第四章『爆』
【第四章 『爆』】
根の張る木の家の中、窓のない小さな部屋の壁に設えた長机に様々な器具や部品が転がっている。ラベルの付いた引出しが幾つも壁に積まれ、棚には何やら瓶が並ぶ。床は掃除しているので綺麗だが、綺麗なのは作業をしていない間だけだ。
「ししょー! ししょー!」
バンバンと扉を叩かれ、転送装置のメンテナンスを行っていた『師匠』は手を止め扉を開ける。
「師匠! あの子、目を覚ましました!」
大きな耳と尻尾をふわふわと揺らし、跳ねるように少女は顔を近付ける。
「ああ」
「装置、大丈夫だった?」
「装置は大丈夫だが、少し厄介なことになりそうだ」
「厄介?」
メンテナンス完了したヘッドセットを白い頭に装着し、目覚めた少女のいる部屋へ向かう。
部屋の扉を開けると、すっかり目を覚ました少女がベッドの上で周囲を見回していた。
「気分はどうだ? 話せるか?」
「……あっ、え、は、はい……」
少女は戸惑いつつも頷く。その視線の先には、白髪の少年の後ろに立つ、大きなふさふさの耳をぴんとさせ尻尾を振っている少女だった。視線に気づき、尻尾の動きをぴたりと止め少女が前に出る。
「私、色羽って言うの。あなたは?」
「え、えっと、玉城花菜って言います」
「えっと、青界は名字があるから……花菜、さん?」
「あ、はいっ」
「こちらの師匠は、紫蕗って言います」
「色羽ちゃんと紫蕗君」
名前を呼ばれ尻尾を振りながら色羽はうんうんと頷く。
「色羽ちゃんのそれ……耳と尻尾は、生えてるの?」
「生えてるよ。触ってみる? くすぐったいけど」
背を向け尻尾を差し出す。そっと触れてみると、ふさふさで気持ち良かった。
「私、後天性の畸形なの。あ、畸形っていうのはね、こんな風に人以外のものの特徴がある人のことで……どうしたの?」
花菜が不安そうな顔をするので、色羽も心配そうに顔を覗き込む。
「あの、私……ここは……」
「あっ、ここはね」
「色羽」
口を開こうとした色羽を制する紫蕗。
「スープでも用意してくれ」
「はい師匠!」
言われた通り色羽は直ぐ様部屋から飛び出していった。
「ここからは俺が話す。すぐには理解できないかもしれないが」
近くの椅子を引き、座る。綺麗な白髪がさらりと揺れる。左右で色の違う目も、花菜は怖いとは思わなかった。既に未夜の左右で違う色に慣れてしまったからだろうか。
「ここはお前のいた世界とは違う。二つの世界を鏡だと表現する者もいるが、関係は様々説があるがどれも確証はない。その二つの世界を往来できる転送装置の暴発にお前は巻き込まれた。俺の持つ転送装置との共鳴が、お前が違界に転送されてしまった原因だ。原因の一つが俺にある以上、責任を持って元の世界に帰してやる。足を少し負傷していたようだから手当てはしたが、他に体に何か異常がなければすぐにでも元の世界に転送してやれるが、どうだ?」
「違う世界に……転送……? 皆は……?」
花菜が聞きたかったのは単純に兄や友人達がいる世界のことだったのだが、紫蕗はその『皆』が違界に来ているかどうか、と捉えてしまった。
「俺の装置を調べてみたが、違界に転送されている可能性はある。『皆』の中に、お前と血の繋がっている者はいるか?」
「えっ……血……? 兄ちゃんは二人いる……」
花菜は紫蕗の言葉を理解していなかったが、奇跡的に会話が噛み合う。
「少なくともその二人は違界にいる可能性が極めて高い。血の繋がりがあると転送の際に発生する個人の電波が非常に似るからな」
「どっ、どういうこと……?」
ここで漸く紫蕗は、花菜の理解が及んでいないことに気づいた。
順を追ってもう一度噛み砕いて説明をする。原因の一つである以上、説明は義務だと思ったからだ。花菜は紫蕗の双眸を恐れずじっと見詰め、必死に理解しようと努める。
説明をしっかり砕いて二周する頃、やっとそれなりに理解した。
「……師匠、何か疲れてる?」
スープを淹れてきた色羽が部屋に戻ると、紫蕗はぐったりとしていた。
「いや……何も知らない青界人に説明をするのがこんなに大変だったとは……」
「お疲れ様でした」
労を察する。
「花菜さん、具沢山ホワイトスープだよ。辛くないよ」
「ありがとう」
渡された木のスプーンでスープを掬う。確かに具がたくさん入っている。
「……ねぇ、このオレンジの大きい金平糖みたいなのは……何なのかな」
スプーンを引き上げると、親指の先程の大きさはある金平糖のようなイガイガしたものが入っていた。まさか本当に金平糖だろうか。スープに金平糖など、ルナでさえ入れない。
「星黍だよ」
「星……え?」
「……黍の一種だ。違界にしかない食べ物で、味は玉蜀黍に近い」
説明を躊躇い一拍迷うが、できるだけわかるように説明した。今度はすぐに理解してもらえた。
「わっ、ほんとだ! 何かコリコリするけど、トウモロコシっぽい味がする! 美味しい!」
横で色羽が「星黍って青界にないんだ……」と衝撃を受けている。
「違界で食べ物を口にできるのはこの島か城の中くらいだからな。外の人間ももうどのくらい食べ物の知識が残っているか」
「ここは島なの?」
「ああ。俺が見つけた。俺しか転送できない安全な島だ」
違界の状態も一応花菜に教えたが、理解しているだろうか。
「さっき、すぐにでも元の世界に戻れるって言ってくれたけど、兄ちゃん達が危険な所にいるなら、見つけて一緒に帰りたい!」
勢い込む花菜の申し出に紫蕗は「厄介だ……」と溜息をついた。
「俺の装置の共鳴が原因なのはお前だけだ。そこまで面倒を見ることはできない」
「責任を持って私を元の世界に帰してくれるって言ったので、私が兄ちゃん達を、他にも誰かいるなら皆を見つけて帰るまで責任を持って傍にいてください!」
「…………」
もう少し制限をつけて提案すればよかった、と紫蕗は後悔した。変な所で頭が回る。
「わあ凄い。師匠が後手になってる」
「……」
違界の説明にはあんなに理解に時間が掛かったのに。
「…………仕方ない。少し手伝ってやる」
「! ほんとですか!?」
「ただし、俺が危険だと判断した時はすぐにお前だけでも元の世界に帰す」
「うん! わかった!」
本当にわかっているのだろうか。
「はあ……具合が良いなら、それを食べたら出発する。色羽、靴を用意してやってくれ」
「はい師匠!」
前途多難だ、と紫蕗は思った。
「でも師匠がここに誰かを連れて来るなんて、珍しいこともあるものだよね」
「今回は仕方がない……目の前で倒れられたんだ、空気の良い場所に移すしかないだろう。防御展開装置では外部の有害物質は防げるが、中に入ってしまったものまではどうしようもない。共鳴の所為で、メンテナンス無しに世界間転送を行うのは不安があったからな……ここに転送するしかなかった」
「師匠は倒れる者に弱い」
「黙っていろ。放り出すぞ」
「やだなぁ、師匠ってばもう……あ、この靴ぴったりかも」
花菜に靴を見繕っていた色羽は硝子の靴が履けたシンデレラを喜ぶように手を叩く。
「わぁ、ありがとう」
「後は外套だね」
立ち上がって靴の感触を確かめる花菜に外套を広げる。
「それから……あ、師匠! 装置はどうするの?」
「ああ、これを」
自室から持ってきたヘッドセットと首輪を花菜の頭と首に嵌めた。花菜に馴染むように軽く調整をした二つの装置はしっくりとくる。こうなるのではと予想もしていた。念のためと思い調整をしておいた装置だ。
「この二つがあれば違界を歩ける。色々と機能はあるが――お前はとりあえず三つ、覚えろ」
「はい!」
「三種のシールドだ。防御力の低い順にまず、防弾膜。殺傷力の低い弾丸や雨を防ぐことができる薄いシールドだ。膜の内側から攻撃可能。次に防弾壁。殺傷力の高い弾丸も防ぐことが可能。能力は個々によるが、お前にセットしてあるのは個人が持って撃てる範囲の弾まで防げる。だが壁の内側から攻撃することができない。内側からの攻撃も防がれてしまうからだ。最後に、防弾室。完全防御可能で全方位覆われる分厚いシールドだ。これを展開すると向こう側の景色が不鮮明になる上、かなりの重量があるため身動きも取れない。勿論、内側から攻撃も不可能。……わかったか?」
わかりやすく説明したつもりだがと若干の不安を残しつつ説明を終えると、花菜はゆるゆると頷こうとして首を傾げた。
「……お前は武器を持っていないから攻撃のことは考えなくていい。とにかく念じればシールドが展開されるから……」
少し考える。
「…………俺が指示するシールドを展開しろ」
説明を放棄した。
「はい!」
紫蕗は頭を抱えたくなった。
「珍しいですね師匠。防弾室までつけるなんて」
「ああ……武器はないし攻撃はできそうにないからな、防御に重点を置いた。戦闘中は常に防弾室に籠っていてもらうことになるかもしれない。足手纏いは邪魔だ」
二人の会話が急に遠くなる。足手纏い、その言葉が花菜に突き刺さった。
「ところで二人の兄の内、優先するのはどっちだ? 場所が離れているからな、どうしても一人ずつ見つけていくしかない」
「ゆっ、優先なんて……!」
どちらが一番なんて、考えられなかった。
「正確な座標の特定は俺でも不可能だが、一人は城付近、もう一人は海付近だな。時間も経っているし、そこから移動はしているはずだが、どちらも近くに建物など隠れられる場所が少ない。そのため潜伏する人間も少ない。人的被害に遭う可能性はどちらも低いと言える」
どちらも厄介な場所だが、と心の中で付け加える。城付近ということは、城の警備に見つかる可能性が高い。見つかれば殺されるだろう。海の方は、そもそも海の中に落ちれば死ぬ。多少の濃度差はあるが、違界の海は強酸性だ。無防備なまま肌に触れれば爛れてしまうし、その中に浸かれば――。
「じゃあ……海!」
城は安全という思い込みが花菜を安心させてしまっていた。外に生きる違界人なら言葉だけで警戒する城。だが花菜はそれを知らない。城の外にいる者にとっては、城に近づく行為は危険なのだと。
「わかった。外に出よう」
紫蕗は防毒マスクとフードを被って家の外へ促し、花菜は強く頷く。
外に出ると、緑にたくさんの水滴がついていた。どうやら雨が降ったようだ。今はもう止んでいる。
この緑の島は昔の人間がすっぽりと覆う巨大なシールドを作り、今日まで守られていた島。そのシールドが外の弾丸スコールを濾過し威力を弱め、通常の雨のように降らせている。
緊張で眩暈がしそうになるが、振り払うように花菜は首を振る。気を失う前に少しだけ見た違界の景色。荒々しく寒々しく寂しく怖い場所。足が震えそうになる。あの恐ろしいカマキリの少女にも立ち向かったのだ、もう一度その勇気を振り絞る。
「花菜さん!」
家の外まで見送りに出て来た色羽が花菜を呼び止める。
「大丈夫! 師匠は強いから!」
ぎこちなく微笑み返すと、花菜と紫蕗の姿は刹那に消え失せる。
再び地に足をつけた場所は、海の臨める場所だった。砂浜より一段高くなっており、海を見渡せる。
黒い海。灰色の空。飛行機の音。
「――防弾室!!」
「え」
飛行機の音がする、と思いながら何気なく空を見上げるのと同時、紫蕗の叫びが響く。
その直後、轟音と抉れる地面と赤なのか黒なのか何なのかわからなくなる目紛しい色が上がった。
「きゃああああ!!」
叫び声も掻き消える。
音も何もすぐに止んだが、とても長い時間のように思えた。心臓が大きく跳ね回り、きつく閉じた目を開けられない。反射的に座り込んだまま動けない。呼吸が不規則に暴れる。
「……無事か?」
頭上から声が降ってくる。特に変わった様子のない、普通の声。それが妙に安心した。
肩に手を置かれ、花菜は恐る恐る目を開けた。
「――っ!!」
辺りの地面は数メートル先まで抉れて瓦礫となり、所々で火が上がっていた。一瞬の内に景色が変わってしまった。無意識に紫蕗の外套を縋るように掴む。脅えた顔で紫蕗を見上げると、表情はわからないのにその防毒マスクに安堵した。
「こればかりは運だからな……」
ぼそりと呟く。
「運が悪かった。あれは政府の無人飛行装置だ。ああして外の人間を減らすために時々空を飛んでいる。不定期だから予測が立てられなくてな……大丈夫か?」
「あ……な、何で、大丈夫……」
「お前が反応しないから俺の防弾室を展開した。それだけだ」
空からの爆撃の強襲に咄嗟に花菜の上から防弾室を展開したらしい。言っていた通り、防弾室というものは何でも防いでしまうようだ。
「立てるか?」
「う、うん……」
「あれが戻ってきても面倒だ。離れるぞ」
紫蕗は花菜を支えながら引き立たせる。
小さく上がる火を避けながら、足場の悪くなった瓦礫の山を手をつきながら進む。あんなのが時々も空を飛び爆撃している世界とは、恐ろしすぎて涙も出ない。紫蕗がいなければ、自分なんて一瞬で死んでしまうだろうと花菜は思う。
「走れるか? 建物がある場所まで走る」
「うん」
抉れた地面を抜け、紫蕗は花菜の様子を窺う。花菜に外套を掴まれ、とんだ子守だなと心の中で漏らす。
花菜は『うん』と答えたが、紫蕗より断然足が遅い。逃げないようにかしっかりと外套を掴まれている所為もあり自分のペースで走れず疲れる。背負って走ろうかとも考えるが、それだと攻撃を受けた時に応戦しにくい。厄介だ。
やっと建物群に辿り着くと、人の気配がないか周囲に気を向ける。
(向こうが気づけば、こいつは顔を隠してないしすぐに来ると思うが……この近くなら今の爆撃機にやられた可能性もあるな)
俯く花菜を一瞥する。こっちは相手の顔はわからないのだから、積極的に捜してほしいものだ。
「おい、顔を上げろ。お前の顔が目印なんだ。守ってやるから見つけてもらえるようにしろ」
紫蕗はただ顔を上げて周りを見ろと言ったつもりだったのだが、花菜は違う意味に解釈したようだった。意を決したように一度大きく頷き、大きく息を吸う。
落ち着くための深呼吸だと思った紫蕗は、黙って見守ってしまった。
「兄ちゃあああああん!!」
「!?」
とびきりの大声を解き放ちやがった。
もっとこう、脳味噌に染みつくくらいに違界について教え込めばよかった。
こんなに大きな声を出してしまっては、どのくらい先にいる者にまで警戒させることになるか。
早速恐怖に駆られた殺気を向けられたことに紫蕗は気づく。花菜の腕を引きしゃがませた。
「防弾室を展開しておとなしくしてろ」
「う、うん!」
対人なら防弾壁で充分だが、視界が不鮮明になる防弾室の特徴を利用する。今から行うのは殺戮だ。平和に身を置く青界人にわざわざ見せるものではない。視界が不鮮明になると同時に、音も曇って聞こえるようになる。この今の状況には打ってつけだ。
(……四人か)
まずは一番近くの瓦礫からナイフを構えていた者、次に建物の入口から銃を取り出す者、続いて二階から銃口を向ける者、最後に少し離れた路地から狙っている者。
両手首の装置から目に見えない程の細い糸を吐き、武器と人体を滑らかに刻む。断末魔を最小限に抑えるため、先に声帯を潰した。こんなに気遣いながら攻撃することも然う然うない。
花菜からは死角となる瓦礫の陰に死体を蹴り、糸を仕舞いながら花菜のもとへ戻る。
「もういいぞ」
コンコンと防弾室を叩くと、一拍置いた後に防御が解かれた。
「兄ちゃん、いた……?」
恐る恐る尋ねる。
知った顔がいれば花菜を見て何か反応があるだろう。今殺した四人は誰もそんな反応は示していなかった。よって知り合いではないだろうと殺した。
「いなかった」
「そっか……」
「でも、お前の名前を呼ぶ声は聞こえた」
「! ほんと!? もう一回呼べばいいかな!?」
「やめろ」
花菜は防弾室を展開していたため聞こえなかっただろうが、向こうも大声で返してきた。兄妹だな、と紫蕗は思う。続いて銃声も聞こえたので、生きているかはわからないが。だがここまで違界で生き延びていられたのなら、誰か他にも仲間がいるのかもしれない。
「こっちだ」
急ぎ足で声のした方へ向かうと、道から少し外れた所に真新しい死体と銃が転がっていた。ああこっちか、と紫蕗は判断する。
花菜も死体を見てしまったかと様子を窺うと、それとは逆の方向に駆け出していた。
「兄ちゃん!」
「花菜!」
どうやら無事に再会できたようだ。
「わっ」
駆け寄って感動の再会かと思ったが、花菜は驚いて跳ね上がってしまった。兄の横には、脚を負傷した女性が銃を抱えて荒い息をついていた。
この辺りの地面も抉れている。先程の爆撃が掠ったのだろう。
「おい防毒マスク。そこに転がってる奴のヘッドセット持ってこい」
「……」
すぐに理解する。花菜の兄の頭には何も装着されていない。死体のヘッドセットを使わせるのだ。
普段はおいそれと従いはしないが、体に毒である違界の空気を、何も知らない青界人が浴び続けることは酷だ。花菜の兄のために紫蕗は素直に真新しい死体からヘッドセットを拾い、渡してやる。ついでに花菜から見えないように瓦礫の陰に死体を蹴っておいた。
「花菜もこっちに来てたのか……こんな危険な所に。無事で良かった」
「稔兄ちゃんも! 会えて嬉しい! ……でも灰音さん……」
脚を負傷し瓦礫に背を預ける灰音に目を遣る。違界で脚を負傷することは死に等しい。
「ざまぁないな……私も鈍ったか」
「灰音さんは突然の爆撃に僕を突き飛ばして身代わりになったんだ……」
違う、身代わりじゃない。と灰音は眉を顰めるが、聞いてもらえなかった。
「そんな……ね、ねぇ紫蕗君! 手当てできないかな!?」
振り向いて助けを乞う花菜に稔と灰音の視線も集中する。
「紫蕗……?」
灰音が眉を寄せ、防毒マスクを睨む。
「あの紫蕗か……? 天才技師と名高いが誰もその姿を知らず、椎に義足を与えたあの紫蕗……?」
「…………」
「嘘だろ? 本当にあの紫蕗か!? うっわ背小っさ! 子供か? 椎とそんなに変わらないって……! 何歳なんだ?」
灰音は女性だけと言わず男性を含めても身長が高い。だがそこまで言われる筋合いは紫蕗にはない。
「金を払うなら年齢でも身長でも答えてやる」
下に睨め差し、負傷した灰音の脚をぎゅううと踏みつけた。
「ああああああ!!」
その様子を見て花菜の心臓はヒュッと縮み上がった。惨い。
紫蕗が足を上げると、灰音は痛みで体を丸くした。痛覚遮断をしていないのか、あまり遮断ができていないのか。
「……さっき椎と言ったな。あいつの知り合いか。あの義足も初期のものだからな、メンテナンスしたいな」
「あの義足なら両脚共ぶった斬られてルナが直してたけどな。役立たず。どうせなら斬れない義足用意しろ」
もう一度踏む。
「ああああああ!!」
「よく俺の作ったものを直せたな。機会があれば見てやるか」
「おい足退けろ馬鹿! 義足が作れるってことは医師でもあるんだろ! 医師なら治してみろ!」
とんだ暴言だ。確かに言う通り義足や義手を作る技師には人体の知識が必要になる。機械と人体を接続しなければならないからだ。つまり医師としての腕もあることになる。治して静かになるなら考えてやらないこともないがと思い花菜の方を見ると、治してあげてほしいというような小動物のような目を向けられた。これも花菜を元の世界に帰す任務の内に含まれているというのか。
「……今回だけ特別だ。その脚を治療してやる。一晩は安静にしてろ」
「何だお前、花菜に弱味でも握られてるのか? マスクの下はどんな顔してんだかな」
「綺麗な顔だったよ」
何気なく放たれた花菜の言葉に刹那しんとなり、「意外」と灰音は漏らした。
* * *
お楽しみ中にコアに呼び出された司は足早に中央へと向かった。何か予定でも入っていたのだったかと考えてみるが、何も予定はなかったと思う。
何処までも同じような白い景色が続く。慣れない者だとすぐに迷子になってしまうことだろう。
呼び出しは、姫の様子がおかしいというものだった。
コアには大事に大事に監禁しているお姫様がいる。城内に王様がいるとか、王族だとか、そういうものではない。そう呼ばれる者はいるが。彼女はむしろコアに血の繋がりはなく、外から連れてこられた者だ。赤子の頃にその親から献上され、この子を差し出す代わりに安全な城内に住まわせてくれという交換を持ち掛けられた。コアはそれを呑み、その子を預かり、その親を殺した。
以来その子供は『姫』として大切に監禁されている。
そしてその世話と言うか検査を、司は任されている。
「司様、こちらです」
コアの研究員が呼ぶ。言われなくとも、いつもの場所くらいわかる。
白い廊下の中の白い扉の中へ、白い部屋に入る。
「…………」
中には白い少女が横たわっていた。微動だにしない。
「少し元気がないな」
白い少女は長い白髪を蔓のように伸ばし、青薔薇を咲かせている。が、花は少し萎れていた。
「お姫様の昨日今日の食事は?」
「は、はい!」
研究員が資料を差し出す。空中に吐き出される文字に目を通すと、司は溜息をついた。
「なんだ新人か? 食事量が少なすぎる。お前の食事量と同じように考えるな。倍は用意しろ」
「えっ、あ、はい! 今すぐに!」
研究員は慌てて部屋から飛び出していった。
残された司は姫の傍らに膝をつき、彼女の小さな体を撫でる。
「行ったぞ。何を大袈裟に倒れてるんだ。私まで驚かせるな」
白い少女はもぞもぞと顔を上げ様子を窺う。青と緑、二色が収まった不思議な双眸で司を見上げる。
「……カメラは?」
「私がいる間は何処も自動で差替えられるようにしてある」
「街に行ってみたいの」
「難しいリクエストだな。さすがにロゼを連れ出すのは骨が折れる」
「外でやる実験はないの?」
「ロゼが物心つく前にはやったが……まあ提案くらいしてやるか」
「ありがとう」
「調子はどうだ?」
「少し眠いくらい。日向ぼっこというものをしてみたい」
「そうか。じゃあ少し面白い話をしてやろう」
「?」
不思議そうにロゼは目を瞬く。期待の混じった美しい宝石のような双眸を。
毎日この白い部屋の中だけで過ごし、外の世界も見たことがない。子供騙しのような玩具や絵本などはあるが、もう疾っくに飽きていることだろう。もう九歳にもなるのに、いつまで子供騙しを続けるのか。
違界では殆どの植物が絶滅してしまっている。その中で生まれた、稀有中の稀有、植物型の畸形。それがロゼだ。髪を蔓のように伸ばし花を咲かせ、呼吸の仕方も植物と同じ。花に髪の色素と体の栄養を取られているので体は小さいが、平均的な人間より食事量は多い。
「青界から来ている人間がいるんだ」
「! それは……ここに?」
「ああ。今は街にいる。コアには内緒だ」
「青界は、白いの?」
「いや、この絵本のように、たくさんの色に溢れているだろう。私も行ったことはないが」
「ボクも行ってみたい。今日も飛行機を飛ばしたの。もう疲れた」
「そうか。それで眠いのか。ロゼの管理を全て私が担えればいいんだがな……私もあまり信頼されない身なものでね」
ロゼの花には不思議な浮力がある。その花を源にしてコアは城外に飛行機――爆撃機を飛ばす。ロゼは爆撃を行うような機械を飛ばしているとは知らない。司もそのことに関しては黙っている。人を殺すために自分の一部が消費されていると知って気分が良いはずがない。
「ボクも会えたらいいな。青界の人に」
「ここから出たいか?」
「それは、勿論」
「……そうか」
終始感情のない瞳で淡々と言葉を紡ぐ。こんな変化のない監禁生活で何かの感情が生まれることなど、なかった。
ここから外に出してやることができれば、と司は思う。
そんなことを思っていると、新人研究員だか異動研究員だかが両手に食事のトレイを持って駆け足で戻ってきた。
「こっ、これで足りますか?」
「様子を見ながら、足りなさそうならもう一人前追加で」
「えっ!?」
「せめて腹一杯、美味いものを食べさせてやってくれ」
「は、はい」
緊張しているのか研究員は一々声が裏返る。
テーブルに食事を置くと、ロゼはパンを鷲掴み無造作に頬張り始めた。司に出される不味い人工食料とは違い、街に並ぶような美味い食事だ。そうしてきっちりと栄養を摂ることが、良い花を咲かせることに繋がる。コアは少女の咲かせる花にしか興味はないだろうが、司はこんな生活の中でせめて食事くらいは幸せなものであってほしいと願っている。
「お前、もう他の奴の世話に戻っていいぞ。もう姫は大丈夫だ」
「そうですか! よかったです!」
コアには他にも畸形がいる。その食事などの世話を任されるのは下級の研究員だ。畸形の用途もあまり詳しくは聞かされていないだろう。
「あ、あともう一つ、司様。彼を川に連れて行かなければならないのですが」
「ああ……もうそんな時間か。私がやっておこう」
「はい! ではお付きに……」
「いや私だけで充分だ」
「そうですか? では宜しくお願いします」
ばたばたと忙しなく部屋を後にする研究員の背を見送る。
「面白くなってきた」
司は不敵に笑う。
食事を頬張りながら、ロゼは怪訝に司に目を遣る。
「水藻君は定期的に外に出られて羨ましい」
「ロゼもいつか外に出られる時のためにしっかり食べてろ」
「わかった。……水藻君は美味しいのかな」
ロゼはこくんと頷く。司の言葉に深い意味はないと思いながら、食事の手は止めない。
司の腹の中は司にしかわからない。この時の司の腹には『面白いこと』しかなかった。
* * *
それは一瞬の出来事だった。
弾丸のような雨が止んで暫く経ち、もう大丈夫だろうと廃墟から外に出た時だった。雨が止んで安心したのだろう。油断したのだろう。
勿論、警戒はしていた。何処から攻撃が来てもおかしくない世界だ。皆周囲への警戒は怠っていなかった。
――地上の警戒は。
頭上の警戒は、止んだ雨と共に薄れてしまっていた。
その飛行装置を視界に捉える前に爆撃は始まり、逃げる前に攻撃は届いていた。
一瞬の出来事だった。
呼ばれた気がして、ルナが数歩後ろに下がった時だった。呼ばれる前にルナがいた場所も爆撃されて火が上がっていた。
血の気が引いた。目の前の光景に。
「椎!」
一番近くにいた椎に駆け寄った。直撃を受け両脚が無惨に千切れている。咄嗟に痛覚を遮断したのか、気絶はせず小さく呻く。
「ルナ……大丈、夫……?」
「! 俺は大丈夫だ……けど」
こんな時でも自分より先にルナを心配する椎から、行動を共にしていた三人に目を遣る。
「カイ……! カイぃぃ……」
モモがぼろぼろと大粒の涙を零している。見た所彼女に怪我はなさそうだった。
「ラディも……うう……うああああ!!」
無意識かもしれない。モモを助けるために彼女を突き飛ばしたらしいラディは、そのもう片方の腕を失っていた。
カイは直撃を受けて胴が千切れていた。
飛行装置は一度進路に爆撃した後、そのまま去っていった。執拗に攻撃するものではないらしい。
ルナも一歩違えばこうなっていたかもしれない。薄れかけていた恐怖が一瞬で迫り上がり脚の震えが止まらない。
「青羽君!」
先程呼ばれた声と同じ声でもう一度呼ばれる。その声がなければ、今頃――。
震えながら振り返るとそこには妙に懐かしく感じる、黒い少女の姿があった。
「梛原、さん……?」
どうしてここに? という言葉は、震えて出なかった。
結理は安心したように微笑む。
「よかったわ……! 大事に至る前に青羽君が見つかって。最近は爆撃機も随分と音が静かになってしまって、気づきにくいのよね。青羽君に何かあったら、私はもうどうしたら……」
「あの……」
「いいのよ青羽君。恐怖で声が出なくても、動けなくても。何処に行っても、私はあなたを守るわ。愛しいあなたの目を」
本音が駄々漏れだが、元気に地に立つ姿を見るだけで安心感があった。
「……梛原さん、違界の医者って、何処にいるんだ?」
声を喉から搾り出す。この惨事にただ立ち尽くしているだけというわけにはいかない。
「私は青羽君が無事ならそれだけで満足なのだけれど、それでは青羽君が危険なここから離れてくれないのね」
結理はルナの双眸をうっとりと眺めた後、椎の傍らに跪く。小さく溜息を吐きながら。
「そっちの三人は見ない顔だけれど、こっちは義足なのね。青羽君には近付くなと言ったのに……。膝の辺りが粉々で修理は不可能ね。この義足を作った技師に診せるか、他の技師に新しい義足を作ってもらうか。どのみち速やかに帰りたいわね青羽君」
「……帰れるのか?」
結理は自ら違界に来たのだ、転送できる手段を持っているのは当然だ。椎の脚のこともあるので、違界に転送された他の皆のことは気掛りだが、一度元の世界に戻るのが得策だろう。
だが結理はルナから目を逸らさず、暫し黙り込む。
「…………それがね、青羽君。私の転送装置は一人用なの。さっき二人で転送を試したのだけれど、不安定すぎて世界間の転送は無理そうよ」
「じゃあ違界で技師を探さないといけないんだよな? それなら先に医者だ」
「……そこの胴が吹き飛んでいる彼はもう助からないわよ。さすがにここまで損傷が激しい上にこの今の瞬間まで何も施されていないというのは……そっちの彼の腕なら手当てしてあげるわ」
惨たらしいカイの姿を一瞥し、ラディのもとへ行く結理。
「痛覚遮断はしているわよね? 止血をするわ」
「あっ、あの!」
腕の断面に止血処理を施そうとする結理の後ろから、つっかえつつもモモが声を上げる。
「カイはっ! カイは助けられますか!?」
結理は手を止めず目も離さず、モモの必死の問いに答える。
「私は医師ではないの。たとえ医師だったとしても、死んだ人間は助けられないわ」
「なっ、何でっ……!」
「見てわからないのかしら。あれで助かると思うのかしら。分断された体を繋ぎ合わせようにも木っ端微塵の肉片は拾集できないし、下半身を機械で補おうにも、心臓も脳ももう駄目よ。頭から血を流しているでしょう? 爆撃の衝撃で頭を強く打ったのね。医師も技師も魔法使いではないのよ。死者を蘇らせることはできない」
「そんっ、な、こと……」
「あなたはただ認めたくないだけなのよ。彼が死んだことを受け入れられないだけ。それは別に構わないのだけれど、私にまでそれを押しつけるのはやめてちょうだい」
「だっ……だって、カイがいなくなったら、私……」
「あら、まだ彼がいるじゃない。腕は一本なくなってしまったけれど。――はい、おしまい」
止血処理を終えた二の腕に包帯を巻く。
「おう……ありがとな」
ラディは泣きじゃくるモモに申し訳なさそうに頭を下げ唇を噛んだ。
「すまん、モモ……お前一人守るのが精一杯だった。腕一本になっちまったが、これからも……カイの分まで、守らせてくれ!」
「っ……!」
モモは息を詰まらせ嗚咽を呑み込む。
「私こそっ……守れなかった……! 動けなかった! ごめんね、ごめんね……!」
涙を噛み殺し、ラディを抱き締める。ラディはそんなモモの頭を、残っている手で優しく、そして力強く撫でた。
二人の様子に一つ息を吐き、結理はルナのもとへ踵を戻す。
「問題はこっちなのだけれど、両脚を失ったということは自力では歩けないということなのだけれど、どうするの?」
「……俺が背負う。必要になるかわからないけど、壊れた義足は梛原さんが持っててくれるか?」
「フフ、青羽君の頼みなら、何でも聞くわ。その愛しい目が私に向けられるのならばね」
「じゃあ……お願いします」
ルナはそっと結理から目を逸らした。
椎が攻撃を受けたのは義足部分だけのようで、生身の部分は無事のようだ。義足部分に通してある神経からの痛覚ダメージはあるが、暫く痛覚を遮断しておけば大丈夫だ。
飛行爆撃機は頻繁に空を飛ぶものではないらしく、暫くは飛ばないだろうとのこと。それでも、頻繁に飛ぶわけではない爆撃機の攻撃を、初めて違界の地を踏んだルナが受けることになるとは、とんだ洗礼だった。結理が来てくれたことは心強いが、他の皆も無事を祈るばかりだ。