第十四話 友達だから-1
自らを貫いた氷柱を両腕でへし折り、背中から氷上に落ちたシオンは、胸から苦しそうに氷の槍を引き抜くと爆音で吼えた。体に空いた穴が著しい速度で塞がっていく。
「【氷華】」
白皇が一歩踏みしめた氷の大地から、パキ、パキと流麗な音を立てて氷の華が咲いていく。それは徐々に膨れ上がり、先端を槍のように尖らせると、一斉に蛇のごとく伸び上がった。空中で更に枝分かれしながら、氷の槍の吹雪となってシオンに襲いかかる。
シオンもまた、空中を際限なく跳び回って氷槍の隙間を掻い潜る。白銀の嵐と、その間隙を縫って激走する茜色の閃光。この世のものとは思えなかった。
「ごめん、シオン、ごめん……!」
一瞬でも、疑った。凍結した戦場に着地したハルクは、自分を猛烈に恥じながら疾走した。
この一年間、なにを見てきたのだ。彼の入学初日、クラスメートに生活費をせびられたハルクを、シオンは助けてくれた。ユーシスに因縁をつけられたときも、彼が間に入ってくれた。これまで何度助けられた? 彼が人を殺すバケモノというなら、ハルクを殺すチャンスはいくらでもあったはずだ。
「剣を教えてくれ」と頼んだとき。超人で、無敵で、どんどん遠ざかっていくようだった彼が、あんなに嬉しそうに、子どものように笑ったのを、ハルクは一生忘れない。そこから二人は、友達になったのだ。
忘れない。忘れていいはずがない。他の誰が、彼を恐れても、バケモノと罵ろうと、たとえ本当に、バケモノであったとしても。枯れない思い出が有る限り、二人で笑いあった、この記憶が有る限り、敵の何百何千だって相手にしてやる!
友達だから。
「らぁッ!」
シオンを串刺しにする寸前だった氷の槍を、横合いから乱入して叩き割った。白皇、シオン、同時に動きを止め、ハルクは両者の間に立ち塞がる。
「……ハルク君。君の気持ちは分かる。僕の罪を許してくれとは言わない。憎んでくれても、殺しにきてくれても構わない。だから、今だけは、邪魔しないでくれ」
白皇の目には、ゾッとするほどの慈愛が溢れていた。ハルクに対して戦意の欠片もない。ハルクだけではない。白皇はここにいる全ての人間を、我が子のように愛している。ただ一人、シオンだけを除いて。
「その優しさの、ほんの一欠片でも……なぜ彼に与えない!」
「僕はナツメ君のことも好きだよ。だから、殺さなきゃいけないなんて、本当に残念なんだ」
二刀を振りかざし、ハルクは白皇に斬りかかった。白皇は心底悩ましげに眉間を歪め、ハルクの突進を苦もなく受け止める。
「分かってくれ。射線上にいられると力が出せない」
好都合だ。このまま張り付いてやる。反撃の意思のない白皇に、ハルクは左右の剣を休むことなく叩き込み続けた。全て示し合わせたように弾かれ、勝負にもならないが、少なくともこうしている間、白皇はシオンを攻撃できない。
「なんで……!? なんで邪魔するのよぉ……ッ!」
泣き喚く女の金切り声が背中に刺さった。それを皮切りに、ハルクに対する群衆からの怨嗟が矢継ぎ早に降り注ぐ。
「モンスターの肩を持つのか!?」「ボクたち国民を守るのがお前らの仕事だろ!」「あのバケモノと一緒に住んでるって話だった、アイツもグルなんだ!」――恐怖と、防衛本能と、集団心理が、国民を狂わせていた。違う、違うと、ハルクがどれだけ喚いたところで彼らの心には届かない。ハルクのことを慕ってくれていた少女たちにさえも。
辛酸を飲み込み、剣を振り上げたハルクの鎧が、腹部への衝撃で粉々に砕けた。腹から背を貫通する衝撃波に、ハルクは白目を剥いてその場に膝を折った。
「もうここにいない方がいい。君まで憎まれてしまうよ」
「が、は、おェ……ッ!」
腹を軽く殴られただけで、あまりの痛みに立ち上がれない。頬をつけた氷の地面が冷たい。這いつくばるハルクを追い越して、踏み出した白皇の足元で、凍結した地面の氷が急速に肥大化していく。それまで混乱したように白皇とハルクの戦いを静観していたシオンは、ハルクが倒れた途端、狂犬の如く唸り出した。
「【冬】」
氷が連鎖的に砕ける荘厳な音を掻き鳴らして、白皇の足元からシオン目掛けて氷塊が波状に膨れ上がっていく。さながら、生きた氷山。範囲が広すぎて、いくらシオンでも逃げられない。
瞬く間に飲み込まれたシオンの体は、再び氷山に閉じ込められた。白銀の棺桶。一目見て、一度目の氷山とは密度が比較にならない。最初の一撃は、まさかわざと加減して凍らせたのか。民衆の前で再生能力を使わせるために。
「さらばだ」
白皇が伸ばした右手の先で、ごくごく狭い範囲を、空気が液状化するほどの冷気が迸った。そこから、周囲の凍りついた水分を材料とするように、パキパキ音を立てて一振りの長槍が錬成されていく。
シオンに真っ直ぐ矛先を向け、虚空を浮遊する白銀の槍は、細部まで繊細優美な氷細工。簡単に砕けてしまいそうで、その槍の美しさ、荘厳さは、必ず氷山を貫き切ってシオンを射貫く、確信を持たせられる。
発射の直前、ハルクは飛びかかって槍の軌道を変えようとした。伸ばした腕は、むなしく空を切った。光の矢の如く一直線に駆け抜け、槍が氷山に突き立つ、その寸前。
「【焔砲】」
氷の槍を、震えるほどの寒さもろとも、灼熱の炎が焼き払った。熱と爆風が闘技場を揺らし、崩壊をますます加速させる。飛び交う悲鳴。槍は溶けることこそなかったが、軌道を変えて氷山を抉り、壁に突き刺さって水蒸気に変わった。
「そのまま寝ていろアルフォード。お前が邪魔で、撃てなかった」
客席の最前列から手すりを乗り越え、一段高くなった縁に立ちこちらに深紅の銃を向ける、赤髪の少年を見て、不覚にも涙が滲んだ。
「ユーシス……」
国民から罵声を浴びせられ、手の平を返されて呪詛を吐かれて、さっきまで、うっかり、世界に一人も味方がいない気分だった。
「まさか、レッドバーン家の跡取りが……」「貴族までアイツを庇うのか」――群衆の動揺は、これまでと、少し風向きが変わっていた。しかしすぐに、レッドテイルの一団から胴間声が飛んだ。
「レッドバーンっつったって、当主は指名手配の犯罪者だろ!? バケモン庇ってる時点でそいつも同類、親子揃って真っ黒ってわけだ!?」
かねてから、貴族を嫌う平民は少なくない。
大貴族でありながら父親の指名手配で名声を失墜したユーシスは、格好の的だ。彼はその働きぶりと実力で周囲を黙らせてきたが、平坦な道のりでなかったことは想像がつく。
声を上げたのは過激派と思われるが、男が代弁したのは、誰もが言葉にするのをためらっていたこと。
またしても喧騒が波及していく。ユーシスについて、根拠のない憶測が一人歩きし、肥大し、怨念じみた野次へと変わる。
それらを、大空に咲いた爆炎が、ぴしゃりと黙らせた。
「揃いも揃って情けないな、愚民共が」
ユーシスの頭上で、天に向けた銃口が細い煙を吐く。
「貴様らが何を喚こうが、俺は自分の家と、己を、誇りに思っているぞ。貴様らはどうだ? 己を信じる意志すらないのか? 国の英雄が言うことは無条件に信じ、傀儡のように右に倣えか? 貴様らが殺せとのたまうのは、先刻貴様らが惜しみなく拍手を贈った冒険者だぞ。あの祝福こそが貴様らの意志ではないのか」
赤毛を逆立て、ユーシスが珍しく感情的になっている。
「俺はそれがバケモノであることなど、とうの昔に知っている。崖下の樹海で新種に遭遇し、死にかけたとき、俺を救ったのがその男だ。切断された腕が生え変わり、煉素を従え、圧倒的な力で新種を討伐した。明らかに人の枠を越えたバケモノだ」
「知っていて、野放しにしていたのか」と誰かが喚いた。「国民を守る自覚がないのか」と野次が飛んだ。ユーシスは鼻で嘲笑した。
「貴様らが恐れるのは、知らないからだ。ヤツが国を滅ぼすなど、そんな大層な器でないことをな。知らぬから恐れる。その狭窄した眼でこれからも生き恥を晒すつもりなら、過去の俺と同じ、救いようのない愚か者だ。白皇、貴様もな」
「知っているからこそ、身にしみている恐ろしさだってある」
涼しい笑顔で言う。ユーシスは取り合わなかった。
「大法螺を吹いておいてよく言うな。そいつが地球から来た紛うことなき地球人であることは、俺が証明できるぞ」
「へえ、なぜ?」
「ナツメが俺に語ったからだ。地球の、星空の美しさをな」




