第一話 傾国-3
あまりに突拍子もなくて、異国語のように聞こえた。戦争。それは、あの戦争のことを言っているのだろうか。
「今日の夕刻、東のダバル王国から城に使者が遣わされた。宣戦布告に等しい圧力をかけてきたらしくて、あまり穏やかじゃない」
ルミエール周辺の地理は学園でも教わった。ここから百キロ圏内には、隣国と呼べる国が二つ存在する。東のダバルと西のアイルー。真面目に授業を聞いていなかった俺の記憶には、西のアイルーは同盟国で、一方東のダバルとはあまり関係が良くないというぐらいのことしか残っていない。
「は、待て待て、戦争とか宣戦布告とか、なんで急にそんな話になってんだよ」
「シオンが知らないだけで、急じゃないよ。それにまだ戦争になると決まったわけじゃない。そうならないために僕が明日からダバルへ発つんだ」
白皇は悪い顔でウィンクした。
「……それ、つまり脅しに行くってことかよ」
「人聞きが悪いな。にこやかに挨拶してくるだけだよ」
穏やかな笑顔の奥に隠された、静かな怒りに背筋が凍る。脳の処理が追いつかない。ただ、俺はこの世界を何も分かっちゃいなかった――それだけを痛感する。
隣に国が二つあるのは知っていた。でもそれだけだ。国同士の争いなんて想像すらしていなかった。だって、俺たちにはモンスターという共通の敵がいるじゃないか。
「……つーか、ハクが行くなら、俺もついていかねえと」
「いや、今回は僕一人でと、王直々の勅命だ。万が一にもダバル領土で君が暴走するなんてことがあったら、いよいよ全面戦争が避けられない」
あまりに重く大きな言葉をさらりと口にされて、生唾を飲むことしかできなかった。
「そう固い顔をしなくてもいいよ。僕がルミエールにいる。その事実を知らしめるだけで、戦争は避けられるから」
「核兵器かよ、お前は」
「地球の兵器には詳しくないけど。各国が何より恐れるのは、僕なんかより君だよ、アカネウォーカー」
「……まぁ、言葉が通じなくて見境ない分な」
「どこの国でも伝説として語り継がれている恐怖の象徴だからね。でも、それは自国で突然炸裂する巨大爆弾みたいな意味だった。それが、もし力をコントロールできて、どこかの国が兵士として所有するなんてことになったら、僕以上の抑止力になるはずだ」
俺は白皇の言い方が気に食わなかった。俺も白皇もモノじゃない。白皇は、まるでルミエールに生きた核兵器として便利に使われている現状を、歓迎しているみたいだ。
「僕がいることで、起こるはずだった戦いが流れるなら嬉しいことだよ」
白皇はまた心を読んだみたいに言った。こいつは今までも、ずっとルミエールの平和を一人で守り続けてきたのだ。気に入らない。
「その割には随分な長旅に出てたな」
「はは、王も工作に手を焼いたそうだ。噂に聞いた世界樹をどうしても持ち帰りたくて。国の文明レベルを五百年進める代物だった。僕にしかとってこれないものだったしね」
白皇が国を出ている間も、あたかも白皇が常駐しているような偽装工作を王がしていたということか。ならばなぜ、今になってダバルは宣戦布告をしてきたのか。
「ダバルは、お前が今国にいないと勘違いしてんのか?」
「二ヶ月前に僕が帰国してから、王が工作を打ち止めたからね。その可能性が高い。だからこの状況は王も僕も半ば予想してたものだ。向こうが圧力をかけてきたら脅しに行けばいいと思ってた」
脅しに行くって言っちゃったよ。
「なんだよ、じゃあ心配するほどのことじゃねえのか。ビビらせんなよ」
「ごめんごめん。シオンはモンスターを狩ることしか考えてないみたいだったから」
白皇は教師のような顔でいたずらっぽく微笑んだ。本当に気に入らない。
「どれくらいで戻るんだ」
「直線距離は九十キロだけど、三つ山を越えなきゃいけない。向こうでも色々会わなきゃいけない要人がいるから、現地で一泊するとして……五日くらいかな。その間なんだけど」
「ここで大人しくしてろってことだろ。分かってるよ。街にも出ないようにする」
白皇の言いたいことを先回りしてやったつもりが、何やら含み笑いで首を横に振られた。
「その必要はないよ。監視役代理が明日からこの家に泊まって、僕の代わりをしてくれるから」
「代理?」
街や壁外を出歩けるのは嬉しいが、知らないヤツが五日間もストーカーのように隣にいる生活を想像すると一気に気が滅入った。
「気持ちは嬉しいけど、いらねえよ。その代理さんも、嫌だろ、俺なんかと五日も一緒なんて」
「いや、本人の強い希望があってのことだ。王の反対さえ押し切る勢いでね。シオンにとっても悪い話じゃないと思うけど」
「……俺の知ってるヤツ、ってこと?」
「それは明日のお楽しみ」
白皇が中へ入って行ったので、結局それ以上のことは聞けなかった。白皇が食事の準備をしている間に、俺はレンを街の入口まで送った。「学園生活で困ったこと、相談しに来てもいいですか」というレンの頼みを曖昧に承諾してしまい、後悔しながら家に戻った。
白皇は明くる日の早朝に旅立った。見送って一人になると、随分懐かしい静寂に包まれた。二人でいても互いに無言でいる時間のほうが多いのだが、一人きりの静けさというのはどうやら全く別物らしい。
なんだか親の出勤で自由を得た子どもの気分で、何をしようかと少しワクワクしていた俺を、トントン、という軽いノックの音が現実に引き戻した。
例の監視代理だろうか。随分早いご到着だ。水を差された気分で扉を開けた俺は、そこに立っていた人物を目の当たりにして呼吸が止まった。
「おっはよー、シオン君! 久しぶりだねぇ。これから五日間よろしく!」
旅行に行くような大きなカバンを抱えた笑顔のカンナが、人間界の生き物とは思えない可憐さでそこにいた。




