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鳥になりたかった少女4  作者: 葉里ノイ
1/8

序章/第一章『廃』

くるくる狂っていく。

  【序章】


 今し方起きた出来事に、綾目斎(あやめいつき)は目を見開いたまま動けないでいた。

 目前には、入口が崩壊した雑居ビル。壁にも大きな穴が空いている。五階の窓からは避難梯子がだらんと力なく下がっていた。その梯子を軽捷に上っていった小無千佳(こなしちか)が、たった今目の前から消えた。ぽっかりと空いた壁の穴から見えていた。誰かと話しているようだったが、誰なのかは斎のいる場所からは見えなかった。

「どうかしましたか?」

「今……梛原(なぎはら)さんみたいに小無さんが消え……」

 霊園で結理(ゆうり)が消えた所を見ていなければ、今起きた出来事も見間違いだと思ったかもしれない。

「え?」

 ビルを仰いでいた斎は、背後から声を掛けられたということに気づくのが遅れた。

 勢いよく振り向くと、小柄な少女が長い槍を持って立っていた。頭には大きなリボンを載せ、ひらひらとした服を着ている。服の端は所々切れていた。焦ったような困ったような顔をしている。見覚えのない少女だった。

「先輩の知り合いの方ですか? 先の方達のお仲間ですか?」

「あ……いや、その……先輩? どちらの後輩の方で……?」

「梛原結理先輩の後輩です。木咲苺子(きさきいちご)と言います」

 木咲苺子と名乗った少女は、ぺこりとリボン頭を下げた。

 合点が行った気がした。苺子の槍を見、結理の持っていた刀を思い出す。はっきりとはわからないが、同じ部類の何かである気がする。

「僕は綾目斎です。今そこのビルに入った友達が忽然と消えてしまって」

 できるだけ平静を装って、世間話をするように答えた。狼狽えて警戒されないように。

「忽然と? ならば転送でしょうか。言われてみれば、物音一つしませんね……。中には皆さんがいたはず……おかしいです。調べましょう」

 思った通り、この不可解な現状にすらすらと答えてくれる。

「何処に消えたと思う?」

「そうですね……見当がつきませんが、違界なら……厄介ですね……」

「違界?」

「…………え?」

 同じようにビルを仰いでいた苺子はきょとんと斎に目を向けた。見る見る顔が青褪めてゆく。

「えっ、あっ、あのっ、違界のことをご存知ないんですか!? ないのに話を合わせておられたのですか!?」

「また逸らかされると気になって眠れなさそうだから、話を合わせてみたけど」

「そんな……!」

 悪いことをしてしまっただろうか。結局宰緒(さくお)とルナに話を聞きそびれてしまい、千佳ほど飛びつきはしないが気になってはいたのだ。その『気になること』を知っていそうな人物が現れたのだから、聞き出したくもなる。

「あ、あう……」

 言ってはいけないことだったのだろうか、苺子はしどろもどろになる。少し悪いことをしてしまった気分だ。そのことについては申し訳なく思う。

 だが苺子はすぐに深呼吸し気持ちを鎮め、何かを言い聞かせるように何回も頷き平静を取り戻した。

「わ、わかりました……転送現場を見てしまったようですし、少しお話します……。でもその前に、しなければならないことが……」

 そう言うと苺子は持っていた長い槍をバトンのようにくるくると回し、トンッと地面に突き立てた。その接地点を中心に、大きな魔法陣のような光が展開し周囲に広がる。

「おお……凄い。魔法陣みたいだ」

 感嘆の声が漏れる。ファンタジーなゲームも好む斎は内心ドキドキ感動していた。

「何の魔法かな?」

「えっ、あ……ま、魔法では、ありません……ただの演出です……」

 がっかりだ。

「通常だと可視するものではないので……でもこっちの方がかっこいいからと、先輩が……。これは……周辺の残留電波を調べているだけです……あまり時間が経つと調べるのは難しいですが、先刻ならば大丈夫だと……」

「梛原先輩?」

「い、いえ、今のはリヴル先輩です……」

 知らない名前が出てきた。確かに結理からそんな言葉が出てくるとは思わない。ここで話を広げても整理が追い着かないのでリヴル先輩とやらのことは放っておこう。

「リヴル先輩はやる気のない先輩と言われてますが……私は尊敬しています」

「そう……なのか」

 それは尊敬してもいい先輩なのか?

 疑問は残るが、魔法陣が収縮し槍に吸い込まれるようにして消えた。調査が終わったらしい。

「……えっと……やはり転送装置が使われた痕跡があります……あっ、いえ、疑っていたわけではなくて……」

「いいよ。続けて」

「は、はい……えっと、転送された人物は……六……いえ、八人です……。位置が離れているので、巻き込み転送だと……思います」

「巻き込み?」

「転送の有効範囲の設定を間違えたのか、装置の暴発だと……思います。起点は綾目斎さんの仰っていた、消えたお友達さんのいた辺りなので、様子を見てきます……」

 槍を抱えビルに走り出したので、斎も後を追う。入口は崩壊しているので、壁に垂れる梯子を上る。

 梯子は五階の窓から下がっているが、壁の穴はその更に上、六階だ。三階にも穴はあるが、苺子は少し中を覗いて様子を見ただけですぐに上へ上がる。五階の窓枠に着地すると、壁面の亀裂に小さな手足を掛けてひょいひょいと六階の穴に上っていった。千佳も器用に上っていたのを遠目に見ていたが、斎には真似のできない芸当だ。仕方なく斎は五階の窓枠に着地して見上げる。

 一度中に入った苺子は再び穴から顔を出し、長い槍の柄を斎に向かって伸ばした。

「す、すみません……お手数、お掛けします……身元確認のため、上がってきてもらっても……い、いいですか……?」

「身元確認?」

 何だろう、この嫌な言葉は。

「上がるって……この柄を持てばいいのか? 大丈夫?」

「だ、大丈夫、です……これを伝って上れるならそれで……駄目なら私が引き上げます……」

「君が?」

 不安しかない。見たところ中学生か……もしかしたら小学生かもしれない少女の細腕に、平均的とは言え男の体重を預けてもいいのだろうか。この自信のなさそうな少女に。

「は、早くしてもらえると……助かります……」

「…………」

 意を決し、斎は柄を掴んだ。ぐ、と力を籠めて引いてみるが、想像していたより頑強だった。不安は残るが見た目以上に力があるようだ。

 柄を伝い壁に足を掛けながら上り、最後は引き上げてもらう。危なげなく六階に辿り着けてほっと安堵する。

「こちらです……」

 苺子に手招かれ斎も近くに寄ると、散乱する瓦礫の中に、もう見たくはなかったものが転がっていた。

「うっ……」

 口元を押さえ、目を逸らす。そこにあったのは、胸を貫かれた死体だった。ぼんやりと開かれた虚ろな緑眼がじっと虚空に向けられている。

 苺子は平然と死体の傍らに立ち、見下ろしている。まるでこれが然も日常だと言うように平然と見下ろしていた。

「私の知らない人です……。このビルで待機していたのは、髪の長い違界人の方が二人と、雪哉(ゆきや)さん……でしたか、そのお兄さん……あ、雪哉さんと一緒に……ルナ、さん? ですか、そのお二方が逃げ込んでいれば、ここにいた可能性がありますね……」

 記憶を辿るようにぽつりぽつりと人数が増えていく。その中で一人、聞き覚えのある名前があった。

「ルナって……もしかして青羽(あおば)君?」

 口元を押さえ虚空を見ながらもごもごと口を動かす。また吐きそうだ。

「雪哉さんという方がルナと呼んでいたので……それ以上は、わからないです……すみません……」

「性別が男で、眼が緑色ならたぶん間違いないと思う……」

「緑……? ……あ、は、はい! 確かに緑色でした! こっ、この死体の方と同、じ……」

「…………」

 揃って恐る恐るゆっくりと死体の目を見る。虚ろな目の色は緑だった。

「か……関係者の方、でしょうか……」

 斎は背に冷たいものが走るのを感じた。単なる偶然であってほしい、そう思った。

「わからない……僕もこの人を知らない……うっ」

 我慢の限界だった。走って死体から距離を取り、廊下の端の瓦礫の陰で吐き出した。

「だ、大丈夫ですか……?」

 心配そうな声を上げる苺子に、斎は瓦礫の陰からよろよろと手を上げひらひらと軽く振る。全く大丈夫ではないが心配させるわけにもいかない。

「と、とりあえず、知らないということで……写真を撮って先輩に送信してみます……。ビルの中に他に生きてる人は誰もいないので……状況を報告しないと……。畸形の電波も消えたので……。あ、今のは結理先輩、です……」

「…………そ、そうだ、聞きたいこと……」

 中身を吐き出し少し落ち着いた所で、また状況に流されて聞けず終いになりそうな事柄に話題を戻す。

「は、はい……何でしょうか……?」

「違界って、何?」

 ビルに入る前に聞いておけばよかった。こんな精神状態で聞くような内容ではなかった。

「……違界とは、今私達がいるこの世界とは違う世界です……こちらの世界のもう一つの姿、とも言われていますが……違う空間に存在している……ので、転送装置を使わなければ、行くことはできません……」

 難解なクイズを出されているようだった。内容が頭に入ってこない。端的に言えば、異世界のようなものなのか?

「その違界っていうのは……どんな所なんだ?」

「そうですね……平和とは程遠い場所、ですね……。動くものを見れば、とにかく……殺します。一部を除いて、退廃した廃墟の世界……です」

 斎は言葉を失った。宰緒とルナが話したがらない理由もわかった。そんな危険な世界に、千佳やルナは転送されてしまったのか……? そんな世界の人間が、この世界に来ているのか?

 斎はまた吐きそうになった。もう胃の中身は(から)だというのに。




  【第一章 『廃』】


 薄暗く澱んだ空気。張り詰める騒々しい静寂。鈍色の景色。

 頭に装着したヘッドセットからは絶えず微かなノイズが発され、気が変になりそうだった。

 動かずここで待っていろと言われて暫く経ったが、携帯端末の電池は切れ時計もないし空も見えない。時間の感覚が狂いそうだ。

 ここは違界。話には聞いていた廃墟の世界。常に命を狙われるような世界だと聞いていたが、隠れているからだろうか、想像より人間がいない。皆が隠れて暮らしていれば人殺しなんて起こらないのではとも思う。

 周辺の様子を見てくると言って(しい)はこの無人のスーパーマーケットらしき建物から出て行った。最初はこんな世界で一人で待っているなんて心細かったが、物音一つしない空間に緊張感も薄れてしまった。いや、ノイズの不快感が感覚を鈍らせているのか。

 ほんの一日の間に、目紛しく色々なことが起こった。中でもやはり血の繋がった母親が違界人だったということとその死は未だ呑み込めていない。

 母と同じ緑色の双眸を、傍らの大鎌に落とす。父さんは母さんが違界人だと知っていたのだろうか。

 全てを信じるか信じないかは別として、とりあえず全て真実とした場合、この違界は母さんが生まれた世界なんだな、と青羽ルナはぼんやりと考える。

 そして、これからのことも。

 ルナ達を違界に転送した装置は焼き切れてもう使えない。新しい転送装置を見つけるか、技師を探して作ってもらうしかない。それと同時に、いやそれより重要なのが、共に転送に巻き込まれた皆を捜し出すこと。広い違界の中で何処に転送されたかもわからない、ルナと椎を除く残り六人を見つけなければならない。途方もない。

「帰りたい……」

 そうぼそりと呟いて顔を上げると、倒れた棚の陰から飛び出してきた者と目が合った。


「あっ」


 無意識にお互いに声を漏らす。

 誰もいなかったはずだが、外から入ってきたのか。外套にフードを被っているのではっきりとはわからないが、幼い少女の声だった。背丈を見るに、小学生くらいか。一直線に向かってくるその手には少女に似つかわしくないナイフが握られている。

 ルナは咄嗟に鎌に手を遣るが、大振りになってしまう大鎌では攻撃を防ぐのは間に合わないだろう。半ば反射的に床を蹴って転がる。砂埃が舞う。

 不意打ちを狙い避けられた少女は数歩後退った。動きが大きく、しかも柄から手が離れて体勢を崩している状態のルナから距離を取った。慎重なのかもしれないが、おそらくそれ以上に、この少女は戦い慣れていない。戦い慣れていない者がこの違界で一人で生きるのは難しい。近くに仲間がいるかもしれない。少女からは目を離さず周囲に意識を向けるが、誰かが飛び出してくることはなかった。

 ルナは恐る恐る両手を上げ、戦闘の意思がないことを示した。戦闘に不慣れなら、そもそも戦闘はできるだけ避けたいはずだ。

 ルナの意思表示に、少女は怪訝な顔をする。戦闘を避ける行為が珍しいのか。

「……そのまま後ろの壁まで歩いて、伏せて」

 言われた通り、ルナは壁まで歩き、伏せて両手を頭上に置く。

 少女も慎重に歩を進め、ルナの大鎌に手を伸ばした。

「こんな大層な武器を持ってるのに、戦わないの?」

「殺し合いをしたくない」

「…………」

 ルナの返答に、少女は黙考。真偽を見極めようとする。

「私も、無駄な争いはしたくない。あなたはここで何を?」

 周辺の様子を窺いに行った椎を待っている、と正直に言うか少しだけ迷い、もしそれから危険なことになったら、と考え、言わないことを選んだ。言うと間違いなく警戒されることだろう。

「仲間を捜してる」

 何処にいるかはわからない皆の情報を何か得られる可能性もある。慎重に言葉を選び、この近くに仲間が潜んでいるわけではないことは伝わっただろうか。

 少女は周囲を警戒した後、ナイフを下げたままルナの前まで接近した。緊張でルナの心臓が跳ね上がる。

「奇遇ね。私も仲間を捜してる!」

 す、とナイフを持っていない手を差し出してきた。

 予想外の展開に思考が一瞬停止するが、このまま手を取らないとまたややこしいことになってしまう気がして、素直に手を取った。

 ルナを壁際に座らせ、その目の前に倒れる棚の縁に少女も腰掛ける。

「あんな大きな鎌置いてバリバリの臨戦態勢なんだもん、心臓が縮み上がったよね!」

「ごめん……」

 フードを脱いだ少女は、ペールオレンジの髪に橙の瞳、間違いなく違界人だ。思ったよりも幼い。五、六歳だろうか。

「いきなり大鎌を出されても凄くびっくりするけど、ずっと出してるってことは威嚇かな」

 そう言えば違界人は何もない空間に武器を形成させているなと思い浮かべる。

「その……仕舞い方? がわからなくて」

「ん? 初心者かな? 簡単だよ、心の中で出ろって思うと出るし、入れって思うと仕舞えるし。仕舞う時は触れてないと駄目だけど。やってみる? すぐできるよ!」

 言うや否や少女はルナの大鎌を引き摺り、柄の先をルナに向けて置いた。

「じゃあ、やってみる……」

 言われた通りに鎌の柄に触れ、入れと念じてみる。だが何も起こらなかった。

「…………」

「あれ?」

 小首を傾ぐ少女。だがすぐに何かに思い当たり、ルナの両手の袖を捲った。右手の縫合痕が露になる。

「あ、やっぱり……。手に何もついてないね」

「手?」

「手にね、物を出し入れする装置をつけるの。それがないと鎌も仕舞えないの。残念だね」

 縫合痕には触れず、心底残念そうに言う。

「そうか……。その手につける装置っていうのは、何でも念じれば仕舞えるのか?」

「そんなことできないよ! 自分の使う武器は装置に登録してあって、その登録してある武器だけ出し入れできるんだって! でも凄い技師にカスタムしてもらうと、出し入れできる物の範囲が広くなるらしいよ」

 鎌を仕舞っても体が重くなることもない。あの質量の物体がどうなっているのか見当もつかない。

「ところで本題なんだけど、私の仲間は見かけてないかな? 背の高い男の人と眼鏡の男の人で、歳はあなたとそんなに変わらないと思う……そうだ、あなたの名前は? 私はモモ!」

「歳の近い人は見かけてないけど、俺は青羽……ルナ」

 あまり気は乗らないが、下の名前まで言った。

「アオバルナ? ちょっと長いね」

「そうかな?」

 言われて気づいた。そう言えば椎も灰音(はいね)も名字を名乗っていない。梛原結理は東京でも生活が長いようだし家族もいるし例外だが、イタリアの黒葉(くろは)だって名字を聞いたことはない。違界にはファミリーネームのようなものは存在しないのかもしれない。

「……あ、えっと……ルナ、名前はルナで……」

「うん? わかった、ルナだね!」

 否応なしに名前で呼ばれなくてはならない世界か、とげんなりするが、違界人には今の所、女みたいな名前だと笑ってくる者はいない。……可愛い名前とは言われたが。違界の感覚だとおかしくはないのだろうか。ルナの母も、実子におかしいと思って名前をつけないだろう……。

「ルナの捜してる仲間は? どんな人?」

「俺が捜してるのは、俺と歳が同じくらいの……男二人、女二人、かな」

 わかっているのは四人だけ。残りの二人は誰なのかわからない。

「うーん……ルナと同じくらいの歳の人はたぶん会ってないかな……」

「そっか……」

「見つかるといいね、お互い」

 お互い苦笑する。

 周辺にいないとなると、椎が戻ってきてから移動して捜し回らねばならない。この少女を一人で置いて行くのも躊躇われるが、椎が戻ってきたら意見を聞こう。とルナは選択を椎に委ねた。


     * * *


 久しぶりの混濁した違界の空気と、耳障りなノイズ。

 ルナと暫し別れ周辺を歩いていた椎は、ふと人の気配を感じ、静かに身を隠した。

(一人……じゃない、二人かな)

 瓦礫の間を縫い、少しずつ対象に接近していく。

(どうしよう……普段なら関わりには行かないけど、皆を捜さなくちゃいけないし……聞き込みしないといけないよね)

 人と見るや武器を向ける違界で聞き込みなど無謀にも程があるが、聞き込みでもしないと広大な違界で捜し人など見つかる気がしない。

(手に武器は持ってないけど、何か焦ってる……? そわそわしてきょろきょろしてる……よし、行ってみよう)

 こちらも武器を持っていなければ、いきなり攻撃されないだろう……その可能性に賭け、警戒されないように驚かさないように瓦礫から出て二人に近づいた。

 が、何かに意識を取られているようで、真後ろに立つまで全く気づかれなかった。

「うわあああああ!?」

「ぎゃあああああ!?」

 椎より少し年上だろうか、男が二人揃って振り返って叫び声を上げた。背の高い男と、眼鏡を掛けた男だ。と同時にお互い「しー!」と口を押さえる。大声を出せば、他の周囲に潜んでいる敵意のある者を誘き寄せてしまう。慌ててきょろきょろと辺りを見回すが、幸いなことに周囲に人の気配はなかった。

「なるほど! 大声を出して呼べば、近くにいたら出てきてくれるね!」

 攻撃が飛んでくるかもしれないが、捜し人も気づくことだろう。二人の大声を名案だとばかりに息を吸い込んだ椎の口を、二人の男は慌てて首をぶんぶんと振って塞いだ。

「ばばば馬鹿か!? さては馬鹿だなお前!?」

「先に叫んだのはこっちだけど……」

「んー!」

 たっぷりと椎に言い聞かせた後、二人はゆっくりと手を離した。椎はもう叫ぼうとはしなかった。

「かつてない類い稀な馬鹿に出会ってしまった。誰だこんな奴野放しにしてる奴は」

「でも敵意がない人でよかったよ……」

 敵意があれば、今頃この世にいないだろう。

「お尋ねしたいことがあります」

 びし、と椎が挙手をした。

「はい何でしょう」

 背が高い方の男が質問を許す。お互いに敵意がないことがわかったので、違界では非常に珍しい光景が生まれる。多少の警戒心は残しておくが。

「人を捜しています。髪の長い女の人と、えっと……女の人と、背の高い男の人が二人です。皆、歳が同じくらい」

「見てないな」

「ないかぁ……」

 即答され、がくりと肩を落とす。

「ああそうだ、お前は見てないか? 五歳の小さい女の子」

「見てない」

 即答で返した。

 もう一人の眼鏡を掛けた男が肩を落とす。

「そうか……外は粗方捜したし……建物の中も捜してみようか」

「だな」

 二人して溜息をつく。

 背の高い男はもう一度椎に向き直る。

「お前の捜してる奴に会うことがあれば伝えといてやるよ。お前、名前は?」

「椎! 私も伝えてあげる!」

「オレはラディ。こっちの眼鏡はカイ。見つけたらヨロシク」

「ヨロシクする」

「よーし、じゃあそこの崩れかけの建物からいくか」

「もう少し警戒しながら行こうよ。その内死ぬ」

 捜し人の名前もお互いに伝えた後、ラディとカイが建物の中に消えるまで椎は手を振った。

「この辺りはもういないかな……一旦ルナの所に戻ろ」

 椎も踵を返し、ルナのもとに急いだ。



 ルナの待っている建物に戻った椎は、彼の他に一人増えていることにすぐに気がついた。

「あれ? 誰かいる」

 椎が戻ってきたことに気づいたルナが顔を向ける。

「ああ、この子も仲間を捜してるみたいで」

 新しく現れた人物にルナが警戒していないので知り合いだろうと思ったモモは、椎に見詰められながら軽く頭を下げた。

「へぇ、どんな人?」

「俺達とそんなに歳の変わらない男二人だって」

「少し年上かなぁって思う男の人二人は見たよ。一人は眼鏡を掛けてて」

 へぇ、そっか……と言いそうになり、ルナとモモは目を瞬く。


「それ!!」


 同時に叫び、椎は驚いてびくりと飛び跳ねた。


     * * *


 耳障りなノイズと共に水の音が聞こえる。重苦しい水の音。

 頬に当たるザラザラとした感触を拭いながら起き上がる。

 ここは何処だ? と考える間もなくすぐに答えが出た。

「海……」

 目の前に広がるのは、黒く澱んだ海。そして濁った空。ああ見慣れた景色。うんざりだ。

 体についた砂を払って立ち上がり、障害物の少ない砂浜を見渡す。海の近くは隠れる場所が少ないため、あまり人は寄りつかない。この危険な違界の中で安全と言えばまあ比較的安全な部類かもしれない。

「何処かの転送装置に巻き込まれたのか……」

 海を一瞥し、あと少し転送位置がずれていたら海の中で死んでいたなと考える。

「チッ、あれだけ苦労して違界から出たってのに、フリダシか」

 束ねた長い髪を払いながら、落ちていたライフル銃を拾って毒突く。転送の衝撃でどうにかなったかと思ったが、銃も無事のようだった。

「さて、と」

 転送に巻き込まれたのは自分だけではないはず。灰音は銃を担ぎ、あの場の状況を整理した。あの廃ビルの中にいた全員が巻き込まれた可能性がある。

 違界ではノイズが多すぎて通信はできない。同じくこちらに転送されているかもしれない椎と連絡を取ることはできないし、探索の機能も使えない。全く、違界は不便だ。

 とにかくまずは情報収集。そこら辺に他にも転送に巻き込まれた者が転がっているかもしれない。一番良いのは近くに椎が転送されていること。捜す手間が省けるし、他の奴は放っておけばいい。

 そう思いながら浜辺を歩いていると、物事はそう簡単に思い通りに上手くはいかないものだと言わんばかりに、椎ではない者が転がっていた。

「おい、生きてるか?」

 放っておこうかとも思ったが、何か情報があれば聞いておきたい。どうせ自分と同じで何も理解できていないと思うが。

「う……」

 灰音に軽く蹴られ、身動ぎする。

「ここは……?」

 ゆっくりと起き上がったのは玉城(たまき)家の長兄、玉城(みのる)だった。一番面倒臭そうな奴だ、と灰音は顔を顰める。

「とりあえず軽く説明するから黙って聞いとけ。一度しか言わないからな」

「はい……?」

 起き上がった稔は左腕を押さえていた。負傷しているらしい。血が出ている。が、手当ては後だ。

「ここは違界という世界で、お前のいた世界とは別の空間にある。誰かの転送装置に巻き込まれ違界に転送された。元の世界に戻るには転送装置を手に入れるもしくはそれを作れる技師を探すしかない、という状況だ」

「は、はあ……」

 こんな説明で理解しろと言うのか。

 稔は辺りに目を遣った後、少し考えるように目を伏せた。

「ここには、僕と灰音さんだけが?」

 どうやら詳細を聞こうとはしないらしい。言葉の意味は置いておいて、言葉そのままの上辺だけを掬っている。灰音は少しだけ面倒臭さが緩和されたと思った。

「この辺りには私とお前だけかもな。他は、他の所に転送された可能性がある」

「ということは、雪哉や青羽君も……?」

 灰音はほんの少しだけ眉を寄せる。

「あいつは無理だろ、お前も見たはずだ。死体は物と見なされ転送されない。あのビルに転がったままだろう、玉城雪哉は」

「……見たのは攻撃を受けた所だけで、僕は死体を見たつもりはない」

 真っ直ぐ刺すように見上げる。灰音は哀れんで目を細め、しゃがんで稔の負傷した腕を取った。

「つっ……」

「一応手当てしてやる。捜しものは人数が多い方が良い。一応な」

「……ありがとう、げほっ」

「あー……そのままじゃお前も長生きできないな」

「?」

「端的に言うとここは空気が物凄く悪い。何処かで頭の装置を手に入れないとすぐに肺が冒されるぞ」

「!」

 稔は咄嗟に口元を押さえるが、手では防ぎきれない。呼吸は必須だ。

「ん。できたぞ」

「いたっ」

 手当てした腕をばしっと叩き、灰音は立ち上がる。

「そこら辺に転がってる死体から頭の装置を奪えばいい。いくらでも転がってるからな」

 あまり良い気はしない言葉だった。何が転がっているのか、確認のためもう一度聞きたい所だったが、やめておいた。

「お前は運が良い。比較的安全な場所に転送され、何より違界を歩き慣れている私の近くに転送された。もし城の近くに転送されたらなんて考えたくもない。その分、椎を捜すことに目一杯コキ使ってやるからな」

「違界のことを全く知らない僕に何をしてほしいのかな」

 あまり深く考えていなかった灰音は一拍置く。

「盾、とか」

「ふふ、またそれか」

 思わず稔も苦笑する。

「何にせよ、急がないとね。雪哉も手当てしてくれる人が傍にいればいいんだけど……」

 呼吸が重い。息苦しいような感覚。灰音の説明では理解がまだ乏しいが、自分も早く頭の装置というものを手に入れなければ、捜すどころではなくなる。

 灰音が先に歩を進め始めたので、稔も後に続いた。


     * * *


「大変大変大忙し! 今回はどのくらいかな? 三日かな? 五日かな? 十日かな? お洗濯お掃除畑の手入れ、皆のごはん、メンテナンスお留守番!」

 ふさふさの大きな耳と尻尾を揺らし、少女はバタバタと走り回る。リズミカルに歌うように。

 洗濯機に洗濯物を放り込み、くるくる動き回る小型掃除機を跳び越え外に出る。

 緑の草が茂る地面を踏み、太い木の根をぴょんぴょんと跳び、日当たりの良い地面に着地する。目の前には、たくさんの野菜が収穫を待っている。

「今日は師匠がいないから、唐辛子の辛いの、作っちゃうぞー」

 綺麗に実った赤い唐辛子を摘み取り、籠に入れる。

「今日は真っ赤な真っ赤なピリリなトマトスープと、そろそろ熟れた頃合いのミルクの実を入れよう」

 収穫した食材を籠に詰め、両手に持って立ち上がる。

 少女は真っ直ぐ空を見上げる。混濁した空を。

「……嫌な風が吹いてる。雨が降りそう」

 少女は踵を返し、太い木の根元にある根の張った小さな家に入った。

「もうすぐ雨かな、大雨かな。たくさん降るぞ、たくさん死ぬぞ、皆急いで瓦礫の下、たくさんたくさん痛い痛い」

 歌うような少女の声が、誰もいない家の中で静かに響く。


     * * *


 大急ぎで廃墟から外に飛び出し、先程椎が出会ったという二人の男のもとへルナ達は走った。

 丁度捜し終えたのか廃墟から出てきた二人と鉢合わせる。


「あー!!」


 各々感嘆の声を上げ、口に手を当てた。

「おお! 見つけてくれたのか! ありがとな、椎」

「ラディ! カイ! やったー! 見つかった!」

「もう迷子はごめんだからね……」

 三人が再会を喜ぶ姿を椎はにこにこと見守る。ルナもホッと安堵をつく。

「ところで、その男が椎の言ってた捜し人か? 思ったより背が低いけど。あと……変な格好」

 背が低いと言われ、ルナは少し傷つく。周囲に背の高い男が多いので多少気にしていたが、面と向かって言われると、やっぱり低いのかと落ち込む。

「違うよ。ルナと一緒に皆を捜してるの」

「そうか、モモも見つけてもらったし、オレ達も皆を捜すのを手伝ってやるよ。他の奴もそういう変な格好をしてるのか?」

「ほんと!? やったぁ。きっとすぐ見つかるね、ルナ!」

「う、うん……」

「それとね、ルナは変な格好じゃないよ。向こうの世界では皆こういう格好だよ」

 潜んで生きる違界の中ではヒラヒラと目立つ椎の格好も変ではあるが、棚に上げた。

「向こう? 転送で来たってことか?」

「違界から出ることはあっても、来るっていうのは珍しいけど……」

 ラディもカイも、理解が及ばずきょとんとする。それもそうだろう、命の危険が伴う違界から安全な世界に逃げようとは思っても、わざわざ危険な違界に来ようとは思わない。

「事故なの。だから向こうの世界にちゃんと送らないといけないの」

「そうか……それは災難だったな。早く戻れるといいな」

「向こうの世界の人なんて初めて見たよ。姿形は違界人と変わりないね」

「…………」

 まじまじと全身を見回され、居心地が悪い。本当に珍しいのだろうとは思うが、動物園の動物にでもなった気分だった。

 珍しい向こうの世界を想像し三人が盛り上がり始めたので、視線から解放されたルナは椎の腕を引く。

「椎、違界の人って、その……こんな親切なのか?」

 話に聞いていた違界人はもっと話の通じない者だと思っていたのだが。

「こんな人もいるよ。じゃないと皆一人ぼっちになっちゃう」

 ルナは目を丸くする。言われてみればそうなのだが、もしそんな人が多いのならある程度平和に暮らせるだろうにと思う。

 次の椎の言葉を聞くまでは。


「誰かに心を許すのは、その人に殺されるか殺すことのできる覚悟のある人だけだから」


「え……?」

「って、灰音が言ってた! ルナもヘッドセットつけてるからわかるよね? 違界では常にノイズが入ってきて、気を狂わせるような有害な電波が入ってくる時もあるんだよ。その所為で変になって、仲良しだったのに殺し合いになることもあるの。……詳しいことはよくわからないんだけど」

「っ……!」

 と言うことは、ヘッドセットをつけていると、近くの誰かを傷つけてしまう可能性がある――?

「ヘッドセット、外したいって思った? 外すと違界の空気の中では生きられないんだよね。だから皆怖いの」

「そんな……」

「大丈夫だよ。すぐにまた違界から出るんだし、少しの間ならきっと大丈夫」

 急に恐怖が支配した。こんな穏やかな椎でも、有害電波で狂ってしまう可能性があるというのか。それでは常に警戒していなければならないし、おちおち寝てもいられない。神経が擦り切れておかしくなってしまいそうだ。

「その、有害な電波を拾わないヘッドセットはないのか?」

 恐る恐る尋ねる。椎はうーんと唸った後、小首を傾げながら言った。

「高級ヘッドセットなら、有害電波を防いでくれるかも?」

「高級って……?」

「すっごく高いやつ」

 真剣な眼差しで言い放った。何も答えになっていない。

 ぼそぼそと話しているルナと椎が気になったのか、三人も寄ってきた。

「高級ヘッドセットの話か? いいよな、あれ。オレも欲しいんだよな。滅茶苦茶高いらしいけど」

「私も! 快適に暮らしたーい」

「でも噂の域を出ないものだよ、あれは」

「まあそうなんだけどよ、そんなもん作れるとしたら、やっぱ天才技師とやらだよな」

「あー、紫蕗(しろ)だよね? 確かに作れそう」

 四人はうんうんと頷く。椎は紫蕗のことを知っているが、何も言わなかった。

 本当に違界では紫蕗という技師は有名なんだなとルナも感心すら覚えた。



 違界では、一人で身の安全を守るには力の足りない者もいる。

 同じように敵意のない者達が集まって、力を合わせて生きている者達もいる。

 だがそんな彼らでも決して、大人数のチームは組まない。精々片手で数えられる程度かその前後。

 何故なら、そのチーム内で自分以外の全員に命を狙われた時、戦うことができるか、殺せるか、逃げ切れるか。それを考慮すると自然と少人数になる。つまり人数が多ければ多いほど、腕の立つ者達が集まっていることになる。

 共に行動する人数を増やすことは、命の危険が増えるということなのだ。

 それを知ると誰もが多少の差はあれど、恐怖に駆られてしまう。

 特殊な例としてコミュニティを作る者達がいるが、コミュニティはチームよりも結束が固く、同じ目的を持って生きているため、輪を乱す者がいれば他の全てで始末に当たる。チームとは意志が異なるが、感じる恐怖はどちらも同じかも知れない。


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