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第17話-2

 走り出した猟犬は、統率の取れた動きでグレントロールを等間隔に取り囲み、そのまま周囲をぐるぐる回りはじめた。さながら、炎のメリーゴーランドだ。グレントロールの赤く光る目が、それを追ってあたふた動く。


 なんだ。犬の動きを必要以上に気にしている。


「ヤツの目は熱源探知機サーモグラフィ。高温の動体どうたいには俺たちより気をとられるはずだ。十秒、稼いでやるから、背後を取れ」


 俺は頷き、猟犬の輪の外で身を屈め、慎重に移動してグレントロールの真後ろに陣取った。ヤツは--よし、気づいていない。俺と反対側の位置にくる猟犬が吼えて、グレントロールの気をそらし続けてくれたのだ。


 いける。


 俺が地を蹴ったのと同時、それを見たユーシスが手を振り下ろした。正面にいた二頭の猟犬が雄叫びを上げて飛びかかる。


 グレントロールが大剣を薙ぎ払うと、たちまち二頭はその体を無数の火の粉に変えてしまったが、その奥から、続くもう二頭が太いスネに食らいついた。ダメージはない。しかし一瞬、グレントロールの注意が足元にいく。


 決定的な隙だ。これを逃すようでは、一生剣士と名乗れない。


 俺は音を消して跳躍し、背後からグレントロールの後頭部へ迫った。真紅の体毛におおわれた太いうなじが、無防備にさらされている。


 両手で握った赤い剣を水平に倒し、上半身を極限まで真横に捻る。コイツの体はディポタスの皮膚以上に硬い。選択すべきは、持つ中で最高威力の技。ごうの剣の真髄。


「棗一刀流--」


 俺の気配を感じてか、グルン、とグレントロールの首がこちらに向いた。もう遅い。雑巾のように絞った上半身に、有りっ丈蓄えていた膂力りょりょくを、一気に解放。


 体幹を軸に、水平に倒した剣がばね仕掛けの如く閃く。


「--【錆槌さびつち】!」


 間抜けに目を見開いたグレントロールの首に、剣が激突した瞬間、ごぼうをいくつか重ねて一度にへし折ったような、身のすくむ音が響いた。


 グレントロールの太い首が、剣の命中した箇所かしょを起点に九十度ひん曲がった。傾いた頭部に乗っかった赤い目玉が白濁し、すうっ、と光が消える。全身を一瞬短く震わせたかと思うと、三メートルの巨体は膝を折って崩れ落ちた。


 揺れる地面にほとんど同時に着地した俺は、鋼のような首筋に食い込んだ剣を苦労して引き抜くと、倒れ伏した怪物を見下ろした。


 俺の頭がすっぽり入るほど大きな口から泡を吹き、首を直角に曲げて、ぴく、ぴく、と痙攣けいれんを続ける。虫の息だが、まだ、こいつの命の火はかすかに燃えている。


「……バケモノが」


 剣を逆手に持ち替え、くさびを打ち込むようにして垂直に振り下ろした。仰向けに倒れたグレントロールの喉笛に、唸りを上げた赤い刀身が叩きつけられる。


 あまりに硬く、刃は十センチと沈まなかったが、風前の灯を吹き消すには十分だった。ひん曲がったグレントロールの首はコップ一杯分ばかりの血を吐いて、ごとりと脱力した。


 剣を引き抜き、血を振り払って鞘に納める。ユーシスがゆっくり隣に歩いてきて、言った。


「剣で"斬らずに折る"とは、なんとも貴様らしい野蛮な技だな」


「もう少し素直にねきらえよな。ホントは相手の武器ごと破壊して攻撃する技なんだよ」


錆槌さびつち】は、防御の上から攻撃することを目的とした剛の剣技。斬ることよりも、攻撃の"重さ"を第一に考えているから、たとえ刀が錆びていても威力が落ちないという意味でこの名がついた。


 腰を限界まで捻ってタメを作り、一気に解放して遠心力を乗せ"叩く"。隙はでかいが、威力だけなら数ある棗流剣術の中でも最強クラスだ。モンスターには初めて使ったが、なかなか有効かもしれない。


「コイツの首はどうする。殊勲の証だ、持ち帰りたいところだが」


「硬すぎて、すぐにどうこうはいかないだろうな。時間かけて斬り落とすか?」


「……あまり考えたくはないな」


「うーん」


 遠くで、結局逃げずに立ち尽くしていたハルがこちらを泣きそうな顔で見ていた。それを見たら、俺の気持ちは固まった。


「今は、三人とも生きて帰れればそれでいいや。さっさと滑車を目指そうぜ」


 ユーシスは意外そうな表情になった。みすみす大手柄の証を置いて帰るなんて、確かにらしくないかもしれない。


「殊勲なんて、またいつでも上げられるだろ。俺たちなら」


 ユーシスはその言葉で、ようやく薄く笑った。


「……ずいぶん感じが変わったな、貴様も」


「お前が言うかよ。前髪作っちゃって、イメチェンか?」


「どうでもいい。……そうだ、首は持ち帰れなくとも、あの二振りの大剣は回収しなくては。ジークとフーリの形見だ。彼らを待ち続ける家族もいる」


 振り返ったユーシスの視線の先には、絶命したグレントロールが握り締める黒い大剣と、背中に背負った灰色の大剣。灰色の方は、仰向けに倒れた巨体の下敷きになってしまっている。


「いやぁ、首と同じくらい大変そうだぞ。あんな馬鹿でかい大剣使うなんて、どんな体格のウォーカーだったんだか」


「長身の双子だった。馬鹿力で有名でな。一度討伐隊で一緒になったが、ジークの方がひどく馴れ馴れしくて……まぁ、悪くない奴らだった」


 遠い目をして、ユーシスが言葉を切る。ユーシスはすでに、数ヶ月もウォーカーとして働いている。同僚だった男たちとも思い出の一つや二つあるだろう。


「あぁ、そりゃ、しっかり回収してやらなきゃな。俺もすぐ手伝いに行く」


「すまない」


 事切れたグレントロールに近づいていったユーシスに背を向けて、俺は駆け足でハルの元へ急いだ。ハルは半泣きで俺を迎えた。


「ったく、逃げろって言っただろ……なに泣いてんだよ」


「だって……あんなのと戦うなんてどうかしてるよ……」


 涙目で鼻をすするハルに思わず笑ってしまう。無茶をした後は大抵ハルにこうやって怒られる。だからハルに怒られると、戦いを生き抜いた実感が湧くのかもしれない。


「帰ろう。マリアや教官が待ってる」


「うん……!」


 涙を拭きながら、ハルは笑って頷いた。



 既視感デジャヴ



 ふと、奇妙な胸騒ぎがした。最凶の敵は殺した。あとは安全な街に帰るだけなのに、なぜ。


 安堵と、気の緩みと、大量の血の匂い。何かの記憶と重なる。


 脳内に一輪の白い花が咲いた。天使のような笑顔で、俺に手を差し伸べる女の子。カンナだ。この光景……随分と懐かしい。十ヶ月前、俺が初めてこの世界に来た日の--



 可憐な笑顔を咲かせたカンナの、背後で、三つ目の巨人が、ゆっくり立ち上がった。



 記憶の奔流ほんりゅうに頭を叩きつけられ、俺は弾かれたように振り返った。ユーシスは、死んだグレントロールの握る大剣の前でしゃがみ込み、巨猿の手から剣を回収しようとしている。死んだグレントロールの手から--



 死んだ、なんて、どうして、決めつけた?



「--ユーシスッ!」


 気づけば全力でぬかるみを蹴飛ばしていた。ユーシスは俺の声に反応し、怪訝そうにこちらを振り返った。横たわるグレントロールの、だらんと投げ出した長い長い腕の、指先が、ピクリと跳ねた。


 一瞬だった。その巨体にそぐわぬ俊敏さでグレントロールが跳ね起きた。直角に折れ曲がった頭部はそのままに、両手両脚だけがゴキブリみたいな生命力で駆動する。回収すべくユーシスが手を伸ばしかけていた黒い大剣も同時に跳ね上がり、ユーシスを弾き飛ばした。


「なっ……!?」


 尻餅をついたユーシスの顔は、見事に動揺で固まった。断頭刃ギロチンの如く天に向かって突き上げられた、知己ちきの愛剣が、勿体つけることすらなく振り下ろされた。


 だが、猛勢一挙もうせいいっきょ駆け抜けた俺のスピードもこれまでにないほどのものだった。間に合え。地表すれすれを飛ぶように疾駆し、幾ばくかあったユーシスとの距離を一息に詰め、視界いっぱいに拡大された友の体に向かって飛び込むと懸命に右腕を伸ばした。


 一寸の差。黒刀が到達する直前、俺の右手がユーシスの肩を突き飛ばした。泡を食った顔で俺の方を見るユーシスと俺の間を、刹那せつな、着弾した鋼鉄の刃が両断した。


 右肩がストンと軽くなる。脳に繋がる太い神経が、ぷつんと音を立てて切れたような衝撃が走った。


 地面に叩きつけられた大剣を飛び越え、顔面からぬかるみに着地した俺の体がしばらく滑ってから静止すると、俺の顔のすぐ横にべちゃりと何かが着地した。


 喪失感は、遅効性の毒のように、緩やかに俺をむしばんだ。


 泥だらけの地表に力なく横たわる、白い肌をした人間の腕。あまりに馴染み深く、そこに落ちていることがひたすら気持ち悪くて。自分の右腕を確認しようとして、いよいよ、発狂した。


 右肘から先がない。真っ直ぐな断面から、容器をひっくり返したように赤黒い血液が溢れ出ていく。喉が焼き切れそうなほど叫び、のたうち回っていられたのも数秒、あっという間に気が遠くなってきた。

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いつも応援いただきありがとうございます。更新を待つ間、こちらの新作はいかがでしょうか? 無能力者の主人公が物理とメンタルチートで頑張る異能学園バトルものです。 新作は↓ 塔の上のアンダーテイカー こちらから読めます。執筆の励みにもなりますので、ぜひ高評価お願いします!
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