第18話-1
俺の周りにも、よく見ると赤く燐光を放つ微細なカケラが、俺を励ますように舞っていた。これが、煉素。今まで俺の傷を癒してくれていたのは、お前らか。
残念ながら、グレントロールの周囲を飛び交う煉素の数は、俺のそれとは比較にならない。分かった。アレはこの世界の意思そのものだ。アカネは、強いやつが好きらしい。それなら、人間よりモンスターの味方をするのは当然だった。世界に愛されている限り、ヤツは無敵だ。人間には殺せない。
もったいつけるように近づいてくる巨体の向こう、呆然とへたり込む親友と目が合った。ハル。泣いている。口を開けて、声にならない声で、喚いている。
途端、濃密な十ヶ月の思い出がストロボみたいに光速で明滅した。
学園で声をかけてくれた。俺の初めての友達。俺のために、笑ったり、怒ったり、泣いてくれた。いつだって俺たちは一緒にいた。毎晩同じ布団で眠って、温かかった。
--あぁ……頼むよ。この世界の、神様。いるんなら、後生だ。二度と、戦えなくっていいから。モンスターへの反逆なんて、不遜なことは、考えないから。
この世界の奴隷でいいから……俺たちを、生かしてください。
ぼたり、ぼたりと、屈辱の涙を流しながら、俺はいるかどうかも分からない神に嘆願した。
全てに屈してでも、この世界を、一緒に生きたい、人たちがいるんだ。
俺の周囲に集まっていた煉素が、失望したように散らばっていった。体が一気に重くなって、死が、明確に加速する。ふっと気が遠くなり、目が霞む。
もったいつけるようにして、ゆったりと、地響きを上げて近づいてきた巨体が、下品に笑んで大剣を振り上げた。黒い刀身が、死神の鎌のように見えた。
「や……やめ……」
蚊の鳴くような声で、ハルが手を伸ばした。綺麗な青い瞳がキュッと収縮し、細かく揺れる。見るに耐えない悲壮な顔に、俺の胸まで締め付けられた。
「や……--……………ヤメロォォォォォォォォッ!!!」
全く予想だにしないことが、起きた。
震えて立ちすくんでいたはずのハルが、激情で顔を別人のように歪め、大粒の涙を流し、ガラガラ声で叫びながら突っ込んでくる。
なんの工夫もない、一直線の突進。自ら炎に飛び込む夏の虫と、なんら変わらない。引ききった血の気が更に失せていくのを感じた。
「く……来るなッ!!!」
心のどこかで、一瞬でも嬉しいと感じてしまった自分を猛烈になじりながら、声の限り叫んだ。ハルは止まらない。俺の言葉さえ届いているのか分からないほど、我を忘れている。
グレントロールは面白がって、大剣を握る方の腕をサイドスローの投手のように水平に引いて構えた。規格外に広いグレントロールの間合いに、ハルはなんのためらいもなく入ってくる。やめろ。俺が何か言うより早く、前方、扇型の広範囲を、漆黒の大剣が薙ぎ払った。
触れただけで真っ二つにされそうな圧力をまとった大剣が、無防備に突っ込んでくるハルをスパッと両断する。
俺にはそう見えた。しかし寸前、ハルの体が真後ろに倒れた。
曲げた両膝からぬかるみに滑り込み、薙ぎ払われた凶刃の下をかいくぐる。鼻先と、舞い上がった前髪を大剣が掠めて通り過ぎた。
素早く起き上がったハルは、なおも必死に走って残りの間合いを詰める。しかし、俺やユーシスに比べれば数段鈍い。グレントロールは忌々しそうに左手を伸ばした。節くれ立った五指が、ハルを握り潰そうと迫る。
「邪魔だァッ!」
鋼鉄剣が、鈍色に閃いた。グレントロールの手をすり抜け、ハルはそのまま巨体を抜き去って俺のもとまで滑り込んできた。
グレントロールは、不思議そうに自分の手のひらを見た。人差し指と親指の第一関節から先が、消えてなくなっていた。ぼとり、ぼとりと、宙を待っていた指関節がぬかるみに落ちる。思い出したように、断面から赤黒い血液がブシュッと吹き出した。
「ハル……」
片膝をつき、泣きながら優しく微笑むハルの顔を下から見上げた。ハルの握っている剣は、卒業試験のために貸し出されたなんの変哲もない鉄剣だ。それで、グレントロールの岩のように硬い指を両断するなんて、人の業ではない。
「僕が、誰に剣を教わったと思ってるんだよ」
俺の言わんとすることを察したように、ハルは苦笑した。労わるような表情で、俺の右腕があった部分に手を伸ばしたハルの目から、透明な雫が次々に溢れ出る。
「ごめん……ごめん…………君の命にも等しいものを……」
なぜ、ハルが謝るのだろう。情けない俺の顔を見てか、ハルは更に涙を流す。その時。
ウギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアッ!!!!!!!!!
鼓膜を破らんばかりの絶叫が樹海を大きく揺らした。指を落とされ、激昂したグレントロールが全身の毛を逆立たせて豹変する。バカ長い丸太のような左腕に青筋を浮かべて力を込めると、断面がボゴッと泡立ちながら隆起して、真新しい人差し指と親指が生えてきた。
「……うるさい」
小刻みに震えながら、ハルは立ち上がった。今にも食いかかってきそうな怪物に物怖じすることなく、俯き加減の顔を向ける。
「……僕の友達に……なにしてるんだよ……」
ハルの顔を見て、心臓が止まるかと思った。こんな恐ろしい顔をした人間を、今まで見たことがなかったからだ。
次の瞬間、彼の口から、生涯飛び出すはずのない言葉が、燃えるような意思を帯びて迸った。
「--殺すぞ」




