井がぽかりと浮かび上がってくる。

 気怠い毎日。

 でも、学校は少し楽しいと思った。

 鏡の前に立ち、肩についた青い髪を抓み、そろそろ切ろうかとぼんやり考える。

 用意された朝食を無感動に頬張り、学校指定の鞄を背負う。

 いってきます。

 言葉を掛ける相手などなく、誰もいない廊下を歩いて街に出る。毎日それの繰返し。



 街は良い。賑やかで、皆の顔に笑顔が溢れていて、活気がある。

 北区にある学校の中等部。そこが目的地だ。

 世界には四つの学校がある。東西南北の四箇所だ。中央には学校がないので、中央で暮らす者はその四つのいずれかを選ばなければならない。四つの中でその年に一番成績が優秀な者が多い学校が選ばれることが多い。

 学校では一人ではなかった。北区出身の友達がいた。中央で暮らしていると街の人々との接触がないため、学校という場は中央の目から離れられて友達もできる最高の場所だった。

「司ちゃん、宿題やってきた? 私、どうしても解けない問題があって、先生に怒られちゃうかなぁ」

「私は全部解けたよ。私でよければ教えるよ」

「わぁ! ありがとう司ちゃん!」

 この子は学校で一番の友達の女の子だ。明るくて元気で、でも少し勉強が苦手のようだ。こうして司が教えることも屡々。

 最近の司の楽しみは、歴史の授業だ。この世界は中央と四つの街で構成されていると初等部では教わっていたが、中等部では、その外にも世界が広がっていると教わった。中等部に進級する前の子供にはそのことは教えてはならないそうだ。きっと少しずつ世界を広げさせて段階的にきちんと理解を深めさせようというのだなと司は思っていた。だが後にこれは、理性の幼い者に情報を与え好奇心で外に興味を示さないように情報制限されていたのだと悟った。しかし好奇心旺盛な者は大人にもいるもので、大人に片足を突っ込んだ中等生であっても、司は外に興味津々だった。外は危険な所だということも勿論教わったが、恐怖よりも好奇心が勝った。

 だからある日、陽が暮れた頃に司は一人で城を抜け出した。友達を誘おうかとも思ったが、外が危険だと言うのなら、わざわざ連れて行くのは気が引ける。一人の方が身軽に対応できるし、と司は一人で決行した。

 自ら好んで外に行く者などいないのだろう、想定よりもあっさりと外に出ることができた。

 授業では外は危険だと言うばかりで、どんな景色が広がっているのかとか、そういう情報はなかった。だから今、目の前に広がっている光景を、司は瞬きも忘れて見入った。

「凄い……」

 まず目に飛び込んできたのは大量のゴミで、山積みのゴミが周囲に広がっていた。その向こうには暫く何もない。外は視界が悪く、ザラザラと空気が砂っぽい。

 こんな所に人など住んでいるのか? 授業では危険な人間がうじゃうじゃいると教わったが、ここは人間が住める場所なのだろうか。

 茫然と立ち尽くしていると、足元で何かが跳ねた。

「?」

 足元に目を遣ると、もう一度何かが跳ねた。足元のゴミに傷がつき、小さく物が跳ねる。

 傷つき方と跳ね方で、方向を推測。

 目を細めると、銃口がこちらを向いているのが見えた。狙われている。いや、静止している的に二度も外すだろうか? 当てるつもりはまだなく、威嚇をしているのではと司は更に推測した。

 だから司は両手を上げ、大きく振った。

 外に人がいた。外で暮らす人間がいる。その感動で頭が一杯だった。そいつが危険な人間だとか、そういうことは頭から抜け落ちた。

 銃口を向けていた人間は何か様子が変だと気づいたのか、銃口を向けたまま接近を試みた。

 司には勿論、敵意などない。あるはずがない。あわよくば仲良くなりたい。外のことをもっと知りたい。そのことしか考えていない。きっとそれはとても愚かで罪深いことだったのだろう。

「子供……?」

 銃口を向けながら、男は呟いた。司のことを頭の先から足元まで舐め回すように何度も観察し、武器などは持っていないと判断したのかゆっくりと銃口を下げる。

「その様子だと、城の中の子供か……? 無防備すぎる……」

「初めまして。私は司と言う。お前は外の人間か?」

「うっわ、何だ急に偉そうだな……こっちの質問が先だ。お前は城の中に住んでる奴か?」

「如何にも私は、城? この中に住んでる。お前は? 名前は?」

 城という名称は初めて聞いたが、まだ授業で習っていない言葉かもしれない。状況から察するにきっとこの壁に囲まれた中のことなのだろう。背後の白い壁を指差し答えると、敵意はないと認めたのか男は完全に銃を下ろした。

「オレは外に住んでる人間だ。名前はフォイル」

「ちゃんと意思疎通ができるんだね! だったらフォイル、私に外のことを教えてくれ。何でもいい。どんな些細なことでもいい」

「お前……何も知らないのか?」

 興奮していた司は、その言葉にきょとんとした。学校では成績も良く、歴史の授業も真面目に聞いている。確かに外のことに関しては危険ということ以上のことは教わっていないが、それでも自信はあった。教わったことなら知っている、そのつもりだった。それともまだ教わっていないことがたくさんあると言うのか。

「私の叔父はこの世界で一番偉いんだよ。この世界のことなら私は何でも……いや何でもは言い過ぎだな、学校で習ったことなら知ってるんだよ」

「! 王族なのか……!?」

「その言い方はあまり好きじゃないが、そういう言い方もできるね」

「じゃあ交換条件だ。オレはお前に外のことを教えてやる。代わりにお前は、城の中のことを教えろ」

「なっ、仲良くしてくれるのか?」

「ああ、仲良くやろう」

 司は目を輝かせた。まさか本当に仲良くなれるとは思わなかった。嬉しさが込み上げる。純粋にただ、嬉しかった。

 この時はまだ、彼に他意があるとは思いもしなかった。



 それからは司は頻繁に城を抜け出し、幾度とフォイルと逢瀬を重ねた。他の者には内緒だが、一番の友達の女の子だけには、嬉しさのあまり逢瀬のことを話した。とても驚いて心配そうにしていたが、咎めはしなかった。

 外の男とは歳の差が三つと歳が近いこともあり、話も弾んだ。中でも盛り上がったのは、食物の事情だ。城の中の者は口から食物を摂取するが、外では液体食糧を首に刺す。好奇心旺盛な司は興味津々でフォイルの装着しているヘッドセットや首輪を調べさせてもらった。代わりに城の食べ物を渡したが、フォイルは上手く食べられないようだった。ミルクの実は飲めるようで、初めての『味覚』に不思議そうな顔をしていたのが面白かった。



 ある日フォイルは司に端布で作った歪な花の髪留めをプレゼントした。

「目を瞑れ」

「何だ?」

「綺麗な髪だから」

「?」

 言われるままに目を閉じた司の髪に端布の塊のような髪留めをつけるが、司はすぐに「取っていいか?」と言った。

 何かプレゼントをと思い、試行錯誤を重ねて作り上げ、歪ながらも花とわかる形に完成したと少し自信もあったのだが、つけてすぐに取りたいと言われるとは思わなかった。

「頭につけられると私から見えないじゃないか。私も見たい」

「あ、ああ……わかった」

「見たらまたつけてくれ。大切にする」

 はにかむように笑う。

 プレゼントが気に入らなかったわけではないと気づき、フォイルはほっとした。

「これは何の花だ? 私の知ってる花かな」

「偶々見つけた絵本に描いてあったものを真似たんだが……花なんか見たことないし」

「花を見たことがないのか? 城にはたくさんあるぞ?」

「いつか見てみたいな。本物の花」

「そうか……じゃあ見せてやらないとね」



 着々と二人は仲を深めていき、外の人間の何が危険なのかと司も警戒することをやめた。城の中でも外でも心を通わせることができる。それが司にとって一番の収穫だ。『今』が一番、充実していた。

 街の人々を見ていて薄らと司は気づいていた。これはきっと、恋人というものなのだろうと。それはとても幸せなことで、とても気恥ずかしい、くすぐったいものだった。

「野暮なことを訊く。お前はオレの何処が、すっ、好きなんだ?」

「そうだね……有り体に言えば、全部かな」

「有り体って……一般的な答えが聞きたいんじゃなくて、お前の答えが聞きたいんだ」

「私の答えだよ」

「……じゃあ、しつこいこと訊くぞ。その全部の中で特に好きな所は? あと嫌いな所は? いくら好きでも一つや二つあるだろ」

「好きな所は、私を想ってくれている所かな」

「それって、自分に都合が良いから好きってことか」

「そうだね。私はイルのことが好きだからね。イルが私を想ってくれているのは都合が良い。嫌いな所は……嫌いだと思った時に言うよ」

「じゃあ今は嫌いな所がないのか?」

「ないわけじゃないと思う。でも改めて言われるとすぐに思いつけない」

「こんな風に質問攻めにする所は嫌いじゃないのか?」

「わからないことがあれば質問するというのはいけないことじゃないよ。納得するまで質問すればいい。納得したか?」

「う……うん。お前からは何か質問とか……ないのか?」

「ないね。イルが私を想ってくれているということだけで充分だ。それだけわかればいい」

「そ、そうかよ」

「気分が良いからキスというものをしてくれてもいいよ」

「い!? しっ、しねーよ!」

「ふふ。面白いなぁ」

 こうした日常がいつまでも続くのではないかと、そう錯覚するほどには『今』は幸せだった。



 歯車が軋みを上げて狂いだしたのは、いや、奇跡的に噛み合っていた歯車を壊してしまったのは、どちらからともなく自然なことだったのかもしれない。

 司が度々城の外へ出ては誰かと会っていることが、城の中の者に漏れた。父や叔父、その周辺には知られていないようだったが、城内の低い身分の者達の耳にはじわじわと広まっていた。司が外に出て誰かと会っているということは、友達の女の子にしか話していない。おそらく司の様子を訝しんだ者達が司の友達に詰め寄ったのだろう。――いや詰め寄ったというのは適切ではないかもしれない。友達だと思っていた女の子は、コアの者が司の監視にと使わせていただけの者だったのだろう。

 外の人間は、城の中の者にとっては『危ない生き物』に過ぎない。外の人間に無闇に接触することは許されておらず、許可を取りつけることも容易ではない。そのため司が仲良くなった外の人間を上層には伝えず秘密裏に城に招き入れ、調査――いや、外の生き物を知るための実験体として下等な扱いを強いたいと提案してきたことにも納得はした。司からしても、父達の耳にこのことが届くと面倒だと、下層の者達の要求を呑むべきなのだろうと思った。

 それとほぼ同じ頃だっただろうか、フォイルが城に近付いたのは復讐のためだったと知る。つまり自分は、司は、フォイルが城へ潜り込むために利用されていたのだと気づいた。一抹の寂しさを抱くが、司は何も言わずフォイルに従い、何も感じていない風を装った。

 司はフォイルのことが好きだったから彼の言う通りに城内へ招き、フォイルは司のことが好きだったからこれ以上の迷惑は掛けまいと一人で行くことを決めた。取り残された司は、結局私は何をしたかったのだろうかと、フォイルの背を見送った。頭の髪留めは名残惜しそうに咲かせたままで。



 たった一人で何ができると言うのだろう。敵地に単身で、死にに来たのだろうか。

 司と恋仲になっても、復讐心は薄れてくれなかった。いやその仲すら、偽りだったのかもしれない。



 涙は出なかった。寂しさはあったが、悲しいとは思わなかった。所詮は相容れられない存在だったのだろう。

 無意識に司の足は動いていた。走り出すと止まらなかった。

 下層の者達にフォイルを売ったのも、

 フォイルの復讐に手を貸したのも、

 どちらも掻き回してしまって、悲しいはずがなかった。

 まだ幼い愚かな自分が蒔いてしまった種だ。どちらが大切かなんて、考えるまでもなかった。


「イル!!」


 白い廊下に、べったりと彼は張りついていた。

 やはり一人では敵わなかったのだ。フォイルを狙う幾つもの銃口が憎い。

 司は護身用に持っていた銃を迷いなく抜き、躊躇いなく引き金を引いた。的確に敵の急所を撃ち抜く。

「イル! 生きてるか!?」

 フォイルの腕の中には、二歳ほどだろうか幼児が抱えられていた。幼児は意識はあったが、泣きもせずぼんやりと虚空を見ている。両眼には包帯が、片側が血だろうか赤く染まっていた。

 フォイルの復讐とは、城から家族を奪うことだった。フォイルから家族を奪った城に、同じ苦しみを与えようとした。

 包帯の子供は司の知らない子供だった。誰の子供かは知らないが、怪我をしているから、治療を受けているところだったようだ。両眼を包帯に覆われているので、何も見えておらず、何が起こっているのか理解していないだろう。

「う……」

 フォイルが身を起こす。怪我はしているが、動けるようだ。

 膝をつき支える司に、フォイルは荒い息のままぼやくように言った。まさか追い掛けてくるとは思わなかった。司の声に、酷く驚いた。

「騙しててごめん。でも……本当は利用するだけのはずだったのに、今は司のこと本当に好きになってしまって、こうやって迷惑を掛けることになって申し訳なかったと思う」

「…………」

「司、今の気分は?」

「……良くはないね」

「そうか……でも、これからどうなるかわからないし、お前がいつも言ってくれてたのにオレはいつも拒絶してたから」

「?」

「キスというものをしようか」

「え……?」

「したかったんだろ?」

「は!? そ、それは……お前がしないとわかっていたから、からかっていただけで……こんな所で……こんな時に……さ、さっさと復讐なり何なりしろ! 私はもう行く!」

 咄嗟のことで狼狽し立ち上がろうとした司の腕を掴み、引き寄せた。

「んっ……!」

 強引に口付けられ、目を見開く。

「…………砂の味がする……外の世界の味がする。お前とキスなんてするんじゃなかった。私に都合の悪いお前なんか嫌いだ! でも、死んだら……殺す、から」

「じゃあ、お前に都合の悪いオレが死んだら、また好きになってくれるか?」

 司は泣きそうな顔をした。

「好きになってやってもいい」

 きっと涙が出ないのは、堪えていたからなのだろう。

「言ってないことがある。私は両性の畸形だ。男でも女でもあり、そのどちらでもない。こんな私を、お前はどう想う?」

 フォイルは吐息のような掠れた声で答える。

「どんなお前でも……オレはお前が、好きだ。利用していても、利用されていたとしても、お前のことが……」

 その言葉がきっかけだった。その言葉で司は、城に反旗を翻すことを決意した。生まれた時から畸形であることで差別を受け、奇異の目を向けられ続けていた司が、偽りではなく生まれて初めて他者に受け入れられたことで、それまで仕方ないことと思い気に掛けず過ごしていた時間とは違う時間があったのだと知った。

 包帯の子供を腕に抱え立ち上がるフォイルを支え、司は彼と一緒に城の外まで走った。司は城の外で暮らすことはできない。ヘッドセットも首輪もないのだ。それに――――。司はフォイルと共に、生きることはできない。

 後ろから追手が来る。司がいる所為で無闇に銃を撃てないでいる。

 城の外のゴミの上で、司は立ち止まった。フォイルはそのまま振り返らず、外に走った。

 城の者達は一斉に自動小銃を構えた。そのまま司は何もしないつもりだった。だが体は無意識に動いていた。近くの者から蹴り飛ばし、銃を引っ手繰った。

 そして誰よりも早く、引き金を引いた。

 乾いた音と共に、視線の先で男が倒れた。動かなかった。動かなくなった。霞んだ視界でその赤だけは鮮明に浮かび上がり、まるで花が咲いたようだった。

 動かないことを確認し、城の者達は毒の外に長居は無用と忙しなく中へ戻っていった。連れ去られた子供には気づいていないのか、駆け寄る者はいなかった。

 後に残された司は、倒れて動かないままの男の姿を見詰め続け、堪えきれなくなった涙が一気に溢れた。

「うわあああああああ!! あああああああああ!!」

 おそらくこれだけ泣くのは最初で最後だろう。

 頭についた端布の塊のような歪な髪留めを震える手で捥ぎ取り、涙でぐしょぐしょになりながら握り締めた。

 その日は泣いた所為か外の空気に当たり過ぎた所為か、喉が嗄れて喋れなくなった。

 もう二度と、大好きな人とは喋れないのだから、一生声が出なくてもいいと思った。

 復讐の目的が人攫いなら、最初から私を攫ってくれればよかったのに、そう思わずにはいられなかった。

『さようなら』は、どうしても言えなかった。


     * * *


 城を出るのにせめてナイフの一本でもと、何も武器を得ていなかった雪哉と千佳はそれぞれナイフを持たされた。果物を切るような小さなものではなく、サバイバルナイフのような厳ついナイフだった。なるべく使いたくないものだ。ずしりと重い感触に気が引き締まる。

 街の隅の人気のない物陰で千佳はナイフを一振りする。

「リセットできないゲームって感じっすね……」

 緊張感があるのかないのかわからないことを言い、外套を翻す。頭にはヘッドセット、首には細い首輪が鈍く輝く。確かにゲームの中だと言われればそうだと思い込んでしまいそうな世界観だ。

 銃が使えるなら銃でもと提案はあったが、銃を扱える経験値など持ち合わせていない。かと言ってナイフを人に向ける経験値も不足しているが。ゲームとするならば、レベル1で高レベルの大勢の敵の中に放り込まれるということか。

 ヘッドセットの機能で、威力がそれほど高くない銃弾なら防げるという防弾膜というものを教えてもらったが、銃弾の威力など、撃たれてから即断できるものだろうか。

「玉城君は運動とか得意っすか? 何かスポーツとか……あ、部活は……って、やっぱり覚えてないっすかね……?」

「……覚えてないみたいだ。ごめんな、いざって時は俺を置いて行ってくれればいいから」

「ぐはぁ! そっ、そんな目で私を見ないで! キュン死するっす!」

 キュン死? と雪哉は怪訝な顔をするが、また何か自分が覚えていないだけだろうと深く尋ねないことにした。それより、どんな目をしたんだ俺? と視線を逸らす。

「司から話は聞いているが、お前はあまり走れないということでいいんだな?」

 術後まだ経過観察中の雪哉を見遣り、クロは少しだけ考える。

「俺、結構お荷物だよな?」

 自覚はあった。いざという時にまともに逃げることも叶わないこんな体では、完全な足手纏いだ。

 雪哉は今、元の世界の記憶が殆どない状態だ。元の世界に戻らなければという気持ちはあるが、どうしても戻らなければという意志が稀薄な気がする。違界の城の外は危険だと言うが、中の街は皆正常な生活ができていると思う。外に出て足手纏いになるなら、何ならこの街で暮らしてみてもいいのではないかとすら思う。

 だが同じように転送されてきた千佳は、雪哉と共に元の世界に帰りたいようだ。話す限り初対面だと思うのだが、元の世界の何処かで繋がりでもあったのだろうか。

「玉城君はお荷物なんかじゃないっすよ! きっと運動神経が良くて足も速いに違いないっす」

 根拠も何もないのだが。

「それは買いすぎじゃないか?」

 さすがに苦笑する。

「え? だって玉城君の制服に校章の他にバッジがついてたっすよね?」

「バッジ?」

 外套を捲って制服のブレザーを見てみると、確かに襟にはバッジが二つついていた。こういうことも雪哉は記憶にないため気づけなかった。雪哉の記憶には今は無いが、生徒会のバッジだ。今はもう生徒会長ではないが、癖でまだつけていた。

「きっと凄い役職のバッジっすよ。会長とか! そういう人は何でもできるって相場は決まってるんすよ」

 やはり何の根拠もなかった。

「んー……それで納得はできないけど、どのみち走るなって言われてるからな」

「はっ! そ、そうだったっす!」

 話がフリダシに戻った。おとなしく静聴していたクロは、もういいか? という風に静かに首を傾ぐ。

 その時だった。

 重い轟音と共に、地面が揺れた。

「! な、何すか地震すか!?」

「地震というより地響きだな。大砲でも撃ったのか?」

「何かの訓練とかっすかね!?」

 クロに視線を送ると、彼もまた想定外とばかりに辺りの様子を窺っている。

「日常的にこういう音が鳴ることはない。今日何か行うということも俺は聞いていない。司に連絡を取ってみる。暫く待機していろ」

 二人は無言で頷く。

 想定外の何かが起こっている。そのことだけはわかった。

 胸騒ぎがした。言い知れぬ不安が襲う。


     * * *


「城へ行くにはこのルートが最短よ」

 結理を先頭に、ルナ達は視界の悪い廃墟を行く。

 建造物の中や物陰に注意を払い、時折現れる殺意に結理が素速く対処する。

 統率の取れた人間が大挙して襲うことはない。違界の性質上ありえないこととして思考から除外する。疎らに襲ってくるだけなら、足手纏いを連れていようが結理一人で充分対処可能だ。

 ルナ達がいた場所から城へは然程遠くはなく、走ればすぐに着くとの結理の談だが、結理の走る速度が思った以上に速い。途中でルナに「背負いましょうか?」と提案するが、断固としてルナは首を横に振った。怪我を負っているならまだしも、無傷の状態で同じ年頃の女子に背負われるのは抵抗があった。

 それでも走れば、結理の想定した時間よりは掛かったが、一日経たずに着くことはできた。途中で休憩は何度か挟んだが、ルナの脚はぱんぱんになってしまった。モモですらけろりと走っているのに。違界暮らしが長いと足腰が鍛えられるらしい。

「青羽君はそこで休んでいてちょうだい」

「……え?」

 着いたとは言われたが、そこには変わらず廃墟が寂しげに立っているだけで、あとは瓦礫しか見当たらない。城と言うからにはもっとわかりやすい大きな建物があると思っていたのだが、そのようなものは視界に入らなかった。

「城は……?」

 疑問を投げ掛けてみたが耳に届かなかったようで、結理は慎重に辺りに意識を注いでいる。

 話し掛けてはならない雰囲気に、ルナは一歩下がって椎に視線を送る。

「ここに城があるのか? それっぽいのは見当たらないけど……」

 椎も警戒はしているようだが、ルナの声には応じてくれた。

「正確にはもう少し先なんだけど、身を隠せる所があるのがこの辺りまでしかなくて、そこから城までは何もないんだよ。瓦礫は少しあるみたいだけど」

「何もない……?」

「誰が近付いてきても広く見渡せるように城の連中が周囲の建物やらを潰したって話だ。これが厄介なんだよな……身を隠せないと一方的に狙われるし、この辺りからは銃も届かない」

 ラディは苦々しげに唇を噛む。

「え、でも技師は城周囲のゴミを漁りに来るって……」

「技師には転送装置があるからなぁ……城の中へは転送できないらしいけど、その周りなら自由に行けるから。転送装置がなくても攻撃を防ぐ装置とか、技師なら何でも作るし。技師さえいればな……」

 大きく溜息をつく。違界では技師の存在は本当に大きいようだ。違界の技師に不可能なことなんてあるのだろうか。

「じゃあ俺達はどうやって城に近づくんだ? ここにいても技師が通るかわからないよな?」

「技師がいないってことは正面突破だろうな。防弾膜か防弾壁を張りながら走る。滅茶苦茶大変だぞ」

「武器は出しておかないと」

「おお、そうだな」

 椎も両手に銃を握る。椎には防弾膜はないはずだが……。

 ラディは椎を支えているので武器は持てないが、椎の足としての役割がある。モモもナイフを取り出すが、幼いモモにはあまり戦わせたくないものだ。

 戦闘準備に取り掛かる皆を見て、ルナも気は進まないが大鎌を形成する。やはり何度見ても大きいし、目立つ。この先は見通しの良い何もない地だと言うし、目立つ鎌を持つルナは一番の的になるのではないかと嫌な考えが浮かぶ。

「……あら、全員戦う気が満々なところ悪いのだけれど、私は転送装置を持っているから、私一人で行くのよ?」

「えっ」

 全員気の抜けた声を上げた。

「青羽君を危険な所に連れて行くことはできないわ。それにここを走り抜けるより、私一人で転送でパパッと行ってしまった方が早――」

 結理が話し終える前に、何もない方から腹に響く轟音と地響き、土煙、そして火柱が上がった。

「!?」

 突然の音に結理以外はびくりと硬直した。結理だけは素速く身を伏せ、ルナ達も慌ててそれに倣う。

 また爆撃機が飛んできたのかとルナは空を見るが、何も飛んでいる様子はない。

「誰か地雷原に入ったわね」

「地雷……!?」

 不穏な言葉に、ルナは思わず鎌の柄を握り締める。

「この一見何もない地面に城が地雷を埋めているのよ。コツがわかれば避けられるのだけれど、無知な馬鹿は地雷が埋まっていることも知らずに吹き飛ぶわ」

 ぞくりと背筋が寒くなる。ラディとモモも初耳だという顔をしている。地雷原だと知らなかったらしい。知らずに走る前で良かった。

 同時に、地雷と聞いてルナは真っ先に椎の姿が浮かんだ。見るとばつが悪そうな顔をしている。

「椎が両脚を失った場所ってもしかして……」

「うう……。うん……そうだよ……」

 無知な馬鹿がここにもいたのね、と結理は辛辣に零す。

 椎がここで両脚を失ったと言うのなら、義足を与えられたのもこの近くのはずだ。椎に義足を与えたのはあの天才技師の紫蕗だ。そういう技師に会える可能性が、ここにはある。

「先客がいるのなら、少し様子を見ましょう。城の目があちらに向いている隙を狙う手もある。利用できるものは利用するわ。無駄死にだけはご免だから」

 こくんと全員が頷く。今の地雷の様子を見た後では、考え無く正面突破などと言えない。

 何処の誰かは知らないが、助けに行くこともできない。

「ここからじゃよく見えないな」

 ぽつりと漏らしたルナに、結理は迅速に反応した。

「千里鏡ならあるわよ、青羽君」

 直ぐ様望遠鏡を取り出しルナに手渡す。用意が良いと言うか何と言うか。

「遠くまで視界が良好ではない違界で使うことはほぼほぼないのだけれど、向こうの世界では使うこともあるのよ」

 それは違界では役に立たないものと言っているようなものだが、シルエットくらいは見えるかもしれないとルナは望遠鏡を覗く。

「どうかしら? 何か実りあるものは見える?」

「ちょっと待って……景色が同じだから、どの辺りか……」

 少し時間は掛かったが、薄れてきた土煙が見えた。

 そこまで見てから、地雷で吹き飛んだ人間を見ることになるのではと急に怖くなった。探す手が一瞬止まる。

 ルナの様子に気づいたのか、結理は望遠鏡のレンズに手を当てた。突然視界が真っ暗になり、ルナは慌てて目を離す。

「いいのよ青羽君。無理をして見なくても。私達には日常的な光景だけれど、青羽君には刺激が強すぎるでしょう?」

「あ……いや、そういう、わけじゃ……」

 そういうわけだったが、上手く繕えなかった。これが日常的な光景と言う結理が遠い存在に思える。いや結理を近い存在と思ったことはないのだが、更に遠いと言うか、次元の違う存在のように思えた。

「見る、から……」

 上手く言えなくて、誤魔化すようにルナは再び望遠鏡を覗いた。何も見えなければいいのに、そう思いながら。


     * * *


 違界で自暴自棄に陥って自滅する者は多いが、誰かを救うための自己犠牲にはあまり覚えがない。

 目の前の少女は極度の興奮状態なのだろう。歯止めが利かなくなってしまっているのかもしれない。

 そう紫蕗は冷静に考える。

 でなければ、この目前に広がる何もない地面が地雷原だと話した上で即刻行こうとは言えないだろう。状況が理解できていないのか、そもそも地雷というものを知らないのかもしれない。

 そこで紫蕗が取った行動は、近くに幾らでも転がっている瓦礫を地雷原に放り込むことだった。

 このくらいの大きさでいいかと人の頭ほどの大きさの瓦礫を拾う。

「よく見ていろ」

 まるで野外学習のようだった。

 紫蕗は思い切り遠くへ瓦礫を投擲した。

「!」

 地面に当たると同時に瓦礫は木っ端微塵に吹き飛び土煙が上がり、幾つか周囲の地雷が誘爆し火柱が上がった。

 その光景に灰音は驚かないが、稔は唖然と口を開け、花菜も茫然と兄の服を掴んだ。

「ここを無闇に歩けばこうなる。最低でも片足が吹き飛ぶと思え」

 だが現実を突き付けても、彼女は後に引こうとはしなかった。

「で、でも! ここを行かないとお城には行けないって……じゃあ、ここを通るしかなくて……」

「俺一人なら安全にここを渡れるが、転送に巻き込んだ責任はあるとは言え、準備なく誰かのために単身で城に近付いてやる義理はない。それより余程知識も装備も覚悟もない人間が行くというのは、死にに行くようなものだ」

「ぼっ、防御の……」

「地雷の威力なら防弾壁もしくは防弾室だが、それらは自身と接地している箇所には展開されない。……つまり足下、地面には張れない。地雷を防げない」

「そ、空を飛ぶ何か……」

 これには紫蕗はぴくりと反応するが、小さな変化ゆえ誰も気づかなかった。

「こいつはいつもこんな風なのか? もう少し素直に聞き分けてくれると助かるんだが。義理はないが行ってやってもいいと言ってるんだぞ」

 そんな風には言ってなかったと思うが、花菜は紫蕗一人だけを行かせることも、自分が残って待っていることも耐えられないようだった。

「きっと素直な良い子だから、紫蕗君だけを危険な所に行かせることができないんじゃないかな。僕も雪哉を助けに行きたい気持ちは同じだよ。大事な弟だから」

 稔の率直な意見に、紫蕗は地雷原に目を遣る。

「……それには同意しかねる。兄なら妹を御せ。向こうにも兄がいると言うが、止めない理由が俺にはわからない。見殺しにすることにもなる」

「紫蕗君も、優しい子だね」

「……会って間もないが、嫌いな人間だ」

 それは誰に向けて言ったのか、誰にもわからなかった。

「お前は地雷の位置はわかるか?」

 話を切り換え、灰音に問う。

 灰音は地雷原を見渡す。

「……わかれば苦労はしない。わかりやすい所はわかるが」

「これを足につけろ」

 そう言って足輪を手渡す。

「これは?」

「地雷を感知する。ヘッドセットを通して脳に直接場所を知らせる」

「……代価は」

「いい。後で返せば問わない」

 くれるんじゃないのか……という不満そうな顔をしたが、紫蕗は無視した。

「二人にも一応渡しておくが、彼女はおそらく躱せない。短い間だが、そう思わざるを得ない程、反応が鈍い。お前のことは知らない」

 妹を鈍いと言われ、稔は苦笑しながらも納得する。稔の反射神経では躱せるのだろうか? 運動神経は雪哉と同じく良い方ではあるが。

 花菜は『素直で良い子』と稔は言ったが、それ以上に、一つの物事しか見えなくなる性質があると彼は懸念している。以前にも似たようなことがあった。花菜が小学校に入学する前だっただろうか、彼女は事故に遭って入院した。その時に雪哉のために無断で病院を抜け出した。少々無茶なことをする性質がある。雪哉は知らないだろうが、元々事故に遭った時も、道路で転んだからではあるが、出掛けた理由は病院の件と同じだ。一つのことに没頭してその他のことには盲目になるとでも言えばいいのか、すぐに転んだりすることも、他のことに意識が向きすぎているからだろうと稔は考える。

 ここで花菜を引き止めて安全な所で待たせようとしても、すぐに飛び出して行ってしまうだろう。ここが地雷原だと言ったが、雪哉のことで頭が一杯で、おそらくすぐに地雷のことは頭から抜け落ちる。不意の行動に焦るより、最初から一緒に連れて行った方がまだ行動が読めるかもしれない。恐怖で震えて動けなくなってくれていれば、どんなによかったか。稔の知らない間に花菜のそういう部分も残酷に強くなってしまったのか。

 紫蕗はまだ出会って然程経っていない。花菜の性質も理解しきれないだろう。花菜のことは兄である稔がよく知っている。そのつもりだ。何かあれば守ってやれるのは、この中では稔しかいないだろう。

「花菜のことは僕が守るよ。兄だからね」

 何より今度は、逃げたくなかった。

 兄妹というのはよくわからない、と紫蕗は怪訝に眉を顰めた。

「俺とこいつが踏んだ場所は安全だ。感知器に反応できないなら軌跡を辿れ」

 こいつ、と灰音を指す。灰音の反射神経は信用しているのか――いや違界人なら躱せるものなのか。

 灰音は花菜を一瞥し、死にたがり、と思ったが、灰音が守りたいのは椎ただ一人だ。椎のためなら危険な城へも行くし、椎以外が何処で死に絶えようと興味はない。

 必死に引き止めることはしないが、違界を甘く見ている。紫蕗と灰音はそう思った。

「……ところで、二人は走るのは得意か?」

 はっとしたように紫蕗が尋ねる。今思い出したという風に。

「? 僕はそこそこ……花菜は苦手、かな」

 花菜が気まずそうに目線を逸らす。

「だろうな。城まで三キロメートルほど走るんだが」

「え!?」

 二人は同時に声を上げる。稔はその距離なら走れるが、花菜には難しい。走れないならこれは諦めるしかないのか。紫蕗は花菜を連れて行くことを渋っていた。置いて行くには都合の良い理由だ。

 だが紫蕗は、もう諦めたと言うように小さく頷いた。

「わかった。走れるようにしてやる。体に負担は掛かるが」

「花菜が走れるように……? 本当に?」

「俺を誰だと思ってる」

 ここで無理だと言って置いて行くことは勿論できる。それでも、花菜の意志を尊重した。残酷な尊重だと思った。

 全員分の転送装置を用意して城の前まで転送することも可能だったが、装置も無限ではない。こんなことで無駄にしたくないという気持ちが強く、言い出さなかった。この厄介な青界人をこれ以上どう扱えばいいのかわからなかったのかもしれない。天才と言われる紫蕗でも。


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