第六話 バルサ・バークレー-3
槍が鎧に突き立った瞬間、黒板を思い切り引っ掻いたような、身の竦む甲高い轟音と共に膨大な火花が弾けた。
途方もなく硬い手応えが、矛先で粉砕される感覚。果たして――槍は、バルサの鎧を貫いた。
「……ご、ふっ……」
腹に見事突き刺さった槍に驚愕するバルサの口の端から、咳き込んだ拍子に赤い血が吹き出す。
全く同じ材質で作られたとしても、鎧と槍はそれぞれ、片や攻撃を防ぐため、片や防御を貫くため、その構造に数えきれないほどの工夫が凝らされている。盾と矛は古来より、そうした鼬ごっこで性能を高め合ってきた。全くの互角なんてことはあり得ない。
俺は、槍が鎧を上回る可能性に賭けた。
「ぐお……おぉぉ……!」
「おい無理に動くな、腹に穴空いてんだぞ」
見てられないほど壮絶に顔を歪め、腹に刺さった槍を掴んでバルサが起き上がろうとするのを、容赦なく上から槍で押さえつける。勝負が決するまで、情けはかけない。
槍はバルサの背を突き破るまでには至らなかったものの、腹部の鎧を貫通して内臓を貫いている。ちょっと動くだけで激痛のはずだ。
「こ……こんな……お粗末な負け方で、終わってたまるかよ……!」
ゴフッ、と惨い量の血で口周りをベトベトに汚しながら、バルサは歯を折れんばかりに食い縛り、槍が食い込むにも構わず強引に体を起こそうとする。
がし、と矛先を掴むと、全体重をかけて俺が押さえている槍を、片手一本の腕力で押し戻そうとする。その馬鹿力に背筋が凍った。
「お前、どこにそんな力……」
「オレはなぁ……冒険者なんだよ……ガッコも出てねえ、スラム育ちの半端者だけどよぉ……オレが仕事から帰るといつも、近所の人たちが笑って迎えてくれるんだ……――あんたらウォーカーのお陰で、うちらは安心だ、ありがとう、って」
血走ったオレンジ色の眼光が、鬼の形相で俺を睨み上げる。とうとうバルサは、俺を押し退けて上体を起こした。
「みんなが見てる前で、オレがあっさり負けちまったら……明日から、国民の皆さんが不安になっちまうだろうがぁッ!」
咆哮し、腹に刺さった槍を勢いよく引っこ抜く。俺は気圧されて槍から手を離した。夥しい量の血が腹から流れ出て、バルサのボンタンを一瞬にして真っ赤に染めていく。それにも構わず、バルサは槍を杖代わりにして立ち上がり、堂々と背筋を伸ばして槍を構えた。
「オレの夢は、最強の冒険者! 最強ってのはなぁ……誰にも負けねえ、何ものにも屈しねえ、全部貫き、全部から皆を守る、そういう戦士のことだ! オレさえいれば皆が安心して暮らせるような、そんな存在だ! だから……皆が見てる前で、情けねえ戦いだけは絶対できねえ!!!」
客席は、水を打ったように静まり返っていた。
フーッ、フーッ、と息も絶え絶えに、怒鳴り散らして槍を握りしめるバルサは、もう闘争心だけで立っているようなものだ。再び槍を奪って攻撃しなくても、しばらく逃げ回るだけで力尽きるだろう。
だが、そんな真似でバルサの覚悟を汚すようでは、冒険者を名乗る資格はない。俺もまた、この戦いで国民に示さねばならないのだ。
ルミエールを守る戦士としての、資質と誇りを。
「……感服したよ。決着をつけよう、バルサ。俺は全力でお前を斬る」
「へへ……まだなんか力を隠してんだろ? 出し惜しみしてんじゃねえよ。言ったろ、そういうやつは嫌いだって」
俺は数歩移動し、地に突き刺していた【黒鉄】を引き抜いた。漆黒の刃は空の赤光を反射して、血に濡れたように妖しく煌めく。
一つそれで空中を斬り払うと、俺は"真横"に向かって全力で走り出した。
『おおっとぉっ!? シオン選手、突然走り出しました! 凄まじいスピードだああああ!』
バルサの周りを囲むように、ぐるぐると猛烈に走る。俺の全力疾走は、瞬間速度で時速150キロを越える。俺の巻き上げた砂は瞬く間に空気中を濛々《もうもう》と垂れ込め、戦場全域に砂嵐を広げた。
これで、コトハに見られる心配はない。五里霧中の戦場で目を凝らすと、バルサと思われるシルエットはその場から一歩も動いてはいなかった。ギャルルルと地を削り、減速して止まる。
一呼吸おいて、俺はバルサ目掛けて走り出した。疾走ではない。落ち着いた歩幅で、一歩一歩力を蓄えるように、接近していく。
棗流の極致には、「鉄を斬る」技がある。いわゆる"斬鉄剣"の極意だ。俺が地球で過ごした14年という短い時間では、それを体得するには至らなかった。いや、師範である父すら、その技は理論だけが子々孫々と口伝されてきた夢幻の奥義という認識だった。
バルサの鎧は、鉄とは比べ物にならないほど硬い。たとえその技を完璧に繰り出せたとして、俺の刀がバルサの鎧を上回れるかも分からない。
バルサの演説には正直痺れた。あんなの聞かされたら、俺だって、意地でも負けたくなくなった。俺は棗の奥義を成功させる。いつかじゃなく、今、ここで。
バルサとの距離が残り三メートルに迫る。バルサが槍を振りかぶる。その一挙手一投足が、コマ送りの映像のように見えた。
鉄を相手に、刀は決して力任せに振り抜かない。鉄を斬る極意は――鋸のように「引き斬る」こと。研ぎ澄ませた刃を滑らせる一瞬の摩擦で、焼き切るようにして。
槍が真っ直ぐ飛んでくる。隙を見抜かんと凝視するあまり、視神経が白熱する。刀を握る手から余分な力を抜くと、頭から指先までが、ピンと張った一本の糸で繋がったような接続感を覚えた。
瞳孔をかっ開いたまま、ガクンと上体を折って突きを潜り抜ける。刀に全く重さを感じない。
まるで質量を持たず揺らめき、それでいて絶大な威力を秘める、火焔のように。
棗一刀流"奥義"――
【火之迦具土】。
刹那、爆炎が巻き起こった。
斬り口から発火するような爆速の斬撃が、すれ違いざまにバルサの胴を両断した。刀から噴き出した爆炎は勢いそのまま砂嵐までぶった斬り、視界があっという間に晴れる。
俺は正面に突き出した黒刀を、夢見心地で見つめた。肌を焼くような熱気。刀身に紅蓮の炎が燻って、黒い煙を上げている。
『今のは……まさか、煉術』
ロイドの漏らした言葉に、俺自身呆然としていた。視界に頼らない彼だけが、砂嵐の中で起きた出来事を視ることができたはずである。
両断されたバルサの体が光の泡となって消え、間もなく、パチンと泡の弾ける音とともに、あれだけの激戦など夢だったかのようにツヤツヤした肌のバルサが、間抜け顔で姿を現した。
『しょ……勝者、シオン選手!!!!!』
カンナたちの黄色い歓声に混じって、ハルとユーシスのハイタッチが音高く響いた。




