第8話-2
それから、俺たちの学園生活は劇的に変わった。
最短での卒業を目指して毎日計画的な時間割を作成し、空き時間をなるべく一致させた俺とハルは、暇さえあれば学園内の訓練場に籠もった。
本気になったハルの吸収力は、俺も舌を巻くほどだった。「シオンの教え方がいいんだよ」と本人は謙遜するが、ハルが伸びる一番の理由は、その実直さと勉強熱心さにある。
俺の語る一字一句、俺の実演する一挙手一投足を漏らすまいと、貪欲に目と耳を傾けるその姿勢は、教えていて大変気持ちよく、俺もついつい指導に熱が入った。
俺とユーシスの決闘からわずか二週間で、ハルは《剣術基礎》の合格をもらった。単位を出してくれたロイドの目の前で、俺たちは力強くハイタッチした。
一方で、俺はハルに座学の勉強を教えてもらった。ハルは大変勉強ができるだけでなく、良い教師であった。
植物学、歴史学、生物学、兵学、応急医学、理科学。必修と選択必修を合わせて、俺は七つの授業を履修した。これら全ての単位を取るために、俺はハルの力を借りて猛勉強に明け暮れた。全て英語で書いてある地獄の教科書と毎晩にらめっこして、デキの悪い脳みそに知識を叩き込んだ。
さて、どうにか順調と言える勉強生活と対照的に、ランク戦の調子は芳しくなかった。
というのも。ユーシスとの一戦以降、誰一人として俺と対戦してくれなくなったのである。
ランク戦の仕様には《フリーマッチング》と《ランダムマッチング》がある。前者は、お互い合意の上で行う試合。後者は、なんの手続きを行わなくても、週に一度のペースで、自動的に、無作為に世界樹が決定した対戦相手と行う試合だ。
週一回のランダムマッチングだけでは効率が悪いので、早くポイントを稼ぎたい俺としては一人でも多くの候補生とフリーマッチングを組みたいところなのだが……
「も、申し訳ないけど他を当たってくれないかな」
「え、ランク戦? えーっと、その、ちょっと今、祖母が危篤で……」
「ひぃ、バケモノ!」
こんな調子で一向に対戦相手が見つからないのだ。ランダムマッチングで決まった相手も、次々と体調不良や祖母の危篤を訴えて俺は毎戦不戦勝。伝染病でも流行ってんのか。
気づけば、俺がアカネに来て一ヶ月が経過しようとしていた。地球ではもう、夏が終わっている頃だ。季節の巡らないアカネで、ふと四季折々の日本を回顧し、ノスタルジックな気分になる。
今日は、記念すべきハルのデビュー戦だった。先週エントリーしたランク戦のランダムマッチングによって、本日の第六試合がハルの初陣に決まったのである。
今日は開幕からハルの様子がおかしかった。
「おはようシオン、いい朝だね!」
「……まだ四時前だぞ、寝ろ」
夜明けのずっと前から目を覚ましたかと思えば、酷いクマを作った顔で、気が狂ったように鼻唄を歌いながら朝食を作り始めた。料理は裁縫と並ぶハルの趣味で、本人いわく「心が穏やかになる」そうだが、彼が二時間に渡って一心不乱に皮むきしたリンゴの量は全く穏やかではなかった。
一生分とも思えるリンゴをほとんど俺が片付け、並んで登校。家でも通学路でも、ハルはいやに饒舌であった。道中、ハルは二回街灯の柱に激突した。
学校に到着し、慣れ親しんだウィードの教室に入ると、今日ばかりはクラスの連中の雰囲気がいつもと違った。ハルに対して同情、好奇、または、それより少し感じの悪い笑顔が集まる。
「よっ、ハルちゃん! デビュー戦から災難だな」
「一撃で仕留めてもらえよ? 死に損なったら骨折じゃ済まねえかも」
「いいじゃねえか、痛い目見りゃ。俺たちは散々チューコクしたんだぜ。断固棄権しないって言って聞かなかったのはそこの弱虫だ」
ハルを気遣うような声を遮って、一人が突き放すように言った。ハルは曖昧に笑うだけだ。俺もあえて、なにも言わなかった。
俺たちの背後で教室のドアが開いた。入ってきた人物に教室は静まり返る。その人物は、見下ろすほど低い位置にある顔を不愉快げに眇め、凍てつく温度で短く吐いた。
「なに?」
「い、いや、なんでも。今日の試合、頑張れよ、マリア」
「なにを頑張るって言うのよ」
マリアは嘆息し、ウィードクラス主席の証である澄んだ青色のローブを靡かせて俺とハルの間を潜り抜け、追い越したところで足を止めた。
「私、手加減とかできないから」
「う、うん。今日はよろしく、マリア」
マリアはハルの反応が気に入らなかったのか、体をハルの正面に向けて彼を見上げた。二人の視線が交錯する。
今日、ハルが戦う相手は、奇しくも学園のトップランカー。この、マリア・シンクレアという女だ。
「虫も殺せないあんたがランク戦エントリーなんて、どういう風の吹き回し? 私は弱いくせに戦おうとする奴が一番嫌いなの。そこの男に影響されたのか知らないけど、はっきり言って、目障りだから」
俺をチラと睨んでから、マリアは毒のある言葉を吐いた。ハルは気圧されたように後ずりかけたが、俺と目が合うと、かすかに震える手をぐっと握り、強く言った。
「……勘違いしないでほしい。僕は、君のために戦うわけじゃない。シオンのためでもない。他でもなく、僕のために、戦うんだ。確かに僕は弱いけど、僕なりの責任を持って君の前に立つから。だから、遠慮なく頼むよ」
マリアは苛立たしげに唇を歪めると、低い声で言った。
「言われなくても、全力で叩き潰すわよ。この世界は弱肉強食。弱いやつは弱いやつなりの生き方をすればいいの。今日、私がそれを思い知らせてあげる」
背を向けて自分の席へ向かっていこうとするマリアを、俺は呼び止めた。
「マリア、あのさ、何度も誘ってるんだけど、いつになったら俺とランク戦してくれるの?」
「……何度も言ってるけど、一生しないわよストーカー野郎」
容赦なく吐き捨てて、マリアは最前列中央の席にどっかと腰をおろした。
***
銅鑼の音が鳴り響いた。客席の入りは疎らであった。
「ハルー! 気楽になー!」
アリーナの客席最前列に腰を下ろし、俺は入場口から登場した友人に声援を送った。おとぎ話の王子様然としたハルの容姿に、近くに座っていた街娘らしき少女たちがきゃあっと色めき立つ。
しかし、ハルはその容貌を台無しにしていた。表情は見事に強ばり、顔面は蒼白で、ギコ、ギコ、と軋むように歩く、その手と足が一緒に出てしまっている。今朝、マリアに啖呵を切って見せたときの威勢の良さはどこに行ってしまったのか。
候補生のランク戦は、どうやら街の若者にとって娯楽の一つになっている。客層はこの通り、意外にも女性率が高い。
ウォーカーは公務員。ウォーカー候補生は、考えようによっては将来有望なエリートの卵だ。ウォーカー候補生は、街の娘たちにとって将来のお婿さん候補生でもあるのかもしれない。
実際、名家の生まれで武人としても既に高いレベルにあり、見てくれも黙っていれば整っているユーシスなんかは、同年代の少女たちの間でファンクラブがあるほどの人気ぶりだ。
どこかの誰かさんが大衆の面前で彼を倒してしまったので、その熱狂も少しは落ち着いたと聞いた。一方、そのどこかの誰かさんは……
「ちょっと、あそこに座ってるのもしかしてシオン君じゃない?」
「嘘っ!? 私実物見たことない! どこ!?」
「あそこ! ほら、あの最前列に座ってる黒髪の、背の低い……」
「あ、こっち見た! キャーーー!」
……俺はパンダか。
死闘の末ユーシスに勝利した俺は、以来、人生初の「モテ期」を体験していた。願望がなかったわけではないが、いざそうなってみると、あまり居心地のいいものではない。
彼女たちは俺のことをろくに知りもしないで、好き勝手騒ぎ立てるのだ。それが好ましくない。少し間近で関われば、俺が大して面白くもない、その上頭のネジが何本か抜けたアブナイ人間だと分かりそうなものだ。
それに、俺には好きな人がいる。その人を守るためにウォーカーを目指している。うつつを抜かしている暇はない。
俺は立ち上がって外套のフードをかぶって顔を隠すと、彼女たちに背を向けてそそくさと退散した。どこか、落ち着いて観られる場所はないだろうか。
「お」
客席を少し歩いて移動していると、見覚えのある赤髪の3人組を見つけた。その中心にいた男に、馴れ馴れしく声をかける。
「よっ、ユーシス」
「……何の用だ」
ちらりとだけ俺を見てつれなく言うユーシスの両脇で、二人の子分が忠犬のように俺を威嚇する。
「知った顔がいたから声をかけただけだろ。ユーシスこそ、なんでこの試合の観戦を?」
「ふん。一週間ぶりにマリア・シンクレアが出るからだ。シンクレアとは実に七戦やった。負けたのは最後の、たった一度だ。勝ち逃げは許さん。この私が、何度も対戦オファーを出しているというのに……」
「あ、お前も無視られてんだ」
「……無視ではない、やつが怖気づいているだけだ。私は無視されていない」
「まぁどっちでもいいけど。そうか、俺とやる前ユーシスについてた唯一の一敗は、マリアがつけたものだったんだ」
「六! 勝一敗だ」
「わかったわかった」
俺は勝手にユーシスたちの近くに腰をおろした。ユーシスは何も言ってこなかった。
それにしても、俺だけでなく、マリアはユーシスのアプローチまで断り続けているようだ。マリアの現在の戦績は146勝17敗。この異常な対戦回数を見ても、一時期は狂ったように対戦相手を求めていたはずだ。
ところが今は、強制的に決まる週一回のランダムマッチングにしかマリアは顔を出さない。何故なのだろう。
「こっちは一刻も早くポイント稼がなきゃなのになぁ。マリアを倒せば一気に稼げるのに……」
「ナツメ、私との再戦も忘れるなよ」
「忘れてねーよ。けど、同じ相手とは間に五試合挟まなきゃ対戦できないだろ。そのためにも、早く対戦相手見つけなきゃなのに……マリアの野郎、俺たちから逃げてんのかな」
「それはないな」
勝ち逃げは許さん、と言っていたくせに、ユーシスは俺の言葉を否定した。同時、ハルの向かいの入場口からマリアが現れた。
小さな、人形のように華奢な体が肩に担いだその得物を見て、俺は思わず息を呑み、ハルは気圧されたように後ずさった。
「剣を交えた経験を踏まえ、率直に言わせてもらうが。あの女はお前より強い」
マリアが片手で肩に担ぐ得物は、彼女の身の丈に迫る規格の、超弩級の大剣だった。




