第17話-3
力尽き、うつ伏せに倒れ込んだ俺の周りに血の池が広がっていく。悲壮な顔で駆けつけたユーシスは、俺のところにひざまずいて、酸欠の金魚のように口をパクパクさせた。
「あ……な……ナツメ………………俺が、俺のせいで……」
言葉を返す余裕もなかった。俺は力なく首を横に振った。ユーシスは真っ青な顔で数歩進み出て、俺を庇うようにグレントロールの前に立った。強く、自分自身に言い聞かせるように振り絞る。
「必ず……必ず助かる。貴様の回復力なら大丈夫だ……! ヤツを片付けたら、すぐに医療煉術をかけてやるからな……!」
どこか遠いところから聞こえてくるような声に、俺は奮い立てなかった。どんなに俺の回復力がすごくたって、なくなった腕が再び生えてくるわけじゃない。片腕を失ったんじゃ、もう戦場には出られない。
「ナツメ!!!」
俺の意識が遠のいていくのを察知してか、ユーシスが悲痛な顔で怒鳴った。それさえ、ひどく遠い世界の出来事のように感じる。
物心ついたときから、剣を握るためだけにあった腕だ。稽古が嫌になったことなんて数え切れないほどある。それでも、剣は大好きだった。戦うことが、俺の生き方そのものだったし、俺にはそれしかなかったから。
だから、こんな世界に放り込まれても、俺はいち早く前を向くことができたのだ。今にして思えば、剣の強さが人間の価値を決める、弱肉強食のこの世界に対して、俺は高揚さえしていた。
アカネに来てから、あんなに嫌いだった鍛錬を、一日たりとも怠ったことはない。この世界は思う存分に剣を振るえる。気の良い仲間もできた。そうだ、俺は……この世界でこそ、いつよりも"生きている"って感じがしていた。
目標もできた。鍛えて、鍛えて、鍛え続けて、いつか立派な、冒険者に--
「……ぅ……ぅぅぅゔ……!」
涙が止まらない。嗚咽し、左拳を握る。ここからだったのに。ようやくだったのに。俺はなんのために、こんな世界に来たんだ。こんなところで、世界の養分になるためか。
グレントロールが、号泣する俺を面白がって、キャキャキャキャッと猿みたいに嗤う。九十度傾いた首が、ゴギゴギゴギと鈍い音を立てて回転し、元に戻った。煉素は、この世界は俺に力をくれる。だが、それ以上にこの世界はモンスターの味方をする。初めから、俺はこの世界に弄ばれていただけだった。
「わ……笑うなよ…………俺の、仲間だ……」
小刻みに震えるユーシスの声に、グレントロールは一瞬沈黙し--更に大口を開けて笑い転げた。
「笑うなァッ!!!」
激怒したユーシスの体から、爆炎が巻き上がった。熱い。彼そのものが発火したように、猛烈な熱がユーシスから放散している。その炎が、彼の怒りそのものであったみたいに、猛々しく荒れ狂う炎に包まれたユーシスは一転して落ち着いていた。しかしその目には、静かで、凄絶な熱が燃えている。
「……ナツメ……前に言ったよな。俺の造形煉術に対して「仲間を増やすなんてお前らしい」と……あれは正直刺さった」
唐突に言われて、なんのことだかわからなかった。
「家柄、俺と対等に付き合う学友なんぞいなかった。炎の造形煉術で、まさか俺に忠実な生き物を造ろうだなんて……バカなことを思いついて、一人でずっと練習した。モチーフは、敷地内で飼っていた、俺によく懐いていたペットモンスター……笑えるだろ」
その背を包む炎の中に、俺は幼いユーシスの姿を見た気がした。広すぎる家の中で一人、手の中の炎と戯れて過ごす、どこか物足りなそうな赤毛の少年は、俺の見た幻だろうか。生まれた家が人生を決めてしまったという点では、彼は俺と似ている。
「取り返しのつかない怪我を負わせてしまって……本当に……すまない。一生かけて償う。だから……生きてくれ、頼む」
なおも笑い続けるグレントロールに目線を向けると、ユーシスを包む火炎が爆発的に燃え広がった。
白装束を紅蓮の炎で包んだ戦士は、猛然と地を蹴った。俺はその速度に目を剥いた。煉素を全身に薄く纏って身体能力を上げる【煉氣装甲】と似た原理か。炎に包まれたユーシスのスピードは、俺の全速力と遜色ない。
グレントロールは汚い歯を見せてニンマリ笑うと、迫り来るユーシスの軌道上に大剣を薙ぎ払った。察知し、跳躍したユーシスの足元を凄まじいスピードで黒い大剣が通り過ぎる。
空中に飛んだ無防備なユーシスの体に、二つのヒジ関節を使って器用に腕を折りたたんだ、怪物の拳が横合いから迫る。直撃コースだ。
瞬前、ユーシスの足元が爆発した。
靴裏のあたりから破裂した爆炎が、ユーシスの体を何もない空中で跳ねるように押し上げた。くるくる旋回しながら拳を飛び越え、今度は手のひらを下に向けて炎を放つ。手足から放出する爆炎の推進力を使って、赤く燃える白薔薇の剣士は--空を、飛び回っている。
あちらこちらで炸裂する炎熱と閃光、高熱の黒煙は、グレントロール自慢の嗅覚と熱源感知眼を鈍らせる。グレントロールはがむしゃらに腕や剣を振るうが、どれもユーシスを捉えるにはいたらない。
立ち込める黒煙を突き抜けて、上空に高々と舞い上がったユーシスは、片足を天高く突き上げ、その足先から猛烈な爆炎を起こして急降下した。
ボボボボボボボボボッ--連続して靴裏を爆裂させながら弧を描くように墜落してきたユーシスは、勢いそのままグレントロールに突撃。矢のような勢いで、巨猿の頭部に着弾した。
間もなく、黒煙が晴れる。
「腹が……減ったんだろ。しっかり食え」
鎖骨に両足をかけ、グレントロールの顔面を覗き込むような至近距離に立つユーシスの体からは、もう炎は消えている。その代わりに、唾液まみれの口の中に捻じ込まれた銃口の先で、猛烈な炎が渦巻いていた。
うぅ、と唸って首を動かしかけたグレントロールの喉の奥に、無理やり銃口を突っ込んで、ひたいに玉の汗を浮かべたユーシスは低く絞り出した。
「遠慮、するな」
爆音。
口内で灼熱の炎が咲き、グレントロールの目、鼻、口の隙間から、大量の血が光や熱と共に噴き散った。吹き飛ばされそうになるのを口から血を流しながらこらえて、ユーシスはダメ押しに引き金を引く。再び頭部が爆裂して、ユーシスの体はとうとう反動で弾け飛んだ。
俺のすぐ近くにまで飛んできたユーシスは、受け身も全く取らずに背中から着地すると、ごふっと口から血を吹いた。一目見て、内臓をやられている。
自分の体が跳ね上がるほどの爆発を推進力に利用してあれだけジグザグに飛行しては、体にかかる圧力は計り知れない。
極めつけに最後の爆撃。とても至近距離で放つ威力ではなかった。モロに衝撃を食らったはずだ。それでなくとも煉術は、使うたび体力を消耗すると聞いた。
「……ハァ……ァあ、ナツメ……死んでないだろうな……?」
フルマラソン完走もかくやというほど激しく荒い呼吸を繰り返しながら、ユーシスは全身を叱りつけるようにして立ち上がった。そんな体で、俺に向かって医療煉術をかけるつもりのようである。
「生き、てるよ……血を止めてくれたら、それでいい……」
ふらふらと俺のそばまで歩いてきたユーシスが、赤毛をぼさぼさに振り乱し、ススだらけの顔でホッとしたように笑った。
その時、黒煙の奥から巨大な脚が飛んできた。
それは槍のごとくユーシスの脇腹に突き刺さると、メキメキメキメキ、骨が簡単に折れた音がした。夥しい量の血を吐いてユーシスは俺の視界から消え、何かに激突する凄惨な物音に混じって、ドサリと、人形を落としたような音が遠くから聞こえた。
静寂。ユーシスの潰れた声が、微かに遠くから聞こえてくる。
煙が晴れて、グレントロールの巨体が赤日のもとに晒される。皮膚や頬の肉が吹き飛んで、骨格や目玉が露出している。それでも赤い眼球は爛々《らんらん》と輝き、白い煙を上げて見る見る弾け飛んだ部分が再生していく。
この世界の色彩に染まった体毛の一本一本までが、うきうきと脈動している。溢れ出さんばかりの生命力が、茜色の光を浴びて、鱗粉のようにグレントロールの周りでキラキラ輝く。
あぁ……あれが、煉素か。ユーシスの言っていた通りだ。星空に、似ている。




