第9話-2
マリアとはそれから、なにかと三人で一緒にいることが多くなった。
会話の中で、マリアは俺に、以前ぶん殴った件のことをそれとなく謝ってきた。あれは確かマリアのことを「ちんちくりん」と言ったのがきっかけだった。俺も年の割に背が低いのは多大なコンプレックスであるので、気持ちは分かる。先に「ちんちくりん」と言ってきたのはマリアだったことはこの際水に流して、俺は快く許してやった。
マリアは第一印象通り、気難しい女だった。高飛車で、我が強く、折れも曲がりもしない刀剣のように頑強な性格であった。それ故俺とは反りが合わず、ハルがいなければ何度決闘沙汰になったか分からない。
そんな性格だから気づきにくいが、マリアは黙っていればちょっと見ないレベルの美少女には違いない。
ベリーショートにしつらえたフワフワの栗毛が包む顔は、横に並ぶ女が気の毒になる程に小さく、肌はむき卵のようにツルツルしている。せっかく形のいい、大きな青い目は、いつも不機嫌そうに細められているのが残念でならない。
体の発育こそランドセルの似合う小学生だが、年齢は俺たちと同じ十四歳。よく見ると顔は決して童顔ではない。むしろフランス人形のような、可憐さの中に妙な妖艶さがある。
実力も折り紙つきのマリアは学園で知らぬ者はいないほどの有名人だったので、俺たち三人グループの知名度もちょっとしたものになった。
「へぇ、マリアはもうこの学園に来て四年目になるんだ」
ある日の昼休み、ベンチでサンドイッチを食べながらそんな話になった。
「まぁね」と素っ気なく言うマリアに、俺は現在のポイントを尋ねた。それだけ長く学園にいたなら、マリアならとっくに卒業できるだけのポイントを稼いでいると思ったからだ。
マリアは口ごもり、小さく早口で答えた。
「……13,000くらい」
「なんだって?」
とっくに卒業できるじゃないか。同じく最速の卒業を目指している俺はつい熱くなって、矢継ぎ早に問いただした。
「なんで卒業試験を受けないんだ? 一刻も早くウォーカーになりたいんじゃなかったのかよ? 学園のトップ気取っといて土壇場で日和ったのか? 冗談じゃないぞ、俺の求戦をことごとく断っておきながら……」
「うるさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
珍しく押し黙って俺の詰問に耐え続けていたマリアが、ついにキレた。
「私だってできてりゃとっくに卒業してるわよ!」
「……どういうことだい?」
ハルの問いにマリアは言いにくそうに、切腹ものの恥でも口にするかのように、もごもごとようやく吐いた。
「……単位が取れないの」
「え?」
「単位が! 取れないの! 座学の単位が!! 取れないの!!!」
俺とハルは呆気にとられてしまった。というのも、マリアは座学で一緒になる時は決まって一人最前列に座り、真剣そのものの形相でノートを取り、一言一句逃すまいと教官の話にかじりついてしきりに相槌を打っているような女なのだ。
急転直下謎が解けたのは、マリアが俺やユーシスとのランク戦に応じず、週一回、最低限のランダムマッチングのみに甘んじている理由だ。既に10,000点をとっくに超えて稼いでいるのであれば、万が一にも負けてポイントを失うリスクは避けて当然である。
「……マリア、この間植物学の最終テスト受けるって言ってたよね。何点だった?」
スタンプラリーの要領で十回に渡る授業に出席すれば、その授業の最終課題を受けることができる。六割以上の評価をもらえれば単位が出る。真面目に準備すれば、そう難しい条件ではない。不運にも落第した場合、再履修と言って、その授業をもう一度十種受けなければ最終課題に挑戦できない。
「………………七点」
これは参った。
マリアは典型的な「真面目バカ」だった。おそらく脳みそまで筋肉でできているのだろう。予想を超えたひどい点数に思わず一人爆笑する俺をよそに、ハルは難しい顔をして、マリアに「ノートを見せてくれ」と言った。
「絶対いや! 恥ずかしい……!」
「いつも真剣に書いてるだろ。笑うもんか。見せてくれよ」
ハルの真摯な目に見つめられて、頑強なマリアも折れるしかなかった。下着でも見せるみたいに恥じらいながらマリアがハルに見せたノートを、俺は後ろからこっそり覗き込んだ。
そこには感心するほど丁寧に、几帳面にびっしり書き込みがなされていた。
たくさんの色ペンを使ってカラフルに仕上げ、可愛いイラストまでたくさん書いて、うさぎのキャラクターが吹き出しで「ここはテストに出るぞー!」なんて言っている。
これは、見せたくない気持ちもわからなくはない。マリアがこんな可愛らしいノートを作るなんて誰が思うだろう。
「すごいじゃんマリア。こんなに丁寧に書いてるんだから大丈夫だろ」
率直な感想であったが、ハルは険しい顔だった。
「マリア、このノート、意味ないよ」
バッサリ切り捨てたハルにマリアが露骨に悲壮な顔をする。俺は思わず身を竦めた。この声音、この表情、これは"スパルタ教師"となったハルの顔だ。毎晩、彼にしごかれて俺は泣く思いで勉強しているのだ。
「意味もなく色を使いすぎ。黒と赤だけでいいから。イラストに凝りすぎて教官の話す内容が漏れてる。板書されるのは要点だけなんだから、補足説明を噛み砕いて書き記しておかないと。これ、今このページ読み返して、授業の内容思い出せる?」
「……ノートって、読み返すものなの?」
ハルは一瞬硬直したかと思うと、烈火の如く怒った。
「君はなんのために苦労してこれだけ綺麗にノートを作ったんだよ! 読み返さないなら、シオンみたいにぼーっと教官の話を聞いてる方がまだマシだ!」
「ノートはハルに写させてもらえばいいしな。俺は剣を教える、ハルは勉強を教える。最高のギブアンドテイクだ」
「ノートぐらい自分でとってほしいけどね! ……とにかく、七点なんて取ろうと思ってもなかなか取れないぞ。勉強方法を変えない限り、何度履修したって結果は同じだ」
ハルの言葉に、マリアはうつむいて下唇を噛んでしまった。これだけ言われて言い返さないマリアは珍しい。いよいよ泣いてしまうのではないかというとき、ハルは優しく笑ってマリアの小さな頭に手を置いた。
「ごめん、言い過ぎた。幸運なのは、君がものすごく努力家だって分かったことだ。僕が勉強を教えるよ。やり方を変えれば、きっと点数も上がっていく。だから泣かないで」
ハルがトドメを刺したせいで、鼻をすすり幼子のように泣き出したマリアに、ハルは大慌てでハンカチを差し出し、ひたすら謝り倒していた。
この日をきっかけに、ハル先生の勉強塾に仲間が一人加わった。代わりにマリアは、俺と一緒に二人がかりでハルに剣を教えることになった。
お互い、スパルタ指導の借りを返すとばかりに指導に熱が入り、俺とマリアの成績が上がるのに比例して、ハルの剣もどんどん上達していった。
ただ、どれだけ腕っぷしが強くなって、針金のようだった体に筋肉がついて逞しくなっても、ハルは人を斬ることができないままだった。ランク戦では、制限時間いっぱい戦い、判定勝ちを勝ち取るくらいしかやりようがなくなった。
それでもハルは、そのやり方で連勝を積み重ねられるほどに成長した。ハルがランク戦のトップ10に食い込んだ頃、顔を真っ赤にして興奮したマリアが、勢い込んで走ってきたかと思うと、俺たちに自分の学生証を突きつけた。
最終テストで80点を取った。植物学の単位が出た。そういう報せだった。
弾みをつけたか、それから長く待たず、マリアは続々と他の科目も合格をもらって必要な単位を揃えていった。一方のハルは、教官たちの研究室に手当たり次第首を突っ込んでは、専門的な研究の助手をいくつもこなして、俺やマリアとは違うやり方でポイントを稼いでいった。
俺はと言うと、最終手段。ランク戦上位の人間に、マッチングを受けてくれるまでひたすらつきまとうという「ストーカー大作戦」を決行。これが功を奏し、学園中の人間に気味悪がられるのと引き換えに、効率良くポイントを荒稼ぎすることができたのだった。
めくるめく時は流れ、全力疾走のような学園生活もとうとう終わりが近づいていた。
奇しくも。俺、ハル、マリアが卒業試験を受ける資格を得たのは、全員が同じ月のことであった。
新年をとっくに迎えて六月。俺がアカネにやって来て、十ヶ月が経過していた。




