第10話-1
明朝。空が真っ赤に"点灯"して間もない午前六時半。俺たちはルミエール王国の最北にそびえる、見上げるほど高い門扉の前に集合していた。
「おはよう、二人とも。……どうしたの、あんた達」
一足先に到着していた俺たちの元に、マリアが駆け寄ってきた開口一番の台詞である。
「別に」
仏頂面で答え、俺は隣のハルを視界から外すようにそっぽを向いた。
昨晩のことを翌日に持ち越すほど俺も子どもではない。朝、起きてからは普通通りハルと接した。ところがこいつは、性懲りもなく昨晩の話の続きをしようとしてきた。だから俺は、それからここに来るまでずっと無視をしているのである。
「……ハル、こいつどうしたのよ」
「いや、これは僕が悪くて……」
「ふぅん、あんたらが喧嘩なんて珍しいわね。なんで今日に限ってなのよ。なんでもいいけど、外に出てからはちゃんとしてよね」
「言われなくても分かってるよ」
俺がここまで露骨に機嫌を悪くしたものだから、ハルはあれ以上何も言ってこなくなった。これでいい。ハルはずっと俺の後ろをついてくればいいのだ。そうすれば、ずっと守ってやれる。
「おはよう、諸君! 昨晩はよく眠れたか? 今日諸君らの試験監督を努めるロイド・バーミリオンだ、よろしく! ……なんて、お前ら三人だけなのに堅苦しくやっても仕方ねえな」
昨日の泥酔など嘘のように元気ハツラツとしたロイドが、整列した俺たち三人に向かって笑いかけた。
ロイドだけではない。燃えるように赤い長髪をなびかせる、眉間に深いしわの刻まれた美形の男が、ロイドの隣に険しい表情で立っている。
ブラッド・レッドバーン。フレイムクラスの担任教官であり、ユーシスの父親だ。一瞬目が合ったが、彼はすぐにそらした。
「俺たち二人が、今日お前らに同行するメンバーだ。俺たちはお前らの外での働きを評価するスコアラーであると同時に、いざという時はお前らの命を守るライフセーバーでもある。互いに、今日は良い一日にしようじゃないか」
ロイドの言葉に、俺たちは緊張した面持ちで頷いた。
卒業試験の開催は月に一回。その日は学園が休校となり、スタッフが総出で受験生のバックアップに努めるのだ。戦闘員は引率、事務員は学園に残り管制を務める。くれぐれも死者を出さないよう、有事の際は白薔薇の現役ウォーカーがすぐに出動出来る態勢が整えられている。
今日卒業試験に挑戦するのは、俺、ハル、マリアの三人だけ。というのも、修剣学校に入学した候補生の中で、実際に卒業を迎えるのは一握りなのだ。
この学園の候補生は、ウォーカーになりたくて入学した人間ばかりではない。多くは、学問を修めたり、単純に自衛の術を身につけるために入ってくる。だから、自分の中で満足した者から自然消滅的に学校に来なくなったり、自主退学する者も少なくない。また、ウォーカーを志したものの挫折し、道半ばで諦める候補生も後を絶たない。
俺たち三人に、ロイドから赤い石のネックレスが配られた。ランク戦でもお馴染みの魔道具、《守護石》だ。
「ルールを確認しておくぞ。卒業試験の内容は"壁外探索"だ。今から門を開き壁の外に出る。言うまでもなく、危険だ。その《守護石》が割れたり、俺たち教官が助太刀した時点で、その受験者は不合格とする」
無意識に、首に下げた赤い宝石を大事に握り締めた。これが割れるほどの大怪我を負うようでは、どのみちウォーカーになっても長生きはできない。
「本日の卒業試験の、合格条件を伝える。必要な者はメモを取れ。その一、《シンリンゴブリン》もしくは第四級以上の指定危険モンスターの討伐。二、《薬草》《エーテルキノコ》《アカネ鉱石》を合計10kg納品する。いずれか一つをクリアし、"夜"までに無事にここまで戻ってこれたら合格だ。ただし、間違えて毒草や毒キノコを混ぜて持ってきたやつは即不合格な」
合格条件は毎月代わり、当日まで公表されない。今回の条件は討伐か採集。俺とマリアは目を見合わせ、小さく頷いた。
手筈通り--俺たちが狙うのは討伐の方だ。
納品が一見安全そうに見えるが、外を歩き回る時点でモンスターにエンカウントする確率は全く同じ。まさかモンスターは、採集クエストを受注しているウォーカーを嗅ぎ分けて見逃してくれるなんてことはありえない。
結局遭遇すれば交戦するほかないのだから、別のことに気を割かれる採集よりも、戦闘と索敵に五感を集中できる討伐の方が、俺とマリアの肌には合っている。
猛勉強した生物学の記憶を辿る。モンスター図鑑は持参しているが、開くまでもない。《シンリンゴブリン》は"鬼種"のモンスターだ。二足歩行で手指が発達しており、他と比べて知能が高いのが鬼種の特徴。また、特筆すべきはその怪力だ。
《ゴブリン》とは、鬼種の中で最弱の部類だったはずである。俺たちの先祖がそう名付けたぐらいだから、きっと実物は俺の知る空想上のゴブリンと類似する存在なのだろう。
それを見つけ出して、狩る。俺たちが目指すのは、それだけでいい。
「俺たち二人は、壁の外に出たら姿を消させてもらうからな。ちゃんとすぐに助けられる場所から見ていてやるから安心しろ。ただし、ギリギリまでは助けないからそのつもりでな」
三人とも、小さく頷いた。教官が助太刀した時点で助けられた人間は不合格が確定するのだから、むしろ大したことのないピンチで出張ってこられた方がたまらない。
「さて、じゃあ最後に、俺からありがたーい激励の言葉を授けよう。ちょっとだけ真面目モードな」
ロイドは、その目が開いたならウィンクでもしていたに違いないほど、いたずらっぽく笑って居住まいを正すと、スッと精悍な顔つきになって、滔々《とうとう》と語り始めた。
「俺もかつては、壁の外に出てバケモノを屠り、国民を守るウォーカーだった。楽な仕事じゃねえ。俺たちがいなければ周囲のモンスターは増え続け、外交は途絶え、資源は枯渇し、国は衰退の一途を辿る。俺たちの肩には、重い責任がずっとついて回る。……だが、壁の外は恐ろしいことばかりじゃない。雄大な自然が、心踊る未知が、諸君らを歓迎するだろう。俺は外の世界の素晴らしさも知っている。これ即ち、ウォーカーの特権である! 今日、諸君らのような若く有望な後進が、その世界に足を踏み入れようとすることを祝福したい。--健闘を祈る!」
マイクを使って拡声したような大声が、ビリビリ空気を震わせて俺たちの体に直接響いた。目の覚めるような祝福だった。
「……とまぁ、似合わねえことも済ませたところで、出発するか。ブラッド先生、最後にあんたからもなにか一言ないのか?」
「特にない」
仏頂面で一蹴したブラッドに苦笑して、ロイドは門扉の脇を固める門番に職員証を見せに行った。間もなく--丸太を繋げた分厚い門扉が、ギギギギギギギギィ……と、重く軋む音を立てて、ゆっくり、ゆっくり真上にせり上がり始めた。
瞬間、不意に涙が出そうなほどの、開放感が去来した。
十ヶ月前、俺はこの門と真逆の南門からこの国に入った。それから一度たりとも外の世界に出ていない。半径2キロメートル程度の小さな小さなこの国で、じっと力を蓄えて生きてきた。
いよいよだ。
思えばこの世界は、一体どれほど広いのだろう。日本の国土、いや、もしかしたら、地球より更に広い可能性だってある。
「ナツメ候補生」
開いていく門に向かって歩いていくところだった俺一人を、ブラッドが短く呼び止めた。訝しく思いながらも、マリアとハルを先に行かせて立ち止まる。
「はい、なんでしょうか」
ブラッド・レッドバーンは長身だった。向かい合うと俺の目線は彼の胸の高さになる。見上げれば、険しく気品漂う灰色の瞳が、じっと俺を見下ろしていた。
「貴殿に、謝らねばなるまい」
飛び出したのは意外な言葉だった。
「息子との立会い直後、感情的になったことを謝りたい。レッドバーン家には代々、君たち地球人のことを蔑視する思想が根強く継承されている。息子が貴殿に負けた事実を、認めたくなかったのだ。ところが、今日卒業試験を受けるメンバーは全て地球人ではないか。私もかつてはウォーカーの端くれ。後進ができることを歓迎する気持ちはバーミリオンと同じだ。今さら虫のいいことを申し上げるが……許してくれ」
頭を下げられ、俺はしどろもどろに首を振った。そんな昔のこと、今さら怒っているはずもない。
「いいですよ、そんなこと」
「おぉ、ありがとう」
ブラッドは顔を上げると、俺の肩に手を乗せて俺の顔を覗き込んだ。
「健闘を祈っているよ、ナツメ候補生」
ブラッドの灰色の瞳が、一瞬、茜色に瞬いた気がした。
「シオン?」
「あぁ、今行く。それじゃあ教官、今日はよろしくお願いします」
「あぁ」
俺は背を向け、マリアとハルの元に急いだ。門は今や十メートルの全長の二割ほどまで引き上げられていた。外には深く、暗い森林が無限に思えるほど広がっている。
香りからして、別世界だった。風は容赦なく吹き荒れ木々を波打たせ、森の唸り声となって響いている。抗いがたい引力に吸い込まれそうになるのと同時に、本能が、大音量で警告を鳴らしている。これ以上足を踏み入れてはならない、と。
「……一歩」
「え?」
「せーので踏み出そうぜ」
開いた門のスレスレまでにじり寄った俺は、両隣の二人にそう提案した。
冒険者がウォーカーと呼ばれる由来。それは--不安も恐怖もかなぐり捨て、この理不尽な世界で前を向く意志。逃げず、恐れず、外の世界に向けて力強く踏み出した、最初の一歩。
ハルとの気まずい空気も、ここから一歩先に持ち込むわけにはいかない。ニカッと笑って俺は両脇の二人の肩を抱き寄せ、念願のその瞬間を勢いよく手繰り寄せるように、腹の底から声を張り上げた。
「せーのっ!」
ダン、と威勢のいい音を立てて、三つの靴が同時に、外の世界を踏みつけた。




