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鳥になりたかった少女4  作者: 葉里ノイ
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第三章『街』

  【第三章 『街』】


 違界には、弾丸が降る。

 この弾丸により多くの人が負傷し、命を落とすこともある。頻度はそれほどではなく何日も降らないことも多いが、違界には天気予報はない。各々の感覚だけが頼りだった。



「……あれ? 何か変わった……?」

 ヘッドセットから聞こえる不快なノイズの音が少し変わった気がして、ルナは耳を澄ませる。

「ルナ凄い。すぐわかるようになった」

 椎が感嘆の声を上げる。

「雨が降りそうになると湿度が上がって、空中に飛散するノイズも影響されてちょっと音が変わるんだって。これ、わからない人も多いらしいんだよ」

「私わからない!」

 モモが手を上げた。

「雨なら早く隠れないと」

「そこの廃墟にしようよ」

 モモが近くの建物を指差し、ラディを先頭にカイが続き、モモも駆ける。椎とルナも後を追った。

「天井が分厚くて頑丈そう……念のためもう少し奥に行こう」

 ただの雨宿りにしてはラディは随分と慎重だ。余程濡れたくないのか。とまで考えた所でルナは、そういえば以前椎が雨に脅えていたことを思い出した。

 同時に建物の外でヘッドセットのノイズを掻き消して余りある轟音が響いた。

「!?」

 ぽっかりと空いた出入口からは外が見えるが、一瞬で白くなった。小さな瓦礫が砕けるのが見える。

「あ、雨……?」

 出入口と同じように開いた口が塞がらない。何だこの音。何だこの凄まじさ。

 違界の雨を初めて体験するルナを掴み、椎は出入口へと近づく。ラディは、危ないぞと声を掛けようと口を開くが、何か考えがあるのかもしれないと口を閉じる。

「ルナのヘッドセットならできると思う。防弾膜っていうの、展開してみて。念じればいいから」

 突然の注文に理解が及ばなかったが、言われた通りに念じてみる。

「…………こう?」

「うん。たぶん大丈夫」

「えっ、たぶん?」

 更に出入口に近づくと、地面に跳ねた雨粒が当たった。何か小さな物を投げつけられたような感覚だった。

「これは雨なんだけど、弾丸スコールって言われてて、物凄い勢いで落ちてくる雨なんだよ。防弾膜を展開してる間はこの下に立ってても大丈夫なんだけど、あっ、ある程度の衝撃はあるんだけど怪我はしないの。防弾膜がないと、銃で撃たれたみたいに蜂の巣になる怖い雨」

「これが……」

 確か椎は防弾膜は持っていないと以前言っていたが……。

「防弾膜があればこの中も歩けるんだけど、ある程度衝撃は残るし視界も悪いから、皆こうやって避難するんだよ。防弾膜があってもこの中に入るのはやっぱり怖いし、雨が強すぎると破れちゃうこともあるみたいだし。もし知らない内にヘッドセットが故障してたら蜂の巣になっちゃうし」

「この雨、どのくらい続くんだ?」

「すぐ止むよ。纏まって一気に降るから、何時間も降り続けられないもん」

「ゲリラ豪雨みたいなものか」

「この雨が降ってる間は皆あんまり動かないから、気を休められていいって言う人もいるんだけど、やっぱり怖いよね」

 振り返ると三人は座って会話をしている。気を休めているのだろうか。

「あ」

 振り向いた時にルナの大鎌が視界に入り、椎は慌てたようにルナの手の甲に手を添えた。

「ごめんね!? その大きいのずっと持ち歩くのは大変だよね! 私が前に使ってた腕輪があるから使って!」

 何もなかった椎の手の上に、少し太い腕輪が形成される。

「ルナ用に設定するから待ってて!」

 頭に装着したヘッドセットを弄られ、何をしているのかルナにはわからないが黙ってじっと待つ。

 然程時間は掛からず、笑顔の椎が腕輪を差し出した。

 右手は傷が心配なので、左手に腕輪を嵌める。似合わないなとルナは思った。

 先程モモに教えてもらったように念じてみると、今度は瞬く間にルナの手から大鎌が消失した。あの質量のものが一瞬で消えてしまった。両手を裏返し凝視するが、何も変わった所はない。不思議だ。

「これで移動が楽になるね!」

「ありがと……」

 やっぱり不思議だ。

 出入口の傍らの瓦礫に腰掛ける椎に倣い、ルナも瓦礫に腰を落とす。違界の技術は不思議なものばかりだ。まるで魔法のようで、分解してみたい、と少し好奇心が疼いた。


     * * *


「一生の不覚……!」

 肩を震わせ、長い黒髪の少女は強く壁を叩く。人通りのない路地の中で少女の視線の先の少年は、この場をどう切り抜けるか考える。

「何で俺、壁ドンされてんの?」

「あなたが偶然私の前を通り掛かったからよ」

 ここまで苛立つのは珍しい、と少年は思う。余程のことがあったようだ。

「やっぱり是が非でもあいつらを撒けばよかったわ……」

「落ち着けよ。今は俺がお前を撒きたい」

「あなたもあなたよ! 何故青羽君の傍にいなかったの!? いいえあなたが傍にいても状況は何も変わらない……あなたがすべきことは只一つだけだった。そう、青羽君を行かせないことよ」

「青羽に何かあったのか」

「あったわ……連絡を貰った時、我が耳を疑ったわ。青羽君が違界に行ってしまったなんて」

「え……あいつ今、違界にいんの?」

「そうよ! 誰かの転送装置の暴発に巻き込まれたそうよ」

「違界って危ないんだろ? 大変じゃねーか」

「大変よ。だからちょっと来てちょうだい。私の手を離さないように、しっかりと握ってちょうだい」

「え?」

 少女に無理矢理手を握らされるや否や、二人はその場から消えた。



「――やったわ、成功っ……うぅ」

 辺りの景色は一瞬にして変化する。廃ビルの並ぶ寂れた区画。

「結理先輩!」

 そこにいた大きなリボンを頭に載せた少女は突然現れた黒い少女に駆け寄る。

「……だ、大丈夫ですか……?」

 ふらつく黒い少女におろおろするリボンの少女。

「大丈夫……少し酔っただけだから……一人用の装置で無理矢理転送するとこうなるのね。ともあれ無事に辿り着けてよかったわ」

「無事じゃねぇよ! うぉぇぇ頭いてぇ……」

 脳味噌がぐわんぐわん揺れて気持ち悪い。

「えっ、何で宰緒……?」

 リボンの少女――木咲苺子の後ろから綾目斎も駆け寄ってくる。

「人のいない静かな所に行こうと思ったら、結理に遭遇して捕まった……最悪」

「宰緒、こっちも大変なことになってるんだ。小無さんが」

「先輩! あっ、あのっ、私……! すみません!」

「青羽君……! 私の青羽君を早く助けに行かないと……」

 全員が一斉に喋り出し収拾がつかなくなりそうだったので、宰緒は大きく手を叩いて黙らせた。

 順に状況を整理し、苺子を中心に情報を共有する。集団転送された現場を隈無く調べた結果に結理はじっと耳を傾ける。宰緒も一歩引いて聞いていたが、どうやら宰緒がルナを見送った後に何だかんだあって纏めて違界に誤って転送されたらしい。

 違界は危険な場所だ。そんな所に転送されたというのだから、結理の苛立ちと狼狽っぷりも納得できる。心配なのはルナ本人と言うより、大好きな目の方だろうが。

 転送された方も一大事だが、もう一つ大事なことがある。廃ビルの中の死体だ。身元不明らしいが、転送が起こった場にあるのだから、関係者だろう。

「その死体にヘッドセットはなく、首輪だけついてる状態でした。正面から攻撃を受けていることから、誰かの身代わりになった可能性があると……思います。一つ気になるのは、この雪の中、意外と薄着ということでしょうか……? コートを着てないです。あ、それと、死体の目の色が青羽ルナさんと似て」

 最後まで聞く前に結理は廃ビルに走った。

「さ、さすがです先輩! なっ、何かわかったですか……?」

 器用に壁を駆け上がる結理に続いて苺子も壁を駆け上がる。宰緒と斎は呆然と二人を見上げた。

 壁の穴から中に入り、直ぐ様結理が顔を出す。

「ちょっとこれはどういうことなの!? あなたも上がってきなさい!」

「いや無理だろ」

 ただでさえ運動が苦手だというのに、壁登りなんてできるはずがない。

「世話が焼けるわね」

 壁を伝って飛び降り、自分の体より大きい宰緒を抱え上げる結理。

「えっ!?」

「おい……」

 斎は驚くが、どうせ違界の何かだろうと宰緒は驚くことをやめた。

 宰緒を抱えたまま結理は壁を駆け上がる。

 斎もきょろきょろとした後、先程上に上がった時と同じように梯子を上った。最後はまた苺子に引き上げてもらう。

 先程と同じようにそのまま目前に横たわる女性の死体。斎は目を逸らしたが、宰緒は眉を顰めて見下ろす。


「青羽の母親だ」


 何度も会ったことがある。間違いようがない。

「青羽君と同じ色の眼球……! 素晴らしいわ! いただきましょう」

「いただくな」

 さすがに服を引き制止する。結理が不満そうな顔をした。

「ああ……でも死後少し時間が経ってしまっているわね……状態は最高とは言えない……」

 暫く黙考し、結理は「仕方ない」と呟く。

「青羽君を第一に考えましょう。でもこの死体をこのままここに置いておくわけにはいかないわ。青羽君が戻ってくるまで保管しましょう」

 苺子に目を遣ると、彼女はこくこくと大きく頷いた。

「わ、わかりました。私がやります……!」

「お願いするわ。私は違界に行きましょう。青羽君の転送された位置はわからないけれど、何とか残留電波を辿ってみるわ」

 話が纏まりそうだ。漸く解放されそうで宰緒は安堵した。一度この場所から、早く離れたかった。ルナの母親が誰かを庇ってこうなったとして、その相手はきっとルナだ。あの時宰緒が行かせなければ、きっとこうはならなかった。少なくともルナがこの場所に来ることはなかった。

「えっと……僕達は」

 そろそろと斎が口を挟む。

 余計な口を挟むな、と宰緒は思った。

 結理は斎と宰緒に目を遣った後少しだけ考え、

「二人はここで待機よ」

 帰してはくれないようだ。

「何でだよ」

 宰緒が異を唱えると結理は然も当然とばかりに腕を組む。

「違界で何かあった場合、私はこっちに戻ってくるわ。その時にあなたが何処にいるかわからなければ捜すのは手間よ」

「だから何で……別にいなくてもいいだろ。違界のこともあんまり知らねぇのに」

「あら、そうでもないわよ。とにかく、待っていてちょうだい。何もないかもしれないけれど」

「は?」

「それじゃあ、後は任せるわ」

 苺子が「はい!」と返事をしてしまった。

 宰緒が頭を抱え斎がぽかんとする中、結理は違界へ自らを転送した。


     * * *


「少し遅くなったけど、美味しい美味しいごはん」

 野菜を切り、ふわふわの大きな尻尾がフリフリと揺れる。

 その隣では無骨な機械も一緒に包丁を握っている。

 少女と機械だけ。今ここにいるのはそれだけのはずだった。

「!」

 頭の大きな耳がぴくりと動く。

「ドアの音がした……?」

 師匠が帰ってくるには早い。ここにはそれ以外に人間はいないはずだ。まさか他の人間に見つかったのか……? 少女に緊張が走る。包丁を握り締め、忍び足で玄関に向かった。

 玄関に続く扉の前に立ち深呼吸。意を決して相手を刺すつもりで勢いよく扉を開け放ち飛び出した。

「!?」

 あっという間の出来事だった。包丁を持つ手が捻り上げられ堪らず手を離す。床に包丁が突き刺さった。

「あっ! 師匠!?」

 家に入ってきたのはどうやら『師匠』だったらしい。目深に被ったフードに防毒マスク。そして腕には――

「誘拐!?」

「違う」

 気を失った少女が抱えられていた。

「青界の人間だ。転送事故で違界に転送された」

「師匠も事故に巻き込まれて予定より早く帰ってきちゃったのか……」

「俺の責任もある。介抱してやってくれ。違界の空気にやられたらしい」

「可哀相……何も知らずに転送されるなんて! でも師匠に見つけてもらったのは良かったよね!」

「この島で暫く安静にしていればすぐに良くなるだろ」

「師匠はまたすぐに青界に行くの?」

「いや。そいつが目を覚ますまでここにいる」

「お疲れ様です!」

 野菜を切っていた機械に指示を出し、ふさふさ耳と尻尾の少女は師匠から目を閉ざす少女を受け取る。

 師匠はフードを脱ぎ、防毒マスクを外して白い頭を振る。赤と紫の双眸。左右で色の異なる瞳。幼さの残る整った相貌。

「あっ、紫蕗師匠は辛いの駄目……だよね?」

「駄目」

 一言それだけ言い、師匠は自室に消えた。


     * * *


 突然の雨、とは思わなかった。

 防弾膜を纏っているし、必要以上に恐れることはない。

 と思っていたが、そいつの存在を忘れていた。

 近くに雨が一粒落ちた所でそのことに気づき、灰音は勢いよく後ろにいた稔を瓦礫の下に蹴り飛ばした。

「――――がっ」

 瓦礫の下の空間に飛ばされ、奥の瓦礫に思い切り腰を打ちつけた。

「お前がまだヘッドセットをつけてないことを忘れてた。命拾いしたな」

「今……腰が死ぬかと思った……」

 外を一瞥し、凄まじい勢いで降る雨に肝が冷えたが、もう少し力を控えてくれても良いのではないだろうか。

「雨が止むまで動けないな。作戦会議でもするか」

 腰を押さえる稔の前に、銃を置いて灰音も座る。

「他の奴らが何処にいるか、椎を中心に考えるぞ。必要な情報で私にわかることなら答えてやる」

 共に考えてほしいと言わんとせんことはわかった。腰はまだ痛むが、稔は頷いて正座した。


     * * *


 白い壁の中、物音無く静かな部屋で、柔らかい布の感触に「もう少し…」と名残惜しくも目を覚ました千佳は声を吸い込んでベッドから飛び落ちた。

「なっ、ななななな!?」

 音を聞きつけ、司がカーテンを覗く。

「そろそろ起こそうかと思っていたところだ。街に出よう」

「なっ!? な?」

「どうした?」

「なっ、何で私がベッドに!? めっ、目を覚ましたら目の前にかっこいい顔があって目が焼けるかと思ったっすよ!?」

「焼けるわけないだろう。ベッドには私が運んだ。床にそのまま寝かせるのもどうかと思ってね」

 慌てふためく千佳に司は冷静に否定した。

「じゃ、じゃあ司さんは!?」

「私は起きてたよ。二人分の装置を作って、千佳に借りたこのゲームをするために」

「一晩中ゲームやってたんすか!?」

「いや装置を作ってた時間の方が長いが」

 司は全く眠そうには見えなかったが、徹夜で装置を作ってくれていたようだ。欠伸一つせずベッドの傍らの機械に歩み寄り操作をする。雪哉が身動ぎたそうに眉を寄せると、ヘッドセットを取って解放してやる。

「ん……」

 どうやらもう痛覚を遮断しなくても痛みはないようだ。

「どうだ? 目覚めは。ゆっくり体を動かしてみろ」

 目を開き、まだ少しぼんやりする頭を動かし、言われた通りゆっくりと手を上げてみる。手を握ったり開いたり、特に違和感はない。

 手をつきゆっくりと上体を起こしてみる。ちゃんと体を動かせる。

「たぶん……良い」

「もう朝食の配給は来たから、街に出よう。ちゃんと食べ物が消化できるか様子を見たい」

「ああ……そういえば内臓を交換したって言ってたけど、何を何に交換した?」

「元々雪哉のものではない肺は勿論、その周辺を幾つか」

「ざっくりしすぎだろ! うっ……」

 叫んだら少し腹が痛かった。

「雪哉、禁止事項だ。生命力の強さは認めるが、大声は出さない。走らない。跳ばない。体に無理な衝撃を与えない。無駄な力を込めない。頭の装置を外したから、痛みが襲うぞ」

「先に言ってくれ……」

 傷口は開いていないようだが、気をつけようと心に誓う。

「消化がどうのって言ってたな……胃とか……腸も掠ってそうだな。よくそんなぽんぽんと移植する臓器が見つかるな」

「まあ色々とあるよ。趣味で」

「…………」

 どんな趣味だ。あまり深く突っ込まないでおこう。

 千佳は顔が合わせ辛いのか少し離れて様子を見ている。

「さて、街へ行く前に二人にこれをあげよう」

 徹夜して作ったという首輪を二人分取り出す。

「街の人々はこの装置の存在を知らない。目立つ頭の装置は置いていくが、二人には絶対に必要な首輪を渡しておこう。私もつけているが、これが言語の翻訳機能を備えてる。ズレ無く言語が変換され、ストレス無く会話ができる。頭の装置と併用するのが一般的だが、首輪だけで賄えるよう設定し、二人に馴染むようカスタムしている」

「おお……! 異世界アイテム!」

「チョーカーみたいだな」

 細い金属の輪のように見える。厚みもあまりなく、薄い。二人は早速受け取って装着してみる。

「……何も変わったことはないっすね?」

「最初から会話できてたしな」

「じゃあ本でも見てみるといい。違界の言語で書かれているが、読めるはずだ。それとこれを」

 話を最後まで聞かず、千佳は本棚から本を抜き取った。雪哉もゆっくりと立ち上がり、興味深く本を覗く。

「わっ! 本当だ! 首輪を外すと読めないのに、つけたら読めるっす! 難しすぎて何が書いてあるのかわかんないっすけど!」

「へぇ、面白いな。確かに何が書いてあるのかよくわからないけど。違界の専門用語か?」

 感動を伝えようと振り向くと司が無言で外套を手に立っていた。

 二人は本を戻し黙って司のもとへ戻った。

「二人の服は目立つからな、街へ出るには服を隠すようにこの外套を羽織ってもらう。そして街で何か靴を見繕う。瓦礫の多い城の外を歩くには二人の今の靴は心許ない。あと適当に鞄を持って行け」

 千佳は、運動靴でも心許ないんすか……と自分の履いている靴に目を落とす。

 それぞれに外套と斜めに掛けられる鞄を渡し、司も外套を羽織ってフードを被る。それに倣って二人も外套を羽織りフードを被った。

「……ああ、そうだ。それと、名乗らなくてはいけない場面があればだが……違界には名字、ファミリーネームというものがない。違界で違界人に名乗る時はそれを除いて答えるといい」

「へぇ……」と二人は興味深く頷く。

「何かテンション上がってきたっす」

「部屋から出て街に着くまでは私語厳禁だ。私から絶対に離れるな。ついてこい」

「了解っす!」

「わかった」

 司が扉を開けると、二人は無言で付き従った。白い廊下を進み階段を上り、誰も擦れ違わず、ゴミ山から壁の中に入った時と同じように、今度は壁から外に出る。ゴミ山とは逆の壁に。

 外は薄暗くまだ少し白い壁が続いたが、やがて壁に色がつく。空は鈍色ではなく、青空が広がっていた。

 細く薄暗い路地を抜けると、異国の街のような景色が広がっていた。

「うわー! 凄いっす! ファンタジーっす!」

 興奮気味に千佳は携帯端末で写真を撮る。

「ヨーロッパの村っぽいな」

「まず靴だ。ついてこい。あとフードはもう取ってもいいぞ。私は本来街に出て良い者ではないから被っているが」

「あ、そうなんすね。てっきり顔の種類も違界と違うから隠すのかと思ったっす」

「おい、私の顔はそんなに違うか」

「……違わないっす」

「違界人の髪と目の色は目立つよな」

 青い髪と群青の目を持つ司を見る。

「私から言わせれば青界人は皆見分けにくそうな色をしてると思うぞ」

 確かにそう言われればそうかもしれない……と思った。後ろ姿などは特に見分けにくいかもしれない。

「店に着くまで少し街の説明をしておいてやろう」

「わーい」

「城内の街、一般居住区は四つに分かれていて、城の中央に位置するコアを中心に流れる川でそれぞれ分かれている。四つの街は東区、西区、南区、北区。ここは西区にあたる。私の秘密の抜け穴も同じく西側だ。外壁の北と南に出入口があるからね。外壁は一番外側にある壁のことで、森や畑を挟んでもう一枚、内壁がある。その内側が街だ」

「へー」

「さっきまでいた部屋はどの辺りにあるんだ?」

「外壁に添ってぐるっと一周、コアの人間――というか外の見張りだな。警備が使う通路がある。その通路から地下に潜って、外壁と内壁の間に私の部屋はある。もっと内側に進めば中央のコアにも繋がっているが、あそこは警備も厳重だし何かと面倒だから行くのはオススメしないな」

「聞く限り違界は技術力はあるみたいだけど、ここは何て言うか……高層ビルとか背の高い建物は見当たらないな。住宅街だからか?」

「いや。技術を持っているのは城の外とコアだけだ。城の中の街は技術力を取り上げられている。知恵をつけてコアに仇なさないように」

 だから城の外で当然のように存在している装置類のことも街の人間は知らないわけか、と雪哉は納得する。

「何でそんなに親切に教えてくれるんだ? もし俺達がこの城をぶっ潰したいなんて思ってたら、ほいほいと情報を漏らすのはどうかと思うけど?」

 突然の切り込みに、司は足を止める。

 青界に興味があるとは言え、警戒を解くためにしろ、城のことを話しすぎだ。他に誰もいない部屋の中では訊けなかったが、人通りのある街で騒ぎは起こしたくないだろう。『本来街に出て良い者ではない』という言葉を信じるなら。

 司は、ふ、と不敵に口の端を上げた。


「ぶっ潰したいなら好きなだけ潰せばいい」


「は……?」

 違界の中で唯一安全に暮らせる場所である城。そこに住んでいる運の良い人間なのに、城を潰されても構わない……?

「さあ靴屋に着いたぞ」

 怪訝な顔をする雪哉を余所に、司は小さな店の扉を開けた。千佳は少しだけ心配そうに雪哉に目を遣るが、扉が開かれると同時にそわそわと店に飛び込んだ。

 こぢんまりとした店だった。派手さはなく、落ち着いた雰囲気だ。来客に気づいた店主の男が奥から軽く会釈をする。

「ほら靴を選べ。自分の靴はその鞄に入れて」

 ああそのための鞄か、と二人は納得する。

「私は魔法使いみたいな靴がいいっすねー。折角の異世界ファンタジーだし!」

「魔法使いは知らないが、動きやすい靴にしておけ。装飾が多く動きにくいと死んでも知らないぞ」

 千佳はきゅっと不満そうな顔をした。

「俺はこういうの全然わかんねーわ……」

「では私が見繕ってやろう」

「じゃあ任せる」

「任せろ」

 司も流行には明るくないが、適当に胸を張った。



 千佳も司に見てもらいながら、外は瓦礫が多いので丈夫なブーツを選んだ。

「オジサン、この二人の靴をいただこう」

「ありがとうございます。では二点で――」

 にこにこと金額を伝えようとした所で店主は目を見開いて固まった。

「つっ、つつ司様!?」

「……」

「司様からお金はいただけません! どうぞそのままお持ち帰りください!」

「ん……ではそうしよう」

 少し困ったように口を噤むが、溜息を一つ吐き頷く。

「はい! ありがとうございました!」

 司は軽く手を上げ、二人を促して店を出る。扉が閉まるまで店主はずっと頭を下げていた。

 司は二人を振り返り、息を吐く。

「何故いつもフードで隠してるのに私だとバレるんだろうか」

「オーラ……とかっすかね?」

「いや何だよ今の……明らかに普通じゃないだろ、あの態度」

「ああ、私の父がコアの要人だからじゃないか?」

「さらっと重要なこと言ったなお前」

 父が要人と言う割にはコアでの扱いはあまり良くないようだが……。

「私も一応コアのシンクタンクに所属している」

「……薄々胡散臭かったけど、お前やっぱり医者じゃないよな」

 雪哉は顔を引き攣らせながら胸に手を当てる。よくわからない奴に腹を捌かれてしまった。生きているのが不思議だ。

「違界では技師と医師を兼ねている者も多いし、技師の腕が良い者は大抵医師としての腕も良い。私も技師の端くれではあるし、医師としての仕事も雪哉が初めてではない」

「いや不安なことには変わりないんだけど」

「心配するな。それより腹が減っただろう? 私のオススメを食べさせてやる」

「何かよくわかんないっすけど、凄いんすね、何か」

 千佳はあまりわかってなさそうだ。

 また少し道を行くと、横に伸びる路地から声がした。

 人通りを避けるように奥へ続く路地。そこに司は無言で入っていく。こんな細い路地の中に店があるのだろうかとついて行くが、どうやらそうではないらしい。

「おい畸形! さっさと出て行けよ!」

「感染るだろ! 畸形が!」

「やっちまおうぜ!」

 小学生くらいの年頃だろうか。少年が三人。

「お前らが出て行け! 返り討ちにしてやる!」

「……!」

 それと向かい合う、同じ年頃の少年と少女。少年は少女を庇うようにして立ち、その頭には羊のような角が、少女には兎のような長い耳が垂れていた。

 司は少年達に向かってわざと音を立てて歩み寄る。直ぐ様三人の少年がこちらに気づいた。

「うわああ! 司さまだ!」

「逃げろ!」

「わああ! 待って!」

 一目散に逃げ出した。

「見ろ、害虫が脱兎だ」

 子供にまですぐに気づかれるようだ。フードを被っていても。いつも同じ格好で歩いているからではないのかと雪哉は思ったが言わなかった。

「司さま!」

 少年と少女は司に駆け寄る。

「また虐められてたのか、ユト、ポラ」

「あいつらがポラの耳を引っ張ったんだ!」

 ポラという少女は垂れた長い耳を抱え不安そうに見上げる。羊の角のようなものが生えた少年ユトは随分と気が強いようだ。

 遣り取りを見守っていた千佳は、司の後ろで目を輝かせる。何かのスイッチが入ってしまったらしい。

「わああ! 可愛いいいい獣人っすぅぅ!」

「!?」

 突如迫ってきた千佳にユトは目を見開き、ポラはユトの服をぎゅっと掴んだ。

「何すか何すか!? ふわふわ滅茶苦茶可愛いっす! さすが異世界! 獣人!」

 助けを求めるようにユトとポラは司を見る。

「ほう。向こうでは獣人と呼ぶのか。千佳、こちらではこういう人間を畸形と呼ぶ。二人は動物型の畸形種だ。他にも虫型や魚型などもいる。城外の害ある空気の中にいると稀に生まれてくるんだが、澄んだ空気の城の中で生まれてくるのは極めて珍しいため、恐れられ気味悪がられとにかく差別が酷い。ちなみに私も畸形種だ」

「さらっと重要なこと言い過ぎだろ」

 だがなるほど、それで父がコアの要人でも司はあの扱いなのかと納得もする。

「えっ、司さんも何か……? 何も生えてないっすけど……」

「見える所に生えてるだけが畸形ではないんだよ。私の場合は通称、両性体。男でも女でもない」

「両性ってことは、男でもあるし女でもあるってことか」

「フフ、全部盛りだぞ」

 恨むわけでもなくむしろ楽しそうだ。落ち込み嘆いているなら慰めの言葉の一つも出るが、心底楽しんでいるような人間にそんな言葉は出ない。

 コアの人間が差別対象の畸形ならば、一般人はそれは扱いに困るだろう。触らぬ神に祟りなしだ。金など貰っている場合ではない。

「さて今日はポラの所の店に行こうと思ってるんだ」

「私の……?」

「一緒に行こう」

「うん……」

 ポラはユトの顔を見、司を見る。

 同時に千佳の腹の虫が鳴いた。



 大通りから外れた横道にその店はあった。

 小さなパン屋さん。

「うわー! 超可愛いっす! メルヘンっす!」

「ここの葛苺(かずらいちご)のパイが美味しいんだよ」

「葛苺……?」

 聞いたことのない名前だった。

 司が店の扉を開くと、扉のベルの音と共にパンの焼ける美味しそうな匂いが鼻腔をついた。

「ちゃんと美味しそうな匂いっす!」

「配給の食事とは雲泥の差だからね。あれと比べるのも失礼だ」

 棚に並ぶ様々なパンに目をキラキラとさせていると、奥から出来立てを載せたトレイを掲げた女性が現れる。

「いらっしゃい、丁度今、葛苺のパイが焼き上がっ……司様!?」

 驚いてトレイを落としそうになるも、確と足を踏ん張って堪えた。

「ここはポラの親戚が営んでる店なんだ」

 司の方は動じず、ポラの伯母だという女性を千佳と雪哉に紹介する。

「司様……今日はお付きの方がいらっしゃるんですね」

「お付きではなく連れだ。この辺りのことには無知でね、何かと教えてやってくれ。あとその葛苺のパイを人数分」

「はあ……連れ、ですか」

 怪訝そうに二人を見るが、それ以上は何も言わない。触らぬ神に祟りなしだ。

「はいよ、葛苺のパイ三つだね。司様からお代はいただけませんからね、お代は結構ですよ」

 店の端の壁に長机が設置されており、丸太を切ってそのまま持ってきたような椅子が並ぶ。その机になかなか大きな三人分のパイを載せた皿が置かれた。

「食べていいぞ」

 司が勧めると、千佳が真っ先に席に座った。

「美味しそうっすね~! 記念に写真撮ろ」

 嬉しそうに携帯端末を構える。司も興味深そうにカメラ機能に見入る。

 見た目の形状は特に変わった所はない普通のパイだ。美味しそうに焼けた生地に煮た赤い果実。これが葛苺というものだろう。果実の見た目は木苺に近いが、それより少し大きい。味も木苺のように甘酸っぱいのだろうか。

「いただきます」

 得体の知れない内臓移植後初めての食事とあって、雪哉は少し緊張する。治療した本人が傍らにいるのだから、何か異常があれば対応してくれるとは思うが……。

 ぱくりと一口、頬張ってみる。

「……!」

 予想とは違う味がした。

「甘い!」

 その声に、千佳も端末を置き一口。

「ほんとだ甘いっす! 普通の苺より甘いっす! 美味しいっす!」

 幸せ満開の笑顔が広がる。

 雪哉は、誰かに食べさせてやりたいと思ったが、誰に食べさせてやりたいのかわからなかった。大切なものを忘れているような気がして、胸の辺りがもやもやした。もやもやはおそらく腹を捌かれた所為ではない。

 葛苺は酸味は極僅かで甘味が強いが、甘いだけではない。

 ポラの伯母は二人の表情に満足し顔を綻ばせる。どうやら葛苺を知らないようだと察し、説明も加える。

「葛苺は蔓を伸ばして高く伸びる果実でね、陽をたっぷり浴びて紫色に熟すんだ。だけどそこまで熟れると甘すぎるもんで、その前のまだ赤い状態で食べるのが一般的だよ。それでも充分甘いから、爽やかな酸味と少しだけ苦味のあるシトロンハーブを混ぜて焼いてるのさ」

「へぇ……」

 千佳が小声で「シトロンハーブって何すか」と雪哉に尋ねるが「知らない……こっちにしかない食べ物かも」葛苺も知らないし、と付け加える。

 パイを堪能すると余韻に浸る間もなく司は立ち上がる。千佳と雪哉がきょとんと見上げると、司は二人の前に布袋を置いた。じゃり、と金属が擦れるような音がする。

「コアから呼び出しが入った。私が街に出ていることがバレたわけではないが、中央に出向かないといけない。用が済めば迎えに来てやるから、二人は街を散策でもしていろ。これは金だ。必要なものがあればこれを使え。使い切るなよ」

 机の上に目を落とす。この布袋は財布か。

「ポラ、この二人が街を歩きたいと言えば案内してやってくれ。なに、虐めたりはしないよ。変な奴らだが、悪い者ではない」

「は、はい……」

 様子を窺いながらポラは頭を下げる。

 澱みなく伝えると司は足早に店を後にした。

「パンも食べたいっす」

 千佳は司の言葉を額面以上には捉えていないようで、特に気にする様子はなく新たな要求をした。

「え? まあ……外の様子を聞くに、街である程度食料も調達しておいた方がいいか……」

 パンを物色し始めた千佳を一瞥し、店の主に声を掛ける。

「日持ちのするパンってありますか? あとさっきの葛苺みたいな」

 やっぱり誰かに食べさせたい。誰かはわからないが、食べさせてやりたい気持ちが強かった。料理なら教えてもらって覚えれば作れるが、食材が存在しないのだから持ち帰るしかない。

「日持ちするのはねぇ……この発酵パンなら結構持つと思うよ。普通のパンより少し固いけど、ミルクに浸すと丁度良い。葛苺の方はねぇ……やっぱりジャムが一番持つかね。赤と紫があるよ」

「紫ジャム、ゲロ甘」

「……じゃあその発酵パンってやつと、赤い方のジャムで」

 ユトが口を挟むので、紫は避けた。現地の声は大事だ。

「はいよ。ミルクは市場で買うといいからね。熟す前の実を買うと長く持ち歩けるよ。あ、パンとジャムのお代はいいからね。司様の連れからはいただけないよ」

「え、いや……」

 これは自分達で食べる物だし代金は支払う……と言いかけて、どのみち司の金だということを思い出す。

「司様は良いお人だからね」

「そうですか……あ、じゃあそこのクッキーも一枚貰えますか」

 違界のことや城のことを教えてもらい、治療や街の散策、こうして財布も預ける。司は良い人なのだろう。街の人々も、司を恐れるというより、本当に良く思っているのだろう。若干胡散臭いが。

「じゃあ市場の方を案内してもらおうか。おい千佳、そろそろ行くぞ」

「はーい」

 流れで返事をしたが、一拍置いて千佳はハッと気づく。また名前で呼ばれた。かっこいい人に名前を呼ばれている。昨夜は名字だったのに。千佳は顔を真っ赤にして両手で覆うが、呼んだ雪哉に他意はない。司に、違界で名前を言う時は名字を除いて、と言われたので雪哉は名字を除いて呼んだだけだ。名前を呼んだことで何か反応してるなとは思ったが、突かずそっとしておく。

 パンを入れてもらった袋と大きなジャム瓶は鞄の中に入れ、雪哉はポラに目を遣る。指名されたポラはびくっと肩を跳ねさせ、怖々と上目遣いで見上げる。

 先程受け取った大きなクッキーを手にしゃがみポラと目線を合わせると、雪哉は安心させるように微笑みクッキーを差し出した。

「案内、よろしくな」

「!」

 クッキーをそっと受取り、ポラはこくんと頷く。

 その様子を見ていた千佳は「さすがかっこいい人はやることもかっこいいっすね」とうっとりとし、ユトは「あいつタラシだ」と威嚇した。

 年下の女の子を何故か扱い慣れている気がした雪哉だったが、『タラシ』は心外だった。


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