第16話-2
暗闇に包まれた視界には、すぐ近くにいるはずのハルやユーシスの僅かな輪郭さえ映らない。落ち着いて、まずは灯りの確保だ。
「ユーシス、火を出してくれ」
「いや、無理だ」
「は? なんでだよ」
「夜は、煉術が使えん」
何故か偉そうにユーシスが言った。俺は意味が分からず疑問を重ねた。
「なんでだよ」
「夜は煉素も眠るのだ。俺の呼びかけに応じてはくれない」
「え、そうなのか……知らなかった」
なんとも不思議な話だ。煉素が活動できるのは、茜色に空が光っている間だけということになる。
その時、俺の前方に穏やかな金色の光が現れ、辺りを柔らかく照らした。光の源は、採虫瓶の中を飛び回る大ぶりのホタル。背嚢から取り出した瓶を持つハルの顔が、光に照らされて浮き上がっていた。
「じゃあ、ひとまずこいつを灯りにしようよ」
「閃光蛍か……便利なものを捕まえていたものだな。うっかり刺激するんじゃないぞ、三人まとめて目を潰されてしまう」
閃光蛍は身の危険を感じると100万カンデラの閃光を放つ、生きたスタングレネード。こいつには何度も助けられたが、誤って瓶を落としたりしないように、細心の注意が必要になる。
「短期間に二度も閃光を使わせたから、少し弱ってる。使えてあと一発だろう。責任もって、大事に運ぶよ」
ハルは透明な瓶を覗き込むと、元気そうに飛び回る蛍に優しい笑顔を向ける。その虫が弱っているかどうかなんて、俺の目には全く判断がつかない。
「どこか腰を落ち着かせられる場所を探そうぜ。こんな暗闇でモンスターに襲われたら一瞬で全滅だ」
「夜は煉素と同じくモンスターの活動も鈍るから、それほど神経質になる必要はないかもしれないよ。モンスターのエネルギーと煉素の因果関係については多くの研究で立証されてるし、実際、昨晩も何も起きなかった」
「アルフォードの言った通りだ。夜はモンスターも動かん。煉素が、モンスターをモンスターたらしめていると言っていい」
「そうなのか」
俺はそこで、ようやく緊張の糸を少し緩めた。地球の山でのサバイバルなら、夜が最も危険な時間帯である。
「じゃあ」と言って、俺は足元に倒れ伏した熊型モンスターの太い腕を掴んで肩にかけ、全身に力を込めて巨体を担ぎ上げた。背負いやすいように二、三度跳躍して担ぎ直し、丸めた背中の上に巨体を収める。長い足を少し引きずってしまうが、これなら十分運べそうだ。
「腰を落ち着ける場所を見つけて、こいつ食おう。腹減っちまった」
「……ふざけた馬鹿力だな。煉素の眠る夜は、お前ら地球人自慢の身体能力も落ちるはずだが」
「シオンにはあまり関係ないみたいだね……」
引いた目で見つめてくる二人を顎でしゃくって先を行かせ、後に続く。闇に目が慣れ、先頭のハルが持った蛍の灯りだけで、足元ぐらいなら十分見えるようになってきた。
五分ほど歩いただろうか。俺たちの足は、はたと止まった。信じられないものを見たからだ。
「おい……灯りが」
先頭を歩くユーシスの指し示す通り。百メートルほど前方、闇一色の樹海に一点、光の灯る地点があった。揺らぎながら、生物の鼓動のように明滅する金色の光は、密集した木々の隙間からでも、闇を貫いてはっきりと目立って見えた。
「人がいるのか!?」
「いや、モンスターかもしれん。夜行性の種がいたって不思議ではない」
「ど、どうする?」
俺たちは小声で相談し、やがて近づいてみる覚悟を決めた。少なくとも巨大な生物の持つ隠しきれない気配は感じ取れなかったからだ。慎重に距離を縮め、その場所にたどり着くと、なんとも不思議な光景が広がっていた。
見渡す限り真っ赤な木の広がっていた樹海に、ぽつりと、その場所だけ、久しぶりに見るような瑞々しい緑色の葉をつけた木々が群生していた。
半径十メートル程度の、非常に僅かな範囲だが、俺たちの慣れ親しんだ深緑の木々は逞しく林を作っていた。光は、その林の中から届いていた。
木々を分け入って、林に足を踏み入れると、中心の拓けた空間に辿り着いた。光の正体は--閃光蛍。それも一匹や二匹ではない。十数匹の蛍が林の中を飛び回り、尾を引きながら鮮やかな光を放っているのだ。俺たちは三人とも、その光景の美しさに声を失った。闇夜を飛び交う蛍は、まるで夜空を翔ける流星だった。
「この木は……間違いない、ハツカの木だ」
ハルが辺りの木の幹に手を触れ、じっと観察していたかと思うと、目を見開いてそう言った。ハツカの木はルミエールの周囲を覆う、モンスターの嫌う臭いを放つ広葉樹。このエリアには全く生えていなかったはずだ。
「等間隔に、円を描くように生えている……間違いなく人工的なものだ。人が、ここにハツカの木を植えたんだ」
「なるほど。俺も初めて見るが、ここはギルドがつくった《安全地帯》だな。危険度の高いフィールドや距離のある遠征先には、こうした安全地帯がつくられるそうだ。ハツカの木に囲まれた狭いエリアがあれば、任務に訪れたウォーカーが体を休めることもできるし、生け捕りにしたモンスターを閉じ込めておくこともできる」
ユーシスの言葉に、ハルは目を輝かせた。
「そうか……この安全地帯をもっと増やせば、任務の効率も上がるし死傷者も減らせる。モンスターの研究も、ずっと早く進むよ!」
「すげぇな……閃光蛍を放し飼いにしてるのは、夜の目印にするためか。一匹でも拝借すれば狩りがかなり楽になるし」
「閃光蛍は僅かな煉素で長生きするから、餌いらずだしね!」
興奮するのも無理はなかった。俺たちはいきなりこんなところに落っこちって、ウォーカーという仕事の孤独さを痛感していたところだ。だが、こんな風に、ウォーカーの活動を支援する仕組みはちゃんと考えられていた。ここにいれば、もうモンスターに襲われる心配も少ない。
気が抜けたのか、ハルはすとんとその場に座り込んだ。俺も背負っていた熊をおろして、へたり込んだ。ハルは採虫瓶の蓋を開けると、お世話になった閃光蛍を外に出してやった。
「ありがとう、君のおかげで助かったよ」
蛍は何か言いたげに、ハルの目の前を一周くるりと旋回してから、空高く飛び上がった。仲間たちの輪の中に光が一つ加わり、あたりは一層、明るくなった。
「逃しちまうのか? まだ使えるだろ」
「ここを出るとき、必要があればまた一匹借りていくよ。でも、ここにいる蛍って、任務でここを訪れたウォーカーが放して行ったものだと思うんだ。次にここを訪れる誰かのために。だから僕も」
にっこり笑うハルに、俺も「そうだな」と笑った。そこにユーシスが、「おい、こっちに来てみろ」と俺たちを呼んだ。
言われて駆け寄ると、ユーシスの立つ前には、なぜ今まで気づかなかったのか、大きな白い箱があった。腰ほどの高さまである巨大な宝箱だ。白薔薇のエンブレムが中心に刻まれている。俺たちは顔を見合わせ、誰からともなく開けてみようということになった。
重たい蓋を力いっぱい持ち上げると、砂や埃を落としながら、箱は軋む音を立てて開いた。閃光蛍が一匹、ハルの肩に止まって、それで箱の中が見えやすくなった。
そこには、雑多な品々が乱暴に詰め込まれていた。下着類やシャツ、手ぬぐい、外套などの衣服。籠手や鎖帷子、兜などの防具類にボロそうな剣まで。他にも薬研に土鍋、乾パン、油、魔道具の火撃ち石もある。
「すげぇ……これ、ここを訪れたウォーカーへの、白薔薇からの支給品だよな!」
「それにしては、中古っぽいものもあるな。どちらかといえば、ここに来たウォーカーたちが、次の者のために不要なものや余裕のあるものを置いていくんだろう」
どちらにせよ有り難いことに変わりはなかった。俺は真っ先に衣服類をかっさらい、その場で全裸になった。ハルとユーシスがギョッと硬直する。
「ば、バカか貴様!? 何を考えてる!?」
「いや、パンツまで泥でぐしょぐしょだったから気持ち悪くて。着替えさせてくれ」
「先に言え!」
俺は気にも留めずに手ぬぐいを軽く水筒の水で濡らし、全身を拭いてから替えの下着に着替えた。虫が食っているようなこともなく、清潔な肌触りだ。欲を言えば水浴びがしたいが、それは明日考えよう。
ボックスの中にはウォーカーの制服もあったが、それはまだなんだか躊躇われて、替えの黒いシャツと外套を拝借した。ハルは「まったく、緊張感がないんだから」とため息をつきながらボックスを漁り、そこから大きな土鍋を取り出した。
「鍋があったから、今夜は熊鍋にしようか」
俺は「わーい」と歓声を上げ、ユーシスは顔をしかめた。




