第十四話 友達だから-2
自信満々にふんぞり反るユーシスに、白皇が小首を傾げたとき、シオンを閉じ込めた氷山にビシリと一筋の亀裂が走った。
途端、群衆からヒステリックな悲鳴が爆発する。「まさか」と白皇は形のいい目を見開いた。幾重もの分厚い氷をぶち破り、質量を持った深紅の光が溢れ出す。
「覚醒が早すぎる。手遅れになる前に殺さなければ」
踏み出した白皇の足元から、氷の衝撃波が膨張しながらシオンへ驀進する。「させん」と引鉄を引いたユーシスの銃は、カチリと乾いた音だけを残し、沈黙した。
「なに!?」
銃口が、凍りついている。波状に広がる氷の津波はその隙をついて、シオンを飲み込むべく一気に勢力を拡大した。
「――バジュラッ!」
天から降ってきた山のような鋼の壁によって、突如、闘技場のフィールドが真っ二つに隔てられた。深紅の紋様が地脈の如く這う壁である。氷の津波はその壁に激突し、轟音を上げて塞き止められた。
高さ五メートル、幅五十メートルにも及ぶその堅牢な壁は、よくよく見れば、横に倒した巨大な剣の形をしていた。ユーシスがほっと息を吐く。
剣の平坦な頂上に立つ小さな少女が、蔑むような目で白皇を見下ろしている。
「何が手遅れになるよ。殺すの躊躇ってたのはポーズだったの? ノリノリじゃない」
「マリア!」
ハルクが笑顔を弾けさせると、冷たいマリアの顔が一転して真っ赤に染まった。
「これで三対一だな。まだ引かないなら、その白装束を炭にするぞ」
銃口の氷を溶かし、下へ飛び降りてきたユーシスが、腰の剣を抜いて白皇に歩み寄る。マリアもヴァジュラのサイズを元に戻し、聳え立つ氷の波を迂回して、立ち上がったハルクを守るように傍へやってきた。
「ナツメ君は人気者だね。君たちを傷つけたくはないんだけど……もう猶予がない。全員、動けなくなってもらおうかな」
ニコリ、と微笑んだ白皇の姿が、風の音と共に消えた。ユーシスの赤毛が強風で靡く。瞬く間に背後をとられたというのに、ユーシスは正面を向いたまま、全く反応できていない。
「は……」
「これで二対一だね」
本人にとって軽くつついたような手刀が、全く目で追えない早さでユーシスの首筋に叩き込まれた。目を剥き、膝を折ったユーシスの体が、その場に崩れ落ちる。
「ユーシス!!!」
まだ傷口が癒えていないのに。怒りに駆られて突進しかけたとき、白皇の姿はもうそこになかった。
背後をとられたことも、足を払われたことも分からなかった。視界が空の色と、にこやかに微笑む白皇を映す。
「二人目」
軽く上から腹を押された。それだけで、ハルクの体は信じられない力で背中から氷の大地に叩きつけられた。肺の空気が全て抜ける。骨のひとつも折れていないのに、体が、全く動かない。
「ハル!」
マリアが憤怒の形相で薙ぎ払ったヴァジュラは、音もなく寸前で停止した。白皇が、片手の親指と人差し指で、ヴァジュラの刀身を掴んで止めている。
「な……!?」
「この煉器は危ないよ。没収しとくね」
するりとマリアの手を離れたヴァジュラを後方に投げ捨て、「さて」と白皇はマリアを素通りしていこうとする。
マリアは数秒、動けないでいたが、下唇を噛み、やがて震える手で、白皇の腕を掴んだ。
「待って……やめて、私たちの……友達なの」
「残りの友達を全て失うとしても、彼を助けたいかい?」
「意味わかんないわよ……そんなの、選べるわけないでしょ!」
振り抜いた拳は空を切り、マリアの体は、避けた白皇の前を無防備に飛んだ。
「辛いだろうから、眠っているといい」
手刀がマリアのうなじに突き刺さる、寸前の出来事であった。乱入した大男の拳が、初めて白皇を吹き飛ばし、目に見えたダメージを与えたのである。
氷壁に直撃して轟音を上げる白皇に、男は青筋を浮かべて拳を握りしめ、総髪を怒髪天を突くとばかりに逆立てていた。古い壮絶な傷痕に塞がれた目が、もし開いていたならば、鬼も逃げ出すほどの恐ろしい形相であったに違いない。
「おいハク……オレは今、最高にキレてるぜ」
教官、と小さく呟き、彼の背後でマリアがその場にへたれこむ。
「お前がイイヤツなのは知ってる。なにも説明しねえからいっつもなに考えてっかわかんねえけど、お前の行動が間違ってたことは一度もなかった。だから、今回のことも、ねぇ頭絞ってずっと考えてたけどよ……もう限界だ」
背中の両手剣を引き抜き、ロイドはこめかみの血管をブチブチ言わせながら怒鳴り散らした。
「オレの可愛い生徒になにしてんだ、殺すぞコラァッ!!」
「あなたに邪魔される前に、仕留めたかったんですけどね……」
立ち上がった白皇が、困り顔で白銀の剣を構える。一瞬の睨み合いの後、両者は中央で激突した。両剣のぶつかり合いは、鼓膜を破かんばかりの爆音を轟かせ、大地震を起こし、その衝撃波で、ヴァジュラが受け止めた氷の津波を粉々に粉砕させた。
「うぁぁぁぁっ!?」
吹き飛ばされたハルクの体を、マリアが受け止める。なんという力の衝突だ。次元が違いすぎる。
「よォ……ハク。お前、実況の嬢ちゃんが言ってたオレとのエキシビジョンマッチに乗り気な風だったが、分かってただろうが」
至近距離で競り合う相手に、ロイドは冷や汗を垂らし笑った。
「こんな狭い場所で一般人も囲んでるんじゃ、十分の一も力が出せねえ。一生終わらねえよ、この戦いは」
「どうでしょうか。あなたが"目"を使わないのなら、瞬で終わりますよ」
再び大型トラック同士が正面衝突したような大音響が迸り、両者の剣が中空で迎合する。
「いざとなりゃ使うさ。でもその必要はなさそうだな」
眉を寄せた白皇を、影が包んだ。空の光を遮り、白皇の頭上目がけて落ちてくる存在の美しさに、ハルクは、呼吸を忘れた。
純白の騎士装束に包まれた、踊り子のような曲線美。後ろで結った、長く滑らかな胡桃色の髪が生きたように舞う。白薔薇の現ナンバー2、彼女が《舞姫》の二つ名で謳われる所以を、ハルクは目の当たりにした。
「――ハァッ!」
一筋の流星のように墜ちたカンナの突きは、剣で防御した白皇の体を大きく吹き飛ばした。ロイドの隣に着地したカンナは、険しい、悲しい顔で、白皇を睨んでいた。
「無理すんなよ嬢ちゃん。ハクとは戦えねえだろ」
「大丈夫です。私がウォーカーになったのは、手の届く限り、すべての人の命を救うため」
自分に言い聞かせるように、カンナは強く宣言すると、目を閉じ、美しい白の片手剣を氷の大地に突き刺した。
「たとえ世界で一番大好きな人が相手でも、この信念は曲げられない。私がこの国にいる限り、誰一人、死なせない。……シオン君を殺せと仰った方は、私に挑む覚悟のある方ですか?」
客席を仰ぐカンナに、群衆が息を呑んで沈黙する。ぐるりと客席を見回す刺すような目が、不意に、和らいだ。
「あなた方も、シオン君も、私にとっては同じように護るべき家族。皆さんも、誰一人死なせない。必ず護ります。だから、どうか恐がらないで」
天使のような、微笑みだった。




