第6話-3
銅鑼の音が鳴り響いた。
八月十六日、水曜日。俺はアリーナの剣闘士待機室にて、精神を集中していた。
今しがた、アリーナの闘技場で行われていた本日の第九試合が決着した。薄い土壁をすり抜けて届いてきていた、戦闘の喧騒や観客の声援、怒号が、揃って拍手喝采に変わる。再び銅鑼の音が轟き、試合が終幕する。
「ナツメ候補生、準備をお願いします」
「はい」
大きく息を吸って鋭く吐き、俺は立ち上がった。呼びに来た学園の役員に礼を言って、彼を追い越す。
あっという間に今日を迎えてしまった。俺とユーシスの対決は、第十戦。本日の最終戦だ。授業を終えた生徒はもちろん、教官、仕事帰りの街の人々まで、大勢が見物に詰めかける。
日程は任せると言ってしまったのが運の尽きであった。ユーシスのやつは、よほど大衆の眼前で俺を叩きのめしたいらしい。
待機室と闘技場を結ぶ、長い一直線の通路を、貸し出し用の木剣を片手にゆっくり歩く。通路の終わりに溢れる茜色の光が、喧騒とともに、少しずつ強まっていく。
やがて、喧騒が割れんばかりの歓声になった頃、俺は通路を歩き切った。飽和した光が収まると、そこはもう別世界。巨大野球場のような、円形のスタジアム。闘牛士が猛牛と戦うような殺風景な砂地が、紅穹の赤光を浴びて妖しくきらめく。
高い位置にある客席に、大勢の見物人が詰めかけていた。ぐるりと俺を取り囲む人々が、俺の登場に気づくや否や諸手を叩いてはやし立てた。候補生同士の訓練だというのに、まるで娯楽扱いである。
「あれが例の《飛び級》小僧か!」
「《剣術基礎》を一日でクリアってのは、異例の話だな。まして新客なんだって?」
誰が吹聴したのか、俺の噂話まで聞こえてきた。居心地悪いことこの上ない。
「シオーーーーーン!」
頭上から降り注いだ声に顔を上げると、俺が出てきた入場口の真上の柵に張り付いて、身を乗り出し手を振る金髪の少年を見つけた。ハルだ。既に半泣きである。
「怪我しないでねぇーーー! 危なかったらすぐに降参するんだぞーーー!」
「わかってるよー!」
大声を張り上げ、手を振り返した。相手はジュニアも大人も含めた、この学園の次席だ。勝てないと判断すれば、大人しく降参するつもりである。
ウォーカーになるという目標は変わらないが、今の俺は、アカネに来たばかりの俺ほど焦ってはいない。遮二無二剣を振って勉強をして、最速でこの学園を卒業する--当初はその思いだったが、今は。
現状の生活がそこそこ楽しい。それに満足している自分がいる。ハルと一緒に学園生活を楽しんで、それこそ、ハルと同じくらいのペースで卒業を目指せば、それでいいような気がしている。
だから、今日の一戦、必ず勝たなければという気負いもないのだった。
その時、俺の時とは比べ物にならないほどの、爆音の歓声が巻き起こった。向かいのゲートから、真紅の外套を風になびかせ、気障な所作で一人の少年が入場してくる。燃えるような炎髪を、いつも以上に気合の入ったセットで整えて、表情は泰然自若としている。
「ユーシスだ! ユーシス・レッドバーン!」
「レッドバーン家の一人息子か……あそこは代々、優秀なウォーカーを輩出している名家だよな」
「中でもユーシスの才能は随一だとか」
「それで今日は《白薔薇》のウォーカーまで観に来てるのか!」
客席は大変な盛り上がりである。ユーシスは観客に向かって片手を掲げ、外交的な笑みを浮かべている。緊張や気負いなど、かけらも感じさせない佇まいだ。
ふと、俺と目が合うと、ユーシスはふっと笑みを消した。俺たちはお互いに歩み寄り、砂地のバトルフィールドの中心でかち合った。
品定めするように俺をじろじろと物色していたユーシスが、不意ににっこり笑って片手を差し出してきた。
「今日はいい試合にしよう、ナツメ候補生」
俺は肩をすくめて、こちらも右手を伸ばした。
「お手柔らかに、レッドバーン次席」
ユーシスは笑顔を変えず、汚いものをつまむように俺の手を取ると、さっさと離してしまった。相変わらず感じの悪いやつだ。
俺たちは数歩離れ、向かい合った。扱う剣はランク戦のルールに則り、互いに木製。違うのは、ユーシスが片手剣なのに対し、俺はそれよりやや刀身と柄の長い、片手半剣という形状の剣を選んでいるところだ。
名の通り、片手剣と両手剣の中間に位置する規格の剣である。必要に応じて、片手使用と両手使用を切り替えることができる。
木刀があればベストだったのだが生憎なかったので、サイズ感と使い勝手が最も刀に近いこの剣を選んだのだった。
「両者、準備はいいですか?」
グレーのレフェリー服に身を包んだ審判が、俺たちに問うた。互いに、無言で頷く。この砂地のバトルフィールドにいるのは、俺たちとレフェリーの三人だけだ。
今、俺とユーシスの手首には、小さな赤い宝石のネックレスが下げられている。この宝石こそがランク戦の生命線。なんでも、特殊なモンスターの素材をもとに作られた《魔道具》らしい。世界樹で作られた俺たちの学生証も、そう呼ばれる。
この宝石は聞くところによると、《着用者が一定以上のダメージを受けると粉々に砕ける》という、一体なんの役に立つのか甚だ疑問な特性を秘めているらしい。
ランク戦のルールは単純明快。十分という制限時間内に、この宝石を砕かれた方が負けだ。
この宝石を砕かれないためには、とにかく攻撃をもらわないようにすること。逆に俺は、ユーシスの防御をかいくぐって、奴の体に直接ダメージを与えていくことが目的となる。
「シオーーーーーン! 頑張れーーーーーーー!」
飛び乱れる数多の声援に混じって、確かにハルの応援が聞こえた。俺は背筋を伸ばし、両手で剣を握って中段に構えた。ごくごくオーソドックスな俺の構えを見て、ユーシスが失笑する。
「失敬、あまりに真面目な構えだから」
ユーシスは右手の剣を肩に担ぐように構え、左半身を前に出して腰を落とした。こちらは随分と、斬新な構えだ。
「挑戦者が何秒持つか、賭けようぜ!」
「一太刀目で崩されて、二太刀目で勝負ありだろ」
「十秒は持ってほしいな」
誰も、俺の勝ちなんて万に一つも信じてくれていないようだ。ブルーになってきたので、俺は精神を集中して喧騒を意識から締め出した。音が遠ざかり、代わりに、自分の鼓動がやけに鮮明に聞こえる。
レフェリーが片手を挙げる。それに合わせ、全身に、均等に力を張り巡らせていく。待ちきれないとばかりにユーシスの口角が上がった。化けの皮が剥がれ、獰猛で狡猾な笑みが浮かび上がる。
ユーシスの顎が上がっている。俺を舐めきっているようだ。ならば--
「始め!」
レフェリーが手を振り下ろすと同時、俺は砂地を蹴飛ばしてユーシスに突進した。三メートル強の距離を瞬く間に詰め、矢の如く木剣を突き出す。
がつんと硬い手応えがして、俺の剣は弾き返された。無理に押し返さず、反動を利用して手首を返し下段から追撃。後退しながらもユーシスは辛うじてこれも防いだ。
「ふっ!」
鋭く呼気を吐き出し、力任せにユーシスを押し込むと、俺は猛然とラッシュを開始した。羽のように軽い剣を縦横無尽に操り、八方から乱打を浴びせる。ユーシスの表情にもう一切の余裕はなかった。見事な剣さばきで俺の攻撃を全弾叩き落とし、凌ぎ切ってみせる。
木剣同士とは思えない苛烈な衝突音が、客席をピシャリと静まりかえらせていた。
どちらからともなく一息つき、距離をとった俺とユーシスは、恐らく同時に、思った。
--強い。
ユーシスの顔はひどく狼狽していた。俺も同じような顔をしているはずだ。あれだけ打って一撃も入らないなんて、俺の経験上有り得ない。
若干のラグの後、驚嘆混じりの大歓声がアリーナを揺るがした。ユーシスは舌打ちして客席を睨むと、木剣を芝居がかった仕草で斬り払い、俺に突きつけた。
「少しはやるようだな……もう油断はしない」
言葉通り、隙が消えている。俺は冷や汗が頬を伝うのを感じながら、剣を握り直した。




