第15話-1
ユーシスがマントを翻し、バケモノに向けて右手を伸ばした。白装束に映える、色鮮やかな緋色の--拳銃。俺は瞠目した。聞く限りアカネの文明レベルでは、銃火器の実現はまだまだ遠い未来の話だったはず。
ユーシスが引き金に指をかけると、俺の知る拳銃に比べて随分広い銃口の奥に、渦巻くように火炎が顕現した。
警戒してか、雄叫びを上げて猛然と地を蹴ったバケモノが、あっという間に至近距離に迫る。ユーシスは怯まず、泰然とトリガーを引いた。
爆熱が解き放たれた。質量を持った眩い炎の塊が一直線に駆け抜け、バケモノの眉間に直撃。頭部が再び爆発し、激しい熱と黒煙を撒き散らす。
バケモノの足は止まらない。だがユーシスも手を緩めなかった。二発、三発と同じように火炎の砲弾を撃ち込んでいく。直撃するたび、火薬が爆ぜるような衝撃が炸裂し、さしもの巨体もたたらを踏む。
その隙をついて俺の体を抱き上げたユーシスに、黒煙を突き破って伸びてきた太い指が迫った。間一髪銃撃し、弾き返す。
ゼロ距離の爆撃だが、ユーシスがさりげなく背に俺を隠してくれたおかげで、鼓膜を少しやられた程度。白装束をススだらけにしたユーシスは、素早く右脚を振りかぶった。その脚に、燃え盛る炎のような赤い光が灯る。
「はぁッ!!」
弧を描くように蹴り抜いた右脚を纏う炎は、バケモノ本体ではなく、目前の地面を抉った。燃えるつま先が、大地に横一文字の線を引いたのだ。その線が、瞬間、灼熱に染まったかと思うと--そこを起点として、大量の炎が真上に噴出。瞬く間に、俺たちとバケモノを隔てる巨大な炎の壁が出現した。
強烈な熱気が肌を焼く。ユーシスは素早く銃を腰に差し、空いた手でハルも抱えると、一直線にバケモノから遠ざかるよう駆け出した。辺りの草木に足で手当たり次第火をつけながら、炎に身を隠すようにして距離を離していく。
「チッ、湿度が高すぎる。全く燃え広がらん」
ユーシスは不満げに毒づいたが、なぜ逃げた先々でわざわざ派手に火を起こしていくのか。あのバケモノは、三十メートル離れた茂みに身を隠した俺たちさえ感知するほど索敵能力が高いというのに。
ところが、炎に身を隠しながら逃げるうち、バケモノの気配はずんずん遠ざかっていった。全く追ってくる気配がない。随分走って、ユーシスもさすがに疲れ果てたか、両脇に抱えた俺とハルを雑に落として自分もその場に座り込んでしまった。
「……ここまでくれば、ひとまず撒けただろう」
汗と泥とススですっかり汚れてしまったユーシスが、それでも表情だけは高貴に引き締めて、小さく言った。
「……ユーシス……まさかお前が助けに来てくれるなんて、思っても見なかった」
「勘違いするなよ。言ったはずだ、俺は骨を拾いに来てやっただけだと」
「あぁ、そうだったな……ありがとう」
俺は地べたに顎をつけて這いつくばったまま笑った。隣ではハルが、血に汚れてはいるものの安らかな顔で、穏やかに呼吸している。気を失っているだけだ。二人とも、生きている。これほど幸せなことはない。
「うっ、いって……」
思い出したように全身に激痛が走って、俺は呻いた。左腕はディポタスに砕かれて重傷。右半身はあのバケモノに砕かれて、こちらはもっと重傷だ。動くのは左足しかない。
「「いって」じゃないだろ、どうなってるんだ貴様。体、色々変な方向に曲がってるぞ……見ている方が具合悪くなりそうだ」
「いやぁ、アドレナリン出てたのかなぁ……さっきまではそんなに痛くなかったんだけど……」
「気持ちが悪い」
凍てついた眼差しでどストレートに言われて、傷ついた。
「世話の焼ける。医療煉術は得意じゃなんだが。そんな痛々しいザマで目の前に転がっていられる方が迷惑だ」
ユーシスは俺の這いつくばった場所まで来ると、片膝をつき、取り分け酷い右半身に向かって右手をかざした。その手に赤い光が集中し、俺の右半身が、温かいお湯に浸したような心地よさに包まれていく。
「炎になったり、傷を治したり、便利なもんだなぁ……」
「羨ましいか。いくらちょっとばかり剣が上手かろうと、お前には逆立ちしたって使えない力だ」
「あぁ、羨ましいよ。俺には煉素ってのさえ見えないからな」
痛感していたところだ。俺は弱い。弱すぎる。強くならなければ、ハルやカンナどころか、自分一人さえ守れない。
ユーシスは、俺が素直に羨ましいと言ってくるとは思わなかったのか、たじろいだように沈黙した。
「ユーシス、お前にはどんな風に見えてるんだ? 煉素ってさ」
俺にはユーシスの出す炎や、今彼の手のひらを覆っている赤い光は見えるが、これらは既に、煉術と呼ばれる"現象"だ。煉術として昇華する前の、煉素という"物質"は、俺には見ることも感じることもできない。
「そうだな……この物質の美しさは喩えようがない。ましてお前のような野生の猿は、芸術などほとんど見たことがないだろうからな。いったいどう言えば伝わるか……」
「ほんと失礼なやつだな。野生の猿だって美しいものぐらい見るよ。星空とか」
「星?」
あぁ、そうか。俺は不思議な感覚になった。アカネで生まれたユーシスは、星の降る夜空を見たことがないのだ。
「そうか、お前は星を知らないよな。もったいねぇなぁ。綺麗だぞ? どんな宝石だって見劣りするくらい」
ユーシスはむくれるだろうと思ったが、意外にも、幼子のように瞳を輝かせ、せっつくように俺に聞いた。
「そんなにか」
「あ、あぁ。けど俺も、煉素は見たことないからさ。……お互い、決して相手が見ることのできない、目いっぱい美しいモンを知ってるんだな。そう考えると不思議な感じだ」
ユーシスは、目を見開いて口を閉ざした。やがて、ごくごく僅かに頷いた。
「あぁ。だが教えてもらうことはできるだろう。お互いにな」
「うん。教えるよ。星空は……そうだな、夜空なんだ。地球の夜空はアカネみたいに、電灯を消したような真っ黒じゃない。透明な黒だ。透き通ってて、瑞々しい。……星は、夜空にばらまかれた、光の砂つぶだよ。夜空を明るく照らすんだ。星や、月……一際大きな星のことだけど、それらが明るい時は、夜空の黒は紺碧に変わる」
ユーシスは俺の長広舌を、一言も口を挟まず、茶化さず、じっと聴いていた。彼には伝わっただろうか。
少なくとも俺には、十ヶ月前を最後に二度と見上げていない、満点の星空がありありと脳裏に浮かぶ。目を閉じれば、俺の意識は実家の道場があった郊外の山奥に飛翔し、幼い頃から頻繁に見上げた、紺碧と白銀の空が今でも網膜の裏に、鮮やかに蘇る。
ユーシスはしばらく、口を半開きにして虚空を見つめていた。やがて、ほぅと長いため息を吐く。
「俺の想像が、正しいか分からない。なにせお前の拙い描写だ」
「おい」
「しかし……美しいな」
ユーシスの素直な言葉に、俺も、今まで乾いていた心のどこかが、初めて満ち足りたような気持ちになった。俺は色々話した。星にも色があること。銀や金や赤や青。光の強さも違って、その光全て、遠い場所に浮かんでいる、巨大な星だということ。地球というのも、広い意味では星の一つで、だだっ広い宇宙に浮かぶ小さな小さな一つに過ぎないこと。
「信じ難い。不思議な世界だな、地球……いや、宇宙というのは」
この世界の方が、よっぽど不思議だ。そう思っていた。けれど、思えばどちらも不思議で仕方ない。今まで、疑問に思ってこなかっただけだ。こんなアカネ色の空の世界が、俺たちの世界と別にあったなんて、今にして思えば、ない方が不自然なぐらいだ。
「……ナツメ。俺の想像が正しければ、煉素は星空に似ているかもしれない」
ユーシスは俺の体に医療煉術を施したまま、呟くような声量で語り出した。
「空中に浮かぶ、キラキラ光る無数の赤いカケラが煉素だ。意識しなければ見えないが、意識した途端にくっきり見える。たとえば今、お前の周りにもたくさん……」
そこまで言って、ユーシスは戦慄したような顔になった。俺に医療煉術を施してくれていた手をおろし、俺の体をまじまじと見下ろす。
「お前……本当に、人間か」
「え?」
気味悪がるように後ずさったユーシスの反応があまりに鬼気迫るものだったので、俺は一瞬モンスターでも現れたかと思い、反射的に立ち上がった。
そして、異変に気付いた。
体の痛みが消えている。裂傷も、ズタズタだった筋繊維も、粉砕骨折も、半分近く癒えてしまっていた。
「な、治ってる……。すげぇなユーシス、お前の医療煉術、校医のロゼッタさん以上じゃん」
「馬鹿なことを言うな、俺の医療煉術で治せるのはせいぜい捻挫までだ……」
「そうなのか? けど、ここはほら、煉素濃度が濃いから。お前の煉術もパワーアップするんじゃないのか?」
「そんなレベルの話じゃない。ナツメ……何も感じないのか」
体の具合を確かめるべくラジオ体操を始めた俺の体を、ユーシスは化け物でも見るみたいに見つめていた。
「なにが?」
「……いや、なんでもない」
ユーシスは疲れたように汗をぬぐって座り込んだ。煉術は、使えば使うほど体力を消耗すると聞いたことがある。
「ホントにありがとうユーシス、少し休んでくれ。何かあったら今度は俺が戦うからさ」
「戦うって、その折れた剣で何ができるというんだ? よく見ればただの鉄剣じゃないか、折れて当然だ。……ったく、仕方がない。俺のを使え」




