不協和の夕暮れ
梨奈は夕姫と紀香の行った先へ進んだ。
途中でどこに行ったかわからなくなった。
別棟のところまでは行ったがどの階のどの教室かは検討がつかなかった。
そのあたりはあまり生徒も来ないせいか、非常に静かだった。
梨奈は1階から調べながら上がっていこうと駆け足で廊下を走った。
廊下と言っても、1階に教室は3室くらいずつしかないので調べるのは簡単だった。
しかし、そこまでの道のりも走っているせいか息が切れてしまっていた。
3階に着いたとき誰かの声が聞こえてきた。
『……あんたが、殺した!!あんたが!!!!』
何か怒鳴っているような声だった。
それは紀香のようだ。
その教室に近づくと梨奈はその部屋自体不思議に思った。
「いつも鍵かかっているのに…。」
梨奈がその扉に手をかけて少し横に引くと以外と静かに開いた。
紀香の姿が見えた。
何故か花瓶を振り上げていて、その姿が目に焼きついた。
梨奈の手が止まった。
―キーン!!!!!
それは突然紀香の耳を潰すようだった。
「ああああぁぁぁぁ!!」
―ガシャーン!!
紀香は振り上げていた花瓶を後ろに落とすとそのまま手で両耳を塞いだ。
大きな耳鳴りのようなそれは紀香を悶えさせた。
座っていた夕姫は耳を抱えてふらふらする紀香を尻目にゆらりと立ち上がった。
ふっと揺れて紀香に一歩近づいた。
ドアの10センチほどの隙間からその様子を見ていた梨奈も耳鳴りを感じた。
思わずたじろいでドアから2・3歩後退して耳を塞ぐ。
「うう…。」
悶絶する紀香に対して夕姫は静かに佇むとすっと顔を上げて、紀香を見た。
「…あなたの言っていた事の答え教えてあげようか?」
それは夕姫の声だ。
しかし、まるで別人のようなトーンの代わり映えだった。
それは耳を塞いでいるにもかかわらず、梨奈にも紀香にも明確にわかった。
「私が殺したのよ。」
そう言った夕姫の横顔はいつもの優しい笑顔ではなかった。
「な…」
紀香は夕姫を見ると青ざめた。
夕姫は気味の悪い薄笑いを浮かべて立っている。
まっすぐ紀香の方を向いて。
「こうやって…ね。」
夕姫はいつもよりはるかに低い声でそう言うと、さらに紀香に一歩近づいた。
あと一歩で体が触れるあたりに来ると両腕をフワッと横に広げた。
―ヒュン!!ヒュン!!ヒュン!!…
無数の空を切る音がした。
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
その叫びは梨奈を凍りつかせ、夕姫の嘲笑を招いた。
―ドサ…ビシャ!!
立っていられなくなって尻餅をついた梨奈の頬に、生ぬるいそれは付着した。
ほんの一滴だけがドアを飛び出して梨奈を翻弄した。
左頬に触れそれを確認すると何がなんだかわからなくなった。
赤黒い何か…
梨奈がもう一度ドアの向こうを眺めやるとまるで秋の紅葉のように赤く染まっていた。
そして、何かが横たわっている。
紀香の体のようだ。
白かった制服は赤く染まり、ボロボロに裂けている。
顔は向こうを向いていて右腕が投げ出され足の裏がこっちを向いた体勢のようだ。
その周りは赤い水溜りが出来ている。
光が窓から差し込み逆光の中でシルエットのようにそれが目に飛び込んでくる。
夕姫の小さな体がその紀香の体の傍で見下ろしている。
―バシャ…
夕姫は紀香の体を避けて歩き出した。
―バシャ…バシャ…
赤い水溜りを上履きで気にすることなく歩く。
―バシャ…バシャ…バシャ…
「フフ…」
その声がドアの向こうから聞こえた。
―バシャ…ビシャ…ビシャ…
―ガラ…
比較的小さな音を立ててドアはすべて開いた。
梨奈は赤い水溜りを抜け出したその上履きを見つめていた。
上履きは赤い夕日に照らされているのか染まっているのかわからないほど世界が赤く染まっていた。
「見ていたの?」
梨奈はその声に反応するようにその上履きから足へ、腰へ、胸へ、肩へ、視線を上らせていく。
その頂点に達した梨奈の意識はそれを理解しないかのようにただただ見つめるだけだった。
「…ゆ…うき…」
梨奈の目は微笑を浮かべる少女の顔を映した。
―ポタ…ポタ…
その静寂に彼女の服から滴る赤い液体が音を奏でた。
ぶらりと垂れ下がった腕が徐に持ち上がって緩やかな軌道を描くと音もなく横に広がっていく。
―ヒュン!!…
それは一度梨奈の右の耳の傍で大きく鳴って梨奈は何かに当たったように左に這いつくばった。
「う…」
梨奈は右腕に何か違和感を感じてゆっくりとそれを見ると長袖の制服が破けて中が見えていた。
そしてその中の腕が横にぱっくりと割れていて肉が見えている。
長さは5センチほどで見ている間に血が滲み出てきた。
傷の割りにそれほど血は出ていないような感じだった。
「うぅ…あぁぁ!!」
傷に気を取られていた梨奈はその誰かの声に気が付いてそちらを向いた。
夕姫は両腕で頭を抱えて小さく蹲っていた。
「…な…に?」
梨奈はわけもわからず、それを見ていた。
「やめ…邪魔…だ…やめろぉぉ!!」
夕姫は一気に顔を上げて虚空に向かって叫んだ。
「あああぁぁぁ!!!」
―バタン!!
その音を終止符とするように音が消えた。
夕姫の体は梨奈の右側に前のめりで倒れていた。
梨奈の視界はそれを眺めると下降し、閉ざされ暗くなっていった。