第十四話 生きた証-3
昼日中の茜空を、白い気球が飛んでいる。行きよりも荷物が増え、人数は一人減っていた。
マリアは、バスケットの隅で自分の膝を抱き、真っ赤に腫れた目で虚空を睨んでいた。テトは対角に座り込み、地蔵のように項垂れていた。俺は気球の世話を中断し、バスケットの縁に肘をついて、外の景色をぼんやり眺めていた。
斬喰炉が去ってから、カルデラ湖のベースキャンプまで死んだように降りて、そこで一泊し、明朝から下山を再開して麓の気球を回収して飛び立った俺達は、その間全く口を利かないでいた。通夜でも、もう少し明るい話題が咲く瞬間があるだろうに。
「……ごめん」
テトが、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で、たった一言呟いた。
「何が」
「何が、って……色々だよ。おれはビビって、全く戦えなかったし。それに、その……色々、隠してたから」
「何を隠してたかは言わないで、謝られても。分かんねえだろ」
流れ行く景色を眺めながら低く言う俺に、テトは生唾を飲み込んだ。打ちひしがれ、憔悴しきったその顔は、以前の彼からは想像もつかない。
「……おれは、人間じゃない。魔人でもない。人間と魔人の間に生まれた、半魔だ。たぶん、世界で唯一の」
俺は無感動に「あぁ」とだけ返した。驚きはない。斬喰炉が既にあらかた暴露していたようなものだ。
「……実際、こんなことがなけりゃ、一生隠していこうと思ってたことだ。今更仲間面するつもりはない。おれを好きにいたぶっても、殺してくれても構わない」
「しねえよ、そんなこと」
「……そっか」
壊れた人形のような顔のまま呟いたテトに、マリアが虚空を見つめたまま訊いた。
「あの斬喰炉は、あんたの仲間なの」
「んな、まさか。ハハ……あの人の態度を見ただろ。斬喰炉さんだけじゃない、おれは、みんなからキモがられてたんだよ。気の触れた誰かが猿とセックスして生まれた奇形児を、人間は仲間に入れるのか?」
自嘲気味に笑ったテトは、すぐに口角を落として首を振った。
「いや……悪い。戦えなかったんだから、向こうに味方したようなもんだな。……結局そうなんだ。おれはどっちにもなれない。群れから逃げて、人間のフリして生きようとしたけど、バレてからは牢に繋がれて、危ねえ任務ばっかりやらされて。……カンナ、だけだったんだ」
初めて、テトの目に生気らしさが宿った。
「カンナは、国の奴らから聞いて、俺がバケモノだって知ってた。それなのに、合同任務の相棒におれを指名して、牢までやってきて、まるで普通の人間みたいに、おれを扱ってくれた。おれは……アビスの味方にも人間の味方にもなれなくても、せめて、カンナの味方になろうって、思った。……思ったのに……!」
ビロードのような蒼い瞳が、ウルウル揺らいで大粒の涙を落とす。
「ごべんなざい……! 動げながっだ……体が全く動かながった! 死ぬべぎは、おれだっだのにぃ……!!」
「勝手に、謝らないでよ」
怒鳴ったマリアの目にも、枯れたと思われていた涙が滲んだ。
「あたしたちに謝られる資格なんてない。三人揃って何もできずに、カンナさんの亡骸と引き換えにのうのうと生き延びた……。この中の誰が代わりに死んでたって、カンナさんが戦いを止めたはずがない。だから、あたしは……あたしは、あんたが、カンナさんのためにそんな風に泣けるんだって、知れただけでもういいわ」
テトは、落涙する目を見開いたまま固まった。俺は空を見上げて、顔を見られないようにしながら言った。
「好きだったんだな、お前も」
「……うん」
「俺もだよ」
涙が引いてから、俺は振り返って、二人に向けて笑った。
「復讐、しようか。この三人で」
マリアは薄く笑って応じた。
「思ってもないこと、言わないでよ」
あっさり看破された俺は、「悪い」と一言謝って、バスケットの隅に腰を下ろした。
カンナの亡骸を引き渡して生き長らえた俺たちを、以前までの自分が見たら散々罵り、軽蔑することだろう。俺もマリアも変わってしまった。これを成長と言っていいのか分からない。ただ、あの斬喰炉を憎むという方向には、どうしても感情が舵を切らない。
俺たちは生きるために殺す。毎日、何かを殺す。それなのに、自分の周りの人だけは、何者にも殺されるはずがないと無根拠に思っていた。全く甚だしい思い違いだった。いつから俺は、人類は狩られる側から狩る側へ飛翔したものと、おめでたい錯覚をしていたのだろう。
アビスとは、生きるために俺たちを捕食する天敵だ。天空を飛び回る鷹に親を食い殺されたからといって、芋虫は鷹への復讐を考えない。
斬喰炉の姿を、思い出す。ヤツが同じ空間にいた時の、異質な空気感、圧迫感が、今でも鮮明に思い出されて、身震いした。
"アレ"は、異常だ。決して関わってはならない存在だった。アレに刀を向け数合打ち合ったことが、今にして恐ろしくなった。
カンナはそんな斬喰炉さえ追い詰めた。そして、死んでしまった。弱すぎる俺たちを守り切り、俺の知る限り最も強い人間だった彼女は、生きたいと泣きながら死んだ。最期に、俺に生きろと言い残して。
ならば、生きるしかない。何を捨ててでも。
「ギルドには、紅雲大火山開拓の永久中止を進言する。ジフリートの亡骸も回収には帰らない。マリアも、それでいいか」
「えぇ」
マリアは打ちひしがれた顔で頷いた。俺たちの唯一の失敗は、斬喰炉に出会ってしまったことだ。ヤツの言うとおり、運が悪かった。天災に巻き込まれた。
だから、もうあそこへ行ってはならない。いや、もう極力、冒険者も外に出てはならない。ヤツらに見つからないように、慎ましく生きていくほかない。
最初からそうしていればよかったのだ。そうすれば、カンナはずっと生きていられた。
帰って今回のことを報告すれば、国は大混乱になるだろう。
並外れた戦闘能力と知能を持った天敵、魔人の存在。《月剣》の殉職が、その恐るべきを何より国民の眼前に叩きつける。それでいい。カンナの犠牲によって、全国民が思い上がりを自覚するに違いない。そうして、カンナの愛した彼らの命は守られる。
俺は、せめてそんな彼らの盾となろう。
――ふざけるな。
腹の底から、一瞬、爆ぜるような熱が噴き上がった。俺は素知らぬフリをした。北極風に押され、気球は吸い込まれるようにルミエールへと運ばれていく。
「今、何がしたい?」
単純な興味で、俺はマリアに尋ねた。彼女はさして間を空けず答えた。
「そうね。……ハルに、会いたい」
「奇遇だな。俺もだよ」
ところが俺たちは、帰還した瞬間、待ち構えていた《荊》三名が率いる武装兵団に包囲・捕縛された。




