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鳥になりたかった少女4  作者: 葉里ノイ
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第五章『逃』

  【第五章 『逃』】


 ポラに案内され市場まで出てきた一行は、見慣れた食材の中に時折混じる見慣れない食材に度々足を止める。食材の他にも繊細な装飾品や日用品なども青空の下並んでいた。穏やかに活気のある市場は、危険だという違界のど真ん中に存在しているとは思えない。

「あのキラキラしてるの、凄く綺麗っすね!」

 興奮しながら指を差す千佳の視線の先には、色取り取りのアクセサリーが並んでいた。

「宝石なら高そうだけど……」

 司の財布の中身を考えるが、違界の通貨にはまだ疎い。相場もわからない。

「宝石……? 昔はあったっていうやつか? これは硝子ってやつだぞ。こういうのは全部色硝子なんだってさ」

「ユトは物知りだな」

「おい、馬鹿にすんな」

 褒めたつもりだったが、ユトは雪哉の腕を叩いた。いやもしかしたら照れ隠しかもしれない。

「硝子でも綺麗っすよ。ね、ポラちゃん」

「!」

 突然話し掛けられたポラは慌てて頷く。

「あの赤いのとか、綺麗っす」

 大きな赤い硝子が嵌め込まれ繊細な装飾が施されたブローチ。

「俺がこんな状態で迷惑かけてるし、まあいいんじゃないか」

「え?」

「一つくらいこういう物を買ってみてもいいだろ」

「えっ! え!? いいんすか!? 付き合ってないのに!?」

「いやそれの意味はわからないけど」

 違界に来た時から大怪我で、しかも記憶も曖昧。こんな人間に付き合わせているのだ、少しくらいお礼もしたいと雪哉は思う。司の金ではあるが。

「私、一生大事にするっす……お墓に一緒に埋めてください……」

「何でだよ」

 ツッコミを入れつつ、頭から布を被った露店の店主に赤いブローチを注文する。値段についてはよくわからないが、財布の中身はそれなりに減った。この城の中というのは本当に外とは違う時間が流れているのだなと思う。危険な外ではきっと身を飾るだけの装飾品なんて売られていないだろう。

 幸せそうに千佳がブローチを受け取ると、店主は「これもつけておくよ」と緑の指輪も袋に入れた。「おまけまでくれたっすよ、良い人っすね」と千佳は満足そうだ。

 ブローチを直ぐ様服に付けようか迷うが、大事そうに鞄に仕舞う。折角買ってもらったのだ、紛失しては大変だ。

「この指輪は玉城君にあげるっす。ブローチ買ってもらったお礼っす」

「え? ああ……じゃあ」

 指輪はつけないだろうなと思ったが、折角の好意を受け取っておく。勇気を出したのだろう照れながら差し出すので、それを断ることも憚られる。

 その後もあちらこちらへ目移りしながら市場を歩くが、一番多いのはやはり食材の店だ。見慣れない食材も多く、千佳の関心もそちらへ向く。

「何すか? この花みたいな……花?」

 白いキャベツのようにも見えるが、牡丹の花のようにひらひらと大輪を咲かせている。

「おっ。嬢ちゃん、お目が高いね! 今日の淡雪菜(あわゆきな)は特に甘いよ」

 店の男性が声を掛けてくるが、とりあえず頷くしかできない。初めて聞く名に。

「本当に何も知らないんだな……」

 ポラが心配でついてきたユトだったが、呆れたように声を漏らす。

「ちっ、何だ畸形か。畸形に売るもんはないんだよ。帰りな」

「は?」

 畸形に対する差別が酷いとは聞いたが、これ程までとは。千佳と雪哉も良い気はしない。

 ユトは喧嘩腰で店の男を睨みつけるが、ポラは及び腰で雪哉の後ろに隠れる。

 ここで騒動を起こすことは避けたい。万一二人が違界人ではないと知れれば面倒なことになるだろう。できるだけ穏便に済ませたい。

 雪哉は威嚇するユトの頭にぽんと手を載せ、店の男に対峙する。

「オジサン、買物してんのは俺なんだけど。ちゃんと客の相手をしてよ」

「……っ!」

 威圧するように目を逸らさず、目に笑みは湛えず微笑む。

「あ、ああ……好きに見てってくれ」

 男は一歩引いて、そのまま何も言わなかった。

「眼力やばいっす……痺れるっす」

「褒めてないぞ」

「お前、凄いな」

 感心したようにユトが言うと、ポラもこくこくと頷いた。

「人の多い市場に連れ出しちまったのは俺達の責任だからな。詫びに何か買ってやるよ。俺の金じゃねーけど」

 すっかり懐いたか、ポラは雪哉の袖を掴み、ユトも彼の服を掴む。見た目は小学生くらいに見えるが、相応に幼いのだと微笑ましくなる。

「じゃあ、あれ。ポラもあれ好きだ」

「あれ?」

 ユトが指差したものは、グレープフルーツほどの大きさだろうか、黒く堅そうな実のようだった。形は檸檬に近い。

「何だあれ? ちょっとでかいアボカド?」

 思ったままを言ってみたのだが、「違う」とユトに思い切り尻を叩かれた。

「あれはミルクの実だ。熟すと中身が溶けて液体になって、甘くて美味しい」

「ふぅん……ココナッツミルクみたいなものか? ちょっと違うけど……俺も飲んでみたいな」

「私も!」

 千佳が大きく手を上げるので、ポラもそれに倣って控えめに手を上げる。

 人数分ミルクの実を買うと、店の者は工具で実に穴を開け、木の枝を差してくれた。

「何すかこの枝」

 実に差された細い枝を不思議そうに見詰める千佳。

「その枝は中が空洞になってるんだ。吸うと飲める」

「へー」

 蓮の茎も中身が空洞でストローのように飲めるらしいが、そういうものだろうかと雪哉も興味深く枝を抓んで見る。

 お手本とばかりに真っ先にユトはストロー枝に口を付ける。子供らしい幸せそうな顔をする。

「お。美味い」

「確かに甘いっす! 毎日でも飲みたいっすね……」

「これも土産に買っていくか。日持ちすればいいけど」

「熟してない若い実なら結構持つと思う。完熟後は腐敗が早いし」

「現地民がいてくれると助かるな」

 若い実を幾つか見繕い、司の財布から支払う。ユトがいてくれて本当に助かる。ポラも道案内はしてくれるが、人見知りなのかあまり話してくれない。

 ミルクを啜り、のんびりと歩く。

「――あ、あれは何すかね? 果物?」

 次の食材に興味を移した時だった。


「おお、いたいた」


 聞き慣れた声に呼び止められた。

 振り向くと、外套にフードを被った人物が――二人。

「増えたっす」

 一人は司だろうが、もう一人その後ろにいるのは誰だろうか。司より背が低い。

「楽しんでるようだね、諸君」

「用は終わったんすか?」

「終わったのと、これからのとね。ついてきてもらってもいいかな?」

「構わないけど……」

 じっと立って待機している背後の人物が気になる。ユトとポラも警戒しているようだ。面識はないらしい。

「二人共、ご苦労様」

 警戒するユトとポラとはここで別れるらしい。二人に知られてはいけない所へ連れて行かれるのだろうか。二人は特に何も言うことはなく、素直に司の言う通りに従う。

 ここでは雪哉と千佳は完全に浮いた存在だ。その中で司が浮かないように繋ぎ止めている。司の言うことには逆らうわけにはいかない。穏便に事を運ぶには従うことが最善だ。

 詳細は聞かず司の後について行くと、やがて街外れの川に着いた。先に司が話していた街を分ける川の一角だろう。近くに民家はなく、人の気配もない。

「ここはコアの管理する区域でね、一般人の立ち入りは禁じてはいないが、あまり人は近づこうとしない場所だ。

 ――さあ、いいよ。水藻」

「……わざわざ人を呼んで見世物になるのは嫌なんだけど」

 黙って司についていた人物は初めて口を開いた。少年の声だった。

 水藻と呼ばれた少年は外套を脱ぎフードを取り、ブーツも脱いだ。腕や脚は怪我でもしているのか包帯が巻かれているが、それよりも。

「……!」

 淡い水色の髪と灰色の双眸は透き通るようで、頭に二本の角が生え、そして手足に水掻き、爪は赤い。平たい尾まで生えていて、一目で魚型の畸形だとわかった。

「綺麗な人魚っす……!」

「人魚ってか、半魚人?」

 各々素直に感想を述べる中、水藻は一切反応せずとぷんと川に飛び込んだ。必要以上に飛沫を上げず、静かに呑まれるように水へ沈む。

 沈んだまま、暫く川底を泳ぐ。

「水中でも呼吸できるのか?」

「ああ。地上でも水中でも呼吸はできる。だがあまり水のない環境が続くと体に負担があるようでね、定期的に水に入れてやらないといけない。コアの中にも水槽はあるが、やはりこういう広い場所で泳がせてやるのが一番だ。常に水中に居続けることもできないが」

「魚っぽい尻尾が生えてるっていうのが何か変な感じだけど」

「二人共すぐに魚だとわかったようだが、何の魚かわかるか?」

「何の……?」

 川底を泳いで満足したのか、水藻が水面に顔を出す。その顔を二人で凝視すると、視線に気づいた水藻はすぐに水中に頭を引っ込めた。

「……さすがに魚の種類まではな……角が生えた魚……」

「私もわかんないっす……食べる時は皆焼けてたりするし……」

 首を捻る二人に、司は「そうか」と肩を落とす。

「違界にはもう魚はいなくてね。資料不足で彼が何の魚かわからないんだ。青界に存在しない魚の可能性もあるが、青界には魚がたくさんいるんだろう? 何かわかればと思って二人を呼んだんだが、わからないなら仕方ないな」

 少し距離を取った所で再び水藻が顔を出し、様子を窺う。

「コアにはこうして何体か畸形が飼われていてね。水藻の場合は、彼の魚の細胞部分を摘出し魚の形を復元しようとしてるんだよ。そして害がなければ数を増やして、食料として流通させる」

「気持ち悪い計画」

 少し離れた川の中からぼそりと呟く。自分の細胞から作り出した生物を食べようと言うのだから、彼にとっては気持ちの良いものではないだろう。

「コアは頭がおかしい」

 淡々と吐き捨てるように言う。きちりと巻かれた包帯も、細胞の摘出時に負ったものだろう。水藻にとってコアは利のある場所ではない。

「そこでだ」

 司は頭だけ水面から覗かせる水藻を手招いてしゃがみ、雪哉と千佳にも近くにしゃがませる。

「コアで飼っている全て、というわけにはいかないが、せめて私の管理下にある水藻と、監禁されているロゼという少女だけでも、ここから逃がすことはできないか?」

 その問いに答えるにはたっぷりと時間を要した。


「……………………え?」


 逃がす? コアから? 城から? 違界から……?

「水藻とロゼは幼い頃からコアに囚われている。自由にしてあげたいと常々思っていた。だが私も外には行けない身だ。精々ゴミ捨て場にしか。外の人間は城の人間に見つからないよう慎重すぎてなかなか出会えないし困り果てていた所だ。千佳と雪哉が事故とは言えここに来てくれてよかった」

「いやいや勝手に完結させるな。俺達だってまだ元の世界に帰れる目処が立ったわけじゃないんだぞ。それに、二人を逃がしてお前はどうなるんだ。二人の管理を任されてるんだろ? 二人共いなくなったら責任を取るのはお前だろ?」

「おやおや私の心配もしてくれるとは優しいものだ」

「茶化すな」

「ロゼちゃんはどんな子なんすか?」

 二人の会話を聞きつつも、新しい名前が気になる。

「歳はポラと同じくらいだが、かなり小柄だね」

「そんな小さい子を連れて、危険だって言う外を歩くのは難しいんじゃないのか」

「だったら先にコアをぶっ潰してもいいぞ」

「簡単に言うな」

 からからと軽い調子で言う司に呆れる。一体何処まで本気なのか。

 黙って聞いていた件の中心である水藻は岸に手を掛け感情の籠らない声で言う。

「僕は無駄死にはしたくない。そんな一時の思いつきみたいな提案には乗らない」

 尤もな意見だ。

「私はその無駄死にをさせないために、水藻とロゼに自由に生きてほしいと思っている」

 はたりと会話が止み、しんとなる。それはまるで、ここにいるといずれ無駄死にすると言っているようなものだった。

「……青界人か?」

 水面から雪哉と千佳を上目で見上げる。二人がこくりと頷くと、水藻は硝子細工のような長い睫毛を伏せた。

「戦い慣れてない青界人に丸投げするな、司。どうしてもと言うなら、もっと人を集めろ。戦える奴を」

「そう……だな」

 司も静かに微笑む。

「集められるか? 千佳、雪哉」

「いや何でもう決まったみたいになってんだよ。まずは俺達が無事に元の世界に帰ってからだろ」

「でも放っておけないっすよ……」

「俺は記憶のこともあるし帰りたいんだが」

「でもそれでミナちゃんとロゼちゃんが死んじゃったら寝覚め悪くないっすか?」

『ミナちゃん』っていうのは僕か……? と水藻は首を傾ぐ。

「お前も死ぬ可能性あるからな? この件に首を突っ込むと」

「それは嫌っす死にたくないっす」

「よし。それじゃこの件は保留と言うことで」

「保留?」

「無事帰れたら、考える。あと声掛けくらいはしてやるよ。コアをぶっ潰すっていうそれ。確約はできないが」

「まあそれもそうだな。生きて城を離れられるか、まずはそれからだな。青界人に会えて浮かれて、どうやら急ぎすぎたようだ」

 しれっと言う。

「でも入ることに比べれば、出る方が容易いよ」

「そんなに危ないんすか……? ここから出るのは……」

「城の中の足止めくらいはしてやる。だが外の人間が待ち伏せている場合は二人で何とかするしかない。呼んであるからもうすぐ来るだろ」

「来る……?」

 意味深な言葉に雪哉は眉を寄せる。

「あ!」

「どうしたっ……」

 唐突に大声を出す千佳にびくりと心臓が跳ねるが、携帯端末を手に嘆く姿を見て理解した。電池切れだろう。朝までずっと司がゲームをしていたのだ、そりゃ切れる。一気に肩の力が抜けた。

「玉城君……充電器って持ってるっすかぁ……?」

「持ってないし、圏外で使えないなら別に充電しなくても」

「コンセントがあれば……」

 きょろきょろとしながら千佳が取り出した充電用のコードを徐ろに抓み、司はそれを水藻に差し出す。突然何をしようとしているのか千佳にはわからない。

「水藻、貸しを作るのも悪くないぞ。私も青界の機械に使えるか興味があるしね」

「…………」

 何のことかと怪訝に水藻に目を遣ると、端末に繋いだコードの先をぱくりと咥えた。

「えっ」

「美少年が私のコードを咥えたっす……!」

「小さな機械だから加減しろよ」

「ん」

 司がちょいちょいと端末を指差すので目を落とすと、画面に充電中の表示が出現していた。

「なっ、何なんすかミナちゃん!?」

「凄いだろう? 水藻の尾には発電器官があって、人間も感電死させられるほどの電気を作れるんだ」

「凄いっす! 人力発電っす! ……人力?」

 千佳が感動しながら首を傾ぐと、雪哉はハッとして小さく呟いた。

「……もしかして、電気鰻か?」

「! それが水藻の畸形の名前か?」

「電気を発する魚は他にもいるが、電気鰻は強力だからな……あと水中に居続けられないって言っただろ? 電気鰻もたまに水面に顔を出して呼吸する必要がある。まあ人が混じった畸形にそこが適用されてるかわかんねーけど。それと頭の角は他の何かだろ。そこまではわからない」

 電気鰻の黒い容姿を考えると、水藻の容姿は角の方の生物に近いのかもしれない。

「それで……それは食べられるのか?」

 本題はそこなのか。感情の起伏が控えめながらに水藻はコードを咥えながら嫌そうな顔をしている。

「鰻なら美味しいんじゃないんすかね……?」

 真剣な顔で千佳も会話に加わる。

「いや美味くはないと思うけど……」

 司も千佳も揃って残念そうな顔をした。そんなに食べたかったのか。水藻が複雑な顔をしてるぞ。

「だが水藻が何の畸形かわかってよかった。角の方は別の生物のようだが、複数の生物の特徴を持っている畸形も存在する。こちらも引き続き調べるとしよう」

 当の水藻は興味がなさそうだが、黙ってゆらゆらと揺蕩う姿を見ていると、きっと美しい魚なのだろうと思う。

 充電が終わるまでの間、雪哉と千佳は鞄の中を整理する。自分の履いていた靴、食料、お土産。生きるための荷物に旅行気分が入り混じる。

 司は先程から何やら小さな端末に文字や数字を打ち込んでいるが、仕事だろうか。

 その様子を眺めていると、微かな地面を踏む音が耳朶をつく。

 雪哉と千佳は音のした方向へ頭を上げると、見知らぬ人物が立っていた。街の者達とは違う異様な雰囲気を纏っており、緊張が走る。

 司も気づいて顔を上げ、こちらは警戒せず軽く手を上げて招く。

「彼の名前はクロと言う」

 何やら怪しげな仮面をつけており顔は見えないが、クロと言うらしい男は何の反応もなく黙って立っている。

「どうだ怪しい奴だろう? 私も彼の素顔は知らないんだ。クロは私のお目付役だが、コアの味方ではなく私の味方だ。安心するといい。彼は戦闘員だから、敵がいれば彼に足止めをしてもらう」

 司が眴せするとクロは小さく頷き、初めて口を開いた。

「話は聞いている。司の我儘に大分付き合わせたようですまないな」

「準備が出来次第、外に出ようか。雪哉の体も大丈夫そうだしね。でもまだもう少し、あまり激しく動かないでくれよ?」

「ああ、善処する」

 自信はないが、重傷で帰還というわけにはいかない。できるだけ安静にしていよう。

 これから危険だという城の外へ出て他の転送者達を捜し、元の世界へ戻る。一刻も早く。



 この時はまだ、雪哉の写真の少女、花菜も違界に転送されているとは知る由もなく。――いや、その溺愛していた妹のことは思い出すことはなく。


     * * *


 鈍色の廃墟群、人影のない物陰に潜み、慣れた手つきで灰音の脚に治療を施していく。素人が見ても鮮やかだった。

 こんなに幼いのにと皆が思う。

 灰音と稔には防毒マスクを外した紫蕗の顔は想像するだけだが、身長は然程高くないことはわかる。身長の高い二人からは完全に見下ろされる形になっている。

「治療はしてやると言ったが、タダとは言ってない。後で請求する」

 治療は終わったと、さっさと道具を片付ける紫蕗に灰音は声を上げる。

「はあ!? さっきの話の流れだと当然タダだろ? 花菜に弱味を握られて」

「握られてない。違界一と言っても過言ではない俺に治療してもらっただけありがたいと思え。取るものは取る」

「はあぁ!? こいつ自分で違界一とか言い出しやがった」

「異論があれば聞くが」

「……実際何も他に思い当たらないのが悔しい」

「正直で結構だ」

 本当に紫蕗は違界では有名で、名医なのだなと思う。医師としてはあまり名が上がらないが、技師としても医師としても最高レベルで優秀。知る限り彼の右に出る者はいない。

「治療、終わった?」

 負傷の様子から背を向けていた花菜は、何もない瓦礫の壁に向かって尋ねる。稔が「もう終わったよ」と告げると、それでも恐る恐る花菜はゆっくりと振り向いた。負傷の程度はあれ、大なり小なり傷の様子を見ることが怖い。目の前で人が殺される瞬間を見て以来、小さな傷にも恐怖が先行するようになってしまった。

「紫蕗君は若いのに凄いなぁ。私なんて何もできないから……」

 ぽろりと本音が漏れてしまう。二人の兄は頭が良くて運動もできて、何でもできる。実は血の繋がらない兄妹なのではないかと思うこともあった。頭も要領も悪くて運動神経もない。鈍臭くて何もできない。花菜は兄のことが羨ましかった。もう少し良く出来る子だったら、雪哉に嫌われることもなかったかもしれないのに。今は何故か優しいが、無理をしているのかもしれない、と思うこともある。

 紫蕗には花菜の歩んできた背景は知り得ないが、何かに悩むということには覚えがあった。

「何もできなくても、違界では生きているだけで凄いことだ。何もできなければ頼れる人間を見つけて頼ればいい。その人間から学べることもある。だが、ただ縋るだけの人間は嫌いだ。でも何もしなければ弱いままだ。俺も最初は何もできなかった。跟随す……後ろをついていくことしか」

「うん……」

 神妙に頷く花菜だったが、稔と灰音は、今花菜にもわかるように言葉を簡単に言い直したな、と思った。

「……でも、紫蕗君は私より若いでしょ? それなのにこんなに凄くて、凄いなぁって」

「お前、何歳だ?」

「え? 十五歳だよ。もうすぐ十六歳」

「俺は十四だ。二つしか違わない。というより、歳なんて関係ないだ、ろ……」

 灰音と稔が驚いた顔をして紫蕗を見ていることに気づく。何か変なことを言っただろうかと台詞を巻き戻してみるが、変な所はないと思う。

「え、お前……十四歳? 背は低いが大人かもとか、マスクの下はジジイかもとか思ってたんだが……十四? 本当に子供?」

「さすがに僕も驚いたよ……まだ中学生じゃないか」

 ああそうか喋りすぎたか、と紫蕗は頭を抱える。

「今のは情報料が高すぎたな。他言すれば殺す。いいな?」

 立ち上がり、今し方治療した灰音の脚を踏みつけた。

「ああああああ!!」

 花菜の心臓がヒュッと縮み上がった。

「な、なるほどな……子供だと知られれば舐められるから、素性を一切隠してたわけか……いや、でも、天才技師の噂は何年も前からあるな……? 一体何歳から……?」

 脚を解放された灰音は首を傾ぐ。一体何歳から技師として活動していたのだ? 椎の義足の頃は?

 そこまで食いつくことだろうかと紫蕗は溜息を吐き、片手を広げて見せる。

「――五歳!?」

 灰音と稔は同時に声を上げた。普段なら絶対に出さない声量で。

 天才とはこういう者を言うのかと開いた口が塞がらない。だが違界では割とある事象だったり……? と稔は考えるが、灰音の様子を見るに違界でも特異なケースなのだろう。自分が五歳の頃は何をしていたのだったかとぼんやりと考える。花菜に至ってはスケールが違いすぎて、私はやっぱり何もできてないんだなと落ち込んでいる。

「これはさすがに規格外すぎるから……比べなくてもいいんだよ、花菜」

 稔が頭を撫でると、花菜は渋々といった感じで頷いた。

「こんな彼が跟随していたなんて、きっと凄い人がいたんだろうね」

「…………」

 紫蕗は何も言わない。もう与える情報などないとでも言うように。色羽が紫蕗を師匠と慕ってくるように、紫蕗にも師匠と慕う者がいた。今では何処で何をしているのかはわからないが、腕だけは確かだった。――などと、そんなことを先刻知り合ったばかりの者達に話す義理はない。

「無駄話をするだけなら俺は他に稼ぎに行きたい。人捜しの続きをするなら、次にどうするか言え」

 花菜に向き直り、紫蕗は指示を仰ぐ。まだ人捜しを手伝ってくれるようだ。

 花菜も座り直し、正座で対峙する。

「雪兄ちゃんを捜したい! お城に、行く」

「!」

 灰音はぴくりと反応する。『城』という言葉に。違界に暮らす者なら、まず間違いなく全員が知り、恐れる場所。

「城? 城と言ったか? そこにいるのか?」

「? 紫蕗君がそう言ってました」

 次いで紫蕗の方を見る。

「ああ確かに言った。微弱だが、城の辺りに転送された電波を確認した」

 その言葉に稔は、ああ雪哉は生きていた……と束の間の安堵を得る。

「はあ……? 城だと? 城に行くなら私はここでサヨナラだ。椎が城の方へ転送されたと言うなら話は別だが、そうでないならあんな場所には近寄らないぞ」

「それは同感だ。俺もそれなりに近くまでは行ってやるが、近づきたくはない」

 花菜と稔には二人の話が見えない。城に近付くことさえ拒むのは何故だ?

「ずっと一緒には行けないの……?」

「……違界の人間は城には近付かない。余程の物好きか、技師くらいだ。近付くのは」

「技師……」

 紫蕗は技師のはず……という目で花菜は彼を見る。当然問われることだろうと、彼もこれには答える。

「俺は技師だが、城には近付かない。城のゴミを漁らなくてもやっていけるからな」

「話が読めないんだけど、違界の城って、どういう場所なんだい?」

 堪り兼ねた稔が率直に訊く。どうにも様子がおかしい。

「城は違界がこんな風に壊れた元凶であり、今も猶壊し続ける腐敗した機関だ。近づく者は殺される」

「ころ……!?」

 聞きたくもない言葉が紫蕗から発された。

「じゃあ、雪兄ちゃんは……?」

「知らない。転送場所はある程度絞れるが、生死はわからない」

「そんな……」

 花菜と稔は愕然とする。雪哉を見つけたとしても、死んでいる可能性がある、そのことに動悸が止まらない。

「で、でも、生きてる可能性もちゃんとあるなら……紫蕗君は強いって、大丈夫だって、色羽ちゃんも……」

「俺だけなら大丈夫かもしれない。だが今は負傷している者もいる。それにたとえ大丈夫だとしても、俺はあそこに近付きたくない。……今は、まだ」

 歯切れの悪い含みのある言い方だった。何か他にも彼には理由がありそうだった。だが、それでも。

「雪兄ちゃんを助けたい! 紫蕗君に頼りたい! 皆で元の世界に帰りたいよ! 雪兄ちゃんがいなくなるのは嫌だよ!」

 ああ、狡い。狡い言葉だ。この少女は理解力も悪く賢くはないのかもしれないが、狡賢いのかもしれない。何もできないと言っていたが、できることもあるじゃないか。こんなに我儘に会ったばかりの人間に、こんなに素直に頼ってくる。なかなかできることじゃない。どうしてこんなに、人を信じることができるのだろう。

「――――仕方ない。近くまでは一緒に行ってやる。転送は城の中へは行えない。城の外に何かしら痕跡があるかもしれない。それだけでも充分な収穫だろう。その後のことは、その時に考える」

 厄介なことに巻き込まれたかもしれない。だが不思議と……こういうのは何と言うのだろう、放っておけないと言うのだろうか。

 花菜に笑顔が戻る。どれほど危険な『頼み事』をしたのか、まだわかっていないのだろう。誰かが死ぬ可能性など、考えないのだろうか。

「お前はどうする?」

 こちらも確認しなければならない。違界に慣れているとは言え脚を負傷している灰音を無理に引き摺って行くことはできない。

「ちなみにだが、椎の転送場所は特定できるのか?」

「いや。今のケースは、彼女に血の繋がりがある者が似た電波を発しているために見分けられたにすぎない。他の転送者の個人を特定することはできない。……が、城付近にはもう一人、誰かが転送された痕跡がある」

「ぐっ……」

 紫蕗が言うのなら、雪哉の他に城付近に転送された者が存在するのは間違いないのだろう……彼の実績はそういう説得力がある。その転送者に椎である可能性が僅かでもあるのならば、灰音はそこに行かないわけにはいかない。椎は何があっても守ってやらなければいけないのだ。雪哉と違って椎は違界人だ。城の脅威にも応戦は多少なり可能だろう。雪哉より生存確率は高い。あれだけの重傷を負い転送された彼よりは。

「行く」

結局こうなってしまうのかと頭が痛い。だが城付近に転送された者は不可抗力であり、彼らに責任はない。何が、もしくは誰が元凶なのかもわからずに振り回されるしかない。


     * * *


 白い大きな輪になったテーブルに、生身の人間とホログラムがずらりと入り混じる。部屋は薄暗く暗鬱。

「だからしっかりと見張っておけと言っているだろう」

「アレには前科があるんだぞ」

「また白椏(はくあ)のようなことになったらどうするんだ」

「今も何をしているのやら」

「何故あんな奴に身分を与えたのだ」

「おい、滅多なことは言うもんじゃないぞ。慎め」

 口々に飛び交う焦燥の声。

「現にアレを支持する者もいるというのが問題なんだ」

「あの時に処分すべきだったんだ」

「おい! 口を慎めと言っているだろう!」

「アレをどうこう言った所で、咎められはしないだろう?」

「とにかくだ、アレを自由にさせないために目付をつけるべきだろう」

「目付はもういるだろう?」

「いや、懐柔されたと噂も聞くぞ」

「本当に厄介だ。もう外に放り出してしまったらどうだ」

「おい! あれを外に出す方が厄介だろう」

 議論は先へ進まない。確か前回の会議も、その前もその前も、そうだった。皆『アレ』を持て余す。

 席につき一人だけ一言も声を上げずに、この部屋の中では一番弱年である少年は静かに耳を傾ける。何のための会議なのだろう、次はもう出席しなくていいかな、などボサボサ頭でぼんやりと考える。もう寝ていたい。ずっと寝ていたい。寝不足というわけではないが、目元の隈が一層眠そうに見える。もう戻っていいかな。帰っていいかな。など頭の中をぐるぐるする。

「駄目だ解決策が浮かばない。ここは暫定的に目付を増やすことで繋げよう」

 口々に仕方ないと漏らす。


「ではネム、アレのことは頼む」


 突然の指名に、ぼんやりとしていた少年はハッと隈のある目を見開く。

「えっ、何で僕……」

 異議を唱えようとしたが、人々はこの話はもう終わりとばかりにそそくさと既に席を立ち、ホログラムも早々に消えていく。

 面倒を押しつけられた、そう思った。

 またか、と思う。いつものことだ。面倒なことを押しつけられ、それでミスを犯せばこっ酷く怒号が飛び交う。うんざりだ。だが一番うんざりなのは、それを断れない自分だ。はっきりと言えない。どんな言葉なら怒られずに済むのか、そんなことしか考えられない。そして何も思い浮かばないまま、部屋で一人ぽつんと取り残される。いつものことだ。

 変わらない、いつもの光景。


「あはっ、まァた押しつけられた。無能な人間共に」


「そうだよ。まただ」

「ネムに任せても失敗するだけなのにねェ。ホント懲りない無能共だ」

「それ以上に僕は無能なんだ」

「相変わらずだねェ。いいよいいよ、いいと思うよ。頑張らないで頑張ろォ」

「いいかな」

「いいよいいよ、今日もとっても眠そうだ。お休みしていいよォ」

「じゃあ」

「あははっ! 無能しかいない! 楽しいねェ楽しいねェ!」

 ………………。



 そして部屋には、誰もいない。


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