第8話-1
俺は学園の保健室に運び込まれた。
アカネの水準にしてはずいぶん清潔そうな部屋だった。真っ白なシーツの敷かれたベッドに寝かされたところで、赤毛のポニーテールと白衣が似合う、年若い女性が部屋の奥から姿を現した。
「あらぁ〜、派手にやられたねぇ。《守護石》の不具合?」
「本来ならとっくにシールドが発動してもおかしくないダメージ量に見えましたが……よほど受け身が上手いのだと思います、辛うじて石が割れていませんので」
俺を運んでくれた救護班の一人が、そんなことを言うのをぼんやり聞いていた。女性はとりわけ酷い状態である俺の左腕にそっと触れた。
「いっつ……!」
「ごめんごめん、すぐ終わるから」
紅の引かれた唇を緩め、白衣の女性が微笑んだ。その細長い指先に、見覚えのある、茜色の光が灯る。
途端に俺の左腕全体が、温かいお湯に浸したような心地よさに包まれた。風が触れるだけでヒリヒリ痛むほどだった患部が、じんわりと癒され、痛みが和らいでいく。
驚くべきことに、傷や火傷も見る見るうちに快復していった。まるで自然治癒を100倍速で見ているようだ。ピンク色の肉をカサブタが塞ぎ、牙の突き刺さった穴が小さくなり、ずいぶん見た目がマシになったところで、彼女は俺の腕から手を離した。
「こんなもんかな。あとはたくさん食べてぐっすり寝れば、すぐに治るわよ」
「あ……ありがとうございます……」
今日は信じられないものをたくさん目にする日だ。なんだかどっと疲れて、俺は枕に頭を預けた。「少し休んでいきなさい」とウインクして去っていった女性に、甘えさせてもらうことにする。
そのとき、ガラガラ、と扉が開いて、大柄な男が入室してきた。ロイドだ。俺を見つけるなりニコニコしながら近づいてくる。えらく機嫌がいい。
「ようシオン! お疲れぃ! 最高の試合だったじゃねえか、俺はカンドーしたぜ!」
「……すみませんね、忠告破って次席と戦っちゃって」
「結果オーライだろ、俺の方こそ、お前の実力を見くびってた、悪かったな!」
どかっと傍らの丸イスに腰掛けたロイドに、俺は尋ねた。
「《煉術》って、なんですか?」
「聞いてくるだろうと思ったよ。《煉素》って知ってるか?」
首を振る俺に、ロイドは「だろうな」と言って解説してくれた。
「アカネの大気中には、《煉素》と呼ばれる物質が含まれてる。こいつが非常に万能でな。空気や水を浄化し、植物の成長を促進するだけでなく、怪我や病気の回復速度を高めたり、生き物の脳や筋肉に作用して潜在能力を引き出したりと、まぁとにかくパワフルな物質なんだよ。アカネに地球じゃ考えられないバケモノがうじゃうじゃいる最大の理由は、《煉素》の存在だろうな」
その《煉素》があるから、アカネの植物や動物は俺たちの常識に当てはまらない、特殊な進化を遂げている。俺はそう納得した。
「その《煉素》を意のままに操り、《煉素》の恩恵を最大限に利用する技術のことを《煉術》という。お前の傷を治してくれたのも、《煉素》を集めて局所的に治癒力を高める《医療煉術》の類だ」
「まるで、魔法ですね」
「うはは、そうだな」
「ユーシスが出してた、あの犬は?」
「あれは《造形煉術》だな。《煉素》をかき集めて実体を生み出す。ただ、あの犬はまるで生きてるみたいだった。あんな自由な造形は見たことがない。俺は《煉術》にゃ詳しくないが、天才ってやつなんだろうな」
俺には見当もつかない。何もない場所からあれだけ凄まじい命を生み出す力が、どれだけ尊いのか。
「最初の、体が赤く光ってたやつも?」
「あぁ、ありゃ《煉術》の初歩だ。《煉氣装甲》っつー技で、全身にまんべんなく《煉素》の鎧を纏う。《煉素》の操り方を身体で覚えるためのトレーニングとしても理に適ってる。身体能力が多少上がるし、一点に集めればそこそこ硬くなるから、難易度易しい割に攻守に優秀な技だ」
その話に俄然心ひかれた俺は、せっつくように聞いた。
「どうやったら《煉術》を使えるようになりますか?」
「ん、そりゃ無理だ」
ロイドはあっさりそう切り捨てた。
「俺たち地球人は、《煉素》に愛されてないからな」
彼の言葉の意味が分からず、俺は口を開いたまま固まった。
「簡単にいや、意思の疎通ができないんだよ。《煉素》は、ミクロサイズのモンスターだと考えてる学者もいる。とにかく、生きてんだよ、《煉素》は。アカネの地で生まれたナチュラルは、《煉素》を肌で感じることができるらしい。ごく自然に、当たり前のようにな。どうだシオン、お前は何か感じるか? この部屋にも、大量の《煉素》があるはずだが」
言われて、俺は目を凝らして部屋中を観察した。今度は目を閉じ、匂いや、肌感覚を頼りに、何かを感じ取ろうとした。
分からない。この部屋にそんな物質があることを、俺の五感ではまるで認識できない。
「《煉術》は《煉素》とのコミュニケーションだ。《煉素》を感じ取れない俺たち地球人に、《煉術》は使えない。ま、お前くらいの年頃の男子なら憧れる気持ちも分かるがよ、こればっかりは諦めな」
不本意ながら、俺は《煉術》への未練を飲み込んだ。《煉氣装甲》とやらだけでも使いこなせれば、戦闘の幅が格段に上がると思ったのだが。
体が少し回復してきたところで、俺は気になっていたことを聞いた。
「ロイド教官、ハルを知りませんか?」
「あぁ、ハルクなら外にいるぞ。真っ先に駆けつけたくせに、いざ入るとなったら怖気づきやがってよ。お前のケガ見るのが怖かったんじゃねえかな。血が無理だろ、アイツ」
なんだ、外にいるのか。俺はロイドに礼を言ってベッドから降りた。ガラリとスライドドアを開けると、すぐ横の壁にもたれかかって金髪の少年がうずくまっていた。
パッとハルが顔を上げる。片手を上げて「よう」と挨拶をしかけたところで、ハルは勢いよく立ち上がると、
「うごっ!?」
俺の胸にパンチを放ってきた。痛み以上に動揺が強く、硬直する俺の前で、ハルの端正な顔がくしゃっと潰れた。
「バカァ! 無茶するなってあれほど言っただろ!!!」
俺に掴みかかり、俯き、そのまま泣き出してしまったハルに、俺は激しく狼狽した。ロイドの話は見当違い甚だしかった。ハルは俺のケガに怖気づいたのではなく--怒りすぎて、落ち着くまで対面を見送ろうとしていたのだ。
「ご、ごめん、ごめんって。保健室の先生に手当てもしてもらったし。あ、ほら! 知らなかったけど、あの赤いネックレス、《守護石》ってんだっけ、砕ける瞬間に一度だけ着用者の身を守ってくれるんだな! あれのおかげで安全にランク戦ができるんだなぁ、うんうん」
「どこが安全なんだよ! あんなにボロボロになるまで発動しない加護なんてゴミ同然だ!」
「お、大げさなやつだな。まだやれるのに発動される方が困るだろ」
ハルはこの上なく深く大きなため息をついた。こんなに怒ったハルは見たことがない。無意識に背筋が伸びる。
「僕がどんな思いで見てたと思ってるんだ。何度君が死んだと思ったか。本当に、闘技場に乱入する寸前までいったんだから」
「わ、悪かったよ……」
「二度と危ない戦い方しないこと。次やったら絶交だから」
「は、はい」
険しい目つきで睨まれて、俺はどうにか真っ直ぐ目を見返して約束した。ユーシスには勝てたが、今のこいつには勝てる気がしない。
ハルはもう一度ため息をついてから、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「シオン、君にお願いがあるんだ」
「……なんだ?」
不思議に思って問い返す俺に、ハルは真剣な眼差しで言った。
「僕に、剣を教えてほしい」
「剣を? それなら、言われなくても毎週……」
「《剣術基礎》のコーチじゃなくて。もっともっと、深いところまで。君の知る剣の全てを、僕に叩き込んでくれよ」
どういう風の吹き回しだ、と思った。俺の知る限り、ハルはこんなことを言い出す男ではなかった。血が苦手で、争いを嫌い、草木を愛でるのが趣味の穏やかな男だったはずだ。
「僕もなるよ、ウォーカーに」
自分に言い聞かせるように、ハルはゆっくりとそう言った。
「今日のシオンとユーシスの試合は、僕にとっては別次元の戦いだった。君がどれだけ傷ついても、追い詰められても、僕は……何もできなかった。仮に闘技場に降りていったとして、僕にできることなんて何一つないと思った。僕は……このままどんどんシオンの背中が遠ざかっていくのを、立ち止まって見ていたくない」
「ハル……」
「今日……本気で、君が死ぬと思った……何度も、それを覚悟して、それでも、阻止するために何一つできない自分が、悔しくて……。嫌なんだ。もう、今日みたいな思いは、嫌なんだよ」
透明な涙を流しながら、ハルは絞り出すようにそう言った。俺は迷った。ハルの性格は全くバトル向きじゃない。俺に剣を教わって強くなったとして、それがハルの幸せにつながるとは思えなかった。
だが、それ以上に、俺は嬉しかったのだ。ハルが、嫌いな戦闘の世界に飛び込もうとするまでに、俺の身を案じてくれたことが。
「俺の修行は厳しいぞ、泣いて謝っても遅いからな」
ハルは一瞬固まってから、涙を流したまま笑った。「望むところだよ」と言いながら袖で目をぬぐい、いつものハルの笑顔に戻って俺に笑いかけた。
「……君は危なっかしいからね。仕方ないから、僕が守ってあげるよ」




