第七話 炎帝-2
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ハルク・アルフォードの足取りは重かった。覚悟はとうに決めたはずなのに、いざ自分の名前と対戦相手がコールされた途端、そんなものは風前の灯同様に吹き消された。
入場口からトボトボと姿を現したハルクに、主に女性陣から黄色い歓声が上がる。
うぅ、胃の痛みが余計に。
ユーシスは既に、戦場の中心でハルクを待っていた。つい先刻までシオンの試合を観戦していたときは、あんなに仲良くしていたのに、今、ユーシスのハルクを睨む目に温度はなかった。
あぁ、やっぱり嫌いだ、戦いなんて。
ハルクには、友達同士で傷つけ合う道理が解らない。まして彼らは――この世界の、自分以外の大抵の人間は、こういう戦いを楽しんでいる節がある。
鍛えた力をぶつけ合い、高め合い、終にはまるで心まで交易し合ったように、毒気を抜かれた清々しい顔で戦う彼らの気持ちが、ハルクにはどうしても解らない。
異常なのは、僕の方なのだろうか。
しかもよりによって相手が優勝候補の筆頭、ユーシスとは。せめて親友から勇気づける言葉が欲しかったが、シオンの口から飛び出したのは「いいなぁ」という率直な感想。あんなやつ嫌いだ。
「やあ、ハルク君。久しぶりだね」
【夢幻の泡沫】という"死なない魔法"を施すために解説席から降りてきた白皇が、優しい笑顔でハルクに声をかける。ハルクの心が、緊張でドキンと跳ねた。
「お、お久しぶりです! あの、以前は命を助けていただいて……」
「加護のことなら礼には及ばない。あの日の君が、どんな花を咲かせたのか。上で楽しみに見させてもらうよ」
「は……はい……」
ハルクはどぎまぎしながら頷いた。あぁ、この人はなんてすごい人なのだろう。
この広大な世界を一人で渡り歩き、世界樹を始めとした貴重な資源をルミエールに持ち帰るだけに留まらず、《世界最強の男》とまで呼ばれている。
にもかかわらず、この男からは、"戦意"のようなものが全く感じ取れないのだ。ウォーカーなら誰もが放っている、血の臭いと言い換えてもいい。
白皇は、戦いが好きではないに違いない。その証拠に白皇の魔法は、どれも人を傷つけないものばかり。ハルクを死の淵から蘇らせた「加護」も、今、ハルクとユーシス二人に施した光の泡のような術も、攻撃的な圧力を全く感じない。
なんて素敵な人なんだろう!
「……ふん。煉素が微動だに反応しない。煉術でないのは確かなようだな」
自分の体を包む白い光を訝しげに眺めながら、ユーシスが呟く。
「言っただろう、僕はナチュラルじゃないから、煉術は使えないんだよ」
「ではこれはなんだ。地球人にできる芸当ではないはずだ」
「うーん、それは教えられないなぁ」
弱った顔の白皇に、キッとユーシスが目を鋭くする。
「なぜだ。貴様がそのノウハウを公示すれば、煉術を使えない地球人の戦力的価値は見直される。ナチュラルばかりが戦線に出る必要も、ウォーカーを志す地球人への古い差別的な慣習も、なくなるのではないか」
口早に詰問するユーシスは、珍しく熱くなっているようにも見えた。
「気に入らんな。世界最強だかなんだか知らんが、俺は昔から貴様が気に入らない。未知の力を解明し行使する心得を持つなら、それを独占するのは傲慢だ」
「ゆ、ユーシス、その辺にしとこうよ。白皇さんにだって事情があるんだよきっと」
止めたハルクを不愉快げに睨むと、ユーシスは渋々矛先を納めた。
「君の言い分はもっともだ。ただ残念なことに、この力は地球人なら誰でも使えるわけではないんだよ。教えてどうにかなるものでもない」
ユーシスの表情が険しいままなのを見て、白皇は苦笑する。
「随分嫌われてしまったね。ごめん、ユーシス君としては、世界最強はナチュラルが良かったよね」
目を見開いたユーシスの顔が、かあっ、と屈辱で赤く染まる。
シオンとの戦い以降、ユーシスは地球人に対する差別的な思想をきっぱり改めた。ハルクはそれを密かに、強く尊敬していた。赤ん坊の頃から根づいた思想を変えるのが、どれほど難しいことかは想像に難くない。
しかし、差別はなくなっても、ユーシスの中にあるナチュラルとしての、レッドバーン家長男としての誇りだけは、変わらず彼を支えている、芯の部分なのだ。白皇はそこを的確に突いた。
怖い人だ、と思った。善でも悪でもない。そんなしらじらしい人間的な物差しでは測れない。猛獣に対して感じる怖さとは全く違う、これは神に抱くような畏敬の念だ。
白皇が去ると、ユーシスは苛立たしげに拳を握って解説席を睨んだ。
「不愉快な男だ……いずれ必ず、その純白の装いに土をつけてやる」
『さああああああああ! 一回戦第三試合は、私リーフィア個人的に、屈指の好カードとなりました!!! 眼福! 眼福です!! 先日街角アンケートを実施いたしました『抱かれたい新人ウォーカーランキング』一位と二位の直接対決!』
「なにそのランキング!? いつの間に!?」
「なにぃ!? ふざけやがって……どっちが一位だ!? もちろん俺だろうな!?」
悲鳴を上げるハルクとは対照的に、ユーシスは怒るところがずれている。
『俺も個人的に楽しみだぜ。二人とも学生時代からよく見てきたからな。まぁ、普通に考えたらユーシスの圧勝だろうが、ハルクもあれで根性がある』
『ハルク君は優秀なウォーカーだよ。僕はこの大会で、実は一番彼に期待している』
『な、なんと! 白皇様からお墨付きをいただきました! これは勝敗が全く分からなくなってしまいましたねえ!』
心なしか、スタジアムが今日一番の盛り上がりを迎えている気がする。ハルクは緊張感で胃を丸ごと口から吐き出すかと思った。
――だ……大丈夫、落ち着け。ユーシスは確かに強いけど、僕はユーシスでさえ倒せなかったグレントロールを追い詰めたじゃないか。
マリアは必ず一回戦を勝ち抜いてくる。ユーシスに勝てば、マリアと戦える。
マリアはあまり笑わない少女だった。しかし、ハルクはマリアの笑顔をたくさん覚えている。十ヶ月も一緒に過ごして、一緒に学んで、一緒に訓練して、一緒に夢を追った。シオンと同じ、もう一人の掛け替えのない人。
「ユーシス……僕は、君に勝つ」
あぁ、なんて恐れ多いことを……自分で言ってハルクは顔を赤くする。
ユーシスは目を少し丸くしてハルクを見たが、なにも言わなかった。両者は五メートルという距離を開けて向かい合う。自然体で立つユーシスに対し、ハルクは片手半剣を右手、岩河馬の素材で造った大盾を左手にそれぞれ構え、号令に備えた。
『それでは、第三試合……』
ユーシスの主戦法は【造形煉術】による"炎獣"の使役。あれを何体も出されたらあっという間にやられる。
つまり、最善手は先手必勝。炎の獣を造り出すのには数秒かかる。ユーシスは剣術も優秀だが、ハルクが勝ち目を残すには剣術勝負に持ち込むしかない。
『はじめええええええええええ!』
号令と同時に一歩、踏み出した瞬間――視界の全てが、灼熱で埋め尽くされた。
「え――」
轟音。炎熱。爆風。前方から襲いかかった津波のようなそれらに、ハルクは虫のように叩き飛ばされた。爆炎の波は全てを抉り、悲鳴も出ない客席の半分近くを飲み込んだ。
肺が焼ける。全身を焦がす灼熱の炎のなかで、ハルクは大きな盾に身を隠し必死に息を止めて耐えた。数秒で炎は消え去ると、ハルクは数十メートルも熱波に押し流されて、闘技場の端に黒こげで横たわっていた。
壁も、大地も焼け焦げ、客席に至るまで抉るような損傷が波紋のように広がっているが、観客たちは無傷。白皇の【夢幻の泡沫】をかけられたユーシスの攻撃は、同じ術をかけられたハルク以外の体をすり抜ける。
「誰に勝つって? アルフォード」
抉れた大地の先端で、ユーシスはこちらに左手の平を向けていた。眇めた灰色の目が、地面に転がって咳き込む涙目のハルクを冷たく見下ろす。
「頭が高いぞ」




