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鳥になりたかった少女4  作者: 葉里ノイ
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第二章『城』

  【第二章 『城』】


「ああ……うぅ、ん……」

 ゆっくりと開いた目の先には、濁った空が広がっていた。どうやら仰向けで倒れているらしい。

 脚を動かすと、足元でガチャガチャと音がした。

「何なんすか、もう……」

 凸凹と硬くて寝心地の悪い地面を手探り、安定した場所を見つけて体を起こす。

 先程まで廃ビルの中にいたはずだが、今目前に広がるのはどう見ても。

「ゴミ山っすね……」

 手元にあったものを一つ持ち上げると、壊れた何かの部品のようだった。

 ゴミをぽいと捨て、足場を探りながら立つと、前方も後方も何処までも続くゴミの山。少し離れているが、右手側には聳り立つ巨大なくすんだ白い壁。左手側は遠くまで見通せないが、ゴミのない地面が微かに見える。

「全然雪もないんすけど……」

 白昼夢でも見ているのだろうか。突然の見覚えのない景色。先程まで一緒にいた青羽ルナの姿もない。小無千佳は自分の頬を抓ってみたが、ただ痛いだけだった。

 辺りを見渡すが、誰もいない。ゴミ山だし当然かと足元を確認しながら歩いてみる。

「誰かいないんすかー? ルナちゃーん? ここ何処っすかー? ……ハッ!」

 唐突に思いつく。

「突然見覚えのない場所にいる私! もしかしてこれは、瞬間移動ってやつっすかね!? 私にも遂に異能が目覚めたと……フフ、凄い」

 なんて考えて歩いていると、ぐに、と何か軟らかいものを踏んだ。何となく踏んだものに目を落とすと、千佳の顔は一気に青褪めた。

「ひっ……!?」

 人間だった。人形ではない、歴とした人間。べったりと血のついた少年がじっと横たわっている。

「し、死体……!?」

 踏んだのは腕のようだった。後退ろうにも、足場が悪くて上手く後退ることができない。

「あ、で、でも、手足はちゃんとついてるしバラバラじゃないっす……それに軟らかいってことは、死んでない……? あれ? 死後硬直ってまた軟らかくなるんだっけ?」

 動揺しつつも、もし生きているならと意を決して近づいてみる。口元に手を遣ると、微かだが息をしているのがわかった。

「生きてるっす! しかもよく見るとイケメンっす……」

 慌てて救急車を呼ぼうと携帯端末を取出し、目を見開く。

「圏外……?」

 これでは救急車が呼べない。

 呼べないということは早急に千佳が応急処置を施さねばならない。

「こ、こういう時はどうすれば……そうだ! これで検索して……あー! 圏外!」

 役立たずの端末をポケットに仕舞い、おろおろとしつつ恐る恐る傷の確認。思った以上に深い。血の気が引く。

「どうしよう……誰か」

 縋るように辺りに目を遣ると、ゴミのない地面の上を男が歩いているのが見えた。

「あっ、あの人を呼ぼう!」

 だがその考えはすぐに呑み込まれた。立ち上がって手を振ろうと思っていた千佳は、べったりとゴミ山に伏せた。

(あの人、銃担いでるんすけど!? いやモデルガンとか猟銃かもしれないけど何か怖い! 間違えて撃たれたら怖い!)

 そろそろ視界から消えている頃だろうと恐る恐る顔を上げ、あの男がいなくなったことを確認すると、安心して千佳は上体を起こした。

「よかった……じゃないっす! 無駄な時間を過ごしたっす! 早く手当てしなっ……」

 振り返り、千佳は声にならない声を上げた。

「――――っ!?」

 いつの間にそこにいたのか、中性的な顔立ちの人間が立っていた。白衣のような服を着て長い青い髪を緩く束ねている。音楽でも聴いているのか頭にヘッドホンをつけていた。

「さっきの男に声を掛けなかったのは、まあ賢明な判断だな」

 千佳の開いた口が塞がらない。誰だ、この人は。

「安心するといい。私はお前の敵ではないぞ?」

 不敵に口元が笑う。目は笑っていない。

「見たところこいつは死にかけているようだが、助けるのか?」

 その言葉に千佳は我に返る。放心している場合ではない。この重傷者は一刻を争うのだ。

「たっ、助ける! 絶対助けるっす!」

「ふむ。ならば手当てをしよう。ここでは軽く手当てをし、ちゃんとした治療はこの中で」

 言いつつ、くい、と親指を聳り立つ白い壁に向ける。

 この白衣の人は通りすがりの医者なのかもしれない――そう思った。そしてこの壁は病院の壁なのだと。だって白いし。

「お前もずっと外にいては体に悪いだろう」

 白衣の者は慣れた手つきで応急処置を施していく。

「お前じゃないっすよ。小無千佳って名前っす」

「そうか。長いな。やはり思った通りか。私は(つかさ)という」

「?」

 長いとは何のことだろうか。髪の長さだろうか。不思議に思いつつも、処置の手を乱してはいけないと千佳は黙っていた。

 司と名乗った性別不明の人物はあっという間に処置を終え、重傷の少年を軽々と持ち上げた。

「なるべく私から離れず、静かについてきなさい」

「了解っす」

 びし、と敬礼する。

 足元を確かめながら、するすると歩を進める司についていく。少年を抱えていて足元もよく見えていないはずなのに、不安定な足場に躓きも踏み外しもしない。余程歩き慣れているのか。ゴミの上を。

 暫くゴミ山を行くと、司は少年を肩に担ぎ直し、ゴミの隙間を縫って下方に下りていく。倣って千佳もゴミの間を下りるが、片手だけの司と違い、きっちり両手を使って下りるしかできない。

(凄い運動神経っす……)

 平坦な地面まで下りて上を見上げると、空が見えなかった。なのに明るいのは、足元に置かれたランタンのおかげだ。

 あの聳り立つ壁に司が触れると、何もなかった壁が横に開き、中に入れる空間ができた。中は薄暗いが、惣暗ではない。足元のランタンの明かりを消し、少年を両腕に抱え直す。

「何もない所に……ま、魔法っすかね!?」

 静かにと言われたので、小声で興奮する。

「これは私が作った秘密の抜け穴でね。擬似壁を張っている。私にしか開けられないから誰にも見つからず外に出られる。いいだろう?」

 悪戯っ子のように、自慢そうに口の端を上げる。

「ちなみに魔法ではない」

「違うんすか……」

 少し残念な気持ちになる。

 秘密の抜け穴を閉じると、元の何もない壁に戻った。千佳が手で触れてみても何も反応はなく沈黙している。

 外壁と同じ白い壁が奥まで続き、左右に扉が並ぶ。薄暗かった廊下は徐々に適度な明るさとなり、壁と床と天井の白が眩しい。廊下はしんと静寂が満ちていて不安を駆り立てるが、千佳は黙って司の後に従った。

 何階か階段を下りた所で、司は一つの扉を開ける。随分歩いた気がするが、誰とも擦れ違わなかった。

 部屋の中は廊下と同じ真っ白で、大きな本棚にびっしりと本が並び、机と椅子、それと長椅子、奥にベッドがあった。机の上にはトレイと空の食器が置いてある。娯楽品などは見当たらない。本棚と反対の壁には薬品棚が設えてあり、やはり病院なのだろうと千佳は一人で頷く。

 司はベッドに少年を横たえ、棚の引出しを漁り、小さな機械の部品や端布の塊の中からヘッドホンを取り出した。それを少年の頭に装着する。怪我人にヘッドホン……妙な光景だった。

「何してるんすか……? 音楽でも聴かせるんすか?」

「ん? ああ、そちらの世界にはこういう装置はないんだったね。これはヘッドセットと呼ばれている防御展開装置。私のつけているものと同じだ。これには色々と便利な機能が備わっていてね、その一つが痛覚を遮断すること。千佳のいる世界で例えると、麻酔のようなものかな? いや、でも装置で除くのは痛覚だけだから……少し違うか?」

 最後の方はぶつぶつと独り言のように言い、それでも手は動かす。

「外の人間は面白いことを考えるね。だから外に出るのはやめられない。手当てを買って出て千佳を招いたのも、千佳のいた世界の話を聞きたかったからだよ。色々聞かせてくれると嬉しい」

「はあ……何言ってるのか全然わかんないっすけど、話ならできるっすよ! ……あっ」

 慌てて口を押さえる。静かにと言われていたのだった。

「いいよ、この部屋の中でなら普通に喋ってくれ」

 司は薄く微笑みながら、千佳の視線を遮るようにカーテンを引く。

「好きに座って待っていてくれ。読めるならそこの本も好きに見てくれて構わない。内臓の損傷が激しそうだからな、時間が掛かる。内臓のストックはあったかな……」

 最後に怖い一言が聞こえた気がしたが、治療なんて到底できない千佳は司に任せることにした。

 時間が掛かると言われたので、本棚に並ぶ本を物色する。読めるなら、と言われると気になる。難しい漢字は読めないかもしれないが、漫画に出てくる漢字は読めるんだぞと自信たっぷりに一冊引き抜き、中を開いてそっと棚に戻した。

(日本語じゃなかったっす……アルファベットでもなかった……)

 知らない言語は読めない。何冊か開いて見てみたが、どれも同じだった。何語かもわからなかった。

(本も読めないゲームもない……おまけに圏外だし何もすることがないっす……)

 本棚は諦め、反対側の薬品棚の中を覗く。薬瓶などが並んでいるが、貼られているラベルの文字は本と同じ知らない言語だった。司は日本語をペラペラと喋っているが、ここは何という国なのか。日本と思いたかったが、瞬間移動をしたとすると日本ではない可能性も大いにある。……帰れるのだろうか。

 何もすることがなく暇になったので、千佳は長椅子に横になった。真っ白な天井には染み一つないが、よく見れば電灯もない。天井が直接発光しているようだった。普通の天井のように見えるのに不思議だ。

 なんてことを考えながら、疲れていたのだろうか千佳はすっかり眠ってしまい、司に起こされるまで熟睡だった。

「――千佳。千佳、終わったよ」

「…………んん」

 ぼんやりとしながら起き上がると、仕切られたカーテンが開いていた。随分と長い時間眠っていたようだ。

「今はまだ目を覚ましていないが、その内覚ますだろう。暫くは安静にしてもらいたいが、動いても構わない」

「! しゅっ、手術は成功したんすか!?」

「無事だよ。幾つか中身は交換したが、いやぁ面白いな彼。片肺が既に彼のものではなかった。傷ついていたし、適合するよう少し弄ってあったようだがあまり深く馴染んでいないようだったから棄てた。一時凌ぎの肺だったのかな」

「へ? す、棄てていいもんなんすか……?」

「代わりの良いやつを入れておいたから大丈夫」

 何だかとても豪快な会話をしている気がした。

「さあ、それより話を聞かせてくれ。千佳のいた世界の話を」

 椅子を引っ張り出し、司は千佳の前に座った。とても嬉しそうだ。

「話はいいんすけど、何の話をすればいいんすか?」

「そうだな、こちらの世界との違い、違う所の話なんか面白そうだ」

「……あの、そのさっきから言ってる世界っていうのは……?」

「ああ……先にそっちの話をしなければいけないのか」

 司は脚を組み、口元に手を遣る。

「簡潔に答えよう。千佳のいた世界と、今いるこの世界は別の空間に存在し、こちらの世界のことを違界と呼んでいる」

「つまり、異世界……!?」

 漫画にゲームにとファンタジーな世界を想像し、千佳は目を輝かせて前のめりになった。つまり本や薬瓶ラベルの文字は異世界言語! 千佳に読めるはずがない。

「遂に私も異世界転送っすかー! エルフに獣人、会いたいっす!」

「おお……食いつきが凄い」

 司は少し困惑する。順応が早いのはありがたいことだが、もう少し混乱されると思っていた。

「疑ったりはしないんだな」

「面白そうなことは信じる主義っす」

 緊張感も何もない。

 静かに盛り上がるカーテンの陰で少し前に薄らと目覚めていたが体が動かないのでおとなしく会話を聞いていようと思っていた少年は、このままでは聞きたいことが聞けないだろうと、幸い口は動くようだと口を挟ませてもらうことにした。


「その違界っていうのは、何で俺達の方の世界が基準なんだよ?」


 背後からの質問に司は目を瞬いて振り向く。

「早いな。まあ安静にしていろ。あと、鋭いなお前は」

 立ち上がり、少年に歩み寄る。少年の頭に装着したヘッドセットに手を伸ばし、司は目を細めた。

「今お前の体は動かないだろう? この頭の装置で制御してある。この電源をこのように切ると」

「うぐっ!?」

「遮断されていた痛覚が戻って残っている激痛が走り、体も動かせる」

 再び電源を入れると、少年の体から一瞬で痛みが引いた。ハラハラと心配そうに千佳も様子を窺う。

「私が治療した。装置に頼らず痛みが引くまではおとなしくしていろ」

「はあ、はあ……」

「私は司という。お前の名前は?」

 痛みで顔を顰めながら、少年は口を開く。電源を入れられている間は身動きが取れないのだ、おとなしく従うしかない。

「名前は…………名、前……?」

 少年ははたと口を止める。自分の名前がわからない。名前はあったはずだ。思い出せないのだ。

 黙り込んだ少年に司は小首を傾ぐ。暫し黙り込み、やがて一つ思い当たる。

「記憶が置き去りになったか……?」

「は……?」

「稀に起こるらしい。肉体が転送され、記憶だけ元いた世界に残してしまうケースだ。全ての記憶を置き去りにするケースと、断片的に置き去りにするケースがあるようだが……」

 話しつつ、身動きの取れない少年の服を弄る。脱がしておいた上着の胸ポケットに、掌に収まる小さな手帳が入っていた。

「千佳、これが何かわかるか?」

 呼ばれた千佳は椅子から跳ね、手帳を受け取る。

「これは……学生手帳っすね。えっと……玉城、雪哉くん、っていう名前みたい……高校三年生で……沖縄!? 沖縄から来たんすか!? 旅行!? あ、制服だから修学旅行? 私は一年だから、玉城君は先輩っすね!」

「ほう。個人情報が記載されてるのか。どうだ? 覚えていることはあるか?」

 玉城雪哉という名前らしい少年は千佳の言葉を巡らせる。名前は覚えがないが、高校生だということと、沖縄が地名ということはわかる。一般常識程度なら覚えているが、個人的な記憶は曖昧といったところか。そのことを司に告げると、司は少し考えた後、徐ろに再び椅子に腰掛けた。

「さて記憶については後にして、先程の雪哉の質問だが。違界は元々呼称がなくてね、それでも不便はなかったんだが、ある日……地球、と言えばいいのか? お前のいた世界は」

「ああ」

「地球から違界に転送されてきた人達がいてね、その人達が呼びやすいようにと呼び始め定着してしまったんだ。どうやって転送されたのか彼らにも偶然だったようで、私も詳しくは知らないが、その件により別空間に違う世界が存在しているとお互い知ることになった。というのがその質問の答えかな。ちなみにその時、我々からの呼び名として地球を青界(せいかい)と名付けた。青い星だと聞いたのでね。こっちの名前はあまり浸透してはいないようだが」

 司が締め括ると間髪入れず再び雪哉から質問が繰り出される。

「ここはその違界って所みたいだが、この建物は? それと、何で俺がここにいる?」

「確かにここは違界で間違いない。その違界の中心にあるのが、この建物……と言うか、一つの国かな。大きな白い壁に囲まれているため、城と呼ばれている」

「駄洒落っすか」

 白と城っていう。

「いや壁が城壁に見えるかららしいが」

 恥ずかしい間違いをした。千佳は両手で顔を覆う。

「城の外は殺伐としているし空気も人が住めるようなものではないが、城の中は浄化されていて人が安心して住める。壁の中に一般人が住む居住区、まあ街だな、街が広がり、その真ん中に要人が住まう政府、通称コアがある。今私達がいる場所もコアの一部だが、ここはまだ壁に近い地下にある。コアの中心に比べるとまだ警備が手薄だ。このくらいなら外から人間を連れ込める。いいだろう?」

 いいだろう? と言われても返答に困る。要は内緒でいけないことをしているわけだ。千佳と雪哉にとっては良いことだったが。

「何故違界に? ということなら私は知らないぞ。千佳なら何か知ってるのでは?」

 視線を送られ、千佳は背筋を伸ばした。

「気づいたら違界にいたっす。ゴミ山の上に」

「ゴミ?」

 怪訝な顔をする雪哉。

「城の外壁周囲はゴミ捨て場なんだよ。城から出たゴミは外に捨てられる。その周囲を警備が歩いていて、外の人間が城に近づくと殺すんだが、その目を縫って外の奴らはゴミを漁りに来てるね。おそらく技師と呼ばれる者だと思うが。その辺りはコアの人間はあまり把握をしていない。外に無関心だから」

 その言葉に千佳はハッと気づく。

「なるほど、だからあの銃を持った人に声を掛けなくてよかったと」

「命拾いしたね」

「ナイスジャッジだったっす!」

「それで、千佳も詳しくはわからないようだが、話を聞く限りでは、付近の他者の転送に巻き込まれたようだ。念のため調べておいたが――ああ」

 司は再び立ち上がり雪哉の傍らに立つ。雪哉は警戒するが、今度は危害を加えるわけではないようだ。よく見ると雪哉の頭の装置からはコードが伸びており、枕元の機械に繋がれていた。機械を操作し空中にグラフのようなものや文字が浮かび上がる。

「雪哉の脳を少し調べさせてもらった。転送処理を受けたのなら微弱だが電波が残っているはず。――ああ、これは思考や記憶を読み取るものではないから安心したまえ」

「勝手に何を……」

「これは転送装置の暴発かな。随分と荒い電波だ。千佳と雪哉の他に五……六人だな。同じように巻き込まれた者は」

「俺達の他って……?」

「それは知らないが、ある程度ランダムだからな、こういう暴発は」

「誰かまでは特定できないのか?」

「脳を調べられて嫌がってるかと思えば、思ったより肝が据わってるな。そういう奴は好きだぞ、私は」

 喋りながら機械を弄る。

 雪哉と千佳は息を呑み、見守る。千佳は空中に浮かぶ読めない文字が気になって仕方がなかったが我慢した。

「ん……少し時間が経ってるからな……仮に経っていなくても個人が特定できるものでもない。別の転送装置と共鳴した痕跡もある。面白いな。だが残念だがこれくらいが限界だな。他に何か知りたいことはあるか? なければ私も質問がしたい」

 雪哉は考える。雪哉と千佳の他に転送されたのは六人。薄らとだが誰かいた記憶がある。知り合いだったはずだ。だが誰なのかはわからない。自分のこの状態から察するに、何か騒動があったはずだ。

「なあ……千佳、って言うのか? 違界に来る直前、お前は何処にいた?」

「へあ!? な、名前で呼ばれたっす……か、かっこいい、照れる……」

 何気なく話し掛けた雪哉だったが、まさか顔を真っ赤にして壁に頭を打ちつけられるとは思わなかった。突然の奇行に困惑する。

「え、ええ……?」

「正式名称は小無千佳っす……あ、玉城君のことは何と呼べば……?」

 フルネームを正式名称と言う人間は初めてだ。

「呼び方は別に、何でもいいけど。つか怪我人を驚かすな」

「玉城君と呼ぶべきか、雪ちゃんと呼んでいいのか……どどどうするっす……相手はまさに二次元顔」

「え? 二次元? 平面……?」

「あっ、私はその、転送前は壊れかけの廃ビルでルナちゃんと……あっ、ルナちゃんっていうのは……あ、ルナちゃんも沖縄から来たんだから、知り合いの可能性が? さっちゃんとも? 今度紹介してもらお……ああっ! その前に既に今、会ってるっすよ!?」

「まあとりあえず落ち着いて。人名は全然わからない」

 一人で盛り上がる千佳を宥める。その二人の様子を、青界の人間同士の会話……面白い、と司が興味深そうに眺めている。

「それで、その廃ビルで何を?」

 質問を投げられ、千佳は我に返る。

「遠くにいる時は何か壊れる音がしてたっすね。でも私がビルを攀じ上った時にはもう静かだったっすよ。何て言うか……終わった感じだったっす。ルナちゃんが心配っす」

「終わった感じ……?」

 情報が判然としない。

「ルナちゃんのお母さん、死んじゃったっす……ルナちゃん凄くショック受けてて……あ、ルナちゃんっていうのは、沖縄に住んでる青羽ルナって男の子で、友達っす」

「悪い。話が見えない」

 というかルナちゃんって男? そんな名前だし、ちゃん付けだし、女の子だと思っていた。

 千佳は、長くはなったが自分の見たものを全て雪哉に話した。雪哉は真剣な面持ちで黙って彼女の言葉に耳を傾けた。荒れた廃ビル、ルナとその母親のこと、大きな鎌や装備のこと――。人名を聞いても相変わらず覚えはないが、きっと雪哉もそこにいた。

 黙って話を聞いていた司は、ふと怪訝そうに口を割り入れる。装備品の話を聞いて眉を寄せた。

「その母親、違界人か?」

 千佳はきょとんとする。そういえばそんなことを言っていた気がする。そうか、あの時言っていた『イカイ』とは此処のことだったのか。

「ルナという奴も面白そうだ。話を聞いてみたい。再会したら私の所へ連れてきてくれ」

「その再会が一番大変だな。元の世界にも戻りたい」

「元の世界に戻るには転送装置が必要だね。それを作るには腕の良い技師が必要だ。私も腕に自信はあるが、残念ながら転送装置は外の人間にしか作れない」

「えっ!? 外は危険なのに、外に行かないと帰れないんすか!?」

「そうだね。でも話を聞かせてもらうのは面白いし、ルナにも会ってみたい。死なせるのは惜しい。なるべく安全に外を歩けるよう、外の人間の必須アイテムを二人に作ってあげよう」

「ほんとっすか!? やったー!」

「安全にって……何か武器か?」

 銃を持ち歩いている人間が外にいるのなら、やはり武器で応戦しろということか。

「武器はそれぞれ使いやすいものを買えばいい。私が作ってあげようというのは、私がつけているようなこの頭の装置と首輪だ。城内では必要ないし、そもそも住人はこの装置の存在を知らないだろう。これは元々、違界が衰退する時に、城内居住の権利を獲得できなかった人間にコアがせめてもの生きる装備として配布したもので、その時は違界の有害な空気を遮断する簡易な機能と通信機能しか付属していなかった。……ああ、首輪の方は頭の装置より後に配布されたもので、食事をするためのものだ。補助調整装置と呼んでいる。この二つの装置に勝手に独自の機能をどんどん加えて生きるための便利アイテムに改造してしまったのが外の人間だ。個々で機能に差はあるようだが……。そのことをコアはきちんと把握していない。コアはもはや外に関心などないからね。私は勝手に外に出て、外の人間に教えてもらった。死体から装置を失敬して持ち帰って調べた。そして自分の分を作った」

 詳しい事情は知らないが自由な人だな、と二人は思った。

 そう言えば頭の装置の話は雪哉にしていなかったなと追加で説明し、司は自分のヘッドセットを外す。

「首輪は外してしまうと二人と話せないんだ。言語が違うからね。違界の中だと言語は一つに統一されているから翻訳なんて機能は必要ないんだが、外の人間は青界に行くことを初めから考えてたんだね。外は本当に面白い」

「転送装置が外の人間にしか作れないっていうのは?」

「私も作りたいと思って調べたんだがね、あまり外の遠くへは行けないから……。どうやら転送装置には城外にある特別なアイテムがなければ作れないみたいなんだ。それが何かわかったとしても相当に珍しいもののようだから、城外を好きに歩き回れない私では何ともし難い」

「何で外を歩き回れないんすか?」

「外に出ていることがバレれば凄く怒られる」

 子供の発言のような言葉が飛び出した。

「言うことを聞かない奴は殺されるからね」

「え……」

「私の話をしても面白くはないよ。二人の話が聞きたい。――そうだ、青界では多様な食文化があるそうじゃないか。腹が減ったな」

 逸らかされた、と二人は思った。

「さあ、聞かせてくれ」

 いよいよ青界の話が聞けると思った所で、部屋の中にブザーの音が鳴り響き、司は「おっと」と軽く肩を落とす。突然の音に千佳もびくりと跳ねた。

「千佳、こっちへ」

 司は全く驚いた風はなく、先程閉めていたカーテンをもう一度引いた。雪哉が横になっているベッドが完全に隠れる。

「来客だ。隠れていてくれ。声や物音は立てないように」

「わかったっす」

 言われた通り千佳もカーテンの奥へ回り、カーテンの端からこっそり様子を窺う。

 司は机の上にある空の食器が載ったトレイを手に取り、扉を開けた。千佳の位置からでは扉の向こうにいる者の顔は見えなかったが、司がトレイを差し出し、同じような食器の載ったトレイを受け取ったので、食事を持ってきたのだろうと推測する。その遣り取りだけで、言葉は交わさず扉が閉まる。

「出てきて構わないよ。一日三食決まった時間に食事の配給があるんだ。コアの中心には食堂もあるんだが、この私の部屋からは遠くてね」

 カーテンを開け、千佳は興味津々と食事を覗き込む。

「異世界ゴハンっすか……どんな味がするんすかね」

「ちょっと待て」

 千佳が摘み食いと手を伸ばそうとすると、背後から制止の声が刺さった。

「ち、違うっすよ!? 摘み食いなんて思ってないっすよ!」

 必死に誤魔化そうとするが、雪哉はどうやらそれを咎めたわけではないようだ。

「それ、何時の食事だ?」

「夜だよ。夜の七時だ」

「小無、時計持ってるか? 俺はこの通り動けないから、見てくれ」

「時計っすか? スマホならあるっすよ」

 小首を傾げながらポケットから端末を取り出す。司も興味深そうに見る。

「それは何だ?」

「超便利な電話っす。時間は十九時! さっきの人、食事の時間が正確っすねー」

「便利な電話? 便利ということは、城外のノイズの中でも通信できるのか?」

「圏外だから無理っす」

「一旦俺の話を聞け」

 会話が続きそうだったので再び制止の声を投げる。

「時間が同じってことは、時差がないのか」

「!」

 雪哉の言いたいことに司は気づいたようだ。千佳は不思議そうな顔をする。

 トレイを机に置き、司は雪哉のもとに立つ。

「違界の中でも時差は存在する。時間の数え方は青界と同じ、二十四時間。だが今は時計を持つ者は少ないため、正確な時間は判断が難しい。私も時計は持っていないがコアの中央には時計がある。だから正確に食事を届けに来る。私は体内時計が正確だからわかる。同じ程の大きさらしい青界にも勿論時差は存在するのだから、装置の暴発で何処に転送されるかわからない状態で全く時差のない場所に転送される確率は全体から考えると高いわけではない……」

「その中で俺と小無、二人も同じ場所に転送されてる。だったら他の巻き込まれた奴も時差のない範囲――割と近くに転送されてる可能性が高い。単なる偶然でなければ」

「面白い仮定だ。仲間の転送位置が絞れてよかったな」

「ああ……だがズレがないなら、ここにいる時間分、元の世界では俺達は行方不明だな」

 何の話をしているのかわからないと思いながら右から左へ聞き流していた千佳は、手持ち無沙汰に雪哉の学生手帳をパラパラと弄び、はらりと何かが落ちたことに気づく。慌てて拾い上げると、それは一枚の写真だった。そこには学生服を着た仲の良さそうな男女が写っていた。男の方は雪哉で間違いない。

「この女の子……もしかして玉城君のカノジョっすか!?」

 衝撃を受けた顔をする。かっこいいしさぞかしモテるだろうとは思っていた千佳だったが、実際に彼女がいるとなると複雑な心境だった。

「あっ、ちょっと待って! 名札がついてる! 玉、城……同じ名字だからきっと兄妹っすね! あー、びっくりしたぁ。妹ちゃんかぁ」

 写真の雰囲気からして姉ではないだろう。同じ名字の他人という可能性もあるが、何処か面影がある。

 どうやら写真に妹だと思われる人物が写っているようだが、雪哉には全く覚えがなかった。家族ですら記憶にないのかと愕然としたが、妹どころか親のことも記憶になかった。この失った記憶は元の世界に戻ると戻ってくるのだろうか。司は失った記憶のことを『置き去り』と言った。その言葉の意味をそのまま解釈すると、記憶は戻ってくるはずだが……。

「妹……」

 冷静でありながら複雑な心境の雪哉に対し、千佳は妹であることに安心した。

「安心したらお腹減ったっす!」

「その謎の端末を見せてくれたら、私の食事をあげよう」

「いいんすか!? あっ、でも……」

 司と雪哉を交互に見る。自分一人だけ食事にありつくのは気が引ける。

「ああ気にするな。雪哉はまだ内臓交換してあまり経っていないからな。もう少し慣らしたい。夕食抜きだ。私のことも構わなくていい」

 ああ食事抜きなのか、と雪哉は目を閉じる。

「じゃあいただくっす!」

 いそいそと机の上のトレイを覗き込む。主食はパンだろうか。そしてスープと野菜炒め……?

 同時に司も手を差し出すので、端末を手に載せてやった。

「指を動かして操作するんすよ。こんな感じで。これが電話、こっちがメール。それからこれがカメラで……」

 説明しながらスープを一口啜ってみる。味わったことのない味がした。それに温い。もう殆ど冷めてしまっている。あまり美味しいというものではなかった。炒め物も食べてみるが、潤けた段ボールを食べているようだった。つまり。

「まっず……!!」

「ハハハハハ!」

 その様子を見て堪らず司が笑い出した。不味いとわかっていたから食事を譲ったに違いない。

「な、何なんすかこれぇ……スープに入ってるこの肉っぽいやつも何か木屑みたいだし!」

 食事抜きでよかった、と雪哉は思った。

「フフッ……久しぶりにこんなに笑ったよ。中央はもっとまともなものを食べてるらしいけどね。一般居住区ももっとまともだ。私はあまり良く思われてないからね、何かはよくわからないが人工食料を使ってるそうだ。その中で一番食べられるのはパンだな」

「パン……」

 試しにパンを齧ってみるが、確かに微かにパンのような味はするがパサパサな食感だった。だが確かにスープと炒め物と比べると幾分マシだろう。あまり味がしないが。

「こんなものを毎日食べてるんすかぁ……? 地獄っす……」

「いや、食べずに街で食料調達している。内緒で」

「ちょっと! 何で私に食べさせたんすか!?」

「食べたそうにしてたじゃないか。……あ、このアイコンは何だ?」

「…………」

 掌の上で弄ばれた。そう思った。

「それはゲームっす」

「ゲーム? 青界の娯楽か? やってみたい」

「お腹すいたのに……」

「今は何も用意できないが、明日街に連れ出してあげるよ。朝食は七時だから、その配給後に。……ああ、雪哉はもう寝るといい。睡眠中に治癒力を高める設定をしておこう」

 端末を手にしたまま立ち上がり、ベッドの傍らの機械を操作する。よく眠れる電波を流しておいた、と言うと、雪哉の瞼は急に重くなり、意思とは無関係に入眠した。

 ベッド側の明かりを消し、カーテンを閉める。天井の明かりの範囲は自由に変えられるようだ。

「ベッドは一脚しかないが、千佳も眠くなったら雪哉の横に寝てくれ。二人くらいなら眠れるだろう」

「いやいやいやいやこんなかっこいい人の隣で寝るなんて心臓が持たないっすよ!? 罪深い…!」

「ふむ。千佳はこういう男が好みなのか」

「こっ、好みとかそういう……その、かっこいい人は国宝っすから……!」

 千佳の顔は真っ赤だ。否定はしていても気はあるのかもしれないと司は分析する。

「こういう奴は長生きしないから、ちゃんと手を握って捕まえておいてやらないといけないよ」

「ええっ……?」

 もうあまり興味はないのか、司は端末に目を落とした。千佳には司の真意はわからなかった。ただ、揶揄されているのかもしれないとだけ思った。


     * * *


 ざらりとした感触が頬を撫でる。

 目を開けると、すぐ横に地面があった。建物が横向きに生えている。

 ああ自分が倒れているのか、と気づく。

 身を起こして見る世界は、荒れた世界だった。雪はなく、人気もない。

 立ち上がってみると、靴が片方しかないことに気づいた。辺りを見回すが、靴らしきものは落ちていない。

 空気が濁っているのか先の方まで見通せない。だが知らない場所だと思う。

 建物は少し壊れているが、誰かいないのだろうか。

 瓦礫の転がる地面を片方の靴を失った状態で歩くのは危険だが、それよりも誰かを捜したかった。足元に気を配りながらゆっくりと歩き出す。小さな石を踏むのが痛い。

 建物の間を時折吹く風が肌寒い。

 建物の一つに近づくと、中で何かが光った気がした。落ちている硝子の破片だろうか。

 ゆっくりと近づいてみると、それは硝子の破片ではなかった。


 銃口だった。


「!」

 驚いて尻餅をつくのと発砲されたのはほぼ同時だった。頭上を銃弾が掠める。玩具ではない、と直感的にわかった。

「に、逃げなきゃ……」

 だが体が強張って動かない。一発目は偶然に助けられたが、このままでは二発目で死ぬ。

 背を向け地面に手を突いて這おうとするが、そんなのろのろとした動きでは当てられてしまうだろう。

 背後で発砲音が聞こえた。もう駄目だ。ぎゅっと目を瞑る。

「…………?」

 だが何処も痛くならない。外したのかもしれない。続けて何発か音が聞こえるが、体の何処にも変化はなかった。

「うわぁ!!」

 大きな声が聞こえた。恐怖に支配されたような声。

 息を呑み、思い切って振り返る。心臓が引っ繰り返りそうになりながら。

「あ……」

 建物の入口、先程銃口が見えた手前に誰かが立っていた。羽織った外套で手元は見えない。フードを目深に被り、防毒マスクをこちらに向けている。

 この人物が銃の所有者だろうかとも思ったが、どうも様子が違う。

 よく見ると先程はなかったはずの銃弾の欠片が幾つか周囲に落ちていた。

 防毒マスクは周囲を一瞥した後、地面に座り込む少女に目を遣った。

 外套から軽く手を出し、何も持っていないことを示して少女に歩み寄る。

「立てるか?」

 手を差し出され、少女は反射的に手を取った。

「誰かの転送に巻き込まれたようだ。俺の装置に共鳴ログがある。お前が転送されたのは俺の装置の責任もある。元の世界にすぐ戻――」

 立ち上がらせようとした少女は少し腰を浮かせた後、糸が切れた人形のように地面に崩れた。

(? 怪我はないようだが……)

 腰を落として観察すると、何やら呼吸が苦しそうだ。

(ああ……空気にやられたのか。……あまり気は進まないが俺の責任もある……一旦場所を移そう)

 防毒マスクは少女を抱き上げると、少女ごと忽然と姿を消した。


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