第十四話 友達だから-3
「白兄ちゃん」
カンナは、諌めるような目で白皇を見つめた。
「知ってるよ。白兄ちゃんは、間違えない人。今回のことだって、理由があるのは分かってる。……でも、この先どんなに素晴らしい未来が待ってるとしても、それがシオン君の死と引き換えなきゃいけないものなら、私はいらない」
その目が、声が潤む。気丈に振る舞いながらも、白皇に剣を向けることが、彼女にとってどれだけ本意でないことか、ハルクには推し測ることができた。
「白兄ちゃんは、優しい人だよ。シオン君も、こう見えて、同じくらい優しい人なんだよ。お願い、私たちみんな力になるから、だから……」
白皇の顔に、初めてほんの僅か、動揺の色が浮かぶ。さんざん悩んだ末の結論をふりだしに戻し、もう一度無限の葛藤を始めたような、そんな表情で、白皇はカンナを見つめ――やがて、微笑とともに頷いた。
「そうだね」
ぱあっと輝いたカンナの顔が、すぐに凍りつく。
「でも、君の言っていることは、絵空事だよ」
次の瞬間、カンナの背後で、とうとう氷山が弾けて砕けた。
迸る悲鳴。降り注ぐ氷塊の雨が客席に降り注ぐ。民衆を下敷きにするところだった氷の全ては、白皇の剣の一振りで、目視できないほど小さな欠片へと砕け、煌めきながら霧散した。
「一人も死なせないんじゃなかったのかい。今ので誰かが死んでいたかもしれない。君は確かに強いが、君一人の体で同時に救える命がどれほどのものなんだ」
血の色をした激流が、氷山の残骸から間欠泉の如く噴き出し、氷片をぶちまけながら生き物のようにのたうつ。やがて深紅の激流は、幾つにも枝分かれしながら"爪"や"尾"のような形を形成し、空中を逞しくうねり始めた。目算で十を越える赤く煮えた爪と尾の根本は、全て地上の一ヶ所に集結している。
氷の欠片に囲まれた、黒髪の、小柄な少年。彼の周囲を包む深紅の光は一際濃密で、そのオーラ状の光から長さ数メートルもある半実体の赤い尾や爪が生えている。もはや、ハルクにでもハッキリ見てとれる。シオンの口の隙間から迸る、息が詰まるほど濃密な煉素を。
地獄の、化け物。誰がどう見ても、そうとしか思えない。
「"アレ"から、君は国民全員を護りきれるつもりかい? アレを見て、国民に恐がらないでと言うのは無理な話だと思うよ」
「シオン、君……」
カンナが息を呑む。民衆は、今や完全に恐怖に支配されていた。ユーシスや、カンナの言葉に心を動かされた者もいただろう。しかし、今や目と鼻の先を掠めるバケモノの爪や尾を前にして、自分の命を捨ててでもあのバケモノを助けたいと思うような人間は、一人もいないに違いなかった。
「彼は刻一刻と世界の力に順応し、莫大なエネルギーにあてられ続け、理性はとっくに崩壊している。これが続けば、全てを壊し尽くすまで止まらない本物のバケモノになる。彼は自分の手で、愛するものたちを皆殺しにする。その前に、誰かが止めなきゃいけないんだよ」
「……いや。いやだよ。シオン君は、そんな人じゃ」
カンナの言葉を遮るように、シオンは咆哮した。深紅の尾が暴れ狂い、大地を叩き、闘技場の壁を抉り、客席を震撼させる。実況席だった物見櫓が、ついに傾き、崩落した。折り重なる悲鳴、慟哭、金切り声。
唸りに合わせ、尾が、一斉に天へ伸びた。その鋭い先端を全て白皇に向けると、ミサイルの如く撃ち出される。
氷の大地に大穴を空ける尾の全てを、紙一重で回避しながら距離を詰める白皇。白銀の剣を刀で受け止め、シオンが叫ぶ。茜色に爛々と輝く目を剥き、激しい打ち合いに転じる。国の英雄と、国を滅ぼす悪魔の一騎討ち。誰の目にも、そう映る、この世の終わりのような激闘。
「た……助けなきゃ。ロイドさんは白兄ちゃんを! 私はシオン君を抑えます!」
「おう!」
カンナとロイドの乱入で、戦場は輪をかけて混沌となった。白皇にロイドが斬りかかり、動きを止める。そこを狙おうとするシオンの尾を高速の剣さばきで斬り落とし、カンナがシオンの気を引き付ける。白皇は乱入者を掻い潜り、シオンの首だけを執拗に狙う。思惑が交錯し、ぶつかり合い、肉と金属が悲鳴を上げる。
次元の違う四人の中でなお、突出するのは白皇とシオンの二人だった。ロイド、カンナ、それぞれの妨害をものともせずはね除け、互いに互いの命だけを刈り取ろうと激突する。
無限に再生する尾を斬り捨て、懐に入った白皇の神速の一閃が、ついにシオンの頸を捉えた。
首をはね飛ばすかに見えた剣は、シオンの顔の前で重音を上げて硬直していた。勝利を確信した白皇の目が、動揺で見開く。
「ゥゥゥヴ……ッ!」
白銀の剣を、シオンは歯で"噛んで"受け止めていた。一般的に白目と呼ばれる強膜の部分まで血の色に染まり、バケモノの目そのものとなったシオンは、凶刃に噛み付き、青筋を浮かべて唸りながら、右手の刀を閃かせた。
群衆から、悲痛な叫びが上がった。
無防備な白皇の腹を、ついにシオンの黒刀が突き破ったのだ。カンナも、ロイドも、ハルクもマリアも、呆然と立ち尽くす。白皇の純白の装束が、みるみる血で赤く染まっていく。
パチン、と、白皇の姿が、シャボンの割れる音と共に忽然と消えた。
「今のは危なかった」
ギャァ、とシオンが悲鳴を上げ、地面に倒れ込んだ。彼の背後に姿を現した白皇が、シオンを押し倒し、背中から胸を剣で貫き、標本のように地面へ磔にしたのだ。
群衆からは、安堵の息と、歓声。誰もが無意識に白皇の勝利と、シオンの死を望んでいる。それが露呈した瞬間だった。
「シオン君!」
「シオン!」
カンナとロイドを、白皇が目で制する。二人は足を止めた。シオンが一瞬前、明確な殺意を持って白皇を突き刺した光景が、きっとそうさせた。ハルクも、マリアも、こんなに助けたいのに、シオンのことが大好きなのに、さっきのショックが、焼き印みたいに心に刻まれてしまった。
刺し殺されていたのは、自分かもしれなかった。
「分かっただろう。彼は人を殺すバケモノだと。僕はこの国に帰ってきてから、彼を密かに監視してきた。シオン・ナツメが心根の優しい人間で、誇りを持ち、国民のために戦うウォーカーであり、皆に慕われる、愛されている人物であること。それは僕が保証しよう」
白銀の剣から片手を離さぬまま、もう片方の手で、空中に氷の槍を創造すると、白皇は浮遊する槍の切っ先を、暴れ狂うシオンの後頭部に真っ直ぐ向けた。
「秘密裏に始末することもできた。でもそれでは彼を慕う人々が、悲しみに暮れてしまう。だから、最も国民の目が集まるこの日、この場所で、彼の本当の姿を見てもらった上で、僕の手で終わらせようと決めていた」
白皇の目は、本当に、哀しそうだった。この戦いを仕組んだのも、シオンが暴走するよう仕向けたのも、白皇だ。それが発覚しても、ハルクは怒りのようなものは感じなかった。ただ、途方に暮れた。
一体どうすればシオンを助けることができる。この気持ちは、国民を裏切る行為なのだろうか。シオンは自分の正体を、知らなかったにちがいない。自分がバケモノだと知ったとき、彼は、命を助けられることを望むだろうか。
助けたいという気持ちは、ただこれからも一緒にいたいという気持ちは、僕のエゴなのか。抱いてはいけない思いなのか。分からない。どうすればいい。あぁ、シオンは、今にも殺されてしまう。
「僕を恨み、僕を憎んでくれ。彼を殺さなければならない僕の弱さを呪ってくれ」
白皇が手を振り上げた。槍が浮き上がり、助走距離を確保する。やめてくれ。やめてください、と言うんだ。カンナも、ロイドも、マリアも、今にも飛び出していきそうに体を震わせ、自分の中の何かと戦っている。
槍が、墜ちる。その瞬間、体が麻痺を打ち破った。
「や――」
「――やめてくださいッ!!!」
痛いほどの静寂に響き渡ったのは、ハルクの声ではなかった。それより僅かに早く、闘技場に乱入した若く高い声の主は、地獄と化した戦場に不似合いな、私服姿の少女だった。
「レン、ちゃん……?」
ハルクとともに、シオンがウォーカーとなって初めて助けた、新客である。レンは硝煙で黒ずんだ肌や金髪を拭いもせず、潤んだ赤褐色の瞳を懸命に見張って、闘技場の入場口から、一直線に、世界最強の男へ向かって歩み寄る。
ハルクたちでさえ割って入れなかった領域に、戦えもしない一般人であるあんな小さな少女が、臆すことなく足を踏み入れていく。心が、叱りつけられたみたいにしゃんとした。
「君は」
「シオンさんに助けられた、新客です。彼を殺すなら、その前に私を殺してください」
ついに、三メートルほどの距離までレンは近づいた。シオンの尾がひとたび動けば、簡単に体を貫かれる距離だ。今のシオンは胸を穿たれ、致命傷の修復と損傷を繰り返し動けないとは言え、正気の行動ではない。命など欠片も惜しんでいないことを、何より証明する。そして、彼女の言葉の重みも。
「何を言っているんだ。危ないからすぐに離れて。彼はもう、君の知る、優しいナツメ君ではない。この通り、バケモノになってしまったんだよ」
レンは、眉間に不愉快そうにシワを寄せると、一面凍りついた戦場を見回すなり、怒鳴り上げた。
「シオンさんのこと、さっきからバケモノバケモノって……どう見たって、あなたの方がよっぽどバケモノじゃないですか!?」
白皇が目を丸くする。国の英雄にあるまじき物言いに、固唾を呑んで見守っていた群衆に激震が走る。




